先生には、逆らえません。
全ての作業を終え、最終日にお約束の打ち上げ大会が終わったのは夜の8時前。
私はしっかり捕まっていた。
何も悪いことは、してません。
最後の発表会ではあったけど、まだ19歳だからと打ち上げ大会では、ノンアルコールしか口にしなかった・・・なのになぜ。
その理由は、つい三分前に遡る。
打ち上げ会場は、近くのレストラン。12日間の間に自分達の生徒たちの中で誰が一番良かったかなんて話をしている先生たちの間を通りぬけて、こっそり打ち上げ会場から消えようとしていた私に師は、にこやかにそして残酷に言い放ったのだ。
『あれー?梨桜ちゃん、帰っちゃうの?』
『あっ・・・はい』
『じゃあ、送って行ってあげようか?』
『いえ、大丈夫です。電車ですぐですし・・・』
『えーでもその靴大変でしょう、しかもドレスだし・・・丁度いいし、高西君に送っていってもらいなさいよ』
『い・・・いや、高西も迷惑だと』
『高西くーーん、今日車だったよね、梨桜ちゃん送っててあげてね、』
『はい、わかりました・・・』
おい何がわかったのだ、好敵手。そして師よ、なんてことをしてくださったのですか。
他の先生たちの手前、断ることも出来ず連行されました。
ーーーー
気まずい・・・気まずすぎて空気が痛い。
沈黙という拷問を受けて5分。その終わりは、唐突なあいつの言葉だった。
「お前・・・変わらないな」
「えっ?」
「何弾いてもドビュッシー風味だ」
いきなり何を言われたかと思えば、私のピアノに対する適格な評価をいただいた。
知ってる、自分のピアノの欠点ぐらい。
「知ってる・・・あんたも相変わらずの機械仕掛けのくせに」
「リストに心のせるって無理だろう。指を正確に動かせればいいんだよ。」
指の動きに絶対の自信がある好敵手は、この教室でマシーンと言われていた。
なぜって、ベートーヴェン以外何を弾いても味気ないという先生からのお墨付きで自他ともにそれを認めていたからだ。
駐車場にある幼馴染の車まであと50メートル。今ならまだ引き返せる気がした。
「・・・じゃあ、また」
くるりと方向転換して駅に向かおうとした私。あいつの声が引き留めた。
「なぁ、どうだった?俺のテンペスト」
「っ・・・」
適格な奴だ。この問いに応えなかったら私の負けが決まってしまうから、もう一度体の向きを変えてきっぱりと言い放つ。
「・・・う・上手かった」
少しどもったのは、ニヤリとあの嫌な笑みを浮かべる好敵手に目を奪われたからだ。
今日のこいつの服装は、淡いグレーのサマーセーターにフォーマルさを出すために黒のベストを重ねている。下は、黒の細身のパンツで足の長さを強調していた。
なまじ身長があるこの男にぴったりの装いだ。首元には、普段は絶対つけないだろう銀のネックレスが揺れている。
「だろう?・・お前好きだったもんな、テンペスト」
「っ!」
「自分じゃ弾けないからって俺に楽譜のプレゼントっていきなり渡したの、中3の時だっけ?」
「ひっ弾けないわけじゃないわっ!ちょっと・・・苦手ってだけで」
言い返せない。そう、確かにテンペストは、ベートーヴェンの中で1、2位を争うほど好きな曲だ。
しかも、中3の時、自分ではまだ弾けなかったというか諦めたのがバレていた。
「まぁ、でもやっぱ、ドビュッシーはお前だな。ほんとアラベスク第1番だけは、負けるよ」
流石に12日間の間同じ曲では味気ないと発表会のために複数の曲を準備していた。それに先生が弾く曲は、その日の天気や会場の雰囲気で変わるのだ。
ならトリの私もまたそれに合わせた選曲となる。だけどやっぱりドビュッシーは、変わらない。
その中で一番私が、得意として一番好きなのがこのアラベスク 第1番だった。
「そりゃあね、・・・もう8年以上弾いてますので。」
「そうですか、ほら、行くぞ・・・送ってくって先生に言っちまったんだから」
ほんとムカつくいやな奴だ。こうやって上手くごまかして私を誘導するのだから。
素直に車へ乗ってやったのは、テンペストのお礼だ。
多分私が好きだったのを思い出して弾いたのだと今わかったから。
「事故んないでよ?」
「俺がそんなヘマするなんてありえない。」
そう言って車のキーを空中に投げた。うん、それをキャッチできれば、素直にかっこいいと口に出来たかもしれない。
だが惜しくもその指をしっかりすり抜けて地面に落ちたキーを私が拾う事になった。
「信じていいんですか?」
「・・・・おう」
かっこ悪いです、好敵手。
本文中の二人の会話で「ドビュッシー」と「ドビッシー」の二つの言い方で言ってますが、これは、同一の人物の事です。
本当は、読み方が言語の違いで少し違うのを表したかったのですがあとで、統一します。わかりにくくて申し訳ありませんでした。




