イカ釣り編 ブルーノの災難
2013/08/25 00:00に臨時更新しました。まだ見てない方はそちらを先に読んでください。
作品内容に重大な欠陥がありました。詳しくは後書きをご覧ください。
「ふむ、これも美味しいけどイペンサさんほどの味は出ないな、同じ材料を使ったのでしょう?」
鯛の熱燻料理を食べ終わった僕は、そばに控える料理長にその感想を伝えた。いささか気安いのは料理長とは昵懇の間柄だからだ。美食家の僕に付き合う料理長と仲が良くなるのは、ごく普通の流れだろう。
「はい、ブルーノ様の言われたとおり食材の魚とスモークチップ、調味料と調理方法に果ては調理道具に至るまで、同じものを使わせていただきましたが、イペンサ殿の料理には遠く及ばず。申し訳ありません」
「いや、そう簡単に真似できるとは思っていないよ。一緒に旅したのは短い期間だけだけど、イペンサさんは日々魚介類を調理していた。お前達は肉や乳など畜産の食材も扱っているし、その上に燻製を調理する機会があまり無いだろう? 経験に差が有るのだ。彼は過去の文献まで当たって魚介類の調理実験に明け暮れているようだ。魚介類に限定した場合、彼の料理に勝る料理というものは、存在しないとさえ思えるほどだ」
僕の言葉に料理長は首を横に振って、己の至らなさに忸怩たる思いをかみ締めている。
「はは、確かにイペンサ殿は魚介類の調理に精通しておりますが、肉類の調理についてもそれに勝るとも劣らない腕前でした。何故魚介類にこだわるのか聞いたところ、肉類は種類や味にバリエーションが無く面白くないとのことでしたが」
「なるほど、確かにね。家畜肉は季節にも左右されるけど、育て方や何歳の動物かが重要視されている。魚は養殖物を除けばそんな事情は分からないし、圧倒的に種類が多いからね。狩人が猟をして獲った獲物ならその限りではないけど、家畜に比べると高級品になってしまうしね。その点魚は庶民的で良いよね」
面白い意見を聞いたという風の僕に対して料理長は付け加える。
「恐らくですが、イペンサ殿はそういった食材の千変万化の状態を、把握して調理されているのだと思います。それゆえに同じ環境を整えても同じ料理が出来ないのだと思われます。ブルーノ様には得難い人物から学ぶ機会を与えていただき、感謝の念に堪えません」
「ああ、料理長分ってくれるか!」
「ええ、ブルーノ様一生ついてきます!」
がっしりと握手を交わす僕と料理長であった。料理長が恋人か妻のような台詞で返してくれるが、料理長は屋敷における数少ない賛同者である。僕が何かしら珍しく美味しい物を手に入れてくると、再現したり、より美味しくならないか改良してくれる。料理人の中には、大人数の食事を安定して美味しく作ることを目的とする者もいるが、料理長はひたすら美味しい物を目指している。僕のわがままに、職務の合間を縫ってつきあってくれるのだから、食を通じての女房役と言っていいだろう。
「それにしても、うちの料理長にそこまで言わせるとは、イペンサさんは本当に多才だな」
僕は本気では感心していた。ここ何日もイペンサさんに纏わり付いてその行動を観察しているのだが、基本は魚を釣って調理して酒飲んで寝るだけなのに、その間の三人娘に対する指導や、僕の質問に対する回答で、如何に博識かは知ることが出来た。先渡取引の一件で商人としても優秀なのは知っている。その上釣りの腕も一流である。さらに魔法まで使えるのだから、まだ隠し球があるのだろう。
僕にとってはその才覚が振るわれるのは、美味いものを食べるためだけ、であるところが更に好ましい。商人としては十分なのはもちろんのこと、寧ろ商人を管理する役人になった方が、多くの益を齎す気がするが、イペンサさんに纏わり付いていれば、いろんな美味い料理が食べられるのだ。
個人的にはこの姿勢を貫いて欲しいところだ。金が有っても買えないものというのは幾らでも存在するし、そういった食材を手に入れ調理するイペンサさんは、本当に貴重な存在である。
そもそもイペンサさんとの出会いは、3年前に燻製工房を訪ねてからの付き合いだ。美味しい燻製が食べたいから調理して欲しい、という要望に見事にこたえてくれた。それ以降は年に一回サカーワ領府に寄ると聞いて、この時期は貸し馬屋を回って、イペンサさんらしき男が馬を借りていないか聞くのである。
