第68話 待たんかい
「くぁぁぁ……ねむ……」
大きなあくびを一つ。
眠ければ出るものだが、安心というか、リラックスをしていなければ出ないものだと思う。
つまり、今の俺はとてつもなく穏やかな気持ちでいられているというわけだ。
何せ、いるのはアポフィス領の私室。
ここ最近は王都とかいうアウェーで、しかも四大貴族の一人や裏社会の暗殺組織とドンパチさせられていたため、心休まる暇がなかった。
……おかしいですよね。
どうして地方貴族の俺が、こんなバカバカしい経験をしているのか。
結局、王都に行っても都合のよさそうな女は見つけられなかったし。
クソ! やっぱり、アポフィス領に立ち寄る豪商の娘を落とすしかないか!?
しかし、商才があっても領地経営能力があるかは分からないし……。
俺の夢まで、なかなか届かない。
しかし、夢は諦めなければ必ずかなう。
それを信じて、邁進するのみだ。
「昼間っからお仕事もせずにボケーッとしているだけとは。さすがご主人様です」
「はっはっはっ、よせよせ。褒めているようで罵倒ばかりしやがって。ぶっ殺すぞ」
当たり前のようにいるのは、ナナシ。
オーソドックスなメイド姿な、小柄な女だ。
一切ハイライトのない、闇そのもののようなどす黒い瞳が特徴だ。
なんでこいつを雇っているんだろう、俺は?
なんだかんだで最古参だし、家事能力も非常に高いんだけど……。
アポフィス家の財産を簒奪することを公言しているメイドだからな。
改めて、なんだこいつ。
「しかし、こんなに仕事をさぼっていて大丈夫なんですか? イズンやアルテミスはともかく、アシュヴィンは許してくれないと思うのですが」
「怪我の後遺症で身体が痛いって言っていたら、何か丸め込めた」
ボッコボコにされたからな、俺。
痛みで起きるってどういうことだよ。
それもこれも、俺のことをしっかりと護衛していないメイドたちのせいだ。
役立たずめ。
……いや、メイドを護衛として雇っているのがおかしいよな。
ちょっと冷静になったら分かることだ。
どうしよう……。こいつら全員首にして、ムキムキのマッチョたちを雇うか……?
「……まだ痛むんですか?」
「いや、治ってるけど?」
「さすがです」
「ふっ、まあな。バカ正直に回復したなんていう必要はないんだ。引っ張れるだけ引っ張ってやる」
どや顔を披露すると、無表情でパチパチ拍手してくれる。
もちろん、痛みどころかあざとかも一切残っていない。
アシュヴィンが半狂乱になって、何かよくわからん薬品をぶちまけてきてくれたおかげだ。
ご主人様に変な液体をぶっかけるメイド……うん、おかしい。
まあ、俺の美肌にあざが残ったら世界の損失だしな。
そんなわけで完全回復しているのだが、馬鹿正直にそんなことを言うはずがない。
痛いよ、痛いよ……と言っておけば、仕事が全然回ってこなくなった。
俺、賢いわ。
「しかし、重要な仕事もあるのでは?」
「俺がいなくても、アポフィス領は回っていただろ? すなわち、アシュヴィンに仕事を押し付ければいいんだ」
「領主の仕事をするメイドとはいったい……?」
……本当に、いったい何だろうな。
首を傾げるナナシに合わせて、俺も首を傾げる。
もう俺はいらないのでは?
全部アシュヴィンに任せていいんじゃないかな?
とはいえ、このままだと俺の存在意義が問題になってしまう。
黙らせなければ。
「お前もサボってんだからつべこべ言うなや。働かせるぞ」
「ひぇ……。申し訳ありません、ご主人様。よっ、サボり王」
「はっはっはっ。お前、人を褒めることをろくにしないから、超へたくそだな」
ご機嫌をとろうとしているのだろうが、逆効果でしかない。
頭悪いな、こいつ。
しかし、もう当たり前のようにサボりやがって……。
雇用主の前で堂々と休むメイドがどこにいる?
