イカ釣り編 旅路―宿にて
そうこうしている間にも、日が落ちて来たので近場の村に泊まることとする。貴族と旅慣れない小娘では、行商人と同じく宿場町に泊まるのが真っ当な旅程だ。
「イペンサ様、本日はどのような料理を教えていただけるのでしょう?」
三人娘にブルーノを加えた旅の道連れが、楽しそうに俺の調理準備を眺めている。宿屋の厨房を借りて食事の準備を始めるが、俺が隣に居てブルーノが魚料理をせがまない訳が無い。三人娘に教えるためにも調理するしかないが、それだけでは見聞が広まらないので一品だけ作るにとどめるとする。
「俺の料理を絶対視するな、俺の調理法は各地の料理を食べ、古い文献を漁った成果だぞ? その土地のものを食べないでどうする?」
「ヌイやルサはともかく、私やブルーノ様はこの辺りの料理は食べ飽きている」
この辺りの料理というか食事は、黒パンと野菜をいれて茹でた大豆の塩味スープになる。基本はこれだけである。金があればオムレツが付き、腸詰などの加工肉が付く。スープに入れる野菜も、くず野菜から旬の野菜に変化する。貴族として最高品を食べるブルーノだとパンが柔らかな白パンになり、スープは鶏を使ったチキンスープ、肉も若い鶏を絞めたものになる。基本黒パンは硬いのでスープでふやかして食べるのが普通である。これらが基本的な農民食になる。漁民だとスープは海鮮スープになるが調味料が無いので基本塩味である。
「だったら、この村で手に入るもので美味い食事を考え出せ。お前に一品任せる。まだ頼み込めば売れ残りを分けてもらえるだろう、行って来い。調味料は全部揃うと考えていい」
俺は5人が一食食べられる程度の金を握らせるとジキを買い物に出した。
「お前達はどうする?」
残りの連中に問いかけてみる。ただしブルーノは食べる方専門である。ブルーノにとって美味しい食事は作るものではなく、作らせるものだ。貴族なんだから仕方が無い。優秀な貴族に料理をさせるのは時間と食材の無駄である。貴族としてはそんな時間があるなら書類仕事していたいというのが基本だ。だから自分で料理するというのは道楽以外の何者でもない。貴族教育の中でそう教え込まれるのである。
「私達はイペンサ様の調理を見て居たいです」
ヌイが代表して応える。まあ、順当なところだろうジキには不公平になるが、完成品を食べた上で調理法を聞けば想像が付くだろう。調理を始めることにする。俺の取り出したものを見てヌイが質問を挟んだ。
「なんですかそれは? 小魚のごみ?」
「小魚を塩水で煮て乾かした物だ。雑魚として漁師の網に掛かる小さな魚を貰って加工したんだ。お前らスープ作るときに生の小魚使わないのか?」
「私達の地方はご存知でしょ? 平民食にパンを殆ど食べません。芋を茹でて練ったものをペーストにして食べますから、焼き魚しか食べませんよ? 主食がペースト状なのに、おかずまで汁物にするわけないじゃないですか」
「なに? 俺はスープの作り方も教えたぞ? 何で作ってないんだ? 高いものではないぞ?」
「そんな時間ありません。ひたすら塩を作って、作った塩を売って芋を買うと、後は網の修理とか船の新造に回るんですから、身売りしなくてよくなった分人口が増えて、仕事を増やす必要があってギリギリです」
「俺が居る間はスープも出てたがなぁ」
「あれは祭りだからです。イペンサ様がいらしてから、5日間を祭りと村で決めているんです。今年はイペンサ様の来訪が遅れたので村の皆が恨んでましたよ?」
通りで今年は風当たりが強かったわけだ。言ってくれてもどうにもならなかったが、原因を教えずに辛く当たるのは止めて欲しい。ああ、考えてみると、一応聞いてはいるのか? 『働け!』とだけ聞いている。同じ時期に訪れるのも仕事のうちに含まれているのか?