近所にきたら連絡して欲しいと頼んでも、予定が立たないことを理由に断られてしまったのだ。とはいえ毎回大量の塩と魚醤を運んでいるからその気で探せばすぐに分かる。そうしてイペンサさんを捕まえると、年に一回しか食べる機会のない料理に舌鼓を打つのだ。
今年は兄貴から大量の塩を買ったものが居る、と街で噂になっていると聞いて、イペンサさんの存在を突き止めた。塩の大量購入に何らかの情報による買占めが予測され、領主を務める一家として警戒を強めたのが切っ掛けだ。だがその大量購入者の容貌を聞くにつれ、イペンサさんだと確信した僕の理性が吹き飛んだ。塩の大量購入の件をすっかり忘れ、その人物を迎えに行くという強引な名目で、来客用の馬車を強奪して、燻製工房に向かって走り出したのだった。
イペンサさんに再会して料理を振舞ってもらい数日を過ごすと、イペンサさんを領主館に招きいれる機会を得ることで正気に戻った。元々はイペンサさんを迎えに行くという名目で家を出てきたのであった。料理を振舞ってもらうためではなかったが、その料理に舌鼓を打っている間にすっかり忘れていた。
そのイペンサさんが買い占めた塩で、まさかこんな大事になるとは思わなかった。領主館に帰ると塩が原因の不穏な空気が漂っており、お供も連れず連絡もなしに数日燻製工房に泊り込んだことで、どこまで迎えに行ったのかと心配されていた。しかもイペンサさんの起こした騒動の全容が明らかになると、塩商人の何人かが破産するのではないかと噂されていたのだ。
そうして今度は兄貴とイペンサさんの交渉を経て、先渡取引で購入した塩の受け取りに行けばあの騒動である。おかげで兄貴の機嫌はずっと悪いし、僕は兄貴にいささか不誠実な振る舞いをしたしで、兄貴のそばには居場所が無い。当然兄貴には謝ったが機嫌は直らず、現実逃避込みでこうして料理に舌鼓を打っているのだ。とはいえイペンサさんを招待出来たのは大きい、こうして美味い熱燻料理を今後も味わうことが出来るかと思えば、兄貴の不機嫌などは一過性のものであるし、大した問題ではない。
引き続き精進するよう料理長に伝えると、イペンサさんを探しに館の中を歩き出す。イペンサさんが館の出入りを自由に出来るよう伝えてあるので、館内に居ない可能性も有る。当然門番による検問はあるが、所持物に剣などの物騒なものが無いので特に問題はない。館の中では図書室や厨房にいなければ裏庭で昼寝しているくらいだ。
「兄上、イペンサさんを見かけませんでしたか?」
イペンサさんを探す途中で兄貴を見かけ、話しかけてみたが、イペンサさんの話題は拙かった。機嫌が悪くなるだろう。
「それなら先ほどまで私と話をしていた。まだ館の中にいるのではないか?」
兄貴が僕の予想に反して機嫌を悪くせず。しかも先ほどまで話していたとは何事だろうか?
「イペンサさんと兄上が話ですか? 何の話です?」
「父上に報告申し上げることについてな、彼の立場などをどうするか話し合ったのだ。ところでお前は国の役職に就きたい、という思いは変わっていないな?」
「なんです? 藪から棒に? それについては変わっていませんが、イペンサさんがいらっしゃる間は、貴重な体験をさせていただいているので、彼のそばで学ばせていただきたいと思います」
僕としてはもう少しイペンサさんの料理に舌鼓を打っていたいのだ。
「そうかそうか、分かった。父上にその件も相談しておく」
「妙に機嫌がいいですね? 何かありましたか?」
「いやそんなことはないよ」
兄貴はそう言って、そそくさと立ち去っていく。イペンサさんが滞在し始めて以来ずっと機嫌が悪かったのに、今日は妙に機嫌がいい。しかもイペンサさんと話した直後だというのにだ。もしかしてイペンサさんを追い出す算段でもつけたのだろうか? これは早々にイペンサさんに確認しなければならない。
「いや、追い出されるようなことはしてないし、そんな素振りもなかったが、どうかしたか?」
僕がイペンサさんを見つけたのは館の中庭であった。作業しながらの落ち着いた対応に、イペンサさんの言うとおりなのだろうと思わせる。その間もイペンサさんは、中心に金属の棒を仕込んだ、魚のような形の木に色を塗っている。釣りの仕掛けだろうが、僕には一体何をしているのか皆目検討が付かない。見つけてすぐに追い出されるようなことはしなかったか聞いたのだが、当てが外れてしまったようだ。
