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羊飼いも山羊もいない  作者: 遊舵 郁
九月、祭りのころ
40/63

【36】春蘭の異邦人:chapitre premier

 暁月高校の文化祭では、1年生は教室で演劇を披露する。


 私、遠見(とおみ)咲乃(さくの)が在籍する1年A組は少し前に日本でも大ヒットした海外の有名アニメーション・スタジオが制作したミュージカル映画を実写舞台化して上演することになっている。


 話を少し前に戻す。

 夏休み前にクラスで上演する作品を決める話し合いがあった。

 

 最初に発言したクラスの中心的な立場の男子生徒がそのミュージカルアニメ映画を推薦した。

 他にも2名の生徒が教室のような小さな劇場で少人数の役者で上演するのに適した日本の劇団の作品をそれぞれ自分で探して来て実際の脚本と自らまとめた梗概(こうがい)まで用意して持参しクラスのみんなに提案した。

 しかしながら、大多数の生徒はその梗概まで用意された2作品については議論しようとはせず、最初に提案されたアニメ作品をミュージカルとして舞台で上演しようというアイデアに関してばかり発言して賛同し、クラスの多数派として意思を固めた。


 自分で脚本を選んできた2人の生徒たちは口々に

「せめて、候補に挙げた作品の台本をみんなに読んでもらってから決めようよ」

と上演作品を決定する上で当然ながら必要である作品の内容の吟味をする機会を求めた。

 だが、ミュージカルを推す生徒の何人かは

「みんなが知らない地味な作品を選ぶよりもこのアニメ映画の方が遥かに人気がある作品だから観に来てくれるお客さんも喜ぶはずだ。

 何より演じる側だって好きな作品を選んだ方が楽しいし、みんなが知っている有名な作品の方が得票が多くてテアトル大賞が狙いやすいだろう」

という自分たちの勝手な想像をさもこの世界で正しいと認められた事実であるかのように語り始め、その作品のファンの生徒たちもその自分たちに都合の良い未来予想に賛同し、アニメ映画を実際に舞台で上演するための具体的な方策を考える前に上演作品が決定した。




 私はアニメーション作品を観ないのでその映画を一度も観ていないのだが、その作品が日本だけでなく世界中でヒットしていることは知識として知っている。


 だから何なのだ?

 一流のプロのクリエイターや役者たちが作り上げた作品を観て、同じことを自分たちにも出来るだろうと考えているのだろうか?

 傲慢にも程がある。

 そもそも上演台本はどうするのだ。もしかしたら映画のスクリーンプレイが発売されているかも知れない。しかしながら尺の問題がある。1年生のクラス演劇は長さが1時間程度、と伝統的に決まっているはずだ。

 私は実際にその映画を観た訳ではないから詳しくは知らないが、劇場映画なのだから作品の上演時間は1時間半から2時間くらいはあるだろう。

 上演時間を調整するための脚本の圧縮作業は一体誰がやるのだ?それはプロの脚本家にとっても難しい作業のはずである。

 そもそも勝手に脚本を圧縮して改変などしては自分たちが愛する作品に対する侮辱に当たるとは考えないのだろうか?

 それに加えてこの作品の重要なポイントはミュージカルであることだ。

 最大の見せ場である肝心の歌唱はどうするのだろう?

 私は合唱部に所属しているが、このクラスに合唱部員は私以外にいない。例え合唱部員がいたとしてもとてもこの短い準備期間で音域が広く技術的にも難しいミュージカルの楽曲をひとりで歌いこなせるまでになるとは思えない。

 実際のミュージカル業界で舞台に上がることのできるレベルに到達するまでにプロのミュージカル俳優たちが日々絶え間ない研鑽を積んでいるという基本的な事実すらまさか知らない訳ではあるまい。




 私の頭に浮かんだ数え切れないほどの不安要素はひとつとして議題に登ることもなくその場の勢いだけで文化祭のクラス演劇の上演作品はそのミュージカルにあっさり決まってしまったのだった。


 私はあまりに思慮浅いクラスの多数派の生徒たちに絶望した。


 結果として相手にすらされなかった、別の2つの演劇作品を候補として推していた生徒たちもやりどころのない怒りを抱えているだろうに、結局は何も言わずに教室から出て行った。


 誰も教室を出て行ったクラスメイトたちを引き止めようとせず、残ったメンバーだけでスタッフやキャストを決めることになった。



 クラスの中にも私が合唱部であることを知っている生徒もいたはずだが、誰も私をキャストに推薦する者はいなかった。この私と一緒に舞台を作り上げたいと考える者などいないだろうから当然だ。

 このクラスの中で唯一と言っていい私の友人の筑間稜子も私をキャストとして推薦したりはしなかった。

 私には稜子にも隠している秘密があるのだがその秘密を知っている者はこの学校にはひとりもいないので、私はそのまま歴史の傍観者としてことの成り行きを見守った。


 まず舞台監督には最初にこの作品を上演したいと言い出した生徒が

「もちろん舞台監督は俺がやる。みんな俺について来いよ」

と当たり前のように名乗り出て、反対意見も出なかったため承認された。


 さて脚本家をどうするのか?

