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羊飼いも山羊もいない  作者: 遊舵 郁
九月、祭りのころ
50/63

【46】見よ、勝者は残る(1)

 文化祭の初日、1年D組のクラス演劇の公演は大好評を得て終わった。

 そんな安堵した気持ちで満たされている教室の中で私、井沢景は焦っていた。

 この後、体育館で開催されるクイズ大会「QUIZ ULTRA DAWN」に文芸部チームの一員として出場しないといけないのだが、終演後のカーテンコールが長引いたため、遅刻しそうだったのだ。


 事情を伝えて公演後のミーティングは失礼させてもらい、自分の台本と筆記用具とiPhoneを手にして教室の後方にある出入り口から廊下へ出た。

 すると、先程の公演を客席で観てくれた黒髪の小柄な女子生徒が出入り口を出てすぐのところにひとりで立っていた。

 十中八九、大町くんの出待ちなのだろう。ならば私には関係がない。そう考えたので私は彼女の前を素通りして荷物を収めるためロッカーへ向かった。

 その時だった。

「あの、、、景、、、さん」

と優しく、しかしながらよく通る美しい声で話しかけられた。

 何故私と面識のないこの人は私の名前を知っているのだろう?しかもファーストネームで。そんな疑問が一瞬脳裏をよぎったが、今は急いでいるので、自分に用がある人に手短かに対応することにした。


「はい。何か用ですか?」

 私がそう尋ねると、その人は少しだけ間を置いて

「大町くんの下の名前を教えて下さい」

と返した。

 やはり私の読み通り、この子は大町くんのファンだったか。最前列で見ていたくらいだから自明の理だ。

 でも、大町くんのファンなのに下の名前を知らないのは何故だろう?そもそも文化祭のパンフレットを見てくれれば「江神役:大町篤」と表記されているはずなのに。目視で確認したが、この子はパンフレットをちゃんと手に持っていた。


 私の頭の中には色々な疑問が湧き上がったが、悩んでいても答えは出ないし、何より私はとても急いでいるので、あれこれ考えずに素直にその問いに答えることにした。

「あつし。おおまちあつし、ですよ」


 すると、その子は驚いた様子になり、その後、優しい表情になった。彼女は両手をきゅっと結んでゆっくりと

「おおまちあつし。おおまちあつし。おおまちあつし」

と3回繰り返してその名前を復唱した。

 

 手を結んだ際に床にパンフレットが落ちてしまったのだが、そのことには気にも留めず、私を真っ直ぐに見つめたまま

「私の発音は合ってますか?」

と確認をした。


 発音も何も日本語なんだから、と謎は更に深まったが、私はただ

「はい。合ってますよ」

とだけ答えた。


 それに満足したのか、その女子生徒は控えめな笑みを浮かべて

「ありがとうございます」

と礼を述べてから、ぎこちなくお辞儀をして、その後にしゃがんで床に落ちた自分のパンフレットを拾うとその場を去った。



 今のやりとりは一体なんだったのだろう?

 とうとう大町くんは信仰の対象にまでなってしまったのだろうか?

 分からないことだらけだ。


 だが、すぐに我に帰り、台本や筆記用具をロッカーに入れて、私は体育館へと移動した。



 クイズ大会は本日最後のイベントなので、参加者なのか観客なのか区別はできないけれど、たくさんの生徒たちが体育館を目指して廊下を移動していた。私はその人の流れに身を任せた。

 こんなに混み合った廊下を走るのは危険だし、第一、私は走るのがとても遅いのだ。焦っても仕方ない。



 程なく校舎から通路でつながった体育館の北側の通路に到着する。

 体育館の真ん中にある入り口の横には「出場選手はこちらへ」と手書きで書かれた案内板があった。一方、黄色い法被(はっぴ)を着た生徒が「観客の皆さんは後ろ側の入り口からどうぞ」というプラカードを持っていた。そのプラカードが私以外のほとんどの生徒たちを体育館後方の入り口へと導いていた。