「いえ、先ほど兄貴に会ったのですが妙に機嫌が良かったので」
「なるほど、でも追い出される予定はないし、大丈夫だ。ところで話が変わるが、ブルーノは塩の現状についてどう思う? 色々と知ったろ?」
「急になんですか? 兄貴も急に話しを変えていたんですが? まあ、いいか。塩の現状は美味い料理を作る障害になっていますね。領内に塩田があれば保護しに行っているところですが、塩田はないしズース領は他所の領だし手の出しようもないです」
ここの所は三人娘への指導として、美味い魚料理を作るときのコツなどを、イペンサさんの口から聞くことが多い。保存料としても味の決め手としても、塩が如何に大切か知ることが出来た。
「ふむふむ、何故国は塩の品質を放置するんだ?」
「塩について教えてくれたのはイペンサさんなんですから、分かっているでしょう? 試しているんですか? 王や貴族に回ってくる塩には、基本的に砂が入っていないから、困ることがないんです。王の食事は毒の危険を排除するため全て城内で調理するし、その際に砂入りの塩なんて使われない。
王自身も領土を持っていますが、内陸部の交易の要所であって塩田はないんです。サカーワ領は王都の東の玄関口となって海産物を流し込んでいますが、同時に穀倉地帯も持っています。塩田のある地域というのは塩以外取れないような、乾季中は雨の少ない貧しい地域ですから関わりが無く、塩が重要だというのは分かっていても、塩の現状まで気が回らないんです。
今回の件で国中が混乱しているのは、そういった今までの付けです。それに塩はそういった塩以外は取れない、貧しい領地の大切な収入源だから、手を出せば貴族たちが怒る。その所為で中々手を付けられなかったんですが、こうして問題が起きた以上は、今後何らかの対策が採られていくことでしょう」
まるで政策の発表会にでも出た気分である。イペンサさんはしきりに頷き拍手をするかのようだ。
「ほうほう、素晴らしい見識だな。急だが近々イカを釣りに船旅に出る。準備して置いてくれ」
イペンサさんからの誘いは珍しい、いつもはこちらが纏わり付いて行かなければならないのに、どういう心境の変化だろうか?
「あまり長い旅は兄貴が許可するかどうかわかりません、どれくらい掛かるんですか?」
「25日から35日ほどになる予定だ」
「それは難しいでしょうね、とりあえず聞いてみるけど期待しないでください」
「はいよ」
そうしてイペンサさんの下を立ち去りすぐに兄貴の執務室へと向かうと、父の許可を取った上でなら問題ないからとりあえず準備しておけと言われ、不審に思いつつも準備することにした。
ガシ国国王は今日も不機嫌だった。塩の値上げから25日経った今でも、一行に状況が改善されない。塩をめぐっての緊張状態と、塩相場の混乱が収まる気配はなかった。既に小さな食品加工業者の無期限休業や、品質の悪化が進んでいる状況であり、一刻も早く解決したいのだが一向に解決策が出ない。このままでは大きな食品加工業者にも影響が出る。だが解決策が無いので、対策会議の名を借りた愚痴の場と化していた。
「跡継ぎとして正式に貴族に叙勲するといっても、ズース領主は叙勲式に出てこないのか?」
「はい、表向きは身内が次々と不幸にあったので喪に服するということです。裏向きの事情としては、周囲の領の関税引き上げを受けて、ようやく嫌われていることに気が付いたズース領主が、今度は極端に怯えだしたため、領外に出ることを恐れてのことです」
「いまさら遅いわ! しかし、手も足も出せんでは無いか。そもそも塩の貿易はわが国の外交政策の要であろう、何故このような事態になるのだ? 対外的にもわが国の塩に不信感を持たれてしまうではないか!」
ガシ国の塩相場混乱の情報が国外にも漏れているのだ。これには国王も焦る。本当に早く鎮火してしまわなければ、塩に対する不信という火は燃え上がり、諸外国に塩を売ることで様々な取引をまとめてきた外交方針が崩れ去る。内陸国が別の国から塩を買い始めるのも時間の問題である。西部における塩相場の混乱の被害は無視できても、糧秣の品質低下と、対外的な国家の威信の低下は容認できない。
