第199話 法術師の保護に関して
「こいつだ……どう思う?」
かなめはポケットから携帯端末を取り出してアメリアに見せた。
「遼州同盟の人権機構の声明?例の東和の間抜けな法術師が起こしたトラブルの帳尻あわせでしょ?それで何か動きがあったわけ?どうせろくな事じゃないんでしょ、その様子だと」
アメリアは小さな画面の詳細を見ようと立ち上がるとそのままよたよたとかなめの腕の上に展開された画面に顔を近づけた。わざと見えにくいというようにアメリアは責めるような視線をかなめに向けた。
「こうすれば見えるだろ?」
かなめは軽く手をひねってみせる。
「見えるけど……ちょっともう少し腕を上げて」
人造人間の強化された視力ならば余裕で読めているはずの画面をまるで見えないというように角度を変えてアメリアは何度ものぞき込んだ。その姿にそれまで下手に出ていたかなめがまた苛立ちの表情を浮かべ始めた。誠はもうもめ事はごめんだと逃げ出す心構えをしはじめた時だった。
「法術適正の強制化に反対する署名活動を始める?ずいぶんと消極的なお話ね。だからなんなのよ」
アメリアは予想を裏切られたという表情でかなめを見つめた。
「それでも同盟の意志として法術適正検査の強制化に反対することを示して見せたんだ。かなりぎりぎりの選択だったと思うぞ。遼帝国あたりがかなりごねたんだろうな。あそこは法術師のパラダイスみたいなもんだからな。法術適正検査の受検率が一桁代……東和の右っぽい連中もかなり騒いでいるからな」
かなめは苦笑いを浮かべた。予想通りの世の中の反応がそこにあった。誠はすでに法術師と認定された身分として複雑な心境で会話を聞いていた。アメリアはまだかなめの腕を手にとって画面を読み続けていた。
「ここから先は……遼帝国宰相アンリ・ブルゴーニュの声明文ね。何々……法術適性検査の強制化は著しい人権問題になるであろうと……ひいては同盟の人民の間に分断と亀裂を生むことになる……。生むことになるも何ももう生まれてるじゃないの」
アメリアは法術師である誠と島田を見比べながらそう言った。
「今頃何言ってるんですかねえ。適性検査の強制化に反対するも何も遼北じゃ強制じゃないですか」
島田はそう言って苦笑いを浮かべた。
「正人ちゃん。元々人権意識の薄い国の話をしてもむなしいだけよ」
島田の言葉に余裕のある突込みを入れるアメリアを見ながら誠の目は端末を起動させたかなめに向いた。
「で……どうなるんでしょうか?」
不安に駆られた誠はとりあえずこういう情報をまともに判断できそうなカウラに尋ねた。しかし、カウラが口を開く前にかなめが皮肉めいた笑みを浮かべて誠の前に立ちはだかった。
「これからは色々あるってことさ。軍事や犯罪組織の活動に関するだけが法術師の話題だった訳だが……これからは人と人との個人的な関係にまで法術と言う存在が食い込んでくることになる。法術を持つものと持たないもの。それが憎み憎まれて世の中が転がることになるってことさ」
吐き捨てるようにそう言うとかなめは自分の右腕を握りしめてその上空に表示された画面を追っていたアメリアを振り払って端末の画面を消した。アメリアはふてくされたように黙り込んだ。かなめは彼女を無視するとそのまま視線を誠に向けた。
「東和も法術師を押さえ込む方向に進むだろうな……そうなればたぶんオマエの両親も今回は年貢の納め時だってことだ」
かなめの言葉の意味を誠は理解できなかった。
「親が?なんで?」
ぼけっとしている誠にかなめは大きくため息をついた。
「誠ちゃんが明らかに進んだ法術師である以上、その両親が法術適正があると考えるのが普通でしょ?それに誠ちゃんのお父さんは学校の体育の先生じゃないの。まずこういう時は教育現場が狙われるものよ」
アメリアの言葉には誠にも説得力が感じられた。
「あ……」
アメリアに指摘されて誠はようやくかなめの意図に気づいた。
「ともかくこれからはかなり息苦しい世の中になりそうだな」
かなめがため息をついた。部屋のそれまでかなめへの怨嗟の念に満ちていた雰囲気が消え去っているのを誠はようやく感じていた。島田を始め、法術適正を持つ隊員は少なくは無い。そして自分の血縁者にそう言う存在がいることが不思議ではないこととそうなればどのような言われない攻撃が突然訪れるか。そんな事を考えると朝食後にランニングをさせられるくらいの事はすでにどうでもいい話だった。
「東和も揺れるな……『官派の乱』の甲武の再現か?」
まるで騒動が起こるのを待っているかのようにかなめは不謹慎な発言を平然とした。
「そうはならんだろ。東和は一応シビリアンコントロールができてる国だ。保守派が叫んでも軍は動かねえよ」
