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思い出せないよ、先輩。

「放課後、部活始めと終わり・・・バカ見たいに本気で、誰もいない音楽室で、弾いてたろ?」


・・・なんで知ってるの?

先輩と別れて、それでも部活はあって・・・好敵手の孝之は、テニス部の練習で遅くて。

あなたと居た時間をたった一人で過ごした。


ピアノを弾いて。


「別れた後ですよ。それ」


「まぁ・・・で今もピアノ弾いてんの?俺今度さジュネーブのフォンデルコンクールに出るんだ。もしよかったら聞いてくれないか?」


軽くそう言われて、私は、ただただ茫然としていた自分をなんとか立て直そうと必死になった。


「・・・もうピアノは辞めましたよ」


「はっ?なんで?怪我か?」


「いえ・・ちょっと」


「まさかあの・・幼馴染のせいじゃないよな?」


先輩は、そう言って私の傍にやってくる。

近くに来るとやはり、彼は、彼だった。

あの頃より身長が伸びて、輪郭はシャープになって・・・メガネだけは変わらない。

そして男としては普通というか少し小柄で、今のヒールを履いた私より僅かに背が低い。


「ち・・違います。それより、海外のコンクールってすごいですね」


海外のコンクールに出場するには、実力もさることながら、それなりの実績と推薦が必要になる。

それこそ字を覚える前に音楽を覚えた人間が出るような、そんな所なのだ。

それなのに、先輩は、中学からピアノを始めてその推薦を得る実力と実績を勝ち取ったのだ。奇跡に近い事だと思う。そしてそれに見合う努力をしてきたのだろう。


「・・・辞めたって嘘だろう?」


いつの間にか、私よりもずっと冷たい先輩の手が私の両手を掴んでいた。


「あの・・先輩?」


「お前にそれが出来るのか?」


「ちょっ」


近い近いちかい・・・メガネ越しの瞳はどこまでも強く私を射抜いた。


「好きだった・・・お前のピアノ・・本気で。」


なんで・・・なんでそんなこと言うの?

わからない。


「・・俺がどれだけやっても、お前見たいには出来なかった」


「・・・あ・・あの手」


どうしてか、わからない。

心臓の音が耳まで支配する、手を放してもらおうと一歩下がれば一歩こちらに来る。


「ずっと・・・会いたかった」


「放してっ・・・」


いつもの自分では考えられない弱弱しい声が出た。

先輩を見てられなくて、視線は、ずっと下の砂利を見つめている。先輩の靴と私のミュール。

その距離はわずか50cmもない。

先輩が手を放してくれる・・・冷たい手から解放された私がやっと顔を上げた時、今度は肩に手が置かれた。


「俺のピアノがお前には敵わない。それでも必死だった、この3年、あのコンクールで聞いたお前のアラベスクが俺にとって全てだったんだ」


ピアノだけは、辞めんな・・・頼む。


低い声が耳と心を打つ言葉。


「先輩は、・・・私のピアノ好きだったんですか?」


「え?」


「だって・・・あの頃・・・なんにも言ってくれなかった」


なんとか塞いでいた傷が今、思いっきり切り裂かれた。


「あの頃・・・なんにも、ただの暇つぶしって言ってた・・・気まぐれって」


一度だって“好き”なんて言ってくれなかった。

それが先輩の優しさなんだって思ってた。

私との時間は、彼にとってただ暇つぶし。互いがそれで満足してた。


でも・・・何気ない、言葉とたまに頭を撫でる仕草が好きだった。

好きだとそう思ってしまった、でも。


「・・・先輩は、香月先輩が好きで・・でも告白はしなくて」


そう先輩は、部活の部長であった香月部長を好きだった。

知ってる。


「知ってたんだな」


「だって、先輩ずっと香月先輩を見てたから・・・」


私じゃなくても、部活でのあなたを見てれば誰だって気づく。


「そっか・・・」



そっと離れて行く先輩にやっと息を吐く事が出来た。


「先輩のピアノ・・・とても努力したと」


「もう一回・・・もう一回でいい。ピアノ聞かせてくれ」


あの頃と同じ言葉・・・でも思い出せない。

あの頃、私はどんな風にピアノを弾いていたのだろう。


思い出したくないよ・・・先輩。

















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