表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
羊飼いも山羊もいない  作者: 遊舵 郁
九月、祭りのころ
63/63

【59】暁の黄金(13)

 クイズ大会の後、随分と長い間校内に残っていたので辺りはもう暗い。

 俺、大町篤は街路灯に照らされた歩道を井沢景さんと一緒に駅へと向かって歩く。長い下り坂をゆっくり進みながら俺は話を始めた。

「学校の前庭にある桜の木々の中に幼い木が1本だけあって、その脇にこんな立札が立っているんだ。昨年に植樹されたらしい」

 そう言って、先ほどiPhoneで撮影した立て札の画像を井沢さんに見せる。


「友愛の桜 20XX年 2年生有志一同」


 井沢さんは立ち止まり、画面を凝視した。しばらくして、視線を前に向けると再び歩き出す。

「そんな木があったんだね。大町くん、いつ気付いたの?」

「入学式の前」

「そうなんだ。そのことを考えていたから大町くんは入学式の時に様子がおかしかったの?」

 いや、そうではない。俺が腑抜けていたのは遥香さんと出会ったからなのだが、それを口にする訳にはいかないので

「まあ、それも原因のひとつだな」

と誤魔化した。

 井沢さんは

「でも、2年生の有志が記念植樹って珍しいよね。普通は卒業記念としてクラス単位で行うとか、卒業生の有志が母校に寄贈の意味を込めてとか、そんな理由が多いんじゃないかな」

と俺が気になっていた論点に言及した。

「やっぱりそう思うよな。それがずっと引っかかっていたんだよ」

「なるほどね。それでさっきの脅迫文と関係があるんじゃないかと考えてみたんだね。でも、『あれほどの失敗』を記念して桜の木を植樹したりするかな?」

「確かにそうだ。普通は喜ばしいことがあった時にお祝いのために植樹をするもんな」

「うん。だから、今回の脅迫文と桜の植樹は関係ないんじゃない」

「やっぱりそうだよな。それはさておき、井沢さん、ごめんな」

「何のこと?」

「変なことに巻き込んじゃったからさ。帰りも遅くなったし」

と俺が謝ると、井沢さんは

「仕方ないよ。友達が困っていたら放っておけないし」

と間髪を容れず言い放つ。

 本当に良い友達を持ったものだ。俺は

「ありがとう」

と井沢さんにお礼を伝えた。すると井沢さんは

「お互い様だよ」

と答えた。


 しばらく黙って歩き、広い通りまで出ると右折して数分で地下鉄の駅に到着した。


 駅のホームには暁月高校の生徒が散見されたが、見知った顔はない。

 井沢さんは周囲をしきりと気にしている様子だ。

「誰かを探しているのか?」

と尋ねると

「知り合いがいないことを確認しているの」

と答える。俺にはその意味がよく分からなかった。


 

 5分ほど待って電車に乗る。それなりに乗客がいたが、ロングシートにふたり並んで座ることが出来た。近くに暁月高校の生徒はいない。


「そういえば、大町くんは去年の文化祭のパンフレットを持っていたことが以前にあったよね。もし良かったらあれを貸してくれないかな」

「いいよ。今ちょうど鞄に入っているから渡せるよ」

「なんでそんなものを持って来ているの?」

「今朝は寝坊しちゃってさ、慌てていたから今年のパンフレットと間違えて昨年のを鞄に入れちゃってたんだ」

「そういえば大町くん、今朝は来るのが遅かったもんね」


 俺は井沢さんに昨年の文化祭のパンフレットを渡した。


「役に立つのか?」

「分からない。でも、今回の事件の原因が昨年の9月に起きた何事かにあるのならば、文化祭が原因かも知れないでしょ。このパンフレットも重要な資料になると思う」

「それもそうだな。この一件が済むまで貸しておくよ」

「ありがとう」


 井沢さんは手渡した去年のパンフレットを鞄に収めた。


 電車がターミナル駅である中府駅に近づくにつれて徐々に乗客が増えて来た。

 

「あの手紙の最初の一文をどこかで見たことがある気がする。シェパードも山羊もいない、みたいな文のことね」

「もしかして、慣用句か何かなのかな?」

「さあ、どうだろう。ちょっとネットで調べるよ。うろ覚えだから、井沢さん、その文章を教えてくれる」


 井沢さんは写真フォルダーを開いて手紙を見返している。

 他の乗客から見られないように顔の前でiPhoneを操作している。


 拡大された写真を俺に示した。


"Here is neither shepherd nor goat."