「これまで塩の管理を貴族に任せてきたのが問題かと思われます。今までは辺境貴族の特権ということで、手を付けかねてきましたが、今後国が何らかの形で塩を管理する必要があると愚考します。特にズースの塩のような国をひっくり返す塩に関しては、管理が必須となるでしょう」
「方針くらいは出来ておるのか?」
「我が領地に住んでいる息子のブルーノより策が来ております。製塩職人の認定制度を作ってはどうかと」
「認定してどうするのだ?」
「砂の混じらない塩を作る職人のみ国が認定し、国の直轄の国民ということにするのです。国認定の職人が作った塩は砂が混じらないほど良い塩、という国の保証を与えます。製塩職人は国が認定しなければ、その領地の貴族の管理下である。とすれば、最高品質の塩を作る職人のみ国の管理するところとなります。関税は貴族の管理ということを変えずに、今回のような事件が起きれば、製塩職人保護の名目で国が製塩職人を、その領地から引き上げればよいのです」
聞く限りでは良い案のように聞こえる。貴族から製塩職人を取り上げることなく、塩の管理をすることが出来る。しかも最高品質の塩と保証する事で、小さな領地の塩田も大きな販路をもつ事が出来るようになり、将来的には塩の名産地の貴族たちの圧力を気にしなくて良くなる。但し王として気になる点はいくらかあった。
「塩の品質管理と職人の認定と保護では、職務がかなり煩雑なことにならないか? 財源はどうするのだ? 貴族たちの反発は?」
「息子は自分がその役を引き受けると申しております。当然部下は必要になりますが、我が家を上げてバックアップいたします。財源については将来的には、品質保証の保証料を取ることで、解決できるかと思われます。貴族の反発も予想され、新部局設立で赤字になるとしても、塩の管理が出来ることが何よりの利点でございます」
塩の重要性は今回のことで改めて思い知らされた。また今回の混乱は、国が乗り出す口実としても十分なものだ。多少のリスクがあっても断行すべきだろう。製塩職人の認定という方法でバランス調整が効くのもこの策の利点である。
「かなりの重要職だな。お前の息子に任せてよいかどうか考える必要があるな。それにしても優秀な息子だ。長男はアリストだったな? 嫡子でもないのに良くここまでの策を考え付くものだ」
「三男でございます。少し道楽が過ぎると思っておりましたが、どうもそれが良い方向に働いたようでして、塩の重要性に気が付くに至ったとのことでございます」
「ほう? どういう経緯なのだ?」
「単純に言えば美食を求めた結果でございます。息子は特に魚の燻製が好きで、それに欠かせない塩に砂が混じる危険性を知るに至ったとのことです。個人的にも砂の混ざらない塩を確保したいようで、好物の為ですから息子も身を粉にして働くことでしょう」
「それは個人的な信用にも繋がるな、身持ちを崩すほど現を抜かしてはいないのだろう?」
「燻製ですからそれほど高いものになりません。毎日食べても問題ないほどのものですが、そこまでするということも無く。我が領内の燻製工房に足を運んだりと言った所です。最近私も少し食べましたが、燻製としては最高品質だと思われました。しかも安いと目を輝かせておりました」
「それはぜひ食べてみたいものだな。物がいいなら軍の保存食にもなる」
「はい、では取り寄せるように手配しておきます」
「後はお前の息子の策を方針として、今後二度と同じことが起きないように対策を立てよ、もちろん並行してズース領の塩の関税については対策を考えるとする。いや待てよ、お前の息子の所には、ズース領の塩の値上げが事前に察知できるほどの関係者がいるのだったな? 困窮した領民が領地から逃げ出すなど良くあること、我が国は土地の管理しかしておらん。法を制定する前でも、製塩職人全てを引き上げさせてしまえばよいではないか」
国王はようやく解決の糸口を見つけて口元を緩めた。その口元から愚かな小領主に制裁を加える気に、満ち満ちていることが窺える。
「我々がそれを唆しては問題がありますが、その関係者が唆す分には問題がありませんな。現在無官の息子がその関係者を使って、製塩職人を引き上げたとしても貴族が他領民の引抜をしただけのこと。貴族間戦争の可能性はありえますが、東の果てと西の果て、しかも相手が小さな騎士領では、我がサカーワ領の敵ではありません。本来国を割るような真似はしたくありませんが、もはやこれまでということですな?」
