イカ釣り編 王宮にて2
「陛下! 塩を求めて暴動の恐れがあります!」
いつもは冷静な宰相が若干慌てた風で駆け寄ってきた。暴動というのは戦争並みに性質が悪い、大抵の暴動は民が困窮することで起こる。それを武力で鎮圧するのだから、更に民は困窮するだけでよいことは何もないのだ。しかも民を上手く納められていない証拠でもあるため、国王の名誉を傷つけるという意味では、戦争よりも性質が悪い。
「何だそれは! どういうことだ?!」
宰相よりも国王のほうが平静ではいられない。王は慌てて聞き返してしまった。歴代国王よりも無能などという烙印は看過できないのだ。
「それが我が領内で先渡取引にて、ズースの一級塩を買い占めたものがおりました。その買占めを見て塩に何かあると思っていた領民達に、先日の5割値上げが大々的に伝わりまして、我が領地を発信源に各地に波及しております。民達が塩を買い溜めるために塩商人の元へ続々と集まっております」
宰相は不名誉極まりない様子で詳細を語る。自領が暴動の発信源になるなど、叛意ありと受け取られても仕方のない事態である。しかし全国に広まってしまっては口止めのしようもなく、慌てて知らせに来たのだろう。
「買ったのはズースの塩のみで、何故そんなことになる!」
「それは恐らくということになるのですが、買占めの事実と食品加工業者への影響、この二つのみに着目して噂が立ったのではないかと思われます」
「巧妙な手口だな、どこかの国の間者か? 今どうしておる?」
一部の塩を買い占めただけで暴動の原因とするとは、間者としてはかなりの手腕である。しかし深刻な外交問題を抱えていない今は、どこの国が仕掛けてきたのか見当も付かない。その間者については注意を持ってその意図や繋がりを見なければならない。
「それが、我が領主館に泊り込んで、何をするでもなく町を散策しているとか」
ありえない話だった。間者であるとすればかなり大胆である。国の威を借りて身の安全を立てるつもりだろうか?
「なんだそれは?! 間者ではないのか? そもそも何故お前の館に泊まって居るのだ?」
「一部の食品加工業者とズース領塩田の関係者で、値上がりが予測できたために、買い集めたとのことです。買占めに反応してパニックが考えられましたので、私の代行を任せる息子が買い上げた塩を預かり、監視するために行った処置でございます」
サカーワ領主代行の判断は中々素晴らしいものがある。しかし間者が食品加工業者の関係者というのは、予想外もいいところである。間者なら名目上は他国の大商人のほうが、色々と都合がいいだろう。
「それはつまり、使用を前提としているわけか? 投機などでもなく?」
「はい、値が上がったところで売ろうにも、我が領主館に購入分の7割を一年預けると約定を交わしましたので、正当な手段にて売ることも出来ません」
間者としては考えられない行動である。他国からの兆候もなかった以上は、間者として考えるのは他国を刺激しかねず、危険かもしれない。
「混乱狙いでもなく、投機狙いでもないな」
「考えられるとすると、食品加工業者を潰すためとなりますが、長期的に見ればともかく短期的には、暴動を狙ったほうが被害をもたらすでしょう。それをやらないということは、本当に使用目的かと思われます」
投機狙いであれば買い占めて値が上がったあとに、売れなければならない。しかし1年後まで売れないとなると、売り時を逃がす可能性のほうが高くなる。利益を狙うのであれば、1年後も塩の値段が現在より高くなければならない。
そうでなければ使用目的として買い込み、利益を削ってでも品質を落とさないことにのみ注力する、という利用方法が考えられる。生産品の売価は若干値上がりするだろうが、塩の高騰の煽りだと説明すれば、納得してもらえるだろう。
「その者の塩を譲ってもらうことは出来んか?」
王の安直な思いつきに宰相は厳しい顔で否定の意を示した。
「不可能です。領民が領主館から塩が運び出されるのを見たら、塩不足の懸念が再発して暴動になります。領主館に運び込まれることで、塩不足の危機は無いと説得しているためです。そもそも根本解決にはなりません、延命措置で暴動の危険を冒すことはできません」
宰相の言うことも分かるが、王としての思惑は次の言葉にある。
「だが食品加工業者の寿命は縮まったのだろう?」
「それは確実に縮まりましたが、延命するだけであれば5割増した塩を買えばよいのです。領主館から移して暴動起こすよりよほどましです」