 直訳すると、「ここにはシェパードも山羊もいない」となる。


 この一文についてインターネットで検索をかけた。残念ながら、有意義な情報は得られなかった。少なくとも慣用句や有名な書籍からの引用ではない。やはり、手紙に書かれてあったように手紙を送られた「あなた」が掲げた「目標」のようなものだったのだろう。

 

 この一文を俺は過去に読んだことがある。

 しばらく考えてその時のことをようやく思い出す。俺はこの一文から「暁月高校では犬や山羊のような動物を飼育されていないのだろう」と推測した。

 その時点ではうちの高校に飼育動物がいるかどうかを俺は知らなかったのだ。

 そのことから考えると、俺が以前に"Here is neither shepherd nor goat."という文章を目にしたのはまだ右も左も分からない入学したばかりの頃だったのではなかろうか。


 それが事実ならば、俺はどこでこの一文を目にしたのだろう。


 そこまで考えた時に

「大町くん、中府駅だよ。降りなきゃ」

と井沢さんから声をかけられて、慌てて下車する。


 考えることに集中しすぎて、危うく電車を乗り過ごすところだった。


 地下鉄の中府駅から私鉄の府島線の中府駅まで地下街をふたりで歩く。井沢さんは何か考えごとをしているようだったので、互いに無言だった。


 程なくして府島線の中府駅に到着する。ちょうど普通電車がホームに停車していた。

「時間がかかるけど空いているから普通電車に乗らない?」

と井沢さんが提案したので、俺も同意して普通電車に乗り込んだ。


 車両の中には乗客は少なく、俺と井沢さんはボックス席で向かい合って座ることが出来た。

 同じ車両に知った顔はいない。


 井沢さんも周りを見渡し

「知り合いはいないよね」

と俺に確認する。

「少なくとも中学の同級生はいないぞ」

と俺が答えると井沢さんはリラックスした表情になり

「なら良かった。話を続けようか。どこまで話しんだたっけ」

と切り出した。


「シェパードとか山羊のことだよ。飼育動物なんて学校にいない。今ならそんなことは当たり前だと分かっているんだけど、あの文を初めて読んだ時はわざわざ『学校に犬や山羊はいません』と書いてあることを俺は不思議に思わなかったんだ。だから俺が読んだのはうちの高校についての知識のない、入学して間もない頃だと思う。井沢さんは何か心あたりがないかな」

「私はこの文章をさっき体育館で初めて読んだ。これは確かだよ」

「そうか」

「それと文中に出て来る『シェパード』ってそういう種類の犬のことじゃなくて『羊飼い』のことじゃないかな?」


 そう指摘されて、俺はiPhoneの英和辞典アプリで”shepherd”という単語の意味を調べる。


 訳語としては井沢さんのいう通り「羊飼い」であり、そこから転じて「指導者」という意味もあるそうだ。知らなかった。


「なるほど、それで日本語の手紙では『リーダーがいない』、という表現になっていたのか。ということは『山羊』の意味するところは?」

「手紙にも書かれていた通り『スケープゴート』、つまり『犠牲者』という意味じゃないかな。


 井沢さんが「英語と日本語の文章でニュアンスが違う」と言っていたのはこのことだったのだろう。


 電車が中府駅を出発した。


「俺が入学したばかりの時期に目にしたものは何だ?配られたチラシか?校内に貼られたポスターか?」

「チラシなんてもらったかな?それにそんなポスターを見た記憶にないよ」

「じゃあ俺はどこで読んだのだろう」

「そういえば入学式の後でもらったパンフレットがあったよね。2年生の先輩が配ってくれたと思うんだけど、大町くんはあれを読んだ?」

「ああ、読んだよ。確か、部活関連と学校案内の2冊があったような気がする」

「私は読んでない。どうせオリエンテーションで説明を聞けるだろうって思ってて、実際にそうだったから。大町くんだけが読んでるから、もしかしたらそのパンフレットにその一文が書いてあったのかも知れないね。入学時の配布物は大事に取ってあるから確認しておくね」



 電車は一級河川の庄村川を渡り、中府市から田水辺郡へ入る。車窓に映る建物の灯りがまばらになっていく。

 途中の駅で通過列車を何本かやり過ごしてから普通電車はさらに各駅停車で進む。


 井沢さんはiPhoneでDINEを使ってお母さんに俺が家まで送っていくことを伝えていた。

 電車の客席では携帯電話で通話をしないのがマナーだから、DINEはこういう時に有用なツールなのだな、と改めて知った。




 伊那川駅に電車が到着する。


 改札を出たところにある地図で井沢さんの自宅の場所を確認する。


 井沢さんの家は伊那川駅の北側で少し離れたところにある北ノ小山団地という比較的新しい団地にある。

 俺の家は駅の南側に古くからある住宅地にある。

 駅からは線路を挟んで全くの反対方向である。



「それじゃ、行こうか」

と俺が促すと井沢さんは

「明日の朝に困るから、自転車を取りに行かないと」

と言って、駅の近くにある駐輪場へ向けて歩き出した。



 町営の駐輪場は駅のすぐ近くにある。屋外にある小さな屋根付きの自転車置き場である。だが、全体的に薄暗い。屋根に取り付けられた電灯が少なく、節電のためなのか故障なのか半分ほどの電灯がついていないからだ。