「イペンサさんて司祭だったんですか? それとも神として崇められてます? 普通やりませんよ、人の来訪に合わせて祭りなんて」
ブルーノが呆れている。俺も呆れているのだが、何だその不思議そうな目は。
「俺も初めて知ったよ。ちなみに司祭でも神でもない。ハニートラップに引っかかって塩作り教えただけの流れ者のはずだ」
「その事実には蓋をして村の英雄にしました。皆知ってますけど気にしてません、慈悲深いことには代わりないですし」
ヌイの言葉に頭が痛い。俺は完璧超人なんかじゃないから、どこかで失敗して失望を買うこと間違いない。8年も付き合いがあるのに、一体いつの間にそんなことになったのやら、顔を付き合わせる連中の態度も変わりないんだがな。
「うちの村でも英雄扱いです! 祭りまではしませんけど」
ルサが一言加えるが全然嬉しくない。むしろ双肩に掛かる期待が重い。押し寄せるだろう厄介事の予感に、既に気力が押しつぶされてしまいそうだ。
「凄いですね~。領民でも慕ってくれる人は領主をほとんど神扱いすると聞きますけど、うちの領内じゃしばらく聞かない話だなぁ、イペンサさんを料理人として雇ったら凄く恨まれそうですね。考え直しました。それにしてもハニートラップに引っかかった英雄ですか、グリーク神話みたいですね」
ブルーノが感心している。ちなみにグリーク神話というのは英雄と神々の逸話である。登場する神々は確かに凄い力を持つが、性格面は人間とそう変わりなく嫉妬したり、理不尽に怒ったりする。英雄も妻を裏切ったりとろくでもないことこの上なく、神話に例えられても全然嬉しくない。というか、料理人にするのまだ諦めていなかったのか? 俺が旅しなくなったらいつかネタ切れが来ると言ってあるだろう?
とにかく料理を進めなければならない。小魚でダシを取ると、そこに飴色にまで炒めたタマネギと生のにんじんを加える。この二つは農民食の基本である。ひたすら日持ちするので野菜といえばこの二つのことを大体指す。葉野菜は腹に溜まらないので貧乏人は手を出さない。この二つの旨味が鋭い塩味を柔らかくしてくれる。当然ダシだけでは塩気が足りないので、そこで魚醤を入れる。魚醤なら塩よりも味がまろやかである。後は好みの魚を酒と共に鍋に入れて煮込む。最後に臭み消しのために香草を入れる。香草というのは食べられる雑草だと思えばよい、普通にそこらに生えている。場所によって生えているものも変わるので採って乾燥させて保存しておく。
「うちの村では野菜が手に入りません」
「うちはなんとか作れるかな? 漁で忙しいから、買ったほうが早いけど高く付きそうだし」
ヌイは残念そうに、ルサは真剣に検討している。だが野菜が無ければ野菜以外を使えばいい、料理の基本を教えてやらねばなるまい。
「料理ってのは基本が塩味だ。他の調味料は臭み消しとかエグ味を誤魔化すものが多い。砂糖が例外になるが、高級品で手に入らないからな。現在は調味料で何とかするより素材の旨味を生かす方向性が強い。料理が美味しくないのは塩味のみにするからだ。だから野菜や魚を入れてやることで味をまろやかにすればいい。魚醤なんか塩味をまろやかにした調味料そのものだろう? ならお前達の土地で取れる塩味以外の食材は何だ?」
「美味しくもないですけど、海草なら手に入ります。後は小さなエビやカニが手に入ります」
「うちも海草と貝なら手に入る~」
「そうだ、それらを使って後は味を調えれば、その土地にあったスープの出来上がりだ。スープというものは個別に食べれば美味しくないものでも、そこそこ美味しくしてくれる便利な料理なんだぞ? 活用しろ。小さすぎて食べられないエビやカニならダシにしてしまえばいいんだ。それで海草を美味く食べられる料理になる。後は農村に行けば乳製品なんかが手に入るから、複雑さが増すが現状無理だしな」
「家畜は夢のまた夢ですね。乳ですら手に入らない」
「うちも、うちも~」
俺の言葉に二人も納得している。ブルーノには食材が乏しく思えるかもしれないが、土地の料理というのはその土地単独では、ある程度食材が限られてしまうものだ。
「へえ、そういうものなんですね。では海の幸と山の幸をあわせて調理すれば、貴族にしか出来ない料理が出来ることになりますか?」
ブルーノは本当に生まれの違いを感じさせるよ、旅暮らしの俺も似たようなことできるけどな。
「北の国では川魚を家畜の乳で煮込んで塩味をつけたものもある。両方手に入る土地もあるだろうから一概には言えないな」
ジキが帰ってきたときにはスズキの燻製を手にしていた。この辺りの燻製はジキの工房が作っているはずだから、自分の得意料理でも出すのだろう。結局ジキが作ったものは燻製スープの野菜煮込みである。燻製に塩が入っているので、魚醤は使っていなかったが、俺に影響されたのが露骨にわかる代物だった。
