イカ釣り編 暴動未満
村にロコの泣き声が響き渡る。時間は深夜人々が寝静まった頃であった。犬の鳴き声は皆が気をつけていたことである。村長が飛び起きて、ロコの首輪の防水管から書簡を取り出すと、その書簡にはこう書かれていた。
『町の家々の明かりが深夜にもかかわらず次々と点いている。情報が漏れた模様、全員の村人の点呼を取った後に夜を徹して塩田まで避難せよ』
夜が明ける前に村の外に出るのはそこそこ危険である。オオイソガニなどの海魔と呼ばれる、人も捕食対象とした魔物たちが歩き回っている。だが村も最近は町の若者達が嫌がらせに来て物騒であり、避難準備も整いつつあったから塩田から若い男達が配置されていた。村長は新たに書簡を追加するとロコに塩田まで先に行かせて、先の書簡を元に避難を開始したことを伝えることにした。
村長の連絡を受けて塩田から来た若い連中が、村の人々を次々と起こしていく。ドンドンと扉を叩く音が彼方此方で聞こえる。そうして起き出した家々で、それぞれ点呼を取っていく。
「うちの娘が居ないわ!」
「それだ! お前の娘が情報を漏らしたな!」
残る選択肢もある状況下で、村人の中で避難に反対する人物が居るとしたら、自立できない人物だと思われていた。理由は単純で家族や恋人が町に居るためだ。特に子供は自立できないから、移民についていくしかない。しかし恋人とは別れたくないといった願望の下に、後先考えずに行動する可能性が有ったため、特に注意するように親達には特別に言い含めて置いたのに、このざまである。だが村長は追及する声を叱り付けた。
「今は誰が情報を漏らしたか、なんてのはどうでもいい、他に居ないものは確認できたのか?」
50代の村長には迫力があった。この村では老人は余り長生きできない、8年前までかなり苛酷な環境だったのだ。そのために村長の年齢も比較的若いといえるだろう。
「まだ完了していません」
「だったら早く確認するんだ」
そうして間もなく点呼が完了した。やはり1名欠員したのみで他は全員いた。夜明けまではまだ間がある、町の連中も好んで夜間に外出したりはしないだろう。外壁で囲まれた町は、夜明け前に門を開けることはない。とはいえ、町の連中には馬がある。馬で先発した何人かで足止めされているうちに、本隊に追いつかれる可能性も考慮に入れなければならなかった。村長としては何時誰がどうやって避難するか考える必要があった。
「老人と子供は漁船に乗って洋上で待機だ。船乗りを三人乗せて、灯台に火を入れて座礁に注意を払った上で、陸上から手が届かない程度の距離で碇を下ろして、夜明けを待って塩田に避難しろ。子供を優先して乗せれば子供だけは全員乗るはずだ。残りは空が白み始めるまで家財道具をまとめて待機だ。連中には馬があるこちらが先発しないと追いつかれる。それと誰か灯台に火を入れに行け」
夜の避難が一番厄介だった。あわてて避難しても、遭難や魔物に襲われるなどの可能性があり、うかつに動くことが出来ない。そのために事前にどう対応するかカイアと相談して決めておいたのだ。その中でも夜を徹して避難するというのはかなりの無謀であった。カイアの弟の判断は性急に過ぎるというべきだろう。とはいえ何もせずに待つこともない、若者を町のほうへやらせて警戒させることにした。
ちなみに灯台と言ってもきちんとした建物では無く、海から見える高台の上に井桁を組んでたき火をするだけである。燃料も貴重なので緊急時以外は使われていない。
そうして空が白み始めるのを待つと共に、家財道具をまとめ武器を集めた。そうしてがやがやとしているうちにとうとう、町から派遣された村の監視役が起き出した。
「何事だ、お前達何をしている!」
本当のことを言うわけにも行かない。事前に口止めしてあるので、村人が喋ることはない。村長が代表して答える。
「魔物が襲ってくるという連絡がありましてね。避難の準備をしているんです」
「この辺にそんな危険な魔物がいるとは聞いた事がない! 嘘をつくな!」