 1番の問題はそこである。

 すでに映像作品としてのアニメ映画はあるが、それを1時間程度の、おそらくはさほど場面変換の出来ない舞台演劇に作り替えないといけないのだ。


 良い脚本を書くには才能と修錬の両方が必要である。

 文芸部員の稜子に白羽の矢が立たないことを願っていたが、それも杞憂に終わった。


「私、その映画ならもう数え切れないくらい観てるから、舞台用の台本を書く係をやってもいいよ」

とひとりの女子生徒が立候補した。

 舞台監督に決まった生徒が

「今まで脚本を書いたことある?」

と当たり前の質問をした。

 すると脚本家候補はあっさり言ってのけた。

「もちろん一度もないわよ。

 私、その映画のノベライズも読んでるしまだ持ってるから、映画のBlu-rayと小説版から良いシーンを選び出して台本を書くだけになると思うけどダメかな?」

 

 舞台監督は

「ああ、そう。小説版があるならBlu-rayだけよりも台本を書くのが簡単そうだな。

 じゃあ、決まりだな」

と軽く言い放つ。

 他に立候補者もいないので脚本担当も決まった。


 みんな分かっていない。

 脚本の圧縮も、小説の戯曲化も、いずれもプロの脚本家がやっても難しい仕事なのだ。

 

 脚本を執筆した経験のない学生が簡単に出来るような作業ではないのだ。


 そもそも脚本は小説よりも制約が多くて難しいのだ。

 


 私は全くの無名の学生と思われる人物が書き上げた素晴らしい脚本をひとつだけ知っている。

 だが、あれは奇跡の一作なのだ。

 あんな特別な作品が凡庸な人間に書けてたまるか!


 もしかしたらうちのクラスの脚本担当の生徒も優れた才能の持ち主かも知れない。


 しかし、すでに「あの脚本」を知ってしまっている私の前では霞んでしまうに違いない。




 舞台監督と脚本担当が決まり、キャストを決める段になると、その作品を好きな生徒たちが

「私はお姉さんの方の役をやりたい!あの歌を歌いたいの」

「じゃあ、私は妹の役やるね」

などと言った軽いノリで次々に立候補していき、対立候補が出ることもなくまるで前もって計画されていたかのように速やかに配役が確定した。恐らく原作映画に登場している全てのキャラクターに配役されていたのではなかろうか?

 狭い教室の舞台での1時間の演劇で10人以上の登場人物を出したら演劇として破綻することくらい予想できないのか? 


 

 続けて音響係、大道具係、小道具係、会場整理係、宣伝担当者などは元々数の多い男子生徒を中心にすんなりと決まり、私や稜子を含めたまだ役割の決まっていない女子生徒たちは自動的に衣装係に振り分けられた。

 服飾関係は女性の仕事、と短絡的に考えているクラスの中心の男子生徒たちに「あなたたちは世界のファッション業界にどれだけ男性のデザイナーがいるか知らないのですか?」と一言くらいは苦言を呈したい気持ちもあったが、稜子も含めた他の女子生徒が無言で了承しているので私だけ意見しても仕方あるまい。

 私は言葉を飲み込んだ。




 私は昔からオペラが好きなのだが、ミュージカルは全く観ない。芸術性の優劣を論じたい訳ではなく単に私の嗜好の問題だ。

 このアニメ作品は確かアメリカのミュージカル映画だったはずだから本来ならば英語の歌詞に合わせて作られた楽曲なのに、日本では日本語吹き替え版の評判が良い。アニメ映画ということで小さなお子さんを連れた親子連れも鑑賞するだろうから当然ではある。

 しかしながら私はお芝居の台詞だけでなく、歌唱まで日本語で行ってしまうミュージカルの流儀に些かの違和感を覚える。日本語で歌われるオペラの「椿姫」や「ラ・ボエーム」を想像できないからである。それとて、オペラとミュージカルは違う、というただそれだけのことかも知れないが。

 そもそも英語でミュージカルソングを歌い上げることのできる生徒はかなり限られてくるだろうし、お客さんの中にも日本語吹き替え版で映画を鑑賞してファンになった人もそれなりにいると思うのでお客さんからの評価を重視すると全編日本語、という方針も必然なのかも知れない。


 


 早速、舞台監督と脚本担当、キャスト陣が顔合わせをしている。

 彼らの話している内容が聞こえてくる。


「どうせなら、歌はやっぱり英語にしない?」

「無理だよ。私、英語は全く話せないもん」

「え〜、だって2年前に英語部の小牧先輩が1年のクラス演劇でミュージカルをやった時には英語で全ての曲を歌ったって聞いたよ」

「小牧先輩は特別だから、私を伝説の人と一緒にしないで」

 笑い声を交えながら楽しそうに話している。

 

 


