【25】傷負ひて絆深まる
9月最初の日曜日、生徒会・部長連・自治会からのお達しにより部活動は禁止されているが、間近に迫った文化祭のクラス演劇の練習は行われる。
夏休み以降の学祭準備期間に生徒は休日であれば私服での登校を慣習として許可されているのでほとんどの生徒は私服で登校している。
しかしながら、俺、大町篤はこの日はきちんと制服を着用して出かけた。
正装した両親とともに中府市内にある汐路さんのご自宅へお見舞いとお詫びに伺うためだ。
その日に文化祭の練習を休むことは川上に伝えてあったが、事情が事情なので何も言われなかった。
立ち稽古の代役は井沢さんが務めてくれることだろう。
遡ること数日。
9月3日に行われたStrong Armsの代表決定戦の翌日、9月4日の朝のホームルーム後に沢野先生から廊下へ呼び出され、俺はそのまま連行されることを覚悟して鞄を持って廊下に出た。
しかし、普段通りの穏やかな表情の沢野先生からはこう言われた。
「アームレスリングの試合は、校則の上では一応、私闘として扱われます。
本来なら、何らかの厳罰が下される行為です。
今回は、幸いなことに相手の汐路くんとその親御さんから大町くんに処罰を与えないように強いお願いがありました。
昨日は緊急職員会議が開かれたのだけどね、結果として相手側からの処分減免の依頼が大きく響いたようで、措置としては口頭での注意、つまり厳重注意にとどまりました。
昼休みに進路指導室まで来てください」
俺とうちの両親は最低でも停学くらいに処罰は受けるだろうと覚悟していたので、心の底から安堵した。
昼休みに進路指導室へ出頭することを俺はもちろん受諾した。
それから、母親に電話でその旨を伝えることを許可して欲しいと先生に頼んだ。
沢野先生は穏やかな表情のまま
「いいですよ。
大町くんの親御さんもご心配されているだろうから、早く連絡してあげなさい。
校内では携帯電話を使用することは禁止されていますが、今回は構いません。廊下で電話することを特別に許可しましょう」
と柔軟な対応をしてくれた。加害者側の俺の親のことまで慮ることのできる優しい先生だ。
俺はその場で鞄からiPhoneを取り出して自宅へ電話をした。
母に短く用件を伝えると、沢野先生が電話を代わるよう言われたので、iPhoneを沢野先生へ渡した。
先生と母はしばらく話していた。
俺に電話が戻ってきたので再び母と話すと、電話の向こうにいる母は泣いていた。
「あんた、相手の汐路さんと担任の沢野先生にちゃんとお礼を言いなさいよ。
お父さんにも連絡しなきゃいけないから、電話はもう切るわね」
それだけ言って電話は切れた。
父へは母から連絡をする旨を伝えたので、沢野先生は
「そうですか。
ならば、あとは昼休みに進路指導室で話しましょう」
とその場を去って行った。
「沢野先生、寛大なご処置をどうもありがとうございます」
と俺は最敬礼で先生を見送った。
俺はホッとしたのもあったが、それ以上に汐路さんとその親御さんが学校側に俺への処分の減免を訴えてくれていたことが嬉しくて泣きたくなった。
いろんな感情が混ざって、その日の授業は頭に入らなかった。
昼休みになった。
俺は早弁してあったので、すぐに進路指導室へ向かった。
進路指導室には担当の事務の方しかいない。そこで俺が
「1年D組の大町です。
担任の沢野先生とお話があって参りました」
と要件を伝えると、事務員さんは
「はい、大町くんですね。
相談室1で沢野先生がお待ちです」
との案内を受けた。
相談室1をノックして
「大町です、失礼します」
と挨拶すると、中から
「どうぞ」
という声がするので、ドアを開けて入った。
テーブルの奥の席に沢野先生が座り、ノートパソコンを開いている。
ヒューレット・パッカード(HP)のSpectreだ。
沢野先生の表情はいつもと同じだ。険しい表情ではない。
そもそも沢野先生が怒ったところを見たことがない。
「それでは、そこに掛けて下さい」
と沢野先生に促されて俺は先生と対面する形で椅子に腰掛ける。
「まずは、昨日の事の顛末を聞かせてもらえるかな?」
事情聴取を行われた。
俺は、全てを事細かに話した。
決して「俺は悪くない」などと訴えたかったわけではなく、何がそこで行われたかを正直に話すことが、最も重要なことだと思ったからだ。
カタカタと軽妙にタッチタイピングでメモを取りながら、いや、恐らくは報告書を作成しながら沢野先生は俺の話を黙って聞く。
俺が最後まで話し終えると、沢野先生も手を休める。
「そうか、なら君には悪気はなかったんだね。
それにしても、君が汐路くんにアームレスリングで勝った時の話は実に興味深い。
君はスポーツや勉強をしている時に同じような経験をしたことはないかい?