国王と同様に宰相の口元も悪い形に緩んでいた。国王よりも宰相の方が王宮の仕事を一気に増やされて、ほの暗い怒りに満ちていたのだ。国王と宰相の悪巧みをする様子は、悪代官と悪徳商人の比ではなかった。その悪巧みによる威力も桁違いである。
「そうだ、これ以上諸外国の不信感をわが国の塩に持たれてはかなわん。これまでということだ。ズース領主に事前に察知されて、製塩職人達を拘束されてはかなわん。可能な限り極秘裏に事を運べ。出来れば国を割るような真似はしたくない。あくまでその関係者がやった事にせよ。必要な資金は悪いが貴様のほうで貸し与えてやってくれ補填はする」
「かしこまりました。息子にはどう伝えましょう? 製塩職人管理の仕事を与えると約束してよろしいですかな? 引き上げた後はどうしましょうか?」
「そうだな成功報酬が無くてはお前の息子も張り合いが無かろう、この件を上手く片付けるのであればその役職につけることを約束する。地位の高低については成功の後に相談だ。引き上げさせた後はこちらで交渉して、もとの塩田を国の直轄にするなり、新たな塩田を作らせるなりすればよい」
イペンサさんに船旅に誘われてから6日後に僕は兄貴に呼び出された。
「これから伝えるのは王命だ。心して聞け」
ちょっと待って! 無位無官の僕に何で王命が来るんだ! そんな心のツッコミも無視され兄貴は続ける。
「ズース領の塩問題解決のために、ズース領の関係者を率いて製塩職人全てを、秘密裏に我が領に引き抜いて来るように、そうすれば恩賞としてお前には、新設予定の製塩職人管理局の役職を用意している。地位は働きによって決める。以上」
嵌められた! 兄貴とイペンサさんに嵌められた! 先日の不審な態度はこれだったのである。兄貴の機嫌がいいのもイペンサさんが試すような質問をしたのも、全てはこのためたっだのだ!
「兄貴嵌めたな! イペンサさんの案を僕のものとして父上に上申したんだろ?! そもそも僕は無位無官だし、引き抜きなんて貴族間戦争になるよ!」
傍から見ればイペンサさんの案を僕が横取りした形だが。イペンサさんも承知の上だろう。仕事を押しつける気なのだ。一応抵抗してみたが、兄貴が取り合うはずもなく。
「陛下も父上も、お前に期待している。発覚しても、食道楽のお前が美味い塩を求めて製塩職人の引抜をしたに過ぎん。当然仕事なんだから秘密裏に完璧に仕上げて来い」
「製塩職人管理局ってなにさ?」
「今回のズース領の一級塩のように、質のいい塩を作る製塩職人を国で保護することが決まった。お前がこの仕事から帰ってきたら新設される予定だ。このことはまだ王の側近ですら知らない。王と父上を除けば私達以外はこの件について一切知らない。事前に漏れると他の貴族の妨害にあいかねないからな、気合を入れて行って来い」
兄貴はいい塩が安定的に手に入ると素晴らしい笑顔である。ここのところ久しく見なかったくらいの笑顔だ。仕事人間の兄貴にサカーワ領の不満を一つ上げろといえば、塩田がないことだった。サカーワ領内に塩田を作るのは気候の関係で難しいが、製塩職人管理局の人員に僕がなれば、安定的に塩を手に入れることが出来るだろう。サカーワ公爵家が塩問題の解決に乗り出すのだから、それくらいのご褒美はあるはずだ。
「お前に一人兵士をつける。冒険者上がりだから頼りになるはずだ。お前も名を覚えておくと言ったのだろう? ゴーディだ。覚えているか?」
兄貴がご機嫌な顔で後を続ける。乗り気もいいところだ。失敗したら一生恨まれそうな勢いだ。というか、まず間違いなく恨まれる。一生恨み言を言われるだろう、兄貴は物凄く根に持つタイプなのだ。
「ああ、守衛の中間管理職くらいだと思ったけど」
「そうだ守衛の三人いる副長の一人だ。彼は頼りになるし、いざ身が危険になったら貴族印を出せ、向こうは騎士爵だお前を殺すことなどできん」
「事故ってのがありえるでしょう! 僕もね、少し学んだけど、いざとなると貴族かどうかなんて関係なくなる人だっているんだよ!」
イペンサさんのことだが名前は出せない。危険人物として排除されかねないし、館からは追い出されること間違い無しである。嵌められたのにイペンサさんを庇わざるを得ないとは、一生使われそうな予感がする。だが彼の料理は捨てがたい!