「でしたら何故、我々が手に武器を持っていると思うんです?」
そうして言われて監視役が改めて見ると、村長の手には剣があり村の男達も銛などの武器を構えていた。町から派遣された監視役は、当番制の完全な素人であり自警団レベルでしかない、それは村の男達も同じで、質が同等であれば多勢に無勢である。村の連中の殺気だった空気を感じた監視役の2人は一気に勢いを失った。
「だったら避難せねばならんだろう? 何をぐずぐずしているのだ?」
「夜中に避難するのは危険です。少なくとも空が白まないと村から出ることは出来ません」
「何故町ではなく、塩田に向かって避難するのだ?」
「それはあなた達は町に受け入れてもらえるかもしれませんが、私達が町に避難してタダで受け入れてもらえるとでも?」
監視役達も当然受け入れる気は無いが、2人で町に避難するのは心細い。魔物が来るなら壁役として、村人を使いたかったのだがそうは行かなかった。そうして問答をしている間にも時は過ぎて、準備が整い空が白み始めた。村人達は船を出港させ、村から出発したのだった。監視役の二人は文句を言っていたが結局は村に残るようだった。
そうして松明をかざし白み始めた空の下、塩田を目指して出発する。一応陣形らしきものもあり縁を組んで内側を女と老人とし、外側に行けば若い男となるようになっている。村長は道を間違えないように先導役、最も信頼できる30代の男が殿で、脱落者が居ないか監視している。そうしてしばらく進んでいくと後方から、人の走る足音が聞こえた。村長が町の追っ手がもう来たか? と思ったのもつかの間で、そうであれば馬でなければおかしいと思い直した。
「何でこんなところに居るんだ!」
追いついてきたのは町を監視していたカイアの弟である。村人の避難集団を発見するなり、開口一番の言葉がこれである。村長は前方から松明を振って手招きすると、カイアの弟よりより詳細な情報を得ることにした。
「向こうはどんな様子だ?」
「殺気立ってるよ、馬も準備されてたし、俺がこっちに向かう時点で100人以上の男達が集まってた。最悪なことに全員武器を持ってたぜ」
まったく持って最悪である。どちらも武器を持っている。鉢合わせすれば殺し合いになること間違いなしである。
「こちらから一人、娘が行っているはずだが知らないか?」
「情報漏れの元か? 少なくとも縛り首にされたり、吊るし上げられては居なかったな。町の中には居ないんじゃないか?」
「村の周辺や村の中には居なかったのか?」
「そんなの見ている暇なんてなかったよ、俺はてっきり皆避難したものだと思っていたのに、こんなところに居るとは」
苛立たしげなカイアの弟を村長が諭す。
「夜を徹して避難なんて無理に決まっているだろう、塩田から迎えが来れば、町にある馬による足止めなんか問題ないはずだ。何よりあそこにはイペンサ様が居る」
イペンサが人を相手にどこまで出来るか分らないが、魔法による怪力は威嚇には十分のはずであった。
「本当は村に居て欲しかったよな」
「無茶を言うなクラーケンが出たら始末できるのはあの方だけだ、塩田から離れるわけには行かないだろう」
そうして話しながらも進んでいくと、間もなく空に日が昇り始め、朝日が辺りを照らし始めた。こうなると町の門は開かれていることだろう。後は時間との勝負だ。
「回りを確認せよ、いなくなっているものは居ないか?」
「娘は、娘はどうなるんです?」
居なくなった娘の母親が問いかける。慌てた様子で問いかけるため、周りの村人を刺激している。情報漏れの元だと思われているので村人達も攻撃的だ。喧嘩になって内輪もめで足止めされかねない。とにかく娘の母親を落ち着かせるべきだろう。村長は落ち着かせるためゆっくりと話し掛けた。
「一旦塩田まで村人全員が避難してから、わしが村に戻って保護するつもりだ。今は黙って歩くんだ。小さいほうの息子は誰が面倒見るんだ?」
