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羊飼いも山羊もいない  作者: 遊舵 郁
九月、祭りのころ
35/63

【31】崩れる城と救う僧

 さて、体育祭の午後の部は、女子のブロック毎の応援合戦から始まる。

 女子はみんな昼ご飯を食べ終わるとすぐに準備に取り掛かっていて忙しそうだった。

 男子もひとりだけ忙しそうな奴がいたな。これは後のお楽しみだ。



 女子は全員が出場準備に行ってしまったので、男子だけの応援席に俺、大町篤はいた。

 川上と上田はいつものごとく、どこそこのクラスの誰某が可愛かったと情報交換をしている。

 深間もさりげなく混ざっている。あいつもどうやら染まってしまったらしい。

 さらばだ、硬派だった深間よ。




 アナウンスが流れる。

「それでは、午後の部を開始いたします。

 まず最初の種目は女子生徒によるブロック対抗応援合戦です。

 審査員は公正を期すために先生方にお願いしてあります。

 A組ブロックの皆さんからです。

 拍手でお出迎えください」


 A組の女子生徒が整然と入場してグラウンドに散開する。

 A組は集団ダンスのようだ。

 そういえばD組もそうだったな。

 今はそういう趣向が人気なのだろうか?

 

 川上と上田はお目当の女子生徒を探してははしゃいでる。

 川上がいつもの様子に戻って俺としては嬉しい。



 次は、B組。

 チアガールだ。

 衣装として体操服の上に手作りのスカートをつけて、ポンポンを持って踊っている。

 上田がはしゃぎすぎているのが気にはなるが、まあ仕方あるまい。


 続けて、C組。

 全員体操服で統一して、旗を持ってのマスゲームだ。

 これはすごい。

 さしもの上田も黙って見ていた。

 当然である。


 そして、我らがD組。

 やはり集団ダンス。

 みんな最近流行りのJ-POPに合わせて踊っている。

 高岡さんはあんなに動いて平気なのだろうか?

 井沢さん、頑張ってるな。

 なかなか上手く踊れたんじゃないかな?


「よし、よく頑張った!」

と汐路さんが大声て讃えている。


 俺たちも今までで一番大きな拍手を送った。


 E組はまたダンス。

 こちらはヒップホップ系のダンスでかなり趣が異なる。

 よくあんなリズムに合わせて踊れるもんだと感心してしまった。


 そして、俺が心の中で一番楽しみにしていたF組。

 全員が学ランに身を包んだ応援団。知ってた。

 壇上に登った応援団長は、2年F組の諏訪遥香先輩。知ってた。

 俺の彼女の遥香さんだ。

 この趣向に関しては事前に遥香さんから知らされていたから驚かない。

 なにせ、今、遥香さんが着ている学ランは俺が貸したものだからだ。


 遥香さんは女子にしては背が高い。

 男子に制服を借りるとしてもなかなか合うサイズの生徒がいない。

 もちろん、俺が高校で着ている学生服ではサイズが大きすぎるから、中学時代に着ていた物を貸すことにした。

 裾上げは自分でやって、袖は肘まで捲り上げるから問題ないとのこと。

 結果として、若干大きすぎるくらいのサイズだったが、それでも

「彼氏の制服って着てみたいじゃない」

と喜んで着てくれることになった。

 これはメールでのやり取りだったのだが、面と向かっての会話だったら、俺は遥香さんの顔を正視できなかったと思う。


 遥香さんが壇上に現れるや否や、

「きゃー、諏訪先輩!」

「諏訪さ~ん!」

と女子生徒たちからの黄色い声援が飛ぶ。


「諏訪先輩!かっこいい!」

と男たちの声も響き渡る。


 それらの声援を顔の高さに掲げた右手を握って遮ると、

「F組の、健闘をたたえ、応援のエールを送らせていただきます」

 壇上で声を上げる。


 綺麗に澄んだ声が、俺のところにまで届く。

 遥香さん、こんなに大きな声も出せるんだな。

 普段はあんなに静かな口調なのに。


 遥香さんの凛々しい一挙手一投足に見惚れていると、知らないうちに全てのブロックの発表が終わっていた。

 やはり俺は遥香さんが絡むとだらしがないようだ。



 間も無く集計された審査結果が出た。

 1位:C組ブロック(マスゲーム)

 2位:F組ブロック(応援団)

 3位:D組ブロック(ダンス)


 D組は入賞した。

 これは嬉しい。


 遥香さんのF組が2位か。

 1位のC組が凄すぎたので、順当に思える。



 


