2章-46話 変異の兆し
鳥人の里パサルはシンヤの知る村や街ではない。
彼等が生活する為だけの仮里。結界は無く、岸壁という自然を生かし、屍人の猛威から逃れる為の場所。
翼を持たない人間では生活する事すらままならない場所で、シンヤは数日を過ごしている。魔具の鍵を手に入れる為に山を登るにも、数日間の食糧が必要になるが、鳥人族に余分な備蓄などあるはずも無く、出発前に調達しなければならなかった。
自由に崖を登ることの出来ないシンヤは、リュート達が準備を進める間、里で待つ事になったのだが。
「なんで人間は翼がないの?」
「……なんでだろうね。おれも自由に空を飛んでみたいよ」
今シンヤは他よりも少しばかり広い崖壁の足場で両足を抱えて座りこんでいる。隣には鳥人族の子供が同じように座り、二人で霧の為はっきりとは見えない太陽を見上げていた。
「お兄さんはどうしてこんなところに座っているの?」
「……どうしてだろうね。おれもどうしてなのか知りたいくらいだよ」
食料の調達に出たクロエとリュートを待つ間、初めは用意してもらった部屋の中で大人しくしていたシンヤだったが、あまりにもやることが無いので外へと出ることにした。
転落防止の柵などない足場は一歩足を進める度に、シンヤの心胆を冷やしてくるが、少しくらいは慣らさなければいけない。その思いから震える身体に鞭を入れて慎重に歩いていたのに、先ほど通った板で舗装された箇所が、通った直後に崩れ落ちてしまったのだ。
仕方なしに先へと進んで誰かに助けてもらおうと考えたのだが、道の先の板も崩れてしまっている事に気づく。
結果、進むことも戻ることも出来なくなったシンヤは、途方に暮れて座り込んでいたのだ
そして数分前に飛んできた幼い鳥人の少女が、無言で俯いていたシンヤの隣に座り、今に至る。
「帰らないの?」
「……帰れないんだよ」
途切れた道は五m以上ありシンヤがジャンプしたとしても届かない。崖壁を伝ってということも考えたのだが、崩れれば崖底へと真っ逆さまだ。
地面にぶつかり肉片になった自身の姿を想像しては挑戦する気にもなれなかった。
「ふーん。じゃああたし行くね……」
「いやっ! ちょっと待ってっ! お願い」
興味が無くなったのか少女は立ち上がりお尻に着いた土を払う。思考を止めていたシンヤは我に返り焦るように少女の手を引く。
「えっ? あたしもう戻らないと……」
「ほんとお願いします。助けて下さい」
目の前の子供はどうみても十歳程度。そんな少女に助けてくれと懇願するのに抵抗は感じるものの、現状では他に方法が無い。あまりじっとしていては空を飛ぶ魔物に狙われかねないのだ。
アウラの助けも無く、武器の一つも持っていない今のシンヤでは簡単に殺されてしまう事だろう。
「でもあたしお兄さんを連れて飛べないよ?」
「誰か大人の人を呼んでくれると助かる」
他に選択肢が無いのだからと、シンヤは少女へと丁寧に頭を下げる。
「しょうがないなぁ」
「ありがとう。ほんと助か……っ?!」
渋々と言った様子ではあったが、鳥人の少女は了解してくれ、これで助かるとシンヤが顔を上げ頬を緩ませると、気配を感じた。
上空に視線を移すと、この里へと着いた時に襲ってきた翼竜のような魔物。
シンヤ達を獲物と認識したのか一直線にこちらへと向かって来ている。少女はまだ気づいておらず、シンヤに考えている余裕はない。
「あぶないっ!」
「えっ? ……きゃっ!!」
振り向こうとする少女を横っ飛びに攫うと少ない足場を転がる。だが、息を整えている暇は無い、魔物が空中を旋回するともう一度向かって来ていたのだ。
足場は少なく、武器もない。
「君っ!」
「……ひっ!?」
すぐの助けを期待できないシンヤは、まず空を飛べる鳥人の少女を逃がす事を考えるが、当の本人は怯えてしまっていて動けそうにも無かった。
「くそっ!」
翼と一体になっている鉤爪がシンヤ達に遅い来るが、それを再度飛んで躱す。しかし、そう何度も躱せるほど立っている場所は広くない。それがわかっているとでもいうのか、口を大きく広げた魔物は狭い地面に降り、距離を詰めてくる。
……おかしい。
飛び掛かってきた魔物の攻撃をシンヤは違和感を感じながら右側に入り込んで避ける。振り向いた魔物が尾を振るってくるが、その動きも目の端で捉えることが出来、しゃがんでやり過ごす。
視界がクリアだった。
武器も無く、アウラもいない。今のシンヤは素の力しか無いはず。
あの鋭い爪に切り裂かれれば、一撃で行動不能になってしまうだろう。それなのに、眼に見える魔物の動きを手に取るように把握することができる。
この魔物はこんなにも動きが遅かっただろうか?
違う。
動きが遅く感じる程にシンヤの身体が速く動けるようになっているのだ。
魔物は焦るように何度も噛みつき、爪を、尾を振るう。シンヤはその全てを、思考に没頭しながらでも捌くことが出来た。
これではまるでアウラに強化してもらっている状態ではないか。
慣れない身体能力の向上に戸惑いが生じる。だが、いつまでもここで踊っているわけにもいかない。幼い少女を小脇に抱えたままなのだから。
幾度目かの攻撃を躱した後、魔物が体勢を崩す。すかさずシンヤは拳を握りしめ、思いきりその顔を殴りつける。
振り抜いた拳から顎の骨を砕く感触がシンヤに伝わってきた。
一撃で魔物は白目を剥き、そのまま崖底へと落ちていく。シンヤはそれを見届けずに自身の拳を見ていた。
「す……すごーいっ! お兄さん強いんだねっ!」
「あ、ああ……怪我は、無いかい?」
「うん。ありがとうっ!」
少女の感嘆の声で視線を移すと、彼女は脇に抱えられたまま尊敬の眼差しを向けてきていた。抱えたまま動いていたので少し心配だったが、少女に怪我は無いようでシンヤはほっと胸を撫で降ろす。
少女を地面に立たせ、興奮する彼女が何かしら話ししてくるが、その声が頭に入ってこない。
アウラはいない。今までいくら声をかけても反応は無く、その存在を感じる事は出来なかった。
シンヤは自身の力で身体強化の魔法を使う事が出来ない。それはクロエにもアウラにも言われていたことだ。
ならばなぜ先ほどのような動きが可能だったのか?
疑問が頭の中を占拠していた。
「……じゃあ、誰か呼んでくるね」
「ああ、頼むよ……」
興奮の冷めた少女が、人を呼ぶ為に飛び立ち一人になったシンヤはもう一度掌を見つめた。
剣で魔物を殺す事は出来る。それはロニキスから習った剣術、才能が無いシンヤでも、弱い魔物であれば武器でもって対処できるようにと必死で覚えたから。
だが、魔物を殴りつけて倒す事など出来ないはずだった。まして動きが遅く感じる程の力の差など出るはずはないのだ。
「でも……」
まだ理解の出来ない身体の変化だったが、シンヤは薄く微笑む。
どんな力だろうと、あの男を殺せる可能性が上がったのだから。