これはあくまで私の個人的な興味だから答えなくてもいいよ」
その質問に対して俺は
「はい、中学時代にバスケットボールの試合で何度か経験したことがあります。
読書している時にも何度かあります。本を読んでいたら、数時間ほど時間が飛んでました。
勉強している時はたまにあります。
先生の作られた数学の問題を解いていて、中間試験の時には気づいたら解けてましたが、あれもそうだったかも知れません。
実力テストの問題3もそんな感じでした」
と正直に答えた。
沢野先生は軽く頷いてから静かに語り出した。
「そうですか。
私の古い友人で脳科学が専門の『そういう現象』について詳しい学者がいるから一度訊いてみよう。
ここまでは、私の興味の話です。
さて、話を本題に戻そう。
今回、君がしたことは仕掛けられた私闘に応じた形で、正当防衛は成立しない、と考えていい。
今後、君が大人になって社会に出て同じことをしたら、確実に傷害罪に問われます。
くれぐれも気をつけるようにしなさい。
君は体も大きく力も強いから、他人の暴力によって傷つく可能性だけでなく、自らを守ろうとした防衛的行動から相手を傷つける可能性も考慮しなければならないので大変だと思います。
それでも、君のような心優しい人には罪人になって欲しくありません。
だから、私からもお願いします。
身の危険があってどうしても避けられない場合を除いて、決して暴力行為をしないで欲しい」
俺の性格や性質を見抜いた上で、人生の先輩としてアドバイスをくれた。
事前に汐路さん側から事情を伝えられていたはずだ。それが俺を弁護する大きな要因となった。
俺の話を聞いた上で沢野先生がこの事件のあらましを把握して状況を判断し、「君もやりたくてやったんじゃないですよね」と言外に伝えてくれていたのが、せめてもの救いだった。
そんな「口頭での厳重注意」という名目の訓話が終わった。
無事に済んで良かった。
心の底から安堵しながら1年D組の教室に帰ると、昼休みの間に汐路さんが来てくれていたことを川上から聞いた。
汐路さんは右手に包帯こそしていたけれど元気そうで、「痛みもそんなになくて勉強にも支障ないから心配無用と大町によろしく伝えてくれ」と言っていたそうだ。
もうすぐ5限が始まるので、次の休み時間に3年D組まで挨拶に行こう。
5限が終わると俺は3年D組に急いだ。
教室に行くと、汐路さんがいた。
俺が取り継ぐまでもなく、出入り口付近の先輩が
「おーい、汐路!
大町くんが来てくれているぞ」
と汐路さんを呼んでくれた。
そうすると軽やかな足取りで汐路さんがやって来た。
包帯の巻かれた右手が痛々しかった。
汐路さんは
「わざわざ、来てもらって悪かったな。
昼休みに行ったら留守だったんで、川上だったっけ?そいつが事情を説明してくれたよ。
進路相談室で厳重注意だったってな。
なんか、本当に悪かったな」
と言って深々と頭を下げる。
「頭を上げてください。
悪いのは俺です。
厳重注意で済んだのは、汐路さんとご両親が学校側に俺の処分の減免を訴えてくれたおかげです。
俺の方こそ、心からお礼をさせてください」
と今度は俺が深々とお辞儀をする。
汐路さんは言う。
「でもさあ、骨も折れてないし、手首も痛くない。
単なる軽い打撲だから、気にするなよ。マジで。
なんかお前の両親がうちにお詫びに来るって行ってたけど、そんな大げさなの無しにしねえか?」
俺は応える。
「いや、それではいけません。
先輩に怪我をさせてしまったのは事実ですから、お詫びはさせてください。
そうでもしないと俺だけじゃなくて両親の気が済まないんです。
特にうちの場合、先輩と同い年の高校3年生の姉がいるので、『受験生に怪我をさせたこと』の重大性に敏感なんです」
汐路さんはそれを受けて
「ああ、そういう事情もあったのか。
ならわかった。
両親には、大町と両親が日曜日に挨拶に来るって念を押しておく。
