イカ釣り編 民意による失政
クバジはズース領で町一番の商人である。年の頃は40代だが村を差別するという空気は、生まれた頃にはもうあったものである。その中でもクバジは積極的に村人を差別したことはない。今回の一件に乗ったのも、町の中ではそれで当然という空気があったらかである。クバジとしても商品を高く買ってもらえるならば、反対する必要もないため特に反対しなかったのである。
だが実際に町の復権がかなったとして、クバジの商品を村の連中が高く買ったとしても、町の復権の主導者は別にいる。彼らにその利益を還元しなければならないので、丸儲けと言うことにはならない。立場としては密かな傍観者だったのだが、領主の暴走で迷惑を被り当事者にならざるを得なかった。
商人という生業はものが売れてこそなりたつ、そのためには物流がなければならないが、塩騒動の対抗関税のせいで他領との物流が停止してしまった。関税が高くよその領地から物資を買い付けることができなくなったのだ。その時ほど町人の手綱を握らなかったことを後悔したことはない。
そもそも村人を差別する精神作用とは、町人の中でも最底辺にいる連中が、憂さ晴らしに村人を迫害したり。そうして迫害した村人よりも自分はましだと安心するためのものである。他にも利益を吸い上げるときの口実に使ったりもできるし、何かあれば村人の責任にすることで、その問題をうやむやにしたりすることもできた。村人から利益を吸い上げる事も、クバジの親の代から続く方針で、町の繁栄ための生け贄であった。
つまり村人を差別することで、町のあらゆる問題を村に押しつけることができたのである。だが権力者がそのように差別を扱っていても、多くの人は単純に村人は下民で狡賢い土人であると思うようになる。長年に及ぶ村人への責任転嫁により、それが当たり前になった状況で村人の地位が向上すれば、町人達は当然おもしろくない。
今回の事件の主導者はその感情を利用して、町でトップの立場に立ったのである。クバジは主導者の立場に立って責任とる事を嫌ったので、賛同者の一人を装うことにした。クバジの立場で町の復権に反対すれば商売が成り立たず、賛成してもそれが成功したら利益供与をしなければならず、自分が主導者にならない限り利益はなかった。
だから今回の一連の事件は主導者に任せていたのだ。その結果村人達の逃散という事態を招き、町人達の無計画さに呆れていた。自分の無関心がこのような事態を引き起した事に理不尽さすら感じていた。
あの暴動未満の事件後は復権の主導者に相談して、領主を動かし公証人をそろえて村人に賦役を言い渡すべく、何とか村人に接触をとろうとした。しかしながら、塩田の位置が分らないという致命的な問題を抱えていた。そもそも村が地の果てという印象なのに、その村より辺鄙な塩田に行こうと思った町人は存在しなかったからだ。
町に住むもので塩田に行ったことがあるとしたら、村出身で嫁として町に住んでいる者か、先代領主とその長男くらいのものだった。当然村出身の者達に聞きに行くが、そもそも町に住む村出身の者達は、塩田で働かずに娼館に出稼ぎに来ていた訳だから、塩田の正確な位置なんて知らない。
そもそも8年前に村から出稼ぎに出てくる者が、ぱったりと途絶えているのだから、塩田の正確な位置を知るものが居るわけが無かった。町人による差別を受けるのが嫌な村人が、積極的に町に住む理由は無かったのだから、当たり前である。
それでも集団で避難した村人達の足跡を追えば、何とかなるはずであったが、足跡の先には魔物の壁が出来上がっていた。積極的に攻撃してくる魔物では無いとしても、その中で人の痕跡を探しながら、集団で移動するのは不可能である。そのうえ公証人が魔物の壁を突っ切るのに難色を示した。
結果として魔物を退治せざるを得ないが、金属製品が異常な値上がりを起こしている状況である。剣一本を駄目にしたら、次いつ手に入るか分った物では無い。魔物から畑を守る必需品である武器を、誰が提供するかだけでも揉めるのに、村人を追いかけて軍事的な行動をとるということが、そもそも不可能であった。町人をまとめて、統率の取れた行動をとらせることが出来る人物と言えば、それは領主だけである。
現領主も村人が居なくなるのは、問題だと分っていたが、ズース領に職業軍人の兵士は居ない。屯田兵が良いところであるが、農民化しすぎていて屯田兵とすら呼べない状況である。通常は領主がその屯田兵をまとめて、行動しなければならないが、現領主は領主教育を一切受けていない。復権を目指す時は馬鹿で便利な領主候補であったが、こういうときに役に立たないことで、領主の長男に反旗を翻したことに、事態を理解できる数少ない町人達は皆後悔し始めていた。