 女子生徒が応援席に戻るまでしばらく空き時間があった。


「わかってるな、野郎ども。

 みんなで全力で頑張った女子全員を迎えるんだぞ」

と汐路さんが発破をかける。

 

 流石のキャプテンシーである。


 女子生徒が戻ってくると、全力で拍手し、褒め称えた。

 1位を取れなくて3年生の責任者の女子の先輩は泣いてしまっていたが、みんなの拍手に迎えられ少しだけ笑みがこぼれた。



 続いては、「ミス・暁月コンテスト」「ミスター・暁月コンテスト」である。

 ある意味、体育祭の1番の”花”である。

 各クラスの応援席の前方はスマホやカメラを構えた女子生徒でぎっしりである。

 俺たち男子は後方からの応援になる。


「それでは、皆様、お待ちかねの、ミス暁月コンテストです。

 審査委員は実行委員が責任を持って公正に努めさせていただきます。

 今年も揃った美女たちに温かい拍手をお送りください」


 そこら中から囃し立てる声がする。

「まずは、1年A組・・・」

「1年B組・・・」

「1年C組・・・」


 盛り上がって来た。

 入場口から一人ずつ呼ばれた生徒がトラックを一周してグラウンドの真ん中に集合するという演出だ。

 特訓したのであろう、モデル顔負けのウォーキングをこなす生徒もいる。


「1年D組鹿田くん」


 周りがどよめいた。

 特に上田は腰を抜かしている。

「鹿田が、、、化けた」


 そう。

 外見の美貌を比較するだけのミスコンなんてうちの高校では行わない。


 ミス暁月コンテストは、女装男子コンテストなのだ。


 うちのクラスの代表は、バレー部ながら色白で華奢な体つき、中性的な顔つきの鹿田が選ばれた。

 本人が嫌なのに参加することはないので、本人も意外と乗る気だったようだ。

 文化祭の演劇で舞台衣装を担当している羽村さんを中心にクラスの女子の有志が衣装・ウィッグの準備から当日のメイク、ウォーキングの練習まで担当してくれて、本邦初公開の「アイドルのオーディションを受けに来た少女」が完成したのだった。

 

 少女・鹿田は非常に好評なようで、俺たちのところへ来るまでに写真撮影で止められ随分と時間がかかった。

 俺らの前でも一言も話さず、ただニコッとだけ笑顔を漏らして、女子生徒たちから

「鹿田くん、可愛い~!」

と声援を浴びていた。


 その後も鹿田を超える逸材はなかなか出てこないので優勝を狙えるのではないかと思ったが、3年E組の代表でアイドル風の衣装を着た美形の先輩が登場して踊りながら練り歩き、会場の度肝を抜いた。

 

「どうだ、すげえだろ。

 あいつ、普段は目立たない奴なんだけどな」

と大笑いしながら解説をする汐路さん。

 

 うちの高校は本当に色々な人がいて面白いな。

 あの人と平島先輩が同じクラスっていうだけで驚きだ。



 結果として、優勝は3年E組の先輩。

 1年生の時は固辞し、2年生で初出場して優勝。これで二連覇となった、とのこと。

 

 鹿田は3位に終わった。

 アイドルのオーディションを受けにきた少女は本物のアイドルには勝てなかったか。

 そのままクラスの席に戻って来た鹿田と写真を撮りたがる生徒が殺到して、軽くパニックになった。



 さてと、次がどちらかというとメインのミスター曉月コンテスト。

 男装女子コンテストである。

 女子はブロック対抗応援合戦があったばかりだから、ここでしばらく時間が空く。

 着替えやメイクで時間がかかるから仕方ない。




「お待たせしました。

 続いては、ミスター曉月コンテストです。

 みなさん、温かい拍手でお迎え下さい」


 1年A組の生徒から入場してトラックを回る。

 当たり前だが元の顔を知らないので、男装されると誰が誰だかわからない。

 幸いに川上と上田が細かい解説をしてくれるが、やはり元の顔の記憶がないのでピンと来ない。

 

 順番が回ってきて、我らが1年D組の代表、小海さんが入場してきた。

 100m走での圧巻の勝利が功を奏したのか、そこら中から

「小海さ~ん!」

と黄色い声が飛んでいる。


 小海さんも羽村さんを中心とする女子有志一同が全力でプロデュースした。

 伸びた茶髪を後ろでまとめ、七部丈のスーツをラフに着こなして真っ白なデッキシューズで軽快なステップを踏みながらトラックを回る。

 きっと足元にボールがあってもこんな感じで軽やかに舞えるのだろうな、小海さんは。

 