出来たスープに白パンと黒パンを加える。ブルーノに黒パンのみの食事は辛いだろうし、三人娘には白パンの味を教えることにする。ちなみにこういった村で白パンは手に入りにくい。純粋な小麦でパンを作るのは貴族のやることだ。ブルーノ同伴だったので旅に出る前に、パン種を仕込んだ焼く前のパンを練っていた。馬車を借りる礼のようなものだ。
「パンも焼けるのですか? パンは本来何年も修行した者が作るものですが?」
ブルーノが驚いていたが、ブルーノが知る俺の料理は燻製だけだからな。
「ああ、だから俺が焼いたのはパン職人には遠く及ばないぞ、ブルーノは黒パンだけで食事できるの?」
「一週間もすれば、白パンが欲しくなりますけど、黒パンもいけますよ。硬くない奴なら」
「そりゃ小麦とライ麦を混ぜたパンだ。硬くないならかなり上等な奴だろ。本来の黒パンはこれだ」
そう言ってパンをテーブルに打ち付けるとコンコンと音がする。時間がたって硬くなったものならテーブルが叩き割れるだろう。工夫しないと歯が欠けそうになるがそれも普通に食べられている。スープに漬け込むことで柔らかくするのだ。
パンも揃ってようやく準備が整うと皆で食事を開始した。
「美味い! 小魚と野菜で作ったスープで、これほど美味しくなるとは! 金をかけた食材でないのが信じられない!」
ブルーノが騒ぎ出す。ブルーノは身形がやたら良いおかげで、既に目立っているのだから止めて欲しい。この宿屋に居る身形の良いものは、精々見栄を張る必要がある商人くらいのものである。
「イペンサ様、美味しいです。野菜加えるだけで、随分味が良くなるんですね。あと白パンの柔らかさにびっくりです。パンだけでお腹一杯にできそうです」
ヌイが真面目に感想を述べている横で、ルサはというと。
「う~ま~い~ぞ~」
と白波をバックにその味に酔いしれている。そしてジキはというと、自分の作ったスープと比べて首を捻って味の違いを考えている。白パンも味わうがいい。
「ジキ、俺を参考にしたか知らんが、野菜を入れたのは悪くなかった。味の違いは手順と香草、スパイスの使い方の違いのみだ。だ が な! スープを二品も作るな! 腹が汁気で一杯になるだろうが!」
俺が怒鳴り気味にツッコミを入れると、ジキの返答はそっけなかった。
「パンを多く食べて」
「阿呆か! そんなに大量に食えるか!」
「イペンサさん、お抱え料理人になってくれとは言わないが、うちの料理人に料理を教えてくれないかな?」
俺の怒りにも構わず。ブルーノが急く様に申し込んでくる。早い者勝ちとでも思っているに違いない。
「俺が料理を作っているのを横で見て質問するくらいなら問題ない。いちいち教えたりはしないぞ?」
「それで十分ですよ、よろしくお願いしますね」
これで領府での宿が決まった。料理人に教えるとなると、領主の館に泊まったほうが色々と楽だし、調理スペースも広いからな。それにしても視線が痛い。食堂にいる客全員がこちらを見ている。まあ確かにこの宿の料理はそれほど美味くはなかったですよ。味見に5人で一皿頼みましたが、塩汁に魚を放り込んで香草で香り付けしただけなので味気ないのだ。そこに宿屋の料理以外を美味いといって食っていればねぇ。
「突然申し訳ない。旅商人とお見受けするが、できればその料理を分けていただけないだろうか? 金は出すので頼むよ」
こういう人が出るに決まっているのだ。旅商人と表現したのは、ありふれた旅装束の男一人、青年になったばかりの貴族風の若者一人、そして成人前の小娘三人では、どういう関係性なのか理解に苦しんだためだろう。奴隷商とでも思われているのだろうか? いずれにせよ、この宿の泊り客全員の料理なんて作りたくない。そこで俺は宿屋の主人に皿を頼むと魚醤を出して注いだ。
「申し訳ないですが、明日の朝の分も含んでまして、分けられないので、そのスープの魚をこの魚醤につけて食べてください。スープの味までは変えられないので、そっちはパンにつけて食べていただくということで、どうでしょう?」
ブルーノの貴族然とした身形や食事作法にびびって居たのか、申し出た男は大人しく自分のテーブルに帰っていった。その直後に声がまた上がった。
「美味い! 何所の魚醤だ?」
その一言を呼び水に食事に不満を持っている人たちが、彼の周りに集まり始める。こちらに集まらないのはブルーノが人避けになっているようだ。だがその効果も絶対ではない、魚醤の味見をした人々がこちらに押し寄せてくるのだ。
「我々にも分けてもらえないだろうか?」
あーーー! だから嫌なのだ食事どころで目立つのは!