 案内役の生徒が着ていた法被には背中に「QUIZ ULTRA DAWN」の文字がプリントされていたからきっとクイズ研究部の部員なのだろう。


 私は大会参加者なので、真ん中の入り口から入った。

 入り口の近くに会議室用の長机が置かれていて、そこには同じ法被を着た男子生徒と自治委員であることを示す赤い腕章をした女子生徒が座っていた。


 早速、法被を着た男子生徒から

「出場者ですか?」

と尋ねられた。

 確か大会へのエントリーは須坂くんと稜子ちゃんがやってくれているはずだったのだが、私の受付はまだなのかも知れない。

「はい。チーム文芸部の井沢です」

と答えると、その男子生徒は

「え~っと。チーム文芸部はもうエントリー済みですね」

と答えて、出場者リスト私の名前の横に記入されていた「△」を二重線で消して「○」を書いた。

「これはネームプレートです。大会中は常に身につけていて下さい。大会が終わったら回収しますので大事に扱って下さい。来年も使いますから」

と注意事項を添えて、私にネームプレートを渡した。


 ネームプレートはプラスチック製で紙を差し込んで使用するもので


 ーーーーーーーーーー

  30:チーム文芸部

  1-D:井沢景   

 ーーーーーーーーーー


と手書きで表記されていた。


 落として無くさないようにその場で紐を首にかけた。紐が少し長いから調整しようかな、などと考えていると、今度は隣に座る自治委員の女子生徒から

「携帯電話や電卓や筆記用具やメモなどは持ち込めません。自治会が責任を持って預かります」

と指示を受けた。

 私はその場で持ち物検査を受け、結果として自治委員の生徒にiPhoneを預けた。


 彼女は付箋に私の名前を記入して貼付して、「30番:チーム文芸部」というラベルの貼られた紙の収納ボックスに収めた。

 その箱の中には須坂くんと稜子ちゃんの私物も収められているのだろう。



 こうして参加手続きを終えるとようやく自分がこのクイズ大会の参加者の一員なのだという実感が湧き、緊張して来たのと同時に気分が高揚した。


「待機位置まで案内するね」

と背後から声をかけられて振り向くと、法被を着た女子生徒がいた。

「はい」

と私が答えると

「ついて来て」

と私を伴って体育館の真ん中を横断して、下手側の壁の方へ向かった。



 そのクイズ研究部の人はゆっくり歩いてくれたので、私は改めて会場内を見渡す。


 舞台の上には下手側~中央あたりに解答者席が5つある。

 きっと勝ち残ったチームはあそこで戦うのだろう。


 舞台の上手側には長い会議用テーブルがあり、その前面に「審査委員長」「アシスタント」と書かれた紙が貼られている。アシスタントの席の方が解答者席に近い。

 また解答者席と長テーブルの間にはホワイトボードが置かれてある。まだ何も書かれていないが、クイズで使うのだろう。


 舞台の背部には未来っぽい雰囲気の構造物の書き割りが置かれていて、どことなく昔のクイズ番組を彷彿とさせる。


 視線を落とすと、体育館の舞台に近い半分には床にシートが貼られていて、下手側の半分に「○」、上手側の半分に「X」と大きく描かれている。ビニールテープを使ったのであろうか?

 ○Xクイズが行われるのは確実だろう。



 予想していたよりも遥かに本格的なイベントなので私はしばらく呆気に取られた。



 私たちが歩いている体育館の真ん中の辺りには「スタッフ」書かれた腕章をつけた生徒たちが一列に並んで立っていて

「ここから先は立ち入り禁止です」

「そこの3人、もう少し下がって」

というような指示をしている。


 法被を着ていないし赤い腕章もしていないのでクイズ研究部の部員でも自治会の生徒でもなさそうだ。

 あの人たちは誰なんだろう?


 さらに歩を進めると、体育館の中央部の下手側には桑村先輩と汐路先輩の姿があった。

 桑村先輩は黒いポシェットを肩に掛けていて、ちょうど水筒のコップに口をつけて喉を潤しているところだった。一方、汐路先輩は大きめのショルダーバッグと2リットル入りのペットボトルの麦茶を足元に置き、観客席側に向かって

「全体的にもう少し前に詰めてくれ」

と指示を出していた。ちなみに汐路先輩の鞄の色は黒だった。


 この一致は偶然ではないのではなかろうか?

