第177話 表面化する現実
「何でこんなことに……なんでこんなことに……」
震えていた。水島はただ狭い書庫にしては大きすぎる棚の中で震えていた。気配の数が増えたのを感じた。警察か……それとも他の組織か……思いを巡らす度に恐怖が増幅される悪循環に思わず頭を抱えた。
『それはね、おじさん……あなたに力があるからですよ。力がなければあなたなんかにだーれも目なんてくれないよ。でもあなたにはそれがあった。そしてそれを使ってしまった。力があるって事はそれだけで責任が伴うものなんだよ。それを無視したから……ああ、知らなかったなんて世の中じゃ通用しないよ。いい大人なんだからそのくらい分かるでしょ?』
頭の中であざ笑うようにクリタ少年の声が響いた。だが水島には今は震えること以外はできるはずも無かった。
「知らなかったのがなぜ悪い!俺は知らなかった!こんな目に遭う事なんて知らなかったぞ!君だって何も言わなかったじゃないか!」
誰かに聞かれるかもしれない。そんなことは今となっては関係なかった。叫ぶこと。恐怖に打ち勝つのに水島ができるただ一つの抵抗だった。
しばらくしてそんな無謀な水島の行動を窘めるような別の感覚が頭に入り込んできた。冷たい、感情が死んだような感覚だった。初めてのその感覚に水島は我に返って医務室だったらしいこの部屋の机の下へと体を滑り込ませた。
『申し訳ありません。ジョージは悪戯が過ぎましたね。この事態はあなたの逡巡が招いたことは事実として……合衆国はあなたにはいくつか保障したいことがあります』
キャシーと名乗った女性らしい声が脳内に響いた。水島は今となってはただ静かにうなずくしかなかった。
『まずあなたの身の安全。これは我々も守らなければならない義務が生まれる可能性があります……』
キャシーの冷たい口調が水島の脳裏をよぎる。
「可能性だって?この期に及んで何が望みなんだ?」
叫びたくなるのを我慢しながら水島は小声でつぶやいた。無表情なまま水島の言葉の意味を反芻しているだろう少女の顔を思い出すと水島の怒りは爆発しそうになった。
『あなたが我々に今後、無条件で協力すると言う意思を示さない限りは、我々にあなたの安全を守る義務は発生しません……忘れましたか?あなたはすでに一人の人物の命を奪っていることを。他国の法を犯した者を匿うリスク。考えてみれば当然のことではありませんか?』
少女の声は冷たかった。抑揚を殺している脳内に響く声に水島は自分を罰しようとしているような少女の表情を思い浮かべて苦笑した。
確かに水島は今となってはただの人殺しだった。その人殺しを匿うのは当然国際問題に発展する可能性がある。遼州とアメリカには正式な国交は無い。そうなれば問題はさらにややこしいものになる。
水島には国家の間でおもちゃにされる自分の運命を悟って自虐的な笑みを浮かべる事しか出来なかった。