 なんというか、小海さんの放つ圧倒的なスター性にあてられてしまった。


 その後も順番に男装した女子生徒が歩いてくる。

 みんな綺麗でかっこいい。


 出場者全員に対してこちらも拍手で迎えた。

 この精神はとても誇れるものだと思う。

 

 次のプログラムは俺の出番だから、本来ならばそろそろアップしないといけないのだが、まだ駄目だ。


 1年生の次は2年生の出場者が順番に入場して来た。

 1年生が概ね照れがちだったのに比べて2年生は落ち着いたものだった。

 これはミス暁月コンテストも同じか。


 2年生になると流石に「作り込み」が本格的になってくる。

 ただの男装なだけではなく、恐らくしっかりしたコンセプトで構成されているのだろう。

 恐らく男子の私服を借りたり、手作りだったりでお金はかかっていないはずだろうが、このひと時にかける労力と情熱に敬意を表したい。


 入場口の方が騒がしい。

 女子生徒たちが席を離れて殺到している。

 とうとう出番が回って来たか。


「続きまして、昨年の優勝者、2年F組の諏訪遥香さんです」

 まさに真打ち登場。


 遠くからでも、すぐ分かる。

 俺は視力がいいからよかった。


 ダーク系のスーツに、白いシャツ、黒いネクタイ、黒い革靴。

 もうド直球の男装の麗人である。


 昨年優勝しているとか今年は応援団で男装をするとかそういう理由で自分を曲げることはしないんだな。

 自分が一番だと思ったスタイルで勝負する。


 遥香さんの真の強さをまざまざと見せつけられた。

 本当にかっこいいよ。


 審査員席前でターンをした以外はこれと言った媚を売らず笑顔で我が道を行く。

 正直言って、俺は心の底から惚れ直した。


 マニッシュなスタイルの遥香さんは見慣れているが、今日のこの姿が己を「かっこよさ」へ全て傾けた遥香さんの姿なのだろう。

 いつもと違って可愛さをすっかり抑えている。



 遥香さんがやがて、D組の席の前にやってくる。

 珍しく一回くるっとターンするとこちらに微笑みかける。


 俺と遥香さんは公表しないで付き合っているから、これが精一杯のサービスだったのだろう。

 ありがとう。


 その笑顔を胸に俺は戦うよ。




 遥香さんの姿が見えなくなるまで見送ると、俺はアップを始めるため、席を離れた。


 それを見つけた汐路さんが追いかけて来てくれて

「もう行くのか?」

と尋ねるので、

「はい」

と答える。


「それじゃあ、思う存分暴れてこい。

 平島が相手なら試合相手を怪我させる心配はいらない。

 くれぐれもお前が怪我しねえようにな。

 あとは、じゃんけんだ。

 行ってこい!」

と背中を平手で叩いて送り出してくれた。


 俺はその勢いを借りてダッシュし、人気のない場所を探すと、腕から手の筋肉をほぐしつつ、平島先輩の一回戦の試合を何度も脳内で再生した。





「結果を発表します。

 今年のミスター暁月は、2年F組の諏訪遥香さんです。

 二連覇おめでとうございます」

 アナウンスが流れた。


 そうか、遥香さん、優勝したか。

 そりゃそうだ。

 あれだけの風格を見せたんだ、負けっこない。



 今度は俺が盤石の王者に向かって当たって行く番だ。

 失うものは何もない。


 

 

「Strong Arms準決勝に出場する選手は入場口に集まって下さい」

 アナウンスが入った時には俺はすでに入場口にいた。


 続々と選手が集まって来た。

 準決勝第二試合を戦う三年生の先輩方。

 試合をまともに見ていないから、なんの印象もないが、礼儀としてお辞儀する。

 そんな俺に

「俺たちもあの汐路を倒したお前には一目置いている。

 なんとか平島の無敗記録を止めてくれ」

と声をかけてくれる。


 たったひとりの1年生を慮ってのことだろうと思う。

 いずれ対戦するかもしれない相手にこんな言葉をかけられるなんてなんて器の大きな先輩方だ。


 すると、話題に上っていた平島先輩が入場口へ現れた。

 こちらも真打ち登場、である。


 一回戦の時に審判役を務めてくれた生徒が現れ、簡単な流れを説明。

 第一試合は右利き対左利きなので、勝負する腕を決めるじゃんけんに関する説明も受けた。


「じゃあ、始めようか」

と審判の生徒がいい、本部に向けて合図を送る。


 グラウンドを見るとまた中央にアームレスリングの競技台が置かれている。

 実況アナもすでに準備できている。


「皆様、お待たせしました。

 Strong Armsの準決勝です!

