第103話 まるで神にでもなったような
事件から一日経ってようやく水島の心は落ち着いてきていた。
水島は駅前を歩いていた。突然彼の目の前をトイレ掃除を終えた女性が通り過ぎようとした。
ぶつかりそうになったのは最近は突然現れたアメリカ陸軍の関係者を名乗る少年のことを考えていたからだった。だがそのおかげであることに気がついた。
『まったく……あんなに汚して誰のものだと思っているのかしら……』
女性の思考とともに流れ込んだ強力な力を示す独特の引っかかり。水島の悪戯心を最大限に刺激するそんな引っかかりの魅力に水島の意思はすでに決まりきった作業のように動き出していた。
『起きろ』
それだけ念じただけだった。銀色の板のようなものが突然女性の三角巾の後ろから現れた。
「うわ!」
それが自分に眠る力によるものだとも知らずに女性はそのまま腰を抜かして倒れ込んだ。ふわふわと移動していた銀色の鉄板がそこにあった。女性の叫び声に気付いた通行人はその奇妙な物体に目をやった。しかし、彼らがそれを目にすることができたのは一瞬だった。
そんな通行人の一人、眼鏡を掛けた大学生風の男の肩に向けて回転するように飛んで行ったその板のような存在は彼の周りの空間と一緒に腕を捻じ切るとそのまま蒸発するように消えた。
しばらく腕を捻じ切られた青年は何が起きたか分からないと言うように立ち尽くしていた。次第にさっきまで彼の腕が生えていたところから血が噴出した。それを見てようやく男は気がついたように叫び声を上げた。そのまま男は倒れこみうめき声をあげた。
ここまで来て通行人達はそれが尋常ならざる事件であることに気付いた。第一発見者のサラリーマン風の男が慌てて駅の係員を呼びに走った。血を見て驚きその場にしゃがみこんで二人の女子高生が雑談をやめて泣き始めた。隣で立っていた老人は茫然自失という感じでただ立ち尽くしていた。
そんな中、水島は一人起きた出来事をじっと眺めていた。そのままパニックを起こして逃げ去ろうとする群衆にまぎれて走り去らなかったのはほとんど奇跡だった。
そして先ほどの法術の発動源である女性に目をやった。まだ女性は座り込んだまま事態の重要性に気がついていない。それを見た水島の気は大きくなっていた。
「大丈夫ですか?」
水島は何も知らない通行人を装って倒れ込んでいる女性に手を差し伸べた。
「あ……ありがとうございます」
50は越えているだろう。今の出来事への驚きからさらに年上に見える彼女を助け起こしながら水島は自分が起こした出来事があまりにも大きい事実にようやく気付いていた。
そしてようやく辿り着いた駅員の姿を見ると水島は群集にまぎれて雨の町を歩き回った。
知らない町。足はいつの間にか最近見慣れてきた通りに辿り着き。いつの間にか自分の部屋に辿り着いていた。
驚きと恐怖。しかし慣れない力を操った疲れはそのままコタツに入り込んだだけの水島を眠りに導くには十分なものだった。
「やっぱり……こんな殺傷能力がある力まで有るなんて……遼州同盟も東和政府も何かを隠しているんだな。こりゃあ大事になりそうだ……しばらくいたずらは控えた方が良いかもしれないな」
目覚めてコタツの上の法律書を眺めていてもそのことばかりが気になってきた。
人体発火は以前から都市伝説として知られていた。最近では一部のテロ組織は法術の存在を知っていてそのことを同盟機構が隠蔽していたことがマスコミで騒がれていた。何度となく起きた不自然な自爆テロ。それを法術の発動と知りながらもみ消していた事実は自称良心的市民達を激怒させるには十分な事実だった。
そしてまた最近の話題となっているのは意識介入。いわゆるテレパシーについてもその後のプライバシー対策の為に成立した法案を見れば政府は知っていたと考えるのが自然だった。そのあまりにできすぎた隙の無い法律文章。一応法律家を目指す水島にもそれはその文章を想起した人間が完全に意識介入能力を理解した上で作ったものであることは一目瞭然だった。
昨日水島が見た空間を切り裂く銀色の平面。それについては水島も初めて見るものだった。
まるで知らない法術の発現。そしてそのもたらした効果の絶対的な威力。腕がなくなってからもその事実が信じられないように落ちた腕を見下ろしていた青年の恐怖の表情が今でも頭の中を駆け巡っている。
「しかしあの切れ味……色々使えそうだな。やっぱり前言撤回だ。色々使い道があるなら試してみた方が良いかもしれないな。他にどんな力が俺達遼州人に眠っているのか確かめてみる必要がある」
突然湧き出てくる独り言に水島は自信を取り戻した。その能力が強力でありながら簡単に発動する。その事実。不意に水島の顔には笑みが浮かんできた。
「色々使える……色々使える……まだまだあるはずだ。俺は今日ほど遼州人に産まれてうれしく感じたことは無い……」
笑みが止まらない。行政訴訟に関する判例集は次第に水島の『色々使える』と言う言葉に埋め尽くされていく。鉛筆を持った水島の手。まるで意思を持ったように同じ言葉を書き連ねていった。
人の腕の骨を切り裂くのにまるで抵抗など無いというようにあの銀色の板は動いていた。そして切り裂いた後は何事もなかったかのように蒸発していた。
「どんな武器より強力で便利。本当に最強じゃないか!なるほど、何の文明も持たない俺達が地球の無法者たちに勝てた理由もこれではっきりわかった。地球人なんぞ俺達の敵じゃ無いんだ。無力で哀れな金の事しか考えない血も涙もない連中ばかりだ……ならば鉄槌を下してやるのも面白い」
水島は自分がいかに得意げな表情をしているか想像しただけでも楽しくなってきた。
その時だった。