 私が知らないだけで、実はこの「美女と野獣」カップルは公認の間柄なのかも知れない。

 


 「スタッフ」たちや汐路先輩が指示を出してコントロールしようとしているのが、体育館の後ろ半分に集ったたくさんの観客たちだ。

 既に結構な数の生徒がいるけれど、汐路先輩の指示から察するにこれからさらに観戦者が詰めかけるのだろう。


 前の方の場所を確保した生徒たちが楽しそうに話しているのが聞こえる。

「今年もやっぱ、あいつらが優勝するのかな?」

「剣道部の作石さんがリベンジするよ」

「小牧先輩が出るらしいぞ」

「今年はドリームチームが出るらしいからあそこが本命じゃね?」

「優勝チームとクイズ研で対決して欲しいよな」

 そんな風に盛り上がっていた。



 みんながあまりに楽しそうなので、私もやはり出る側でなく、応援する側にいたかったなあ、などという感情が湧き起こり、この期に及んで往生際の悪いことだ、と少し反省した。


 私がそんなふうに呆けたりぼんやり考えたりした姿を見て、案内役の生徒は笑顔で

「1年生の子はみんな驚くよね。私もそうだったもん。もうすぐ始まっちゃうから楽しんでね」

と励ましてくれた。


 体育館の舞台の下手側の舞台袖への入り口から伸びている列を指差して

「あの列にエントリーナンバー順に並んで待ってもらってます」

と教えてくれた。

 うちのチームはエントリーナンバーが30番で最後だ。

 探すまでもなく最後尾にいる須坂くんと稜子ちゃんが私に向けて手を振っている。


「合流出来たね。それじゃあ、頑張ってね」

と最後にもう一押し励ましてくれた案内役の生徒に

「ありがとうございます」

と私はお礼を言ってから深くお辞儀をした。


 彼女は小さく手を振って去って行った。


「井沢さん、間に合って良かったね」

と須坂くんは言う。稜子ちゃんから

「クラスのお芝居の方は大丈夫だったんですね」

と訊かれたので、私は

「大丈夫だったよ。ふたりと合流出来て良かった。私が遅刻したせいで失格になったらひかりちゃんに悪いもんね」

と答えた。


「入り口のところで井沢さんを待とうと思ったんだけど、こっちに連れて来られちゃってさ。困らなかったよね?」

と須坂くんから心配されたが、問題なく案内されたので、そう伝えた。


 須坂くんは続けて

「3人一組で30チームだから全部で90人。流石に最後の方のチームははみ出ちゃうよね。まあ、そのおかげで井沢さんにすぐ見つけてもらえたんだけど」

と状況を説明してくれた。


「こんなに規模の大きいクイズ大会に参加出来るのは嬉しいなあ。思いっ切り楽しまないとね」

と須坂くんは笑顔だ。そして

「それに、こういうのも嬉しいよね」

と自分のネームプレートを示した。


 ーーーーーーーーーー

  30:チーム文芸部

  1-F:須坂公太 ☆ 

 ーーーーーーーーーー


 稜子ちゃんも自分のネームプレートを手で持って確認していた。


 ーーーーーーーーーー

  30:チーム文芸部

  1-A:筑間稜子   

 ーーーーーーーーーー



 ふたりのネームプレートも私のものと同じだった。

 エントリーナンバー、チーム名、クラス、氏名が明記されている。

 ただ一点違うのは須坂くんのネームプレートだけ金色の星印のシールが貼ってあること。

 恐らくはチームリーダーの証なのだろう。


 須坂くんはペットボトルの紅茶を、稜子ちゃんは水筒を持参していた。

 私は水筒をロッカーに置いて来てしまった。今更取りに戻れないから仕方ない。


「会場の雰囲気は本格的だね」

と私がこの大会の印象を伝えると、須坂くんは

「うん。『暁月の文化祭は学内のクイズ大会が凄い』っていう噂を聞いてたからずっと出たかったんだよ」

と答える。私にとってクイズ大会は重荷であるが、チーム文芸部の結成によって須坂くんの望みが叶ったならば友人として良しとしよう。




 私は先ほど気になったことを須坂くんに訊いてみた。

 体育館の中央部に並んでいる「スタッフ」という腕章をつけた生徒たちを指差して

「あそこで会場整理をしている、自治会でもクイズ研究部でもない人たちは何?」

 須坂くんは自治委員なのだ。私よりは事情に詳しいはずだ。



「あの人たちは部長連が出した有志だよ。クイズ研究部の部員だけではこれだけ大きなイベントをコントロールするのは無理だから毎年応援を出しているみたい。そもそもQUIZ ULTRA DAWNはクイズ研究部が主催しているイベントだから自治委員の管轄外なんだよ」