それならば、ご両親にお伝えしておいて欲しいのだが、うちの両親は全く怒っていないからあまり気を揉まないで気軽にお越しください、ってな。
うちの両親が怒っているのは、お前を巻き込んだ俺に対してだ。お前に対してじゃない。
そこんところをよろしくな。
もう、授業が始まるから教室に戻れよ、大町。
じゃあな」
と罪悪感に苛まれている俺とうちの両親を気遣ってくれた。
それだけ言うと、教室に入って行った。
汐路さんは漢だが、親御さんもさっぱりして良さそうな方なのだろうな、と思った。
それに「俺の姉」の話をしても、スルーしている。
汐路さんには、きっと彼女さんがいるのだろう。
さて、話を9月の第一日曜日に戻す。
両親とも険しい表情で、汐路さんの宅に到着するまで終始無言であった。
母も先方からは「そんなに気にしないで」と言われたようだが、一応のお見舞金と菓子折を持ってのお見舞いとなった。
伊奈川駅から私鉄の府島線で中府駅まで行き、そこから地下鉄に乗り、光駅で別の路線に乗り換える。
しばらくすると汐路さんのご自宅の最寄駅についたので、そこで駅を降り、俺のiPhoneの地図を頼りに10分ほど歩いて、お住いのマンションを見つけた。
入り口で部屋番号を押し、父が
「ごめんくださいませ。大町でございます。お見舞いに参りました」
と挨拶すると、それに応えて
「はい。汐路です。すぐ開けますね」
とお母さんらしき女性の声が聞こえた。
程なくして入口のドアのロックが外れて開いたので、マンション内に入ってエレベーターで8階まで上がって部屋の前までやって来た。
玄関のチャイムを俺が押し
「大町です。お見舞いに参りました」
と挨拶をした。同じ女性の声で
「はい。伺いますね」
と返答があり。玄関のドアが開いた。
汐路さんのお母さんが笑顔で
「遠いところわざわざありがとうございます」
と俺たちを招き入れて下さり、応接間へ案内された。
汐路さんとお父さんはすでに応接間で待っていた。
汐路さんは右手にサポーターをつけており、俺に右手を上げて「大丈夫だぞ」とでも言いたげな表情であった。
先輩のお父さんは、何というか、要するに汐路さんとそっくりだった。いかつくて一見すると威圧感があって強面ですらある。
電話越しに話をしたことはあってもこの父子とは初対面である、うちの父の緊張がひしひしと伝わってくる。母は家を出てからずっと黙ったままだったが、暗い表情をしていた。
汐路さんとそのご両親に差し向かって、父が深々とお辞儀をして、
「この度はうちの篤が汐路さんの大切なご子息に大変なご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。
何といってお詫びすればいいものかわかりませんが、取り急ぎお詫びとお見舞いに参りました」
とお詫びを始めたので、俺と母も同じく深々とお辞儀をした。
すると、汐路さんのお父さんは間髪入れずに
「そんなに気にしないでください。
大町さん、お願いですから頭を上げてください」
と声をかけてくれた。
「それでは失礼します」
と父が姿勢を正したので、俺と母も姿勢を戻した。
汐路さんのお父さんが
「立ち話も何ですから、まずはお掛け下さい」
と勧めてくれたので、両親は応接間のソファに腰掛け、先輩のお母さんがお茶を出す。
その後、お母さんも席に着いたので、テーブルを挟んで汐路さんのご両親と向かい合った。
俺と汐路さんはそれぞれがテーブルの両端に置かれた椅子に腰掛けた。
大町家の3人が腰を下ろすと今度は、汐路さんのお父さんが、
「こちらこそ、うちのバカ息子が大町さんの大切な息子さんに危うく怪我をさせるところで、申し訳御座いませんでした。
今回、怪我をしたのがうちの息子の方で良かったと私ども夫婦は安堵しておるところです。
問いただせば入学時にもラグビー部へ過度の勧誘をして大変ご迷惑をおかけしたとのこと。