 もう放っておこう。

 私は関与しないことに決めた。



 衣装係の打ち合わせもあった。

 まだ舞台監督から何の演出プランも提示されていないのに手芸部員の生徒がスケッチブックを取り出してデザイン画を描き始めた。

「あの作品のことならもう十分理解しているから既に大体はキャラクターの衣装のイメージできてるの。デザインは任せてね。

 演出サイドからデザイン案にOKが出たら生地も買ってきて部室のミシンで縫っちゃうから大丈夫。

 キャストの採寸と衣装合わせの時だけは人手がいるから手伝いをお願いするわね」

と勝手にひとりで仕切り出した。


 衣装係の中でも私はほとんど必要とされていなかった。

 稜子はなんとか笑顔を保っていた。彼女は本当に心が強い。




 夏休みの間は、私は文化祭での発表に向けた合唱部の練習に参加した以外は多くの時間を自分のために使うことが出来た。

 自らに課したいくつかの個人的な目標を達成することも出来たので、実りの多い夏休みであったと自負している。




 8月の下旬、夏休みの終わりにクラス全員に招集がかかり、ゲネプロと称して通し稽古が行われた。

 文化祭で組まれることになる舞台セットもこの日は実際に教室内で組まれた。

 たくさんのお客さんを収容するために可能な限りたくさんの客席を設置することを重視したため、舞台には十分な広さが与えられなかった。

 多数の演者が狭い舞台上で一列に並んで立ち、演技とはとても呼べないレベルのなんとなくの身振り手振りをしながら、まるでオペラの演奏会型式の公演のように与えられた立ち位置に立ったままで台詞と歌を披露していた。


 これではまるで就学前の小さな子供たちのお遊戯の発表会ではないか。

 私の悪い予感は的中した。


 ミュージカル作品なのに演者の声量も足らず、母国語の日本語での上演だというのに台詞の発音も曖昧で聴き取りにくい。

 キャストのみんなはちゃんと基礎的な発声練習やボイストレーニングはしたのだろうか?


 私はこの茶番を見るに耐えなくて途中で席を何度も立ちかけたが、これ以上クラスの中で悪目立ちしてしまうのは良くないだろうと考えて最後まで我慢してその場に座り続けた。ただただ退屈で不快で新手の拷問のようであった。



 原作映画は100分くらいの上演時間なのをなんとか半分の50分にまとめました、と脚本担当の生徒は自慢げに語っていたのだが、私のようにこの作品を初めて観る者からすれば物語の筋が全く分からず、見せ場と演者が歌いたい楽曲の出てくるシーンだけを繋いだ見るも無残な継ぎ接ぎとしか評価できない代物だった。

 それでも多くの生徒たちは

「よく仕上がったと思う。これでテアトル大賞はもらったな」

と喜んでいた。



 所詮は芸術学校ではない普通科の高校生のクラス発表の演劇なのだ。

 この程度のものだろうと私は諦めることにした。

 うちの学校の文化祭の程度も知れた。何も期待しないことにした。




 夏休みが明けると実力試験があり、その後にいよいよ学校祭が始まる。



 学校祭はうちの高校では暁月(あかつき)祭と呼ぶらしいが、その暁月祭の初日は体育祭だった。

 私は運動が得意ではないので雨でも降らないかと願ったが、その願いは皮肉にも体育祭の数日前に叶ってしまい中府(なかくら)市は記録的な豪雨に見舞われた。その翌日から天候は改善し、体育祭の当日は快晴となった。


 

 私よりも誕生日が早い同い年のいとこである従姉(じゅうし)の遠見有希は私とは違い運動が得意なので、私は有希のことをずっと羨ましく思い続けている。

 有希は体育祭では1年D組の代表選手として障害物レースに出場して3位に入っていた。最後のハードルに足を引っ掛けていなければ1位を取れたかも知れない。あんな難しそうな競技に出ている有希は本当に凄いと思う。有希のようになりたい、そう憧れたところで私には到底叶わない願いである。




 いくつかの競技が終わった後、私の出場する借り物競走が始まった。

 私は運動が苦手なことをクラスのみんながなんとなく察してくれてこの種目にエントリーすることを許してくれた。この点については感謝したい。


 私は1年女子の1組目のレースに出場する。

 スタートラインに立つと耳を塞いでスターターピストルの大きな音から耳を守った。

 私にとって耳はとても大切なのだ。


 競技の概要は、スタートラインからトラックをしばらく走ってコース上に置かれている机の上に並べられた封筒に中からひとつを選んで審査委員のところへ行って開封してもらいお題が書かれた紙を持って目的の物や人を手に入れてまた審査委員の元へ戻り合格判定をもらえばゴールとなる。判定が不合格ならばまたお題の品を探しに走る。

 至って単純な競技だが私は走るのが苦手なので大変だ。

 


 スタートを切って走り出し、机に到達した。今日もいつも通り私の足は遅かったが、机には封筒がまだ2つ残っていた。確認のために後ろを振り返ると、私より遅れて走ってくる女子生徒がいる。まさかこの私より走るのが遅い人間がこの世の中にいるとは予想していなかったのでとても驚いた。