 選手入場です。

 拍手でお迎えください」

とアナウンスが入って、審判に続き俺たちも競技台の方へ歩いて行った。

 当然、場内には昔のアームレスリング映画のテーマ曲が流れている。

 俺の体にも闘志が漲る。




「準決勝第一試合は、唯一の1年生選手、D組代表の大町篤選手~!」

 大歓声が湧く。

 男子からの「大町」コールと、強敵に挑む俺を励ます優しい女子生徒たちからの声援が聞こえる。


「大町~、お前ならやれる!」

と汐路さんの声も聴こえる。


 よし、俺は落ち着いている。


「対しますのは、ディフェンディング・チャンピオン。

 二連覇中のミスターStrong Arms、3年E組、平島毅選手~!」

 さらなる大歓声が湧く。


 彼は暁月高校の”キング”なのだ、俺も拍手して敬意を表した。


「平島選手が左利きのため、まずはじゃんけんをしてもらいます」

とアナウンスが入った。


 正直言って、1回目のじゃんけんは意味がない。

 それでも、2回目のじゃんけんをするためには最初の二本のうち1回は勝たないといけない。


 漆木(うるぎ)先輩の話していた「必勝法」はこうだ。

「必勝法」と言ってもこれ以外に勝ちようがない、という程度の吹けば飛ぶような浅い策であるがないよりはマシだ。


 左で勝つのは不可能と考える。

 右で何としても一勝を上げる。ただし、平島先輩は右でも過去無敗だ。

 2回目のじゃんけんで勝って右腕勝負に持ち込んで勝つ。ただし、勝てる確率は限りなくゼロに近い。


 それ以外はない。


 ただ、可能ならば1回目のじゃんけんで勝って、まず右腕勝負で先勝しておきたい。

 左腕勝負で先に瞬殺されたら心が折れてしまいそうだからだ。


 とにかくじゃんけんで勝たないといけない。


 高校生にもなって、真面目にじゃんけんのことを考えるとは思わなかったが、勝つためだ、仕方ない。



 早速、審判の生徒から

「両者、見合って、そ~れじゃんけん」

とコールがかかったので、俺はすかさずグーを出した。

 これは別に計算していたわけではない。

 俺はついいつも最初にグーを出してしまうのだ。

 小さい頃はこのおかげで随分と姉貴に美味しい思いをさせてしまった。

 ただし、今回はこれが功を奏した。

 平島先輩はチョキを出していたのだ。


「大町選手がじゃんけんに勝ちましたので、一本目は右腕での勝負となります」

 場内にアナウンスされる。

 

 俺を応援する声が大きくなるのが聴こえる。

「フレーフレー、大町!」

と汐路さんが大声で応援しているのが分かる。

 

 この一本目に勝たないと俺は勝てない。

 腹を括る。


 ごちゃごちゃと細かいことを考えるのを止める。

 シンプルに目の前に差し出された腕を全力で倒しに行く、それだけのことだ。


 俺の方が後輩なので、まず先に競技台へ向かう。

 今度は忘れず帽子のツバを後ろにして被り直し、肘をつけてセットする。

 一回戦で三本勝負をしたのでだいぶ慣れた。

 


 遅れて、平島先輩がセットする。

 手を組み合う。

 

 この人は今までの相手とは別格だ。

 利き手ではないとはいえ、柔道をしているのだから右手だって相当強いはずだ。

 手の握りあいのような事もしない。

 最初にピタッとはまるのが凄い。

 柔道という競技が一瞬で襟を掴んで勝負しないといけない種目なので反射的に「掴み」が出来ているのだろう。


 審判の生徒が両肩の位置と肘の位置をチェックして握られた右手に手をかけると声をかける。

「レディーー・ゴーー!」

 試合が始まる。



 ズシッとした重みが右腕にかかる。

 ふう、参った。

 ビクともしない。


 汐路さんはこんな人と戦い続けて来たのか?

 それだけで尊敬に値する。

 普通は気持ちが折れて諦めるだろう。


 さて、汐路さんに勝った時の感覚を取り戻せていない俺にとっては、平島先輩というさらなる高みに登る術はない。


 全力で当たって砕けるだけである。


 ただ、もしもこれで怪我をしたら困るなあ。

 せっかくバスケ部でレギュラー取れたのに。

 文化祭では舞台に上がらないといけないのに。

 代役をお願いするとしたら井沢さんしかいないけど、きっと嫌がるだろうな。

 えーっとなんだっけな?あの長台詞。

 せっかく覚えたのに台無しになっちまう。


 確か出だしはこうだったな。

「はい、井上探偵事務所です。

 え?