機会があればこちらの方から出向いていってお詫びしなければならないところを遠路はるばるお越し戴き、申し訳ございません。
うちの息子の怪我なんぞ、ラグビーの試合の後の方がずっと大変です。
これくらいのことは何ということもありません。
どうぞ気になさらずに。
怪我なんぞしなくてもどうせ勉強しない愚息ですから、受験勉強への影響なんて全く御座いません。
むしろ、おかげさまで和樹も天狗の鼻を折られたようで、人並みに反省することができました。
今回の件で、こいつも思うところがあるでしょうし、おそらく人間としてさらに成長することができるでしょう。
ですから、大町さん、篤くん、もう気にしないで下さい」
と言い終わるやいなや、座ったままではあるけれど深々と頭を下げる。お母さんと汐路さんも同じく深く頭を下げる。
今度はうちの父が、
「いやいや、汐路さん、頭を上げてください。
お詫びすべきはうちの方ですから」
しばらく互いにお詫びのしあいが続いたが、最後は汐路さんのお父さんが、
「しかし、大町さんも頑固者ですな、うちの和樹が脅してもラグビー部に入らなかった篤くんはお父さん似なのでしょう。
はっはっは」
と笑い出した。
俺はどちらかというと母親似なのだ。
頑固者という点では姉貴の方が父親似だと思う。
すると、うちの母が、
「もったいないお言葉ばかりかけていただいてありがとうございます。
これはつまらないものですが、お菓子をお持ちしました。
それから、お見舞い金も持参しましたのでどうぞお納めください」
と菓子折りとお見舞い金をテーブルに乗せて、汐路さんのご両親へ差し出す。
それに対し、今度は汐路さんのお母さんが
「丁寧にありがとうございます。
お菓子の方はいただきます。
でも、お見舞い金の方はいただけません。それはいけません。
先に主人がもうしました通りで、元はうちの和樹が腕相撲の試合に篤くんを巻き込んだのが原因ですし、篤くんは正々堂々と腕相撲で挑んでくれています。
結果として、和樹が負けて手をクッションが敷いてある台の上に打ちつけて多少の怪我をしただけです。
お見舞い金はいただけません。
そんなことをしていたら、うちはラグビーの試合のたびに破産してしまいます」
と笑顔でユーモアを交えてやんわりと断る。
菓子折を受け取ると、その上に乗せてあったお見舞い金の入った封筒を手に取ると
「これは、うちの和樹の鼻っ柱を折ってくれたお礼金です」
と俺に渡した。
両親がお見舞い金をいくら用意したかどうかわからないが、封筒はずっしり重かった。
反射的に受け取ってしまったので、仕方なく父に渡すと
「そうですか。
これは大変失礼いたしました」
と父はもう一度頭を下げた。
父は顔を上げて、ひと呼吸置いてから
「このお金は学校の方に寄付させていただいて、生徒が自由に使える安全な腕相撲の台を買っていただくようにお願いしたいと思います」
と提案した。
もしも汐路さんのご両親がお見舞い金を受け取ってくれたとしても、うちの両親は学校にアームレスリングの競技台を買うお金を寄付することに決めていたんだと思う。
そうでなければあのタイミングでこんな提案が出来たはずがない。
俺の見ていないところで、両親はずっと汐路家と暁月高校へのお侘びの方法を検討してくれていたのだろう。
俺は本当にいい両親を持ったと目頭が熱くなった。
汐路さんのお父さんは咄嗟に反応した。
「大町さん、それは良いアイデアですね。
うちのバカみたいなのが間違えて他の生徒さんを怪我させないようにしましょう。
そういうことならうちにも寄付をさせてください。
いや、これは譲れません、いいですね」
父は反射的に頷いた。頷かざるを得なかったのだろう。
汐路さんのお父さんはしばし思案してから
「ところで、その腕相撲の専用台というのは値段は一体いくら位するものでしょう?