「ここで待ってて」

と言われたので俺は駐輪場の出入り口で待つ。


 井沢さんは奥の方へ進み自分の自転車のところまで来ると、iPhoneのライトを利用しつつ解錠をして自分の自転車を出した。


 この光景を目にして思う。つくづく今日は俺がついて来て良かった。利用者が少ない夜遅い時間帯ならばこの薄暗い駐輪場を利用する女性たちはさぞかし不安だろう。

 俺は出入り口にある看板を写真に撮った。後日そこに記された管理事務所の電話番号に苦情のひとつでも入れてやろうと俺は考えた。


「お待たせ」

と言われて我に返る。

「じゃあ、行こう。道は井沢さんに任せるよ」

と返事をして、俺は井沢さんと車道の間に身体を入れた。

「車道側を歩いてくれる男の人って本当にいるんだね」

と井沢さんが驚く。

 遥香さんとデートする時の習慣がごく自然に出ただけだが、そう伝える訳にもいかないので

「まあ、その方が良いだろうな、と考えただけだ」

とだけ答える。



 自転車を引いて歩く井沢さんと他愛ない話をしながら歩く。

 もうほとんどのお店が閉まっている駅前商店街を通り抜け、住宅と小さな工場が混在している地域を過ぎる。かれこれ20分以上歩いて集合住宅の立ち並ぶ一帯にやって来た。


 不意に井沢さんが

「結局のところ、あのメッセージは何だったんだろうね」

と尋ねた。俺は

「さっぱり分からない。でも、クイズ研でミーティングをしているはずだから『心あたりのある人』がはっきりして解決するんじゃないかな」

と答えた。井沢さんはしばらく考えてから

「そうなるといいんだけどね」

とため息混じりに言った。


 その集合住宅の前を通り過ぎると道は軽い登り坂になる。道の両脇には一軒家が立ち並ぶ。


「昨年の9月に何があったんだろう。その犠牲者になった彼女、って一体どんな人なんだろうね。在校生なんだよね」

「今の3年生の誰かだろうな。でも、俺は犠牲になった気の毒な人についてはあまり考えたくないよ。その人は最大の被害者だと思うから、そっとしておいてあげたい。本人だってもう忘れたいだろうし」

「大町くんらしいね。汐路先輩が表沙汰にしたくない、って言っていた理由もその配慮なんじゃないかな」

「言われてみればそうかも。ただ、今回の手紙の一件が大きな騒動にならなかったとしても謝罪は必要だと思う。誰かが過去にその人にとても辛い思いをさせたなら、なおさら俺は悪いことをした奴にはちゃんとその人に謝って欲しい」

「それだと、大町くんは脅迫文を送った犯人と同じ要求をしちゃっているよ」

「あっ、確かにそうだ。つい情に流されてしまった。しっかりしないといけないな」

「大町くんは優しいから気を付けないと」


 登り坂を上がったところにあるのが、北ノ小山団地である。伊那川町の中では比較的新しい団地で、伊那川町に中府市のベッドタウンとして住宅の需要が増したため、高台を住宅地に開発して造成された団地だ。町の外から移り住んだ人が多いらしい。

 井沢さんの家族はお母さんが伊那川町の出身で、井沢さんが小学校に入学するタイミングで北ノ小山団地に引っ越して来た、と教えてくれた。


 団地の中には同じような形の一戸建て住宅が並んでいる。俺には個々の家の区別がつかない。井沢さんは「ふたつ目の角を左」「ポストのある角を右」と指示しながら迷わず進む。夜間でも街路灯で照らされた明るい道を選んでいるようだ。


「ここだよ」

と示された家の門柱の表札には確かに「井沢」と記されていた。玄関には灯りが点っている。


 俺は無事に井沢さんを送り届けることが出来たのでホッとした。

「じゃあ、俺はここで」

と帰ろうとすると

「ちょっと待って。お母さんが大町くんに会ってお礼を言いたいみたい。玄関まで一緒に来て」

と思わぬ試練が与えられた。


 もしかしたら、井沢さんのお母さんからお礼を言われるだけでなく

「うちの娘を遅くまで連れ回して。何を考えているのですか」

と叱られたり

「娘とはどういう関係なのですか?」

と問い詰められたりするかも知れない。


 とはいえ、ここで逃げ帰る訳にはいかないので俺は覚悟を決めた。


 井沢さんに促されて俺は門を通り抜けて玄関の前に立つ。

「じゃあ、開けるね」

と言って、井沢さんは玄関のドアの持ち手を引いた。




(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