 はい?


 すると、そちら様に当事務所がご迷惑をおかけしたということでございますか。

 つきましては、お金を包んでお詫びに来ていただきたいと。

 え?お金ですか!」


 ええとそれから、、、。


「残念ながら、本日はお休みをいただいております。

 ええ、確かに井上へはお伝えいたしますが、それでよろしいでしょうか?

 え?今日、詫びに来て欲しい、ですか?

 これは参りました」


 俺も参りました。

 駄目だ、台詞が一部抜けている。



「やるじゃねえか。

 俺に土をつけやがったな」


 えっ?そんな台詞はなかったぞ?


「分かったから早く手を離せ」


 いや、電話越しの芝居だったはずだけど。


 ぽん、と肩を叩かれ、我に返った。

 肩を叩いたのは審判の生徒だった。


「一本目、終わりました。

 両者一旦離れて」

と審判の生徒に促されて手を放す。俺の右腕が相手の右腕に押し勝っている。

 何が起きたか一瞬よく分からなかった。


「一本目、勝者、大町~!」

とアナウンスが入り、俺が勝ったのだと分かった。


 また”アレ”だ。

 俺は試合中にぼーっとしていたな。


「大町~、やったな~!

 あと一本、絶対勝て~!」

 汐路さんの声が聴こえる。


 遅れて、周囲から俺を応援する声が聞こえて来た。


 俺がぼーっとするとろくな事がない。

 思わず平島先輩に

「先輩、怪我しませんでしたか?」

と尋ねてしまう。


「大丈夫だ。

 ただ、ちっとは手加減しろよ」

との言葉が返って来た。


 よかった。相手を怪我させていない。


 にしても、なんとかもぎ取った一本目。


 準決勝第二試合を戦う先輩方も

「マジかよ、平島から一本取るとかすげえな、大町」

と親指を立てて応援してくれた。


 次に続けないといけない。



「それでは二本目は左腕で勝負です。

 セットして下さい」

と審判の生徒に促されて、セットしようとすると先に平島先輩がセットしていた。


「かかって来いよ」

 そういうと俺を睨んで来た。


 ここからが鬼門の「左勝負」である。


 どんなスポーツでも、左利きの選手は「珍しい」という事で有利に働く事が多い。

 一方の左利き選手は右利き選手との対戦に慣れている。

 今回の平島先輩もこの例であろう。


 誰だって利き手じゃない腕を使った競技は苦手である。

 平島先輩は左利きであるが故に、右腕も鍛えて、並み居る強豪を退けて来たのだ。


 俺だって、左勝負を望み薄いとは言え、避けてはいけない。


 バスケットボールはあまり腕力のいるスポーツとは思われていないが、実際はそうではない。

 NBL(北米バスケットボールリーグ)の選手たちの体は全身が筋肉の鎧で覆われている。

 俺の尊敬するレブラム・ジョーンズ選手のワークアウト動画を見たが、世界一バスケの上手い選手が更にそこまでやるのか?と驚かされるほどハードなトレーニングをしていた。


 中学時代からセンターとしてインサイドでプレイしていたから当たり負けしないように筋トレは欠かさなかったが、高校バスケではもっとフィジカルを鍛えないとインサイドで戦えないと分かり、メニューを更に増した。


 俺は右利きだが、”魔術師”と呼ばれた伝説のバスケットボール・プレイヤーが利き手と反対の手のボール・ハンドリングを重視していたという話を本で読み、右でも左でも同じようにシュートが打てるように左右均等にトレーニングをした。

 家でひとりでご飯を食べる時には左手に箸を持って食べることもある。

 家族がいると「行儀が悪い」と叱られるからだ。


 アームレスリングに関しては、何度か左利きの川上と試合をした。

 梃子の原理を利用したコツのようなものは左手でも掴んでいると思う。


 とは言え、相手は俺と違って本物の左利きである。

 用途の異なる、俺のバスケで鍛えた左腕が通じるかは分からない。



 さて、2人の姿勢をチェックした審判の生徒が握り込まれた左の拳に手を添えると

「レディーーー・ゴーー!」

と掛け声をかけて試合が始まる。


 