 私はひとつの封筒を選んで審査委員の前に出来た列に並ぶ。程なく自分の順番が来て封筒を開けてもらう。

 審査委員が封筒の中から取り出した紙に書かれていたのが「サッカーボール」というお題だった。


 体育祭ではサッカーボールを使用する競技がないはずなので困った。

 グラウンドでサッカーをしている生徒も見かけなかった。

 どうしようか考えながら、とりあえずA組ブロックの席まで言って誰かに相談することにした。

 頼る相手として真っ先に頭に浮かんだのが稜子だったのだが、生憎と見当たらない。確か稜子は借り物競走の次に行われる部活対抗リレーに出場する予定だと話していたからその準備に行ってしまったのだろう。


 私が途方に暮れていると、それを見かねた2年生の女子の先輩が声をかけてくれた。体操着のゼッケンを見ながら

「遠見さん、一体どんなお題だったの?」

と尋ねてくれたので、紙に書かれた「サッカーボール」というお題を見せた。

 するとその先輩は

「誰か、サッカー部の男子!大至急サッカーボールを用意して!」

と周りに声をかけてくれて、それに応じた全く見知らぬ2年生の男子生徒が体育倉庫の方へ走っていく。


 しばらくすると、体育倉庫のある遠くの方から

「おーい、受け取ってくれ」

とこちらに向けて大声で叫んでからボールを大きく蹴り出した。

 サッカー部の生徒なのだろう、ボールは見事にまっすぐA組ブロックの席に向かって飛んできた。ちょうど落下地点にいた別の男子生徒がサッカーボールをキャッチすると

「はい、どうぞ。これを持って行けば良いから」

と笑顔で私に渡してくれた。


「ありがとうございます」

とお礼を言ってから私は審査委員の待っている場所に向かった。



 審査委員の前にはすでに何人かの生徒が列をなしていた。

 ちょうど審査委員の前で女子生徒が男子生徒に抱き抱えられている姿が見えた。

 私のお題が「サッカーボール」で良かった、あんな恥ずかしい思いをしなくてはいけない指令書でなくて良かった、と安堵した。


 私が列に並ぶと私のひとつ前には先ほど私より遅れてお題を選んだ私より走るのが遅い女子生徒が茶髪で背の高い男子生徒と一緒に並んでいた。

 先ほど男子生徒に抱き抱えられていた女子生徒はゴールを認められてすでにグラウンドの中心のゴールした選手が待機する位置に移動していた。彼女が1位だったようだ。次に審査委員から判定を受けた生徒は審判からOKをもらえたが、その次の3番目の生徒はOKがもらえずまた何処へか走り去っていった。


 私の前の生徒の番がきた。

 体育祭実行委員の生徒がどこからか身長計を運んできて、茶髪の長身の生徒の身長を測定していた。

「182.3cmです。合格です」

と計測検査を告げられ、ゴールを認められていた。


 次にいよいよ私の番となったが、審査委員は当然ながら私の持っているサッカーボールを一瞥するとすぐに笑顔で

「OKです。4位ですね」

とゴールを認めてくれた。




 借り物競走が終わって1年A組の席に戻り、先ほどボールを取りに走ってくれたサッカー部の先輩にお礼を言ってボールを返却した。

 すると私を見つけた稜子が

「ごめんなさい。部活対抗リレーの準備で席を外していたの」

と自分の不在を詫びたが、彼女に決して非はないので

「先輩たちが急いでサッカーボールを用意してくれたから大丈夫だったよ」

とくれぐれも気にしないよう伝えた。


 それを聞いてホッとした表情になった稜子は

「それでは、今度は私が頑張ってきますね」

と彼女にしては珍しくガッツポーズをして走り去っていった。




 部活対抗リレーで文芸部チームの第一走者を任された稜子の走りは見事だった。

 体育の授業で彼女が運動の得意な生徒であることは知っていたが、あそこまで走れるとは驚いた。

 驚いたのは私だけではなく、レース後しばらく女子の陸上部員たちに囲まれていた。きっと陸上部への転部の勧誘であろう。




 この日の私に残された出番は午後に行われた女子生徒によるブロック対抗応援合戦だけだった。

 私の所属するA組ブロックの演目は集団ダンスだった。

 それほど激しい動きを必要とする踊りではなかったが、やはり体を動かすのは苦手だ。

 私の拙いダンスが目立たないように集団の内側に配置してもらってなんとかやりこなした。

 これで私の出番は終わった。




 その後もたくさんの競技があった。

 午後は腕相撲とか騎馬戦とか男子だけが参加する野蛮な競技ばかりで楽しくなかったし、その日は暑かったのもあって途中から応援席を抜け出して中庭の木陰で休んでいた。

 中庭では疲れた様子の生徒たちが至る所で休んでいる姿が散見された。

 私は騒がしい学校祭なんかよりも、毎日こうして静かに過ごしていたい。




 そうして木陰でのんびり過ごしているうちに、終盤の大きな競技であるクラス対抗リレーが始まるというアナウンスが流れて来た。私はクラスの代表として出場する稜子を応援するために自分の席に戻った。


 稜子はクラス対抗リレーでもA組の第一走者として快走を見せトップで第二走者へバトンを渡した。D組の第一走者を務めた有希は稜子に次いで2番目で次走者にバトンを繋いだ。相変わらず有希は凄い。

