【17】文殊の知恵と身分相応の高望み
私、井沢景は、昼間は文化祭で発表するクラスの小劇場演劇の練習に演出助手という名の何でも屋として参加し、夜には文化祭で販売される部誌「文芸・東雲」に寄稿する原稿を書くという生活を送っていた。
ちっとも夏の「休み」ではない。
演劇の方では、舞台監督の川上くんが部活で抜ければ、彼の演出プランに沿って舞台監督代理の役目を担った。
またキャストの誰かが部活で欠ければ、立ち稽古でその代役を行った。
文字通りの何でも屋である。
忙しいけれど、とても楽しい。何より文化祭の本番では出演しなくてもいいのが気楽でいい。
一方の原稿執筆であるが、苦しみ抜いて書き上げた学内向けの電子版の部誌である「季刊・暁天」に寄せたSF小説(文芸部のみんなからは別の評価を受けたけれど)の執筆経験から今回はなんとか自分でアイデアを出してプロットを作り、今は半分くらいまで書き進めていた。
このペースなら、夏休み最後の全校出校日に第1稿、という名のほぼ完成稿を提出することができそうだ。
そんな感じで私の夏休みはそれなりに充実したものとなった。
もちろん自由な時間が多いので、いっぱい本を読んだ。
どこかの書評で高評価を受けていた麻耶雄嵩の「神様ゲーム」「さよなら神様」を続けて読んだ。
読み終えてなお、「?」と疑問が残る箇所もあったが、面白かった。やはり本格ミステリーはいい。
そんなことをしているとすぐにお盆休みに入った。
お盆休みは、さしもの暁月高校でも学校が閉鎖されるので部活も文化祭の練習もない。
「しばらくは執筆に専念できる」とホッとしてごろ寝しているとiPhoneにメールがあった。
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件名:ご相談です
景ちゃんへ
ご機嫌いかがですか?
暑い日が続きますね
(中略)
実はご相談があります。
「文芸・東雲」用の原稿を書こうと頑張っているのですが、テーマが思い浮かびません。
「季刊・暁天」の方へ寄せた作品で全て書き切ってしまったようです。
私はミステリーやSFを書けないので、今回も作風は純文学になりますが、それでも何かアドバイスをいただけると助かります。
何卒、よろしくお願いします。
稜子
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文字数オーバー以外は問題なく第1作を書き上げた稜子ちゃんが、明らかに1作目で躓いた私に相談に乗って欲しい、というのは余程のことだろう。
しかし、果たして私だけでいいアドバイスができるであろうか?
とても無理だと思う。
ならば、須坂くんと一緒の方がいいのでは?
私は困るといつも須坂くんを頼ってしまう。
仕方がないが、私だけで問題が解決しないよりは、迷惑を覚悟で須坂くんを頼った方が稜子ちゃんにとっては有益だ。
「度々、ごめんね」と断り書きを添えて須坂くんにメールをすると、すぐ返事が来た。
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件名:チャットにしない?
須坂です
了解です。
僕と筑間さんで話し合ってもいいけど、どうせなら井沢さんも一緒にチャットで3人で話し合わない?
学校のチャットルームを確認したら2箇所空いていたから縁起の悪そうな13番じゃなくて14番の方を押さえておいたよ。
筑間さんも準備がいるだろうから、余裕を持って20時に予約を入れた。
都合が悪ければ、日時を変更します。
筑間さんと相談してから返事をもらえるかな