 これまたズシっと重く、全く動かない。

 左だがセットは決まっているはずだ。

 流石に川上相手とは訳が違う。


 漆木(うるぎ)先輩が言っていた通り「柔道家は呼吸を読む」のであれば、嘆息するような事があったら一気に持っていかれるに違いない。


 俺は我武者羅にラッシュするのをやめた。

 相手はそうして俺の息が切れるのを待っている。


 仕方ない。

 息を潜めて、長期戦を覚悟するしかない。


 そう思った瞬間に

「ふん」

という気合いとともに平島先輩が攻勢に出て一気に持っていかれた。

 なるほど、柔道家は息だけじゃなくて相手の思考も読むんだな。

 

「二本目、勝者、平島選手~!」

とアナウンスが入り、大歓声が湧く。


 平島先輩を応援する声が鳴り響く。


 俺のことを応援してくれる女子生徒たちの悲鳴にも近い声援も聴こえる。


「大町、怪我してねえか?」

と平島先輩は声をかけた。

 先ほどの意匠返しではなく、それくらい思いっきり捩じ伏せたということだろう。


 俺は左手首を少しほぐしてから

「大丈夫です。

 ありがとうございます」

と返事した。


「それではこれより3分間のインターバルに入ります」

とアナウンスが入った。


 この相手と三本連続は本当に厳しい。

 たとえ3分間でも休憩があるのは嬉しい。

 等しく平島先輩も休めるとは言え、今の俺には精神的な立て直しが必要なのだ。

 腕をマッサージしながら考えよう。



「大町~、まだ行ける!

 頑張れ~!」

 汐路さんの応援がまた聴こえる。


 あの人が背中を押してくれたから俺は平島先輩という強敵にも立ち向かって行けるのだと思う。

 俺は負ける訳にはいかない。

 否、そんな甘いことを言っていられる相手ではない。

 今は自分の目の前に差し出された腕を倒すことに集中すべきだ。


 そういう実に単純な結論に俺が至った頃、

「それでは三本目を始めます。

 もう一度じゃんけんして下さい。

 勝った方に勝負する腕を決める権利が与えられます」

と審判から呼ばれた。


「せーの、じゃんけん」

 俺はまたグーを出した。クセは取れない。

 平島先輩はパーを出した。

 恐らくクセを読まれたのだろう。

 仕方ない。

 俺の左腕がどこまで通用するか、もう一度試すまでだ。


 そんな俺の心を読んだのか、ニヤリと笑って

「じゃあ、右腕で勝負だ!」

と平島先輩は宣言する。


「おーっと、平島選手、先ほど敗れた右腕での勝負を希望~!

 敢えての利き手封印!黄金の左を使いません!

 (おとこ)、漢です~、平島毅!」

とアナウンスが入ると、ワンテンポ遅れて何が起きたのかを理解した観衆から大喝采が聞こえてきた。


 俺も思います。平島先輩は漢の中の漢です。



「俺にも、リベンジする権利はある。

 大町、遠慮しねえで全力で来いや」

と右腕をセットする。


「よろしくお願いします」

と俺は一礼してから右腕をセットした。


 一発でがっちりと組み合ったのですぐに審判の生徒が姿勢のチェックをして、握り合った拳を手で押さえると

「泣いても笑ってもこれが最後の三本目!

 レディーーー・ゴーー!」

 三本目が始まった。


 一本目同様に平島先輩は「梃子でも動かない」。

 この人はまずディフェンスから入る人だ。

 守りに入られたらまず破れない。


 一本目にどうやって勝ったのかは覚えていないが、おそらく相手が攻めに入ったところへ俺がカウンターをかけて勝ったのではないかと思う。


 そうだとすると、おそらく今度こそ持久戦に持ち込んでじわじわと俺を追い込むに違いない。

 平島先輩は寝技なんかも強いんだろうな。

 そうでないと大事な大将は任せられない。

 柔道の寝技は修練にかけた時間によって上達するという。

 試合勘のようなものもそれで培われたのだろう。

 原則的に身体接触を禁じられたバスケをずっとやってきた俺との違いはそこにあるのではないか?

 平島先輩の強さはその頑強な肉体ではなく、むしろ不屈の精神にあるのではないか?