結局現領主は求める結果を出すように言いつけるだけで、それを命令と勘違いしていた。村人を逃がすなと命じることは出来るが、どうやって村人に接触するかすら命じることが出来ないのだ。自分たちの指導者の席に愚か者を着けることで、自分がその指導者として振る舞うことを望んだ町人だが、指導者としての責任を被る覚悟までは出来ていなかった。その報いが訪れようとしていた。
そうして手をこまねいて3日がたつと、魔物の壁は無くなっていた。餌をまかれたせいで若干危険度は高いと思われたが、見通しの良い場所では魔物の姿は発見できなくなった。そこでクバジはもはや諦念を持っていたが、だからといって確認作業を怠るわけにも行かず、有志の町人を率いて塩田を探すために探索を行った。時間の経過と魔物の痕跡で、村人達の足跡が消えかかっていたのだ。
関税引き上げの影響でこの頃の町人の生活は苦しい、その上に塩田の探索まで行わせては不満が出始めていたので、クバジは村人からの略奪をそそのかすことで、何とか従わせることに成功した。前回村を人質にしようとした時に、率いられた町の連中は、人の居ない村を家捜しすることで、そこそこの利益は得ていたのだ。
そうして探索を続け、数日が経過して塩田の発見が報告された。その頃には町人全員が事態を理解していたため、塩田に押しかける人数も200人を数えるに至ったが、村人が居ないのは、発見の報告と同時に知らされていたから、略奪が目的だろう。
塩田を見た町人達の絶望は、関税引き上げの通達を聞かされて以来の、大きなショックだった。最悪村人が居なくても、自分たちで塩を作ることを考えるのは、人として当然のことだろうが、住居を含め塩田のあらゆる施設が破壊されていた。町から丸一日かけて危険で辺鄙な塩田にたどり着いたのに、得るものは一切無かったのだ。
それを見て初めてクバジは村人達の恨みを知るに至った。先祖が犯罪者の家族ということで、下民の中でも最下層の連中と差別することで、町人達はどこかで自分は村人で無いことに、安堵感や優越感を覚えていた。
クバジは町人の中でも地位は高かったから、精神的にも余裕があり、町人の村人への嫌がらせなどは、自分で行うことは無いが、町人達の不満のはけ口程度に思っていた。それがこのような結果を生むことで、初めて問題があったと知るに至ったのだ。
村人達は町人達を見捨てるだけに飽き足らず、自分たちで精魂込めて作り上げた塩田を破壊してでも、町人達に一切の利益を残さなかったのだ。それほど村人達は町人を憎んでいると言うことなのだが、この事態を見てなお、町人達の大半は反省するには至らなかった。
多くの町人は村人達の逃散を裏切り行為だとみていた。今までせっかく面倒を見てきてやったのに、ズース領が厳しくなった途端に、自分たちだけ逃げ出しやがって、と略奪しようとしていたことは棚に上げて、怒りをまき散らし破壊された建物に火をつけて回った。それは現領主への不満が形を変えて暴発した結果であった。よその領地から連れてきた公証人は事情を知らず、その騒ぎを見て唖然としていた。
その騒ぎから数日後、復権の主導者が失脚した。周囲の領地の対抗関税と、村人達の逃散で町人全てが絶望に浸っている。そんな状況では、絶望を怒りに転化して、責任者を突き上げる者が出てきて当然である。現領主を担ぎ上げたのは誰か? それは当然復権を声高に叫んだ連中の主導者に決まっていた。
とはいえ、公の立場に就いているわけでは無いから、見た目はさほど変わらない。自治会議議長の立場から降りただけである。それに伴い町の名手としての地位や、権限などが無くなることで、今後は彼の意見が通らなくなったり、商売の上で内弁慶の立場がなくなるだろう。
そして次の指導者に担ぎ上げられたのがクバジである。クバジはこの状況で指導者の立場になる事を、望むわけも無く、なんとしても固辞しようとした。しかし関税の問題を解決するには、商人であるクバジが適任、と言うことで無理矢理祭り上げられてしまった。
まずやることは、現領主の説得である。塩の関税を引き下げさせなければ、周囲の領地の対抗関税も下がらない。だが現領主は一切話を聞かなかった。
「領主になったんだぞ、なんで俺の決定を覆させなければならないんだ」
「あなた様以外にも、領主がおられるからです。そして、我々がやらねばならないのは、その方々の意思を変えることです」
「お前達は俺を領主にして、その思惑がかなったのだろ? 困ってるのはお前らで、俺じゃ無い、自分たちで何とかしろ」
「塩を作る村人が居なくなったのに、対抗関税を続けられては、我らが破滅するだけですぞ!」
こうして現領主は全く話を聞かず、譲りもしない。操り人形のくせに、自分から糸を切ることで、完全な役立たずに成り下がっていた。
関で働く者達に働きかけて、領主抜きで話を進めることも考えたが、周囲の領主に現領主を謝らせ、お詫びの品を渡させなければ、事態を収めるための最低条件すら満たしたことにならない。貴族は血筋を重んじる、実質的な領地の指導者はクバジだが、よその領地の領主からすれば只の町人代表でしか無い、クバジがいくら謝っても意味が無いのだ。