「その時のためのゴーディだ。安心していって来い。何しろ王命だからな!」
兄貴は笑顔でそういうと僕の背中を押して執務室から追い出した。王命を出されては逆らいようがない。僕は兄貴の共犯であり、今回の件の首謀者であるイペンサさんに会いに行くことにした。
「見つけた! イペンサさん酷いです!」
イペンサさんを探し回ったが館にはいなかった。町中探し回った結果、人気のない港の一角で釣り糸を垂れていた。その周りには相変わらず三人娘と犬が群れているが、今回三人娘はどうでもいい。
「おー、ブルーノも準備できたのか? 良かったな長期の船旅の許可が出て」
イペンサさんは何も知らないかのように、飄々と話し掛けてきた。素っ恍け(すっとぼけ)られたとしても、今の僕はそれにつきあう余裕がない。拳を振るわせ僕は言募る。
「王命が出ました」
「なんだって?」
「王の命令が出たのです。無位無官の僕に!」
「おやまあ」
これは驚いたと言わんばかりに、イペンサさんが素っ恍け続けるが、僕は断罪するように続ける。
「『おやまあ』じゃありませんよ、なんてことしてくれるんですか!」
「でも、拒否したいわけでもないだろう? というか、無位はないだろ? 公爵家の三男なんだから」
「ぐっ! 確かに拒否したいわけではありません。位もあります。ですが一言断ってくれても良いんじゃないでしょうか?」
位がある以上貴族は国のために働く義務がある。それに実質的な塩の管理局となれば、そこで働く者はかなりの高官になると予測される。その開設時のメンバーともなれば、普通に一生勤め上げても、騎士爵位の領地がもらえそうである。だが問題があるのだ。
「でも、事前に言ったら断っただろう?」
「当たり前ですよ! 新設部局なんて絶対大変に決まっているんですから! 公爵家の血筋があればもっと暇な部署で遊びたい放題なのに!」
高い報酬にはそれだけの労働が伴うのは当然である。その対価が僕にとっては高すぎるのだ。適当な官職に就いてから、どこか跡取り息子のいない貴族家に婿入りして、悠々自適に暮らす未来を想像していたのに、文官英雄伝説の未来に強制変更されてしまった。これでは趣味の美食を追い求めるのも難しくなるかもしれない。
「それでも拒否したいほどではないんだろう? だったらいいじゃないか、これが民間のやり方というものですよ。美食のために頑張ってくれ」
イペンサさんによって僕は美食の奉仕者にされてしまったのだった。これはこれである意味本望といえるところが絶妙のさじ加減である。
「冗談だと思っていたのに! 本当に役職を紹介してくれるとは、なんて無駄な才能!」
イペンサさんはコネクション無しに、他人のコネを使って新部局を作った挙句に、望みの人材を配置したのである。もはや魔法にしか思えないが、こんなことは魔法ですら出来やしない。こんな人がなんで流れ者なんてやっているんだよ! 僕はとうとう肩を落として涙目になってしまった。こんな手回しは貴族並である。コネ無しでやるから貴族以上!
しかも自分が美味しいものを食べるためだけに、塩の管理を僕に押し付けるとは! 美味しい料理に目がくらんで、その非情さを僕は知らなかったのだ! 心底恐ろしい人である。人生で初めて僕はまだまだ若造だと思い知らされる瞬間であった。
この人に付き纏っているとこういう目に合うのか、知らないうちに王命が来て拒否できないとか恐ろしすぎる。持ちつ持たれつとはいえ今後も美味しい料理を作って貰うためには、こういった恐ろしい目にあう必要がありそうだ。但しその分確実に美味しい料理にはありつけそうだ。それだけが慰めだった。
膝をつく僕の肩に手をかけるロタは「3年間の付けを支払う時が来ましたぜ、旦那」と言っているようだった。
【先物取引についての誤り】
修正前は作中にて「先物取引」と表現した契約ですが、正確には「先渡取引」と表現すべき契約のということが、読者様の指摘により判明いたしました。読者様には誤った情報を伝えてしまい大変申し訳ありません。
大雑把に違いを表現すると、先物取引は中立の第三者による契約の仲介をする「取引所」が介在している契約を指すことになるようです。そのため作中の契約は現代日本では「先渡取引」と表現すべきでしょう。
作中の契約は先物取引の原型のような物です。概念的に近いため混同してしまいました。この度のことは深く反省しております。二度とこういうことが起こりませんよう、下調べを徹底したいと思います。本当に申し訳ありませんでした。
第一回訂正:2013/08/26
誤字脱字、句読点修正