 そう思うと、俺如きが小賢しいことを考えるのは止めにした。


 こんなに強い人が俺に勝つために、俺の土俵に降りてきて戦ってくれている。

 それが俺にとっては何よりの勲章だろう。


 勝利も大切だが、この人が大切にしている自らの誇りというものを賭けて俺も戦いたい。

 全力で足掻いて食らいつく。

 それだけだ。




 

 その結果、2分半に及ぶ激戦の末、俺は敗れた。



「勝者、平島毅選手~!」

とアナウンスされると、審判の生徒は平島先輩の左腕を高く掲げ、勝者を称えた。

 全校生徒が拍手を送った


 俺は拍手でそれを見守った。


 試合後にガッチリ握手をすると、平島先輩は

「今年は俺が絶対優勝する。

 来年、再来年はお前が絶対勝て」

とエールを送ってくれた。

 


 そうして、俺のStrong Armsは終わった。


 準決勝第二試合は目に入っていたと思うが、俺は燃え尽きていて何も覚えていない。



 退場口では誰も待っていなかった。

 恐らく気を使ってくれたのだろう。


 俺もしばらく独りになりたかったが、負けてなおクラスのみんなに挨拶に現れた川上を見習って、顔くらいは出そうと思った。

 俺には汐路さんへの報告の義務もある。


 


 クラスの席に向かう途中、通りすがりの見知らぬ生徒たちが拍手を送ってくれた。

 声をかけるでもなく、ただ拍手で見送る。

 実にありがたい。


 

 

 D組ブロックの席に戻ると、真っ先に汐路さんがやって来た。

「よく頑張ったな」

 ポンっと肩を叩いてくれた。


 D組ブロックのみんなが拍手をしてくれた。


 やはり、すぐに戻って来てよかった。


「大町、お前はまだクラス対抗リレーがあるんだからしばらく休んでろ。

 ジュースでも飲んで充電してこいよ」

と川上が助け舟を出してくれた。


「ああ、喉乾いたから何か飲んでくる」

 俺はそう言ってその場を離れた。



 ジュースの自販機は中庭にあるので、しばらくそこで休むことにしよう。

 とりあえず俺は疲れた。


 パワー系の競技の後に、スピード系の競技が待っている。

 消耗した分を回復しなければいけない。



 自販機のあるあたりに行くと、色々と燃え尽きたお仲間達が休憩している。


 ジュースを買おうとすると、

「大町、ちょっと待て」

と止められた。


 振り返ると、ラグビーシャツ姿の漆木先輩だ。


「俺に奢らせろよ。

 どれがいい」

と自販機にお金を入れる。

 

「いいんですか?

 ありがとうございます。

 じゃあ、そのスポーツ飲料で」

と答えをすると、漆木先輩はその通りにスポーツ飲料を買って俺に渡した。


「惜しかったな」

 この人は話題を避けない。


「はい。

 先輩からのアドバイス、助かりました。

 ありがとうございます」

 そう答えるとスポーツ飲料を一口飲んだ。

 乾いた身体が潤される。



「平島はあのまま優勝する。

 だがな、大町、お前があいつの完全優勝を阻止した。

 負けた時のあいつの顔な、めっちゃ嬉しそうだったぞ。

 やっと全力で戦えるって顔してやがった」

 

 そうだったのか。

 漆木先輩は、俺が平島先輩から一本取ったからご褒美にという矮小な了見でジュースを奢ってくれたのではなく、純粋に平島先輩という強豪といい勝負をしたと褒めてくれているのだ。