おい、和樹、すぐにお前のノートパソコンを持ってきてここで調べろ」
と新しい提案にさらにアイデアを上乗せする。
頭の回転の速い人だ。
「でも、先輩は手を怪我してますが」
と俺が言うと、汐路さんは
「大丈夫、大丈夫。
ノートパソコンくらいどうってことない」
と足取りも軽やかに自室へ消えていく。
戻ってくると、テーブルの上で富士通のFMV LIFEBOOKを広げる。
「じゃあ、『アームレスリング 競技台 値段』で検索するわ」
と汐路さんは軽やかにタイピングする。右手を痛がるそぶりがないので俺は内心ホッとした。
汐路さんはすぐさま目的を果たしたようで
「専門メーカーっぽい会社の直販サイトのページがある。
これなんか、国際大会モデルみたいだよ?」
と画面をお父さんに見せる。
俺からは見えない。
「なんだ、意外と安いなあ。
どうです?大町さん」
とうちの父にも相談している。
うちの父がページを丁寧に見ているのがわかる。
LIFEBOOKを受け取ってしばらくスクロールしたり、いくつかのページを見たりしているのだろう、数分かかった。
父は慎重派なのだ。
アームレスリング競技台などという未知の商品を選ぶのに慎重になって当たり前である。
「確かに、思っていたよりも安いですね」
とうちの父も言う。
LIFEBOOKを汐路さんに戻す。
うちは明らかに高級そうなマンションに住んでいる汐路さんの家のように金持ちではない。
その父が言うのだからさほど高額な商品ではないのだろう。
すると、汐路さんのお父さんが
「じゃあ、和樹、その国際大会の規格の方の競技台の在庫が今いくつあるかを調べろ」
と指示する。
まさか?
汐路さんは答える。
「在庫は1台だよ」
すかさず汐路さんのお父さんは命じる。
「よし、今すぐクリックして買え。
母さん、俺のクレジットカード出してくれ」
やはりそう来たか。
汐路さんも漢だが、そのお父さんも漢だ!
慎重な父は、当然ながら止めに入る。
「そんなに慌てなくても良いのではないでしょうか?」
先輩のお父さんは
「いいや、今回の件で学校には大きな御迷惑をおかけしたんです。
すぐに対応しないと、今年の体育祭の腕相撲大会自体が中止になりかねません。
私たちが動くことで、篤くんの晴れの舞台を潰さずにいられるんです。
で、和樹、納期はいつだ?」
と理由を説明して話を進める。
汐路さんは、
「休日も即日発送みたい。
会社は隣の県にあるから近いよ」
お父さんは
「じゃあ、そこでクレジットカード決済で買え。
送付先は、学校な。
学校には明日の朝一番で俺の方から連絡を入れておく。
今買えば来週の木曜日の体育祭に間に合うな」
クレジットカードの情報を入力する段になって、パソコン操作をお父さんと変わり、あっという間にアームレスリングの競技台を購入してしまった。
うちの両親と俺は呆気にとられてしまった。
だが、父はなんとか正気を取り戻して
「うちも約束どおり、せめて半額は支払わせてください。
汐路さん、いいですね」
と汐路さんのお父さんに詰め寄った。
汐路さんのお父さんは
「いえいえ、もう買っちゃいましたし、大した額ではありません。先ほど申し上げました通り、悪いのは和樹です。大町さんの御足代の分だと思ってうちでこの代金は全額払わせてくださいよ。大町さん」
と汐路家だけで競技台の代金を負担しようとしていた。
しかし、父は負けずに主張を続け、しばらく経ってようやく
「汐路さん、半額はうちが負担します」
と押し切った。
働いている時の父の姿を垣間見た気がする。
いくら払ったのかを俺は知らない。
一段落つくと、汐路さんのお母さんは
「すみません。
うちの人はせっかちでね。
証券会社で仕事をしているのも影響しているのかしら?
決断が速すぎるのよ」
とお詫びする。
お父さんは証券マンだったのか?
全く想定していなかった職種だったのでとても驚いた。
そんな感じに場も和んで来た。汐路さんの御家族の寛容さと大胆さに良い意味で驚かされてばかりだった。
リラックスして来たせいか周りをよく見ると、応接間にはテレビでもおなじみの有名大学のラグビージャージを着た汐路さん、じゃないな、汐路さんのお父さんの勇姿を撮った写真が何枚か飾られていた。
その脇に、うちの高校のラグビー部のユニフォームを着た汐路さんとチームメイトの写真があって、バックに「祝!花園出場」との横断幕が写り込んでいた。
その写真をずっと見ていると、お父さんが
「おっ、その写真か。
懐かしいなあ。
そこに写っているのは私が暁月高校2年生の時に一緒に花園へ行ったメンバーです」
なんと、こっちもお父さんだったか。
汐路さんとお父さんはそっくりすぎるだろ!