「何人? 数に限りがあるのですが?」
実際は大瓶も持っているがそれを提供するつもりはないため、魚醤の入った小さな瓶を振って「諦めてもらえるかな?」と申し訳なさを装って言って見た。男達はなにやら相談すると、こう言った。
「では、5人分だけ頼む。一人に付き100SD払うから、何とか分けてもらえないだろうか?」
一食辺り300SDと考えると、皿に垂らした調味料としてはいい値段といえるだろう。仕方ない、これ以上は無理だろう。交換条件をつけて了承するとしよう。
「では条件をつけますので、それが飲めるならお分けいたします。条件は商売の話を我々に持ち込まないこと。あらかじめ言っておきますと、この魚醤は南の地方の醸造所で作られているもので、地元優先で売られています。金に物を言わせて買い占められたりすると困ります」
この一言は効果があったようだ。何人かの商人が残念そうな顔をしている。それでも美味い食事は欲しいらしく。全員の顔を確認した男は代表したようにこう言った。
「分かった条件を飲む、食事の邪魔をして悪かった」
そうして、皿5枚に魚醤を垂らしてやると、彼らは大人しく帰っていった。スープの魚以外にも色々と手持ちの食材につけて味を楽しんでいる。どの食材が合うのか彼らは彼らで盛り上がり始めた。そうしてその間に冷めてしまったスープを啜り始めると。
「その魚醤、売れないのは分かりました。ですがちょっとだけ回してください。お願いします!」
こう言い出す奴が居るのだ俺の正面に、ブルーノって名前なんだけどな。
「一樽のみ、他に売らない、家族のみで楽しむ、出所も言わない」
俺が条件だけ口にすると、この条件を飲めるか? と、問いかける間もなく。
「全部飲むみます。よろしくお願いします」
本当に食事に関してのみは貪欲な奴だよ、まったく。約束守るのは知ってるから回すのであって、公爵本人にだったら絶対売っていない。塩、魚醤、燻製の3つはそれぞれ地元優先に売っていて、それ以外には俺の拠点の工房と醸造所以外には出回っていない。お互いの工房や醸造所で生産した製品を融通しあっているのである。関係者と地域利益優先なのである。
何故そんなことをするかというと、貴族とか商人に売ると独占しようと取り込もうとするのだ。それでは製造方法などが秘匿されてしまうので、文化的な発展の芽が摘まれてしまうのである。美味いものを食べて自分で作ろうと努力してくれる。それが俺の望む展開である。貴族は囲い込んで独占し、商人は量産させて味を落とさせる。この展開がやたら多いのだ。塩だけは消費しきれないくらい作れるから、地元以外にも回るが、他の拠点の生産力はまだまだ小さい。弟子の育成も必要だ。産業を育てるのは大変なのだ。
これらの説明をブルーノにした上で俺はこう言った。
「だからな、美味いもの食いたいなら出所は黙っとけよ?」
ブルーノは大きく頷き、決意すら滲ませている。ブルーノ殺しの一言だった。三人娘もこの説明を聞いて、なんとなく理解したような、していないような顔を見せている。三人娘にはまだ難しいようだった。この間厩に繋がれているロタとロコは、通常の犬用飼料を食わされて「不満っす!」「なあ、俺頑張ったのにこれは酷くない?」とお互いに上司の愚痴を言い合って居るのだった。俺はな三人娘に加えてブルーノの面倒まで見て一杯一杯だよ! 後で魚釣ってくるよ! 待ってくれよ! と厩の様子を見に行ったときに中間管理職の悲哀を味わうのだった。俺の上司? 何所の誰なんだろうね? こんな苦労するのは、きっとそいつの所為だからとっちめてやりたいですよ。
投稿日:2013/08/18
第一回訂正:2013/08/22
句読点と言い回しを修正
第二回訂正:2013/08/23
誤字脱字、奇妙な表現を修正
第三回訂正:2013/08/25
誤字脱字を修正
第?回訂正:2013/09/27
燕麦→ライ麦に訂正