カウラとかなめ。別の話題を口にしながらもその目は誠を見つめていた。
「どうなりますかね?」
誠はとりあえずこういう時は一言ありそうなアメリアに話題を振ってきた。
「私に振らないでよ。たまには自分で物事を考えるのも良い事よ」
誠の言葉にアメリアが苦笑いで答えた。誰もが当惑し、ただどんよりとした空気が食堂に立ちこめた。
「はいはい!なんだか知らないけどお通夜じゃないんだから!まもなく出勤の時間ですよ!」
突然の快活な声。誠もまたその声に救いを感じて顔を上げた。叫んだのは食堂に闖入してきたサラだった。その隣にはため息をついているパーラがいた。
「アメリアさんに呼び出されたんですか?」
いつものアメリアのお使いを頼まれたのだろうと誠は二人を不憫に思った。
「まあね。パーラに頼んで送ってきてもらったの」
サラの言葉にパーラが引きつった笑いでうなずいた。恐らくパーラは早朝にアメリアからの電話で無理やり起こされて、サラを家まで車で迎えに行ったのだろう。その苦労を想像すると誠も彼女が不憫に思えてきた。
隊員達もそれぞれに我に返ると重い腰を上げて食堂から自室へ散っていった。
「それにしても……なんだか重苦しい雰囲気ね。何かあったの?」
サラは島田のジャージの襟をいじりながら誠達を眺めた。
「まあ……食後すぐに運動させた誰かさんのおかげでね」
アメリアは不満をぶちまけていた。
「しつこいぞ、アメリア!それに暗くなったのはアタシのせいじゃ無くて世の中のせいだ」
かなめの責任転嫁はいつもの事だった。
「都合が悪いと何でも世の中のせい……かなめちゃんは中学生?」
アメリアはそれが気に食わないのでとりあえずからかってみる。
「おい、いっぺん死ぬか?本当にいっぺん死んでみるか?」
にらみ合うかなめとアメリアがそこに居た。その進歩のないやりとりにカウラが大きくため息をついた。
「それにしても……アメリアの頼みで技術部の情報将校に調べてもらったんだけど……今回の事件後に情報発信を増やした個人や団体の名前が……」
サラはそう言ってジャンバーのポケットの中を漁った。
「ありがと!」
そう言うとサラが取り出した一枚のチップをアメリアは受け取ってその手にかざして見せた。
「連中に?そんな事を頼んでどうするんだ?」
唖然とするかなめを横目に笑顔のアメリアはチップ握りしめるとそのまま食堂の外へと消えた。
「アメリアの奴は何か知ってるのか?」
カウラは不安そうな表情でそうつぶやいた。
「あいつも一応は運用艦の艦長だ。政治的判断に直結するような指示を受けたときの対応策でも考えているなじゃないのか」
カウラの言葉にかなめは煮え切らないという表情で腕を組んだ。
「法術師とそうで無いものの対立が誰の利益になるか……そんなことでも調べてるんじゃないですか?」
誠はそう言うとカウラとかなめの顔を見比べた。
「対立を煽っている奴がいる……アメリカかね?それにしちゃあずいぶんの不器用で危なっかしいやり口じゃねえか。『廃帝』ほどじゃ無くても法術師の小さな互助組織の存在はいくつか確認されているんだ。それが今回の騒動の反動で騒ぎ立てた連中にせき立てられて手でもつないでみろ。地球も巻き込んだ大騒動になるぞ」
かなめの言葉に誠は反論できなかった。今の状況は誰の利益にもならないように見える。だがあまりに事態は急転していた。そこに作為が無いと考えるのもまた不自然に見える。
「とりあえず後でそれとなく聞いてみるか」
そう言うとカウラが立ち上がった。
「これから聞くんですか?」
カウラの突然の言葉に誠は驚いてそう尋ねた。
「今は着替えるだけだ」
誠の言葉にそっけなく答えるとカウラも食堂を出て行った。
「この寒さで汗もかかない癖にな……」
かなめはそう言うと伸びをしてそのまま食堂の出口に向かった。
「遅刻するぞ」
「はい!」
振り返っての一言に誠も気がついてそのまま食堂を飛び出した。
「なんだか……大きな話になってきたな」
階段を駆け下りる隊員達とすれ違いながら誠はそのまま自分の部屋に飛び込んだ。すぐにジャージを脱いでTシャツとジーンズ、ジャンバーに身を包んで部屋を飛び出した。
階段を駆け下りて玄関に向かうと誠の前にすでに着替えを済ませたカウラとかなめが立っていた。
「それじゃあ行くぞ」
「え?アメリアさんは?」
あたりにアメリアの姿が見えないことを察して誠はかなめに尋ねた。
「アイツはパーラの車で先に出た」
それだけ言うと実に普通に靴を履くカウラ。かなめも気にならないというようにブーツに手を伸ばした。
「そうですか……」
釈然としない誠は彼女達に付き合うようにスニーカーを履いて立ち上がった。




