イカ釣り編 先渡取引
作品内容に重大な欠陥がありました。詳しくは後書きをご覧ください。
塩の受取日は壮観だった。パニックを恐れたアリストが事前に、ズース領の塩は今回買い付けられた分の3割が即座に領主で買い付けること、残り7割は一年間転売されないことを布告した。今回買い付ける塩は約20トンである。4000人が一年間に消費する塩であり、10万人都市であるサカーワ領府に販売されている塩の全体量からしたら、本来はパニックを起こす量ではないのである。
確かに20トンの塩が一度に移動されるところを見れば壮観かも知れないが、ダンエ村で作っている塩の量は微々たる物である。それに製塩精度の問題から若干高く、その上特殊なルートが必要なので、食品加工業者に使われている塩で一般人は殆ど使ってないはずである。
だが牛6頭引きの大型牛車の移動は威圧感がある。それが計4台も列を成していれば何事かと驚くだろう。更にパニックを防ぐため兵士も同行しているため物々しいことこの上ない。取引は市場の真ん中の大規模な競り場で行われることとなった。注目するものが多いため裏取引など無いという証明のためである。
塩20キロ入りの麻袋が1000袋並ぶのは言葉ほどインパクトは無い。実際に見ると小山程度の袋の山が4つ積まれているだけである。これらを一つ一つチェックするのは大変でそこが面倒臭いのだが、やらないわけにも行かないので、三人娘には真偽を確認するためにズース領の一級塩の麻袋の特徴や、他の砂入りの塩の特徴や確認の仕方なども教えてある。
競り場はこの取引を見物する客達が埋め尽くしていて、それらを兵士達が警戒している状況だ。取引前に先渡取引の契約を結んだ塩商人を代表とする商人団に対して、色々と確認事項の申し送りをする。
「分かっていると思いますが、ズース領の一級塩の袋にはその塩の品質を保証するために、領主の塩保証印章が押されてます。この辺りの塩は全てサカーワ領主の印章が押されているはずで、それ以外の印章も私は把握しています。私が罰するわけではありませんが、偽造の類がばれると誰かの首が飛びますが問題ないですね? 塩の中身が別物に摩り替わっていても同様ですよ?」
「問題ないはずだ。もしそれがあっても私には関係が無い」
自分で売って置いて商品の品質に責任がないというのはどういうことか? 若造だと思って馬鹿にしているのかな? 俺は隣に立つブルーノを指し示すとこう続ける。
「ははあ、売主はあなたでしょう? あなたが責任取らなくてどなたが責任取るんですか? こちらにいらっしゃるブルーノ様は、サカーワ領主の名代としていらっしゃっています。それは私がこの塩を買い付けた後即座に、サカーワ領の代表としてその3割を買い付けるからです。布告が出ていたでしょう? まさかそれが分かっていて偽物流したりはしないですよね? どなたか知りませんが、騙された場合に犯人が判明しないと、私の首と一緒にどなたかの首も飛びますよ? 恐らくあなたではないかと思うのですが」
そう言って塩商人を脅かす。彼の後ろの商人団も顔を真っ青にしている。ズース領の一級塩というのに意味があるので、他所の砂入りの塩を売られると、それをそのままサカーワ領主に売りつけた場合、俺が詐欺罪で罰せられることになる。その際に彼らの首が一緒に飛ぶかは実は分からない。だが俺の首は確実に飛ぶ、商人の常識として売った商品には責任を持たなければならない、例え右から左に流すだけでもだ。
「ちょっと待ってくれ、ズース領の関税の値上がりでいささか混乱した可能性がある。今確認する」
そうして塩商人は彼の後ろに控えていた商人団と確認を始めた。そうして小山から1割ほどの塩が除外されていく。そうすると、当然取引にて約束した量の塩が買い付けられなくなってしまう。
「すまない、約束した塩の量に足りないようだ。少し待ってくれないだろうか?」
「無理です。この日に20トンの塩を買うという約束で割高に買い付けたのに、それが揃わないのは契約違反です。既に信用の置けない相手に、わざわざ待ってあげるメリットってなんですか?」
先渡取引というのは本来は原料調達を安全確実にするためのものだ。投機として見られることも多いが本来の使われ方の一つ例としては、塩を買い付けたいが置き場所が無い、そんな状況で利用するのである。しかも安売りしているから大量に買い付けたいというような場合に、先渡取引を結ぶことで倉庫を確保する予定日に塩を受け取り、若干値段が高くてもいいので確実にそろえて欲しい、と事前に金を払うのである。