そう言えば、確かにここ数年はうちのラグビー部は花園に行けてない。
それに、写真の雰囲気が、なんとなく、全体的に古い。
合点がいった。
丁度ラグビーの話題になったので
「ということは、汐路さんとお父さんは2代続けて暁月高校のラグビー部なんですね」
と俺が尋ねると、汐路さんは
「ああそうだ。本当は親子2代で花園出場ってのが夢だったんだけどな。
だから今は、親子2代で同じ臙脂に黒のラグビージャージを着るのが夢なんだ」
と答える。
「その割には、お前、勉強してねえけどな」
とお父さんが突っ込みを入れる。
「うるせえ、親父は指定校推薦で入ったから楽できたじゃねえか!」
と反論すると、
「ばかやろう!その分入学してから3年間、常に好成績をキープし続けていたんだ。
お前みたいに暁月じゃなかったら留年してそうな成績じゃなかったんだよ。
ぜめて入試くらい苦しめ」
とさらに厳しい言葉が飛び交う。
俺は思わず
「汐路さん、すごいですね。
部活の鬼かと思っていたら、引退した途端にあの名門大学を目指して猛チャージ中って格好良いです」
と口にしてしまった。
3年D組は文系クラスだ。
うちの学校は国公立志望・私立志望でクラスを分けていない。
文系か理系か、あとは理科と社会の選択教科でクラス分けがなされる。
国公立大学への受験者の多いうちの高校だが、中には特に文系で最初から私立大学専願の生徒もいる。
それにしても、汐路さんはあんな難しい大学を狙っていたのか!
その志の高さに尊敬してしまった。
まんざらでもない表情の汐路さんだったが、そこへ
「大町くん、この子が3浪とかして後輩になっても、友達でいてやってくださいね」
とお母さんの厳しい一言が。
思わず沈黙が場を支配した時に、チャイムが鳴った。
汐路さんのお母さんがドアホンに出るとそのまま玄関の方へ行く。
戻ってくると大きな寿司桶を手にしていた。
すぐさま俺が手伝いに走ると
「和樹、あんたも大町くんを見習いなさい」
と叱咤されるので、そこはさすがに
「いや、先輩は怪我をされてますから」
とかばった。
お父さんは
「それにしても、よく気の利く子ですな。
うちの和樹とは大違いだ。
ところで、大町さん、お酒はイケる方ですか?」
と父に尋ねる。
寿司桶がここにあるということは、全て段取り通りだったのだろう。
この父にしてこの子あり。
汐路さんはいかつくて強面だけど、実は気の利く心の優しい先輩だ。
お父さんも汐路さんに似ていかついけれど、身の縮む思いでお詫びに来るうちの家族を手厚くもてなそうと準備していたのだろう。
アームレスリングの競技台の件では、機転の効くところとか頭の回転の速さとか、うちの父ではとてもできない芸当をやってのけた。
いきなり学校に競技台を送りつけても大丈夫だろう、と予想していたのは、ご自身がOBであり、校風をよく理解されていたからだと思う。
おそらく、名物OBで通っていて、一言挨拶を入れれば競技台の寄付くらい容易く通る、それくらいの信頼を学校から得ているのだろう。
普段からこんな感じなのだから、さぞや敏腕の証券マンなんだろうな?と今では汐路さんのお父さんがとてもカッコよく見える。
うちの父とは水と油かもしれないが、俺と汐路さんが監禁ドラフトやアームレスリングでの怪我を経て「大町」「汐路さん」と呼び合える仲になったように、父親同士が意外と仲良くなる日もそう遠くないかも知れない。
幸いにも大人には仲良くなるための「お酒」という特別な共通言語がある。これは父の受け売りである。
早速、父と先輩のお父さんはビールで乾杯している。
母と先輩のお母さんはお茶で寿司を食べながら談笑している。
俺は、汐路さんと、お茶で、、、
あれ?え?
この瓶は違いますよね、汐路さん。
汐路さんご一家のご厚意のおかげで、うちの一家は救われた。
そればかりかこんな歓待を受けてとても幸せだと思う。
それにしても、いやいや、「何事も経験だ」じゃないですよ。
「人生の先輩が受験勉強の辛さを教えてやる、これは授業料だ」ですか?
これは因果応報というものだ。仕方ない。
何せ今週は危うく停学処分になりかけた身である。
これ以上、俺は語るのをやめたほうが賢明であろう。
(続く)