 この先輩も見た目は怖くて実際ガラも悪いけれど、性根のところでは正しい人なのだな。

 絶対に自分が勝てない平島先輩を憎く思いつつも、彼が絶対的存在であることを気の毒に思っていたのだ。


「でな、お前みたいな奴が1年にいるのが分かって、俺もやっと身の程を知った訳さ。

 多分、ちょっと前の汐路もそうだったんだと思うんだ。

 汐路は立場上言えないから、俺から代わりに話しておこうと思う」


 そう言うと漆木先輩は俺に向かって頭を下げた。


「新入生歓迎会の時にお前にタックルして体育倉庫まで運んだ犯人のひとりでは俺だ。

 お前をどうしてもビー部に入れたいって俺たち3年生一同の意見でな。

 フォワードの柱として大町、バックスの要として白川中の南木(みなぎ)をスカウトするつもりだったんだ。

 お前がまさかバスケ部に入りたくてわざわざうちの高校を選んだとは知らなくてな。

 結果として、お前がバスケ部でレギュラーになって、Strong Armsつながりで汐路や俺が大町篤という人物を知って、尚のこと思ったよ。

 俺らが停学喰らってでももっと勧誘をかけて大町はビー部に入れておくべきだったってな。

 この気持ちは今も変わっていない。

 だがな、もっと巨視的に考えてみた。

 お前みたいなのが居れば、暁月高校の体育会系は安泰だって。

 これは俺だけじゃなくて、各部の主将クラスの総意だ」


 なんだか話が大きすぎて読めない。


「だから、今後の体育会系部活を背負って行くつもりで頑張って欲しい。

 お前なら来年はバスケ部の主将で、いずれは部長連代表だろう。

 いや、生徒会長だって狙える。

 うちの高校の部活じゃあどうしても県内の私立の強豪に敵わなくて心が折れそうになるかもしれない。

 でも、少なくともバスケ部とビー部だけはいつまでも全国が狙えるチームでいて欲しいんだ。

 バスケ部とビー部以外だって、全国を目指す奴が夢を諦めないでいられる、暁月はそういう高校でいて欲しいんだ。

 つまりはだな、、、お前はお前のままで頑張れってことだ。

 すまん、話が長くなったな」


 結局は平島先輩に負けて心折れそうになっている俺へにエールなのか?

 何にせよ、俺は漆木先輩がつい先ほど戦って打ち負かされた相手である。

 ラグビーでは試合終了のことをノーサイドというのだが、これがラグビー精神なのだろう。


 俺がもしバスケをやっていなかったら、高校でラグビー部に入っていてもこんな先輩たちと一緒ならば幸せだったかも知れない。


 俺からも何か話をしないと。

 汐路さんご一家との会食を思い出して。

「先輩ってC組ってことは文系ですよね。

 もう目標が決まっていらっしゃるのですか?」


「お前、学祭中に悲しい話を振るなよ。

 俺は今年は多分、、、、ダメだな。

 一浪して、東京の有名大学、、とは言っても国立のあそこじゃないぞ。

 臙脂と黒のジャージでお馴染みのところだ。

 あそこで絶対ラグビーする」

と心なしか沈みかけた目を輝かせながら語る。


「じゃあ、汐路さんと一緒ですね」

と俺は尋ねる。

 高校のチームメイトが強豪大学でもチームメイトになる、熱い展開だ。


「アホか?

 汐路があそこの大学に入る頃には俺はとっくに卒業しているぜ」

と呆れ顔の漆木先輩。


 汐路先輩、勉強を頑張って下さい!

 俺の応援をしている場合じゃないです。



「にしても、受験生に進学の話を振るとは大した度胸だ。

 汐路や平島を相手にしてビビらねえのも当然か。

 お前は何か将来の進路とか決めているのか?」

と逆に尋ねられた。

 俺は度胸がいいというよりは、姉貴のいう通り、ぼーっとしているのである。


「俺はまだ決めてません。

 目標とする大学とかもないですし」

とありのままを答える。


「そうか、なら、お前も”うちの大学”に来い。

 可愛い汐路後輩が入ってくるから楽しみだぞ」

 汐路さんのお母さんと同じことを言っているのが笑える。


 ただ、うちは裕福な家庭ではないから東京の私立大学は無理だろうな、と”汐路さんと漆木先輩の大学”は諦めているのだが、それは黙っておこう。



 その後も漆木先輩と話をした。

 この先輩は話題が豊富で面白い。

 ラグビー部でのポジションはナンバー8だったそうな。

 チームで一番体の大きな選手がやるスクラムの要である。

 背丈はさほどないがこの恵まれた幅のある体躯はそのポジションをするのにはうってつけだろう。


 そういえば昨夜のチャットルームでハンドルネーム「ナンバー8」さんが諏訪遥香さんのファンだと公言していたが、そのことはこの際忘れよう。

 同一人物とは限らないし。


「さてっと、ついつい話が長くなっちまったな。

 何個か競技も終わったみたいだし、そろそろブロック対抗の騎馬戦じゃねえか?

 今度はお前が汐路を応援してやれ」


 そうか、もうそんな時間か。

 ラグビー部員が大活躍する二大競技Strong Armsと騎馬戦。

 貴重なブロック代表が怪我をしてはいけないということで、Strong Armsの出場選手は通例として騎馬戦には出場しない。

 過去2年はStrong Armsに出場していた汐路さんにとっては、騎馬戦は初参加となる。

 怪我が危ない競技なのに、怪我人の汐路さんが出てはいけないと思うのだが、まああの人のことだから止めても推して出場するに違いない。


 俺を何度も鼓舞してくれた汐路さんの声援。

 今度は俺がお返しをする番だ。


 自分のことで精一杯だった俺をそんな精神状態まで回復させてくれた漆木先輩に心からお礼を言って深々とお辞儀をし、俺はグラウンドへ向かった。



 

(続く)

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