そうすることで約束した相手はその予定日までに塩を買いそろえればよく、その間に更に安売りされて値下がりしても、既に金を受け取っているために関係なくその場合は得をする。だが逆に値上がりした場合には、貰った金では約束した量を買い付けるのに足りなくなってしまう。そこが投機として見られるのだが、利用側から見ればそういった値上がりや値下がりに関係なく、所定の日に所定の量を若干割高で買い付けるからよろしく、とお願いしただけである。
その約束を破った相手に優しくしてやる必要性を感じない。
「それでは私達が契約を破ったことになってしまう。買い付け時の2倍の金額を払えと仰るのか?」
「事実として契約違反を犯したのはあなた方でしょう? 違約時の罰則も納得の上で契約を結んだのでしょう? 契約を丸ごと放棄して違約金をとってもいいのに、足りない数量の分だけ、契約時の値段の2倍の違約金を払わせるだけなんですから、十分譲歩してます」
商人は契約を守るのが基本、どんな悪徳商人も契約は守るものである。契約を守らないのは詐欺師であって商人ではない。悪徳商人というのは俺の師匠のように、商売の結果人々が苦しむ状況を作り出す商人のことである。契約書そのほかにトリックはあるかもしれないが嘘はついていないのである。但し庶民にはその区別は付かない。しかしながら彼らは商人である。契約を守ってこそ商人でいられるのだから、締結した契約に文句をつける今の彼らは商人ではない。
「分かった、ではこちらもチェック作業を目の前で監視させていただくがかまわないか? 後で文句を言っても知らないぞ?」
「それは当然のことですね。後から文句なんてつけませんよ」
貴族の権力をかさにきて脅したからか、随分譲歩したことを言ってきた。なぜならチェック時間にもっと制限を付けられると思っていた。品物のチェックに半日掛けるのは契約時に約束したから、文句つけて変えるとするとかなり強引になる。ブルーノの前では難しいのか? それとも俺が伴っているのが小娘三人だから、チェックするのが無理だと思っているのか?
「では、品物の確認に入ります。我々が何か仕込んでいないか確認しますか? 服と馬車の検査を中立のサカーワ領兵士に、行っていただきますがよろしいか? あなた方も見るだけであればどうぞ」
お互いに敵対的になっているために、このやり取りは仕方が無い。俺達のうちの誰かが服に砂などを仕込ませておいて「ズース領の一級塩に砂が混じっている!」等と文句をつけるのを防ぐためである。逆に塩商人一行に「服に砂を仕込んでいた!」などと、濡れ衣を着せられても困るので中立のものを立てるのだ。敵対的になってしまっているのは、相手があっさり交渉を打ち切るので仕方ない。どうやら俺は見下されているようである。ブルーノの虎の威を借る狐のように思われているのかもしれない。
こうして同行した兵士達が、俺と三人娘の身体チェックに加え馬車のチェックを行う。どんどん緊迫感が増していくので、三人娘が緊張し始めてしまった。声を掛けてやらねばなるまい。
「お前達には既にやるべきことは教えてあるだろ? お前達の慣れ親しんだ塩だろ。緊張することは無い」
ヌイを筆頭に力が抜けていく、ヌイは特に自分達の作った塩だからこう言われれば、安心するというものだろう。ヌイが切っ掛けで残り二人も緊張を解くという、良い連鎖状態が起こっていた。そうして、正午の金が鳴ると同時に俺は三人娘達に筋力強化魔法を掛けた。
<インクリエース・パワー>
俺の魔法に塩商人たちが目を剥いた。この魔法一つで3人の小娘が急に大の男顔負けの力自慢になってしまうのだ。チェックしきれないと思っていたのであれば、その思惑は完全にはずされたこととなる。筋力強化魔法を受けた三人娘達が次々と塩の袋を担いで馬車に乗せていく、一人が一度に1袋ずつ両脇に抱えるように持つように指示した。そうしないと一個一個の確認が出来ないのだ。俺は運び込まれる塩一つ一つをチェックしていくし、持ち運ぶ時点で駄目だと分かっているのは、馬車に乗せられずに避けられて行く。
三人娘がはじいていくのは袋に印章が押されていないものである。ズース領の塩はその塩に責任を持つ貴族の印章が押されている。流通の過程で砂を混ぜられるのを避けるために、ズース領から直接村人が付きっ切りで塩の監視をして、受け渡し先の領主の館まで運び込む、その後はその領主が責任をもって砂を混ぜないか管理するのである。