 しかしながら、このD組のチームで圧巻だったのはアンカーを走った生徒だった。アンカーにバトンが渡った時点ではD組は3位で、先行する選手にかなりのリードを許していたのだがD組のアンカーは瞬く間に差を詰めて追い抜くとそのままトップでゴールした。稜子や有希よりも遥かに凄い運動選手が同じ学年にいることを私は初めて知った。

 周りの生徒が「三冠達成!」と騒いでいた。どうやらD組のアンカーの生徒は100m走、部活対抗リレー、クラス対抗リレーという3つの短距離走のレースの全てで優勝したのだそうだ。私とは別次元に住んでいる方のようだ。


 その後に行われた1年男子と上級生のリレーや腕相撲大会の決勝戦は応援席の前の方に男子生徒や上級生が殺到して観戦しづらかったしさほど興味もなかったので私は応援席の後ろの方で静かに座っていた。

 そうして日が暮れて行き、長かった体育祭が終わった。



 総合成績でA組がブロック優勝できなかったので悔しがっている生徒もたくさんいたが、元より自分が体育祭で貢献できることはさしてないことを分かっているのでブロック優勝を逃したことについて私は何も感じなかった。



 私はとても疲れたので帰宅後ひとりで夕食を取り、両親の帰宅を待たずに早めに就寝した。




 体育祭の翌日から文化祭が始まったのだが、クラス演劇とはもはや関係がなくなっている私にとっては文化祭3日目のお昼に体育館で行われる合唱部の発表以外には特に予定もないので完全に自由だ。

 文化祭の1日目は学内の生徒だけで行われるが、それでも教室で上演される演劇のせいで騒がしくなりそうな1年生の教室のある校舎の一角から逃れてとりあえずどこか静かな場所を探そうと考えた。


 私のクラスの1年A組の壁の看板には演目のタイトルはもちろん、原作アニメ映画のキャラクターのイラストも大きく掲示されている。廊下を通り過ぎる生徒たちも「あっ、これ観たいよね」と口々に話しているのが聞こえる。

 実際、すでに教室後方の出入り口の前で入場を待っている生徒たちも結構いる。

 やはり知名度の高い作品はそれだけでお客さんが集まるのだなあと再認識させられた。


 隣のB組、その隣のC組にもそれなりに人が集まりつつあるが、その先にあるD組の様子が異様だ。


 1年D組の教室の後方の出入り口の前に人だかりが出来ていて廊下を塞いでしまっており、その先へは進めない。

 私は人混みが苦手なので不快に感じた。


 仕方がないので立ち止まってD組の教室の壁の看板を眺める。

 そこには「Round Bound Wound」と大きく文字が書かれている。おそらくは舞台の演目の題名なのだろう。

 当たり前だが私の知らない作品だ。




 しばらくすると、上履きの色から3年生と思われる1人の女子生徒と2人の体格のいい長身の男性生徒がD組の教室から出てきた。

 その女子生徒は切れ長の目に長い黒髪、そして立ち姿がとても凛としていて綺麗な方だった。こういう女性はどこの国でも魅力的な「オリエンタル・ビューティー」ともてはやされるに違いないと確信した。

 一緒にいたふたりの男子生徒は彼女のボディーガードなのだろうか?


 その3人は足早に何処かへ去って行った。


 教室の前に集まっていた生徒たちは少しずつ教室の中に吸収されて行ったがまだD組の教室の入り口に生徒たちが留まっていて何やら揉めているのが聞こえる。


 やがて、そこにいた4人の生徒が、左胸に「1-D」プリントされたとワインレッドのクラスTシャツをきたD組の会場係らしき生徒から

「すみません、もう満席なので入れません。

 次回公演もありますので、是非お願いします」

と入場を断られていた。そう告げられた生徒たちは不満を漏らすことすらせず

「じゃあ、また後で来るよ」

と言い残してすごすごと何処かへと去っていった。

 その姿を見て、ちょうど廊下も通りやすくなったし私も他所へ行こうと思って踵を返そうとしたその瞬間に先ほどの4人組に入場を断っていたのと同じD組の会場係の生徒から

「おひとりですか?

 おひとりでしたらなんとかまだ入れますのでどうぞ」

と入場を促された。

 

 私は別にこの劇が見たくてここに立っていた訳ではないのだが、せっかく声をかけてもらったのだし、何より有希のクラスの演劇だから観ておこう、とお言葉に甘えて入場することに決めて

「ありがとうございます」

とお礼を言って教室内に入った。


 D組の教室の中は会場係の生徒が先ほどの4人組に言っていた通りの満員で、空いている席もない。立ち見をしてまでこの舞台を観たいわけではないので、やはり今回は一旦教室から出よう、と考え直した。

 すると、そんな私の様子を見ていたひとりの男子生徒が声をあげた。D組のクラスTシャツとは別のTシャツを着ていたから単なる観客の生徒で後方で立ち見しようとしていたと推察された。