と須坂くんは事もなげに答えた。

 それで部長連代表の桑村先輩が会場にいる訳が理解出来た。第四回公演後に1年D組の教室で、部長連の用事がある、と言っていたのはこのことだったのだ。

 須坂くんは続けた。

「とはいえ、貴重品の保護管理なんかでは自治会が協力しているみたいだね。いい連携だと思うよ。ほらあそこ」

と須坂くんが指を刺した上手の前の方を見る。

 自治会長の小諸先輩が赤っぽい色のクリップボードを手に何やら書き込みながら周りにいる自治委員に指示を出している。恐らくイベント進行についての書類やチェックシートを確認しながら対応しているのだろう。


 須坂くんはこうして私の疑問に答えてくれたが、その一方で、稜子ちゃんはずっとひとりで何やら指折り数えながら考え事をしている。


 気になったので観察していると稜子ちゃんと目があったので

「何か気がかりなこととかあるの?」

と私は声をかけた。稜子ちゃんはなおも指折り数えながら

「はい。まだしっかり覚えられなくて困っているんです。須坂くんに教えていただいたのは、確定点、パラレル問題、読ませ押し、と後は何がありましたか?」

と困った表情で須坂くんに質問した。

 話していることの意味が全く分からない。


 須坂くんは驚いて

「筑間さん、そんなに真剣に思い詰めなくても良いよ。その3つをすぐに理解しただけで十分だから」

と諭した。

 稜子ちゃんはやや柔和な表情に戻り

「分かりました。初心者ですもんね」

と返事をした。


 私には相変わらず話している内容がさっぱり分からなかったので

「何の話をしているの?」

と尋ねると、須坂くんは

「早押しクイズの対策だよ。ここで待っている間に筑間さんと競技クイズの話をしていたら、話の流れでね」

と嬉しそうに言い、稜子ちゃんは

「丁寧に教えて頂いたのですが本当に理解できているか分かりません。私に出来る範囲で頑張ってみます」

と前向きな姿勢を示した。


 どうやらふたりとも張り切っているようだ。

 場の雰囲気に気圧されている私とは大違いだ。



 その時だった。

「あっ、筑間さんも出るの?」

と女の子の声がしたので、声のする方を振り向くと、恐らくバレーボールのユニフォームと思しき服装のすらっと背の高い女子生徒の姿が目に入った。女子バレー部に知り合いはいないはずだが、この子には見覚えがある。

「はい」

と稜子ちゃんが答えると、その女子生徒は

「このメンバーってことは文芸部なんだね。お互い頑張ろうね」

と言い残して去って行った。


 え~っと、あの子は誰だったっけ?

 

 私がもどかしく悩んでいると、法被を着た男子生徒が

「1年D組の井沢さん。居ますか?」

と声をかけてながら出場者たちの列の横を歩いていた。

 前方から歩いてくる姿を視認したが、私の知らない人だ。それでも私を探しているので

「はい。私です」

と答えて手を振った。

 すると、その人は手にしたコンビニのビニール袋を広げて

「間に合って良かった。どちらか選んでよ」

と勧めてくれた。ペットボトルの緑茶とミネラルウォーターが入っていた。知らない人から飲み物を勧められる理由が分からず、私が躊躇していると

「上田に頼まれたんだよ。どうぞ。礼ならあいつに」

と差し入れが届いた理由を説明してくれた。私は、上田くんからならば、と緑茶を選び

「わざわざ持って来てくれて、どうもありがとうございます」

とお礼を伝えた。


「じゃあ、もう一本も届けてくるわ」

と言って、その人は去って行き、やがて体育館前方の上手側の出入り口の中へ消えた。



 私は早速、受け取ったペットボトルの蓋を開けて緑茶を飲んで一息ついた。

 すると今度は聞き覚えのある男子生徒の声で

「おっ!景も出るのか?」

と声をかけられた。

 今回は相手の方が私の視界に入って来てくれた。

 坂木悠先輩だった。

 先ほど1年D組の教室周辺で会った時とは異なり、トレーニングウェア姿だった。

 胸元のネームプレートには、チーム水泳部、と書かれてある。

 