情報漏れの元だと思われる娘の弟だ。下手すると誰も面倒を見ないことになるかもしれない。カイアが居ればそんなことはないだろうが、カイアが何らかの事故で死亡したりすると、その限りではない。そんな事態になれば責任を押しつけられて、殺される事態すら発生しえる。母親としてもそんな事態にはしたくないだろう。
そうして何とか半島の先端まで来ると、イペンサやカイアが若い男達と隊列を組んで迎えに来ていた。向こうも武装しているし、なにやら荷物があるようだ。
「状況は?」
イペンサは会うなり、再開を喜ぶこともせず状況確認を開始した。
「情報漏れの元と思われる十代前半の娘が一人行方不明、追っ手には馬も居る模様、規模は100人以上の武装集団になっているとのことだ。わしはこれから取って返して娘の保護に回る」
村長の言葉にイペンサは反論すること無く、対応方法を即答した。
「分かったでは落ち合う場所を決めよう、俺の上陸した地点は分かるか?」
「はい、状況判断して布を掛けるのは私の役割ですので、位置だけは聞いております」
「では、そこに明後日の朝までに娘を探して隠れていること、状況が拙いなら狼煙を上げてくれ、それ以外では火は焚くな。狼煙と勘違いして俺が回収に行かないぞ。今後この道を使って塩田に向かうのは無しだ。封鎖するからな。上陸地点で落ち合うことが出来ない場合は、山を突っ切って塩田に向かうこと、道が無いからかなり厳しいことになるだろう」
「分かりました。ではお任せします」
村長はそういうと、海岸沿いの林に身を潜ませるように村に向かっていった。イペンサはカイアを先導役を任せると、塩田から連れてきた連中と一緒に殿を務めた。そうして殿を勤めつつ、魚油をとるために使った魚の絞りかすを、海岸沿いに撒いて行く。村人達はその意味を知っていたから、そのきつい匂いにも我慢してもくもくと塩田を目指して進むのだった。
クバジはその夜とんでもない話を聞いて己の耳を疑った。なんと村の連中が村丸ごと移民するというのだ。昔であればそう困ることも無かったが今は違う、村の連中の作る塩はズース領の生命線だ。その村の連中が居なくなるというのは、町全体に死を招くといっても過言ではない。何故なら町の復権の為に担ぎ上げた領主が、塩の関税を一気に上げるという暴挙を取ったため、周囲の領主達が示し合わせてズース領が輸入する品に、10割の関税を掛けて対抗したため輸入品が手に入らないからだ。
クバジは町に住むズース領の最も大きな商店の経営者だ。9年以上前まではズース領の漁村を相手に、利益を搾り取る美味しい商売をしていたのだが、8年前からは村が塩を作り始めて急に関係が対等になった。そのために左団扇な取引は全てなくなり、対等な取引をせざるを得なくなった。そこで町の連中の掲げる復権話に乗ったのだが、結果は輸入品の関税10割という大失敗、現領主に何とか塩の関税の引き下げをお願いしつつ、同時に関税で得た収入による援助を申し出ていた。
だがここで塩が作られなくなると、ズース領に残るのはただの農地だけである。どこの領地も食料自給率は100%に近いので、食料を売っても二束三文で買い叩かれるだけである。そうなると鉄製品などの必需品の為に食料を買い叩かれて、まず間違いなく貧しい生活を送ることになる。今でも衰退しつつ何とか人死にだけは出さないようにしているだけなのに、これ以上厳しい状況は死を招くのだ。
情報元は村に恋人を持つ町の少年からだった。村に居る少女と別れたくないために、親に相談したのだが、その親がクバジに相談に来たのであった。子供のいうことだから信じるかどうか迷うが、村の移民が実行されるなら大変拙い事態である。可能性がある以上は対策を打つ必要がある。幸いにして村と塩田で別れて暮らしており、働き盛りのものは乾季中は塩田で働き、家族を村に置いている。ならば村を囲んでしまえば人質を取ることが出来るのだ。