「おい、この子が座る席が無いみたいだから、誰か前の方に座っている男子、席を譲ってやれよ」

と声をかけてくれた。


 こういう心配りができる男性がいるとは日本も捨てたもんじゃない。そんなことを考えていると、前から3番目の下手(しもて)側の端の席に座っていた男子生徒が手を挙げて

「ここ、座っていいよ、俺、後ろで立って見るから」

と席を譲ってくれた。もちろん私の知り合いではない。

 見ず知らずの私のためにせっかく確保した席を譲ると立候補してくれるなんてなんて紳士的なんだろう。とても嬉しかった。


 私が客席の間を縫うようにしてその空けてくれた席に向かうと、途中で私が座る予定の席の少し後ろに座っていた女子生徒が立ち上がり

「どうぞごゆっくりご鑑賞ください」

と私に声をかけて、席を譲ってくれた男子生徒に向けても

「本当にありがとうございます」

と深々と頭を下げていた。

 ワインレッドのクラスTシャツを着ていたのでD組の生徒に間違いない。カメラを持っていたのできっと舞台の写真を撮る役目を担っているのだろう。

 席を譲ってもらったお礼を彼女だけにさせてはいけないので、私も慣れないお辞儀をした。




 私が譲ってもらった席に着き、席を譲ってくれた生徒が自分の立ち見する場所を無事に確保すると、後方から男子生徒の声で

「それでは俺たちの舞台を始めよう」

と指示があり教室が暗転した。




 1日の始まりを表現するような穏やかな音楽が流れて舞台に灯りがつき、お芝居が始まる。

 D組の舞台は広々としており、これなら演者ものびのびと演技ができそうだ。その分だけ客席を設置するスペースが狭くなるからすぐに満席になってしまうのも当然である。舞台の広さと客席の数、この二律背反は仕方あるまい。D組の舞台と客席の比率の設定は舞台上の演技のクオリティーを優先するための判断だと思うが、うちのクラスとは真逆の選択をしていたので私はこのD組にとても好感が持てた。



 舞台上にあるのはおそらく何かの事務所の中のようなセットである。

 書き割りもドアも室内に設置されている机やソファーといった家具類もいかにも高校生の手作り、と言った感じが否めない。

 美術部の生徒が夏休みを返上して作成してくれたA組の舞台の背景画に比べると目で見た印象では数段落ちる。

 だが、舞台上の構成物が全体的に単純化されたデザインで統一されていて、抽象的な舞台を演出するための選択なのかも知れない、と考えさせられた。



 舞台にいるのはふたりの役者。

 ひとりは球技大会で活躍していた髪の短いバレー部の生徒。

 私は球技大会に全く興味がなかったのだが、稜子の文芸部の友人が1年F組のバレーチームの選手として大活躍しているから一緒に観に行こうと誘われて1年男子のバレーボールの決勝戦だけは観ていたのだ。

 確かにF組の小柄な生徒は頑張って守備をしていたが、試合途中から何故か突然、D組の体の大きな選手たちが次々にスパイクを決め出すと呆気なく勝負はつき、F組は負けた。

 対戦相手のD組チームの中心選手だったのがあの短髪の生徒だったと記憶している。試合中によく声を出してチームを引っ張っていたので印象に残っている。


 もうひとりは数少ない私の友人である白川中学出身の安住(あすみ)ひかり。

 ひかり本人から自分は文化祭では役者として舞台に立つと聞かされていたのに長い夏休みの間にうっかり忘れてしまっていた。

 行きがかり上の偶然とはいえ、D組の舞台を観に来ておいて良かった。


 短髪の生徒とひかり、舞台上のふたりによる拙いながらに熱のこもったお芝居が続く。

 舞台の雰囲気、台詞の流れから察するにこれは喜劇だ。


 私はモーツァルトの「フィガロの結婚」やロッシーニの「セビリアの理髪師」のようなオペラ・ブッファよりも、ヴェルディの「リゴレット」や「アイーダ」のようなオペラ・セリアが好きで、そして何よりプッチーニの「ラ・ボエーム」やヴェルディの「椿姫」のような悲恋の物語が大好きなのだ。

 演劇や映画にしても普段はあまり喜劇は見ない。


 「観る劇を間違えたかな?」と下調べもせずにここへ入場したことを若干後悔した。

 しかし、大切な友人のひかりが出演している舞台であり、せっかく私に席を譲ってくれた男子生徒の笑顔と彼に向かって深々とお辞儀をしてお礼してくれたカメラ係の女子生徒の礼儀正しい姿もまぶたに焼き付いているので、中座するなどという失礼極まりない行為をするべきではない。終演までしっかり観せていただこう、という方向へ気持ちを切り替えた。


 そういう心持ちで舞台を観ているとふたりの会話で自然に状況説明がなされ、このふたりの登場人物がどういう人間なのかもしっかり伝わって来た。そして舞台がほどよく暖まってきたというまさにそのタイミングで呼び鈴が鳴り、この探偵事務所に来訪者が現れる。