生産量が少ないからできる技だが、これをやらないとズース領の塩に価値が無くなる。食品加工業者を狙って商売をしているのはそういった管理が楽だからである。塩の受取人が、ズース領>引渡し先領主>(塩卸売商)>食品加工業者、となる程度の流通で済むのでどこかの段階で砂を混ぜられるとすぐ分かる。塩卸売商は必ずしも通るわけではないが、サカーワ領のように土地が大きいと業者を使わざるを得ない場合がある。
今回の買い付けで俺が意図したのは、引渡し先領主と塩卸売商の在庫を狙って買い付けたのであるが、どうも俺は嘗められているらしかった。事前の脅しで1割程度ふるいに掛けたのに、更に2割ほどチェックではじかざるを得ないものが出た。本物そっくりの印章を使った偽造ではなく、微妙に違えて文字の部分も変えてある。銀貨を例えにするなら銀貨に王の顔と名が刻印されているとすると、王の名前を一文字変えることで「これは王の銀貨ではないので質が悪くても王の管理下にあるわけじゃないので問題ないですよ」と言い逃れしているのである。
次に一度袋を開けたものが多かった。これが何故分かるかというと、袋の口の縫い方で分かるように特殊な縫い方しているのである。印章は本物なのにはじかれていくので、これには塩商人たちが目を剥いていたが、俺達はその塩作っているわけで、偽造や偽物対策にかなり徹底して気を使ったのですぐに見分けが付く。
ここらの商人じゃ領主が恐ろしくて偽装なんてしなかったのだろうし、すぐに食品加工業者に流されるのでする必要も無かったのだろう。そこで今回初めて偽装したのだろう、どれもこれも出来が悪いのですぐ分かる。ちなみに縫い目のことは知られたくないので、馬車の中でひっそり選別する。この手のことは西部の地元販売で経験済みである。
そうして3時間ほどで選別が終わると、塩商人の一団は震え始めた。そりゃそうである。領主の名代の目の前で領主が買うはずの塩の偽装工作がばれたのだ。領主の名誉に傷をつける行為である。かなりの厳罰が処されるだろう。ブルーノの表情も非常に硬い。まだ偽物だと証明してないから、判断を下せないというところだろう。見物客達はこれから何が起こるのかと楽しみそうにしている。
「これらの印章のない袋は手違いで混ざったとして、これらは印章が違います。どこで買いました? これらはズース領の塩ではないという証明になっているんですが、これらの印章の似た領主様の保証印章を持っている領主様に、警告しなければならない」
この言葉に塩商人たちがびくっと震えるが応答が無い。続けるとしよう。次の一山を指し示してそれらの塩を0.9リットルの水に溶かして、容積0.1リットルの塩にどれだけの砂が混じっているのか証明する。結果として1割5分ほど砂が混じっており、ズースの一級塩としてはありえない結果が出たのだった。この時は見物客達にどよめきと言うより、戸惑いが走った。この程度の砂が混じるのは当然なので何が悪いのか分からないのだ。
「これらはヤバイです。あなた方の運命がちょっと心配になります。領主様の保証印章が本物の袋の塩に砂を混ぜてしまっている。しかもサカーワ領内でサカーワ領主様の保証印章が押してある、袋にまで手を出すというのは処刑されたいということなんでしょうかね? あなた方の頭が体から泣き別れしないことを祈っています」
その言葉に初めて見物人たちからどよめきが上がった。そしてそれぞれの袋を開けて、それらが偽物であるという証明をしていくたびに、塩商人たちの顔色は真っ青になり、見物人たちからは寧ろ、砂の混じらない塩があることに関してひそひそ話が立ち始めた。先ほどのサカーワ領主の保証印章が付いた袋まで偽物である、ということが分かったときに、とうとう塩商人の一人が失神した。
同時にブルーノが鬼の形相になった。美食における塩の重大性以上に、貴族の名誉を汚したというのは貴族の世界では大問題である。ブルーノはゆるい貴族ではあるが犯罪に寛容というわけではない。即座に塩商人たちが逃げないように、兵が逃げ道を塞ぐ位置に動くよう密かに指示を出した。そうして一通り偽物の証明が終わるとブルーノはこう言った。
「申し開きは後で聞く、これだけ大量の偽物をイペンサ殿たちが用意したというのであれば、方法を説明してもらおう。身体検査は我々がやった、これだけ大量の砂を隠せる場所はなかった。下らん言い訳なら即座に切り捨てる。言いたいことはあるか? 沈黙は異議がないとみなす」
ブルーノの言葉に一同が沈黙を持って答える。
「もう一度聞く、イペンサ殿が塩にこの場で細工をしたというなら、この場で申せ! その証明の機会は今しかないと思え! 犯行現場なのだ、これ以上の証拠はないからな!」