根本的解決とは当然ズース領の関税が下がることである。実際に塩がなければ困るのは、食品加工業者のみである。その彼らを延命させるには5割値の上がったズースの塩を、以前と同じ値段で供給することで、その生産品も今までと同じ値段となり、一時的に問題は解決する。当然塩を買った価格より安く供給する国側は、損をすることになるが、一時的に延命させることが目的であれば、とりえる手段の一つといえるだろう。
「そういえばズース領はどうなったのだ?」
「塩田のあるダンエ村と領主で、何度か交渉がもたれましたが、全て失敗に終わりました。塩が売れず職人達が出稼ぎに出ている状態です」
「塩が足りなくて困っているのに、塩職人が出稼ぎに出ているだと!」
王の怒りに構わず宰相は言葉を続ける。ここのところ王は怒りっ放しである。
「ズース領主の方は一時的に塩が売れなくなったものの、在庫が切れ延命として赤字覚悟で、5割り増しの塩に手を出す者が出たために、そこそこ利益は出ているようです。ただし西部一帯の領民は、ズースの塩が買えなくてすでに困窮しており、暴動の可能性があります。全国では食品加工業者の作った製品の売価に反映されるので、その生産物は当分は売れなくなるでしょうし、民はそういった製品が買えなくなります。最終的には困窮することになるかと思われます」
安く品質の良い塩の急激な値上げは、最早敵国の攻撃としか思えない。国中が揺れ動いているのだ。ズース領主を自ら手打ちにしてやりたいぐらいである。
「しかもズース領は周囲の領主から反発を受け、輸入品の関税が軒並み高くなったため領民は困窮し始めております。そのため再度塩の関税を上げるのではないか、と噂されております」
「馬鹿め! 完全に悪循環しているではないか! 何とか現領主を挿げ替える方法は無いのか? 関税撤回でも良い」
関税を上げられたときの基本的な対抗措置としては、自領の関税も上げて相手が得る利益を相殺することである。ズース領で塩の関税が上げられたら、隣の領地はズース領で作られることのない製品、例えば鉄製品の関税を上げる。こうすることでお互い様となるのだが、それはあくまで領主間のことであり、領主が民衆にその相殺分の税を還元しなければ、ズースの領民は鉄製品が買えず、隣の領地の民は塩が買えないままである。相殺分を還元するにしても関税を上げる前よりも、手間が掛かる分だけ割高になる。
つまり関税を上げても、お互いに関税を上げることで相殺されるので利益はない。民が困らないようにするには、その相殺分の税を還元する必要があり、関税を上げる前よりも手間が掛かる分だけ、損をしていることになり悪循環である。
但しズース領主は金が欲しくて関税を上げたので、税が還元されることはなく、ズース領の民は鉄製品が買えないまま困窮することになる。実質的な税の値上げだが学のない民の目には、隣の領の領主が意地悪しているように見えるため、ズース領主は恨みを買わなくて済むという寸法だ。
とはいえ王が気にしているのはズース領民の困窮具合ではない。関税を相殺するにはズース領がその領地から、何らかの品物を輸入している必要がある。そのためズース領から輸入だけしている領地は困窮するのである。西部のいくつかの領主から王に泣きつくものも何人か出てきている。
またこの機会に自領の民を犠牲にして儲けようと対抗措置の関税だけ上げて、領民への還元措置をしない領主や、還元措置を遅らせる領主が出ることで塩相場の混乱が起こっているのである。一時的に領主は儲かるかもしれないが、長い目で見れば損をしているし、王としては歓迎できる事態ではない。
ズース領の塩の関税の値上げを発端に、こう言った様々な事態が同時に発生しており、王としてその対応に追われているのである。それぞれの領地の事情を勘案して対応しなければならないために、王宮全体の仕事量も一挙に増えて、役人達もてんてこ舞いである。
「無理です。貴族の継承争いは、貴族の家庭内のことであり手を出せば他の貴族から反発を食らいます。そもそも適当な跡取りがいません。関税も貴族の利益の源です。それを変えさせる事も反発が大きすぎて不可能です」
「何か解決方法は無いのか?」
「現状では八方塞がりです。我々の側で出来ることは有りません。食品加工業者が潰れ始めたら暴動の秒読みに入った状態かと」
国王は苦い顔して黙り込み、付き合いの長い宰相以外の御付の者は、その機嫌の悪さに恐れをなしたのだった。
臨時投稿です。週末に余裕があれば、投稿量を増やします。
第一回訂正:2013/08/25
句読点を修正
第二回訂正:2013/08/26
誤字脱字修正