 実によくできた脚本だ。

 これを書いた人はきっと名のあるプロの劇作家に違いない。

 タイトルは英語だが、登場人物の名前が日本語なので作者は日本人なのだろう。

 このD組はなかなか良い脚本を見つけてきたと思う。

 きっとクラスの中に演劇に詳しい、しかもセンスのいい生徒がいるのだろう。

 世間的に人気のある作品に飛びついて原作を酷い上演台本へと改悪してしまったうちのクラスとは大違いだ。



 来訪者はお芝居の冒頭で話題に上っていた探偵助手の求人への応募者だった。

 限られた台詞によってこの作品の世界観がしっかりと頭に入ってきている。素晴らしい。



 面接にやってきた候補者の役者は一段と背の高い男子生徒だ。確か球技大会のバレーボールのチームでも活躍していた生徒だろう。A組の下条さんのグループがよく噂している「バスケ部の大町くん」とかいう男子生徒が彼なのだろう。

 上演中は真っ暗な教室内でも最前列に下条さんたちがいるのは分かる。彼が目当てなのに違いない。


 そんな彼が登場すると立て続けにふたり目の来訪者がやってくる。

 この人も探偵助手への応募者だと分かる。

 そのふたり目の志願者を演じる役者は昨日の体育祭の短距離走で大活躍だった女子生徒だ。

 稜子もかなり足が速いが、この女子生徒は別格だ。

 普段はスポーツをほとんど見ない私でもそれくらいの違いは分かった。



 その後、「短距離走の女子生徒」が「バスケ部の大町くん」と探偵助手の座を競い合う。

 ここから第二場なのかな?


 4人の演者は「とても上手」とは言えない演技力だけれど、なぜか私は舞台に引き込まれてしまった。時々演者たちは立ち位置を間違えたり台詞に詰まったりしてるけどそんなミスは気にならない。

 発言を遮られる度に私までが「バスケ部の大町くん、頑張れ」と応援したくなるし、勝負を挑んでは破れる「短距離走の女子生徒」を見ていると「まだまだ諦めないで」と声をかけたくなる。


 D組のキャストの皆さんがこの素敵な作品と真摯に向き合い、厳しい稽古を積んで全力で演技していることがひしひしと私には伝わってきた。

 人気作品を演じるから客が喜ぶだろう、という安心感の上にあぐらをかいて目標を低く設定して内輪受けで済ませてしまっているA組のキャストたちとは雲泥の差だ。



 終盤になると、今までは発言しようとすると必ず遮られてほとんど台詞のなかった「バスケ部の大町くん」が鬼気迫る熱演を見せてくれた。彼のあまりの迫力に私は背筋が凍る思いがした。これは彼が長い台詞の中で電話相手に声を荒げて怒鳴っていたから恐怖を感じた、という意味ではない。今までたくさんの人の生き死にを見てきたであろうこの探偵助手志願者の大男が

「なあ、おい、人間なんて自然に比べればほんのちっぽけなもんだ。

 そんな人間風情がそんなイキがったところで何にも意味はないぞ。 

 わかったか!」

と相手を諭す台詞の中にこの大男の人間としての器の大きさを感じ、それにはこの役を演じる「バスケ部の大町くん」本人の人間性も投影されているように見えたからだ。きっとこの人自身もこういうこの世界全体を俯瞰して見ることの出来る視点を持っているのだろう。

 何より驚いたのが舞台上での彼の豹変ぶりである。憑依型の役者というのがいることは知識としては知っていたが、実際にこうして目にすると戦慄が走る。滅多にお目にかかれない御業(みわざ)だ。

 そして全身から振り絞るように出される彼の力強い声にも心が震えた。

 まるで不似合いな例えかもしれないが、悲恋を描いたオペラのクライマックスで死の床についたヴィオレッタやミミが残された命の灯火を燃やし尽くして愛する人のために愛を歌う美しいアリアに似た、命をかけた魂の高唱であった。

 長身でルックスもよくスポーツも得意で、女子生徒たちに人気もある彼が「見てくれの良いだけの男」などとは程遠い役柄を演じ、全身全霊を注いだ渾身の芝居を披露してくれたことに対して、私は魂の共鳴のようなものを感じた。

 これは断じて恋愛感情などではない。そんな軽い物ではない。

 この人が人間としての根元の部分で持っている、普段は決して他人には見せることはないであろう、言わば「とても大切にしている心の聖域」と呼べる物すら曝け出してまでこの舞台に全てを捧げている、そんな彼の「生き様」のようなものに私は感銘を受けたのだ。

 自然と涙が頬を伝った。


 彼の怒涛の長台詞を主演の短髪の生徒がコミカルに受けて笑いに変え、観客の笑い声に包まれつつ舞台は幕を閉じた。




 終演後、私はしばしの間この舞台の余韻に浸っていたが、他の観客たちも同様に静かに感慨にふけっていた。私は自分の心が確かに受け取った感動を伝えたくてこの優しい沈黙を破ることを躊躇わずに拍手をした。