本当かどうかも分からない話の為に、夜中に外壁の門を開けることもかなわず、夜明けと共に町の有志一同を集めて村に向かったが、そこは既にもぬけの殻だった。もう移民が実行されたのかと思ったが、町から派遣していた監視役によると、夜中のうちに村人達が騒ぎ出し、魔物が来ると武器を手に取り塩田に避難したというのだ。町に住むものは塩田の正確な位置すら知らない、何しろ村より先は未開の荒地といってよく、村を馬鹿にしている町の連中は好んで村より先に行こうとしない。
何故なら余り村に頻繁に立ち寄る人物は、村のスパイかと疑われるのだ。町に住む村出身の者も居るが、そういった視線を恐れて村と余り接触が無い、そのために余計に情報の断絶を招いてしまったのは皮肉な結果である。とにかく大勢が移動した後を追って移動していくと、半島の先端にたどり着いたが、そこから先へは進むことが出来なかった。
なぜならオオイソガニと呼ばれる魔物が、足跡の上に陣取っているのである。そこに撒かれた魚を食べているのだが、このカニは大きさが人と同じくらいであり、生きた人に襲い掛かることもある。ワニがカニの形を取っているといえば分かりやすいだろうか? 腹が減っていて人間のほうに隙があるなら、急に襲ってくることもあるため、無視して進むこともかなわず。かといって、こちらから襲い掛かって犠牲を出すことはためらわれた。
一匹だけならまだしも、見る限りで数匹のオオイソガニが彼方此方で撒かれた魚を食べているのだ。新たに現れる可能性も考慮に入れると、ここから先に進むのはためらわれた。幾ら武器を持っているとはいえ、防具なしの町人が多い、今回の武装は脅しのためであって戦いのためではないのだ。
「これは拙いぞ、村の連中は俺達が来た事でいよいよ持って移民する気だ。町の若い連中が嫌がらせをしているとは聞いていたが、ここまで連中が追い込まれているとは!」
村人全員が揃って故郷を投げ出すなんて普通に考えればありえない。だが彼らにとっての生命線でもある塩が売れない状況下で、無駄な圧力を掛ければこうなるのだ!
「カニなんて気にすることは無い! こいつらぶっ飛ばして、塩田で村人を強制労働させてやればいいじゃないか!」
「では、お前に頼む、このカニをぶっ飛ばしてくれ。但し何かあっても俺は治療費とか払わないからな」
その一言で、威勢のいい声を上げていた男は一気に声を小さくした。他の連中も同様だ。確かには怖いほどの魔物ではないが、誰かが怪我をすると責任が発生する。俺がここまで扇動したのは良いとして、このまま犠牲を出しつつ進めば、その治療費の名目で集られるのは目に見えているのだ。今はどこも生活が苦しい、怪我なんかしたら薬が関税で輸入できないために、小さな怪我でも命に関わる。
「だが今回の件は奴らが悪いんだろ? そいつらが領地捨てて逃げ出して、俺達だけが苦しい生活なんて許せるはずが無い!」
馬鹿め! それは俺達がやった責任逃れの誘導だ。誘導にまんまと食いつくのはありがたいが、こいつらが本気でこう思っているなら、譲歩することによる和解案の提示すら出来そうに無い。とはいえ大本の塩の関税5割り増しが撤回されない限り、村の連中は遅かれ早かれ移民してしまうだろう。関税が上がって町よりも村のほうがより切実に困窮しているはずだ。こうなれば現領主を脅しつけて、村の連中に賦役を課させるしか方法は無い。だが賦役を課して塩を作らせても売れなければ何の意味もない。
事態を解決するには塩の関税撤回を行い。現領主が周辺領主との関係を元に戻す必要がある。そうすれば村の連中の避難も、それほどのダメージには成らない。だが現領主が認めるわけが無い。そうすると塩を安く売らせるしか方法は無い様に思える。塩を極端に安価で売らせることで、関税が5割増しの状況でも前と同じ値段になれば良いのだ。村人の生活は奴隷以下となるだろうが、どのみち塩はなんとしても確保する必要があり、なんとしても村人を確保しなければならない。
「とにかく、この事態を領主様にご報告しなければならない。一旦帰るぞ」
そして賦役を課したことをなんとしても伝えて、村人全員が逃げれば犯罪者という状況を造らなければならない。そうすれば移民先も簡単に受け入れることは出来ないはずである。




