第71話 開けて、くれないの?
「うーん……微妙だな……」
ベッドの上に座りながら、俺は悩んでいた。
風邪をひくために全裸でいた俺だが、いざ日が明けてみると、それほど体調は悪くない。
絶好調というわけではないのだが、不調を感じることもなかった。
屈強な俺の身体が憎いぜ……。
「まあ、演技力で何とかしたけど。やっぱ、俺って素晴らしいわ」
今日はサボりである。
しんどいアピールしたら、何かいけた。
どうにも、王都でのゴタゴタがあってから、アシュヴィンが少し過保護になっている気がする。
とてもいい傾向ですね。
もっと俺のことを甘やかしなさい。
それに、体調が万全でないことは事実だ。
なにせ、コノハに連れ出されたあの日だけで、俺は二けたの死の運命を回避した。
もちろん、そんなことをすれば、筋肉痛は避けられない。
身体がバッキバキである。
いったいんだよ、もう!
「それもこれも、全部あいつのせいだ……」
イライラしながら思い浮かべるのは、人を不安にさせるような笑顔を浮かべるコノハだった。
あの後、しっかりとアシュヴィンにチクった。
当たり前だよなあ。
アシュヴィンは俺の暗殺に関与しているわけではないようで、笑顔で青筋を浮かべていた。
その怒りがコノハに向けられているものだと分かっているから内心であざ笑っていられたが、あれが自分に向けられると思うとちびりそうになる。
これからは、彼女の目があるうちはまじめに仕事をしようと思いました。
しかし、そんな彼女をコノハにぶつけることができれば、俺としても溜飲が下がる。
「今頃アシュヴィンにしごかれているころかな? 数か月しごかれ続けてほしい」
もともと、メイドの仕事をさせようとしていたのに、勝手に抜け出して俺を連れまわしたことに、アシュヴィンはお怒りの様子。
コノハは引きずられていったので、しばらく顔を見ることはないだろう。
もう俺にかかわる気が起きないほどクタクタになっていてほしい。
その間に、俺はコノハをクビにする方法を考えるから。
「さて、理由付けはどうするか……」
俺が何の理由もなしに彼女をクビにするのは、法律的な問題とかがあるわけではない。
貴族だからね。
基本的に、一般庶民に対しては何をしても許されるのである。
まあ、それがあるからその通りに好き勝手しているから、貴族って基本的に嫌われるんだけど。
普通のことをしているだけで、相対的に俺の評価が爆上がりするのでちょろいものである。
貴族はこれからもクソでいてほしい。
ちょっと逸れたが、しかし何の理由もなしにコノハをクビにしたとする。
……怖くない?
絶対危ない。何か報復される。
断言できる。
あの女を、悪い意味で信頼してしまっていた。
だから、彼女自身が納得できるような首切り理由を考えておかなければならないのである。
どうすっかなぁ。
やっぱり、ここは王道の、【あなたのことを思って……】でいくか。
自分のために、と言われれば、人間はなかなか強く出られないものである。
コノハにそれが通用するか分からないが、一番それがいい考えのような気がする……。
『バロールちゃん』
「っ!?」
肩が跳ね上がった。
というか、ベッドの上で俺の身体が飛んだ。
それくらいビビった。
当たり前だろう。どうしてアシュヴィンに連れて行かれたはずのコノハの声が、扉の前から聞こえてくるのだろうか?
ば、バカな……早すぎる……。
数か月は帰ってこないんじゃなかったのか!?
……ああ、これは俺が勝手に想像していただけか。
『あたしよぉ、バロールちゃん。扉を開けてもらっていいかしらぁ?』
「えー、と……ちょっと体調が悪くてさ。君に移すわけにもいかないし、扉は開けたくないかな」
君のことを考えて言っているんだよアピール!
さあ、さっさと引き返せ、アバズレめ。
『まあ、心配だわぁ。もしかして、あたしのせい?』
そうだよ。
俺を殺しかけたあの日のことを、一生忘れない。
「いや、気にしないでくれていいよ。とはいえ、身体がクタクタなのは事実なんだ。だから、今日は俺も大人しくさせてもらうよ」
よし、勝った。
俺は思わずほくそ笑む。
完璧な理論だ。
これ以上ないくらいの、素晴らしい言い訳。
これを聞いて、なおも言いつのってくる奴がいるだろうか?