だが現領主が周辺領地の領主に、謝罪するなど天変地異でも起きない限り不可能だ。現領主の生活が苦しくなれば、状況も変わってくるが、塩の関税でそこそこ儲けた現領主の生活が苦しくなる前に、町人達が死に絶える方が先だろう。その辺はいくら愚か者でも領主という立場が守ってくれるのである。
そんな状況で王の使者が再度現領主を訪れた。町人代表兼ブレーンとしてクバジもその会談に参加した所、願っても無い申し出があった。周囲の領主との間を取り持つと言うのだ。だがその代わりの要求が凄まじかった。
「領地の返上など誰がするか!」
王は領地の返上と、その領地から行き来する物資に対しての、関税権の放棄を要求したのである。領地の返上と言っても全てでは無く、村と塩田を含むズース領の4割程である。かなり苦しいがのめない要求というわけでも無い。
だがその条件に驚いたのは、現領主よりもクバジの方であった。現領主は人の居ない村に興味は無かったし、関税に対する理解が浅かった。領地を返上しなければならないことにのみ難色を示したが、人の居ない領地が金にならないことくらいは知っていた。
クバジは使者の要求から、王がズース領主および、その土地に暮らす者に制裁を加える気であることを悟った。塩田を返上するくらいならまだ問題は無いが、関税権の放棄の方が圧倒的に問題であった。
塩を作ったとして、それを売れなければ意味が無い、当然作った塩を輸送しなければならない。輸送路として海上輸送は便利だが、港などの設備投資が必要だ。それに対して陸上輸送は、大量輸送には向かないものの、設備投資がいらないため、貧乏領地の輸送手段と言えば陸上輸送である。
そうして物資が陸上で輸送されると、領主は己の領地を通る物資に対して、関税をかけることが出来る。その物資が自領で作られていなくても、物資が輸送されるだけで利益が発生するのだ。そのため特産品を産する領地に隣する領地も、その関税によって潤うことが出来るのだ。だがそれを放棄すると、いくら隣の領地が儲けても、その恩恵にあずかることが出来ないのだ。
返上する領地は地形上ズース領を通らなければ、他の領地に物資を輸送することが出来ないのだが、その利点を完全に放棄せよと言われているのだ。もし関税権があれば、塩田から運ばれる塩に対して、関税をかけることで儲けが出て、その塩の代わりに運び込まれる穀物にも関税をかけることで、更なる儲けが発生するので、塩田が栄えれば栄える程ズース領も栄えることになる。
その権利を放棄すると、町は8年前の状況に戻ってしまう。町人の多くは村人との関係の変化に苛立っていたが、実はその恩恵を受けていたのだ。まず塩が安く手に入るようになった。その上穀物の売れる量も増えたし、塩を買いに来る商人達が、ついでに物を買っていくことで、町に利益をもたらしてくれていた。
だが関税権を放棄すると、まず塩の値段が上がり、穀物も他の領地から買われる可能性が発生する。そのうえ塩を買いに来る商人が途絶えるのだ。何故なら塩を買う商人全員に、関税免除の許可証を発行するわけにはいかないから、恐らく塩田で出来た塩はズース領以外の土地を窓口にして、塩を売ることになるからだ。
今後はそこが栄えることになり、ズース領はその繁栄から取り残される。ズース領以外の領地は、塩の輸送に関税をかけることで儲かるが、ズース領はそれが出来ない。そうすると周辺領地との力関係上、圧倒的にズース領が不利になるのだ。何年も先のことだが、発展から取り残されるズース領は、貧乏領地として確実に苦しくなっていくことだろう。
例えば鉄製品が売られるとして、周辺領地は金があるから、それらの製品を多く買う、だがズース領では金がないから少ししか買わない。そうすると商人もわざわざズース領に売りに来ることも無くなるのだ。もし売りに来るとしたら、それは売れ残りということになるだろう。そうして物資が欠乏すると、農産物の値段などを上げざるを得ないが、農産物はどこの領地でも作っているので、値段を上げれば売れなくなってしまう。だからといって値段を上げなければ、その分は町人の生活を直撃するのだ。そうして金が無いからまた物を買わない、という事になると、負の連鎖が続くことになるのだ。
王としては、ズース領主がまた無茶な関税をかけることを、警戒しただけで害意が無いのかもしれない。だとすれば関税をもてあそんだ報いと言えるだろう。だがその報いはあまりに大きかった、今後ズース領が衰退しないためには、多大な努力が必要となるだろうが、それを指導する領主を町人たちは無能にしたのだ。かなり高い確率で衰退すること間違い無いだろう。
クバジはそれが衰退への道だと言うことを理解していたが、目の前の対抗関税による破滅を回避するために、現領主を多大な苦労で説得せざるを得なかった。町が今まで村に転嫁してきた事柄が、利子をつけて返ってきたかのようであった。