ブルーノが再度問いかけるが返答がなかった。そこで相手を俺に変えると幾分落ち着いた表情でこう続けた。
「イペンサ殿協力に感謝する。まさか最終的に領主が買うと分かっている塩に、これだけの偽物が混ぜられるとは思わなかった。これらをそのまま領内の食品加工業者に回していたら、多大な影響が出ているところだった」
「お褒めの言葉ありがたく存じます。但しこれだけ偽物が混ざったのは直接の買い付け人が私だからでしょう、私は商人としては無名で、連れは小娘が3人のみでした。運び込みだけでチェックは出来ないと思い、偽物を領主様が購入したなら、私が細工したと言い立てるおつもりだったのでしょう。とはいえ領主様が買ったとしても砂が混ざる事態はあったかもしれません。それだけこの国では塩に砂を混ぜるのがあたりまえの行為なのです」
「分かった。まずはこちらで買い付ける3割の塩なのだが、あの牛車に積んだ分は買い付けてよいか? 結局なん袋が正常だったのだ?」
「695袋がズース領の一級塩でした。そのうち209袋をお売りさせていただきます」
「現金で渡すつもりだったため、塩300袋分の貨幣を袋に詰めたものしかない、申し訳ないが再計算の上そちらの受け取り確認をしていると、日が暮れてしまう。この場で証文を書くので後で受け取って欲しい、かまわないか?」
「お気遣いありがとうございます。私としては一切問題ありません、よろしくお願いいたします」
「次に違約金に関してなのだが、その契約書に書いてある通りの塩が揃わなかったのは事実であり、偽装工作云々は関係がない。我が家の名に懸けて即座に取り立てる。ただ塩商人が不服を言い立てないように、正常な袋の数や偽物の確認を我々のほうでも行う必要もあるだろう。お付き合い願えるだろうか?」
「確認役の塩商人が私と違うことを言った場合どうなさるおつもりですか? 私はブルーノ様の目の前で全て証明いたしましたが?」
「そうだな、であれば再確認時には私とイペンサ殿も立ち会う、ということでどうだろうか? それまでここの現場保存を兵士達に命じる」
「そうですね、そうなると私はここに泊まることになるので、できれば今すぐその商人を呼んでいただければ助かります」
俺の言葉にブルーノは顔を顰めた。思い当たることがあったようだ。すぐにブルーノから確認の言葉が出てきた。
「それはつまり、これらの証拠をそこな塩商人たちが証拠隠滅に走る可能性があると?」
「ええ、貴族の印が入ったものを偽物に摩り替えたのですから、十分可能性があるかと思います」
それだけ貴族の保証を蔑ろにすることは重罪なのである。例えば市場を丸ごと火事にしてしまえば、証拠能力はなくなる。混乱で掏り替えられたのだと言い張る根拠くらいはできるからだ。俺自身は塩商人が処刑されることを望んでいるわけではないが、証拠能力がないからと契約が履行されないと困る。まあそこまでしなくても偽物掴まされたのだと主張することは出来るし、その場合は俺は違約金を貰うことが出来るので問題はない。
「よし、であれば、小細工できないように即座に片付けたほうが良かろう、警備も増やす。伝令!」
こうして細々したことをブルーノと決めて即座に実行していく。結局その日は市場から塩が運び出されることなく、厳重な警備の下で偽物の確認に明け暮れた。幸いにして確認役の塩商人は、小細工を弄することなく淡々と仕事をこなし、偽物の確認をしていった。それらの問題が解決した頃には日はとっくに沈んでおり、三人娘のうちヌイを除く二人は既に寝付いていた。ヌイだけは自分の村の塩のことであり気になって仕方がないようだった。
【先物取引についての誤り】
修正前は作中にて「先物取引」と表現した契約ですが、正確には「先渡取引」と表現すべき契約のということが、読者様の指摘により判明いたしました。読者様には誤った情報を伝えてしまい大変申し訳ありません。
大雑把に違いを表現すると、先物取引は中立の第三者による契約の仲介をする「取引所」が介在している契約を指すことになるようです。そのため作中の契約は現代日本では「先渡取引」と表現すべきでしょう。
作中の契約は先物取引の原型のような物です。概念的に近いため混同してしまいました。この度のことは深く反省しております。二度とこういうことが起こりませんよう、下調べを徹底したいと思います。本当に申し訳ありませんでした。
第一回修正:2013/08/22
誤字脱字、数値、句読点修正
連日投稿に寄る品質低下により08/23の投稿はお休みします。
第二回修正:2013/08/25
誤字脱字、先渡取引に修正