いや、いない。
いたとしたら、そいつはとんでもない大バカ者だ。
『だったらぁ、なおさら開けてほしいわ。バロールちゃんのために、おいしいご飯を作ってきたのぉ』
クソ!
こいつはとんでもない大バカ者だった!
やだやだやだやだ!
絶対にやだ!
料理だと!? ご飯だと!?
嫌な予感しかしない!
メシマズの予感しかしない!
ふざけるなよ! ドジっ子メイドなんて、今更流行らねえんだよ!
『ねえ、バロールちゃん』
何とか……何とか断らなければならない。
脳の回路が焼ききれそうなほど、急速回転する。
考えるんだ、言い訳を!
最悪、思いつかなければ窓から脱出するほかない。
その時は、風邪のせいで幻覚を見たとか言っておこう。
うん、悪くない。
とにかく、俺がコノハを受け入れることはないということで……。
『――――――開けて、くれないの?』
「やあ、待っていたよ」
俺の身体はいつの間にか扉の前にあり、そしてコノハを迎え入れていた。
考えるよりも先に身体が動いていた。
すなわち、生物の生存本能。
あのまま閉じこもっていれば、待っているのは死だった。
……どうして自分のメイドにこんな怯えなければならないのか!?
「えへへぇ。ありがとぉ、バロールちゃん」
満面の笑みで入ってくるが、俺は見たぞ。
コノハの顔が、一切の感情を失ったような無表情を浮かべていたことを。
ぶっちゃけ、怖かった。
ちびりそうになるくらい怖かった。
ちくしょおおおお!
断れる勇気が欲しかったああああ!
「ふふーん、んー。バロールちゃんのために、バロールちゃんだけに食べさせてあげるごはんよぉ」
「へー、そうか。それは嬉しいな」
ご機嫌にベッドの近くのテーブルに料理を置くコノハ。
スープかな?
確かに、身体が弱っている(という設定の)俺に、がっつりとした食事を持ってこないことは褒められる。
スープなら、飲みこむだけだしな。
うん、悪くない判断だ。
だけどな? ちょっと気になるんだけどね?
「ところで、この刺激臭はなにかな?」
「うーん、虹色のキノコかしらぁ?」
「そっか。この紫色はなにかな?」
「うーん、沼の水かしらぁ?」
「そっか。この名状しがたい悲鳴を上げている魚の頭を持つ小人は?」
「うーん、妖精かしらぁ?」
そっかそっか。
なるほどなるほど。
俺はコノハの説明を聞いて、コクコクと頷いた。
そう言う感じね。
ははーん。
「ちょっと食欲がないみたいだから、また今度……」
メシマズの領域を超えているだろ!
やっぱり俺を殺しに来ているじゃないか!
そうとしか考えられないし、そうじゃないとしたら、それはそれで大問題だ。
どうしてまともな食材が一つも使われていないんだ!
そう怒鳴りつけてやりたいが、コノハが怖いから言い出せない。
仕方ないね。
「バロールちゃんのために、今日の朝からずっと作っていたのぉ。食べてくれるわよねぇ?」
うーん、と首を傾げるコノハ。
ちょっと……普通の人だと曲がらないほど首が曲がっている。
折れてない?
しかし、この言動……。
俺が食べないと見ての言葉か?
脅されている……!?
「おっと、身体がふらつくくらい体調が悪いようだ」
「ちょうどよかったわぁ。滋養強壮に効果があ……ればいいなって思っているのぉ」
願望!?
まったく説得力がない!
というか、その言葉を聞いて、安心してスプーンに手を伸ばす奴がいるのか!?
お前が言葉を濁すって……自分でもあれな料理だって認めているじゃねえか!
「い、いや、ほんとあれだから。俺はあれがこうしてああなるから」
「はい、バロールちゃん。あーん」
とても論理的な言い訳をしているというのに、コノハはまったく気にするそぶりも見せず、スプーンを差し出してくる。
バカな……スープの悍ましさに負け、スプーンの柄がグニャグニャと曲がっている……?
ちょっ、劇物近づけるな!
俺の身体は繊細で……あああああああああああああああああああ!!
それからの記憶は、ない。