まあ、俺も仕事しなくていいから、特別辛く当たるつもりはない。
仮に俺に仕事があった場合は、こんなのんびりとすることは許さんが。
俺が辛ければ、ナナシもつらい目に合わせる。
それが、道理である。
「……――――」
「……ん?」
なんてことを考えながらぬぼーっとしていると、ふと気づく。
何か、音がしなかったか?
いや、音というより……声か?
「んー、んー、ふーん」
「…………」
その声は、ゆっくりとではあるが、着実に近づいてきていた。
近づくにつれ、より詳細なことが分かる。
これは、声ではなく、歌声だ。
鼻を鳴らして、歌声を作っている。
そして、俺の屋敷でこんな能天気なことをするのは、イズンを除けば一人しかいない。
……やべえ!
「ふふー、んー、んんー」
「……ナナシくん。この頭がおかしくなりそうな鼻歌、聞き覚えはないかな?」
「さあ、存じ上げません。おっと、こんなところに汚れが。雑巾を取ってきます」
「待ちたまえ」
どんどんと近づいてくる歌声に、ナナシが立ち上がって部屋から出て行こうとする。
そんな彼女の細腕をがっしりと掴む。
あざができることもいとわないように、力強く。
お前、掃除なんて命令されない限り絶対にしないだろ!
自発的に雑巾を取りに行くナナシなんて、偽物か、はたまたこの場から逃れたい以外の理由はない。
「なぜ邪魔をするのですか、ご主人様? 掃除はメイドの務め。お仕事大好きな私としては、ぜひともきれいにしなければという使命感があふれているのです」
「お前が掃除好きという情報は初めて知ったな。ところで、ナナシ。肉盾って知っているか?」
「知りませんね」
必死に逃げようとするナナシにへばりつき、身動きを取れないようにする。
なんかいい匂いがするが、そんなことはどうでもいい。
何だったら、ドブの匂いがしていても、今の俺は彼女にへばりつくことだろう。
俺も非力だが、ナナシはそれ以上に非力だ。
体格の差もあって、逃げられるはずもない。
盾だ。俺に今最も必要なものは、盾。
防具としての盾ではなく、人間を使った盾なのだ。
よし!
コンコンと扉が鳴る。
俺とナナシは、そろって肩を跳ね上げさせた。
『バロールちゃん、あっそびーましょぉ』
聞こえてくるデスボイス。
いや、声音がガッサガサというわけではなく、むしろ砂糖を吐き出しそうなほど甘ったるいのだが。
その発している人物が問題なのだ。
まさか、外に出てきていたとは……!
「お呼びですよ、ご主人様」
「俺の名を『ちゃん』付けで呼ぶメイドなんて知らない」
ナナシが睨みつけてくるが、俺は素知らぬ顔。
そもそも、本当に俺の名前を呼んでいたのか?
ナナシと呼んでいたのではないか?
ほら、男の名前に『ちゃん』をつけるのはおかしいし。
うん、やっぱりナナシが呼ばれていたわ。
ほら、行ってこい。
『あれぇ? いないのかなぁ?』
二人してしがみつき合いながら、息を殺す。
そうすると、扉の前にいた人物がゆっくりと離れていったのを、遠ざかる足音で感じ取る。
よし、去ったか。
やっぱり、居留守って最強だわ――――――。
そう思っていた直後である。
ズドン! とすさまじい音と共に、扉が吹っ飛んだ。
……吹っ飛んだ?
「あれれぇ? やっぱりいたぁ、バロールちゃん」
ゆっくりと扉を破壊して入ってきたのは、一人のメイド。
アシュヴィンでも、イズンでも、アルテミスでもない。
アポフィス家で雇っている、最後のメイド。
彼女の名前は、コノハと言った。
頭をフラフラとさせながら、ギラリと光る眼で俺を見る。
怖い。
「や、やあ、久しぶりだね、コノハ」
「あ、私はこの辺りで」
待たんかい。
最終章スタートです!
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