「はい。なんというか、成り行きで出ることになりました」

と答えると、坂木先輩は気まずそうに

「あ~、まあ、後で久保ちゃんに怒られそうだけど、文化祭が終わってから伝えれば良いかな?」

と柄にもなくボソボソと小声で言った。

「久保ちゃん先輩に何かあったんですか?」

と私が尋ねると、坂木先輩は

「元々は久保ちゃんは俺たちチーム水泳部の応援に来るつもりだったんだけど、1年D組のクラス演劇を観てスイッチが入ったみたいで『明日に備える』って早々に帰宅したんだよ」

と答えた。

 久保先輩は昨年の文化祭で伝説を残した人で、今年は文芸部の岡谷先輩が脚本の改稿を行ったクラスの演劇で主役を務める。

 そんな久保先輩であれば明日の大事な舞台に備えて今日は早めに帰宅するというのは妥当な判断だろう。

「それは当然の判断だと思いますが、どうして坂木先輩が困るんですか?」

と私が尋ねると、坂木先輩は

「久保ちゃんは景のことがかなり気に入ったみたいで、もしも『景がクイズ大会に出場する』って分かってたら判断が変わっていたかも知れないな、って」

と答えた。


 2年生のクラス演劇で主演女優としてグランプリを目指すために休息を取ることと私なんかの無様な姿を見ることを秤にかけるのはおかしい。


 第一、坂木先輩は久保先輩の、いわゆる彼氏さんなんでしょ?彼氏の勇姿はさっさと切り捨てるのに私なんかのことをなんで重要視するの?


 訳が分からない。


 そんな風に懊悩していると、前方から

「坂木!早くしろ!」

と怒鳴る声がした。

 声のする方を見ると体育館の舞台袖に繋がる出入り口のそばに、坂木先輩と同じトレーニングウェアを着た男子生徒が腕組みをして立っていた。


 坂木先輩は涼しい顔でそちらに手を振ると

「俺が最後だったんで、すぐ始まるぞ。景も頑張れよ」

と言い残して小走りでドアの奥へ消えて行った。



 程なくして、場内にブザーの音が鳴り響く。

 開演の合図だ。


 この合図を受けてざわついていた場内が静まり返る。


 私も思わず息を呑む。


 そして、その静寂を切り裂くように、金管楽器の奏でるファンファーレのような音楽が大音量で流れて来た。


 場内の生徒たちがどよめき、大きな拍手が起こった。

 後方にいる観客たちが大声で何やら叫んでいるのも分かった。


 だが私が一番驚いたのは、私のすぐ隣にいる人の反応だった。

「待ってました!」

と須坂くんは大きな声を出した。

 それは確か落語や歌舞伎で使う掛け声じゃなかったっけ?そもそも、須坂くんに教えてもらった知識なんだけどね。



 だが、その掛け声に釣られてか、私たちの前に並んでいる出場者の皆さんも

「俺たちも負けねえぞ!」

「がんばろうね〜!」

「やっと、出れたぞ〜!」

「燃えてきたぜ〜!」

というように思いの丈をぶつけ始めた。



 それに呼応してか、後ろの観客の皆さんからは

「みんな頑張れよ〜!」

「頑張ってね〜!」

と応援する声が届いた。


 やっぱり、お祭りっていいなあ、と感じた。

 私も何か声に出してみようかな、と思ったのだが、言うべき言葉が見つからないまま音楽は終盤に差し掛かり、金管楽器による耳をつん裂くような高い音のソロパートで曲が終わって、場内に再び静寂が訪れた。


 我ながら鈍臭い。

 危うく静まり返ったタイミングでひとりだけ叫んでいる、という醜態を晒すところだった。


 思わず視線を落とす。


 だが、すぐに須坂くんの

「ついに始まる」

という独り言が耳に入ったので、視線を舞台に戻した。


 上手側の舞台袖から制服の上に黄色い法被を着た男子生徒がマイクを持って舞台に上がり、中央で立ち止まる。


 彼は叫ぶ。

「ニューヨークへ行きたいか〜!」


 すると、場内から一斉に

「お〜!」

と声が上がる。

 私はこれにも乗り遅れた。


 開始前からこの体たらくでは先が思いやられる。独りでの参加であったらこのまま心が落ち込むばかりだっただろう。

 だが、今は違う。この大会を心から楽しんでいる須坂くんが隣にいるおかげで、あまり難しいことを考えずに自分なりに楽しもうと私は気持ちを切り替えることが出来そうだた。


 民謡にも歌われているではないか。


 踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々




(続く)

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