 すると、周りの生徒たちもひとり、またひとり、と拍手をし始め、やがて教室内には耳をつんざくような拍手の嵐が訪れた。



 私はこの舞台を作り上げたすべての人に向かって、無意識に

「ブラァーボー!」

と声をあげた。

 ついついオペラを観に行った時の癖が出た。

 しかし、それ以外に言葉はなかった。

 この観る者全てを虜にした舞台に対して私如きがどんな修辞を尽くそうとも言葉は足りない。

 ただ一言

素晴らしかった(ブラァーボー)!」

と伝えるだけで十分である。



 周りの生徒たちも私と前後して、1年D組の演劇を称える言葉を声にした。


 拍手喝采の中、カーテンコールがあり、満面の笑みをたたえたひかりを先頭に4人の演者が次々に登場して客席からの拍手に応えた。


 いったん下手に演者が下がると誰からともなく自然とアンコールの声が鳴り響き、また演者たちが下手から手を繋いで舞台に現れた。

 すると、今回は舞台の上手(かみて)側に立っていたひかりが舞台袖からひとりの女子生徒の手を取って舞台に引き上げた。

 あの生徒は確か昨日の体育祭の借り物競走で私の前に並んでいた子だと思われる。空いた左手でしきりに涙を拭っていた。

 彼女はおそらくあの場所で上演中のプロンプターを努めて、準備期間からずっと裏方として舞台を支えていたのだろう。

 彼女にとっても感動はひとしおだったに違いない。



 主演の短髪の生徒から舞台監督が紹介された。

 すると、教室全体に灯りがついた。


 突然の点灯に一瞬目が眩み、私は瞼を閉じた。

 ゆっくり目を開くと、客席のみんなが演者たちの指さす下手側後方を振り向いて拍手を送っている。

 私も皆の視線の先を追う。


 そこには長身の茶髪の男子生徒が台本らしきものを手に握り締めたまま腕組みをして立っていた。

 あの男子生徒には見覚えがある。

 体育祭の借り物競走の際に、舞台上で涙を拭っている裏方の女子生徒に連れられて来て身長測定をされていた男子生徒だった。

 あの時には髪を茶色に染め、笑顔で軽口を叩きながら身長測定に応じていた彼の姿を見ていかにも軽薄そうだな、という印象を持ったのだが、今はこれだけの拍手や賛辞を受けても決して軽々しく笑うわけでもなく真剣な表情のまま観客に対して黙礼にて感謝を伝えている。

 この初演の舞台の出来栄えを見てまだなお残る修正すべき点を見つけて、次の上演までに如何にそれを改善するかを考えるのに必死なのだろう。




 この人がD組のあの舞台を作り上げたのか。


 当然ながら私は彼のことを何も知らない。

 あとで必ず文化祭のパンフレットを見て確認して彼の名前をしっかり覚えておこう。

 今更気付いたのだが、私は自分のパンフレットを鞄の中にしまったままロッカーに置いてきてしまっている。

 我ながら一体どこまでこの学校の文化祭に興味がなかったのか、と呆れてしまう。

 その考えは改めねば、と心に刻んだ。




 そしてもう一点、決心したことがある。

 このクラスの「Round Bound Wound」という舞台はこれから上演を重ねればさらに良くなっていくはずだ。

 私は文化祭の期間中に何度でも足を運んでこのクラスがどこまでの高みへ到達するかを見届けたいと思った。

 次はパンフレットを忘れず持参しよう。パンフレットがなくては、D組にテアトル大賞への一票を投じられないからだ。




 もう一度椅子に座り直して教室の前方を見ると舞台上手の廊下側ではオーディオ機器の置かれている机の奥で音響係をしていたと思われる有希もその場で起立して満面の笑みで客席に向かってお礼の拍手を送っている。




 私は悲しかった。

 私もこの文化祭でこんな仲間たちと一緒に舞台作りに携わりたかった。

 この素晴らしい作品であれば、私も助力を惜しまなかったのに。



 現在この場で同じクラスの仲間たちと割れんばかり拍手を浴びているのが、なぜ私でなくて有希なんだろう?

 私は従姉のことが心の底から羨ましくてたまらない。



 入学前に学校の教務課から自分が今年の入学試験の主席合格者だと連絡があった。この学校の慣例で主席で入学する者はA組に入ることが決まっており、入学式で全ての新入生を代表して挨拶をすることになっている、と聞いた。

 その時には私の心には全く何の思いも湧いて来なかった。

 入学試験で全力を尽くし、首席合格という最高の結果が出たのだから喜ぶべきなのだろうし、新入生代表を務めたこともとても名誉なことである。だが、たかがそれだけのことだ。

 しかし、今この場所に居合わせてしまった私にはその全てが心の底から悔しい。

 主席合格者でさえなければ私にも何分の一かの確率でこのD組に振り分けられるチャンスがあったのだ。

 私は席に着いたまま、ただただ俯いて固く拳を握り締め、自ずと心から溢れ出る様々な感情の洪水に溺れてしまいそうな状況に抗い、自制心が崩れ落ちそうになるのをなんとかほんのちっぽけな誇りだけを頼りにして支えて耐えるのに必死だった。

 先ほどとはまるで意味合いの異なる涙が零れそうになるのを静かに堪え続けた。




(続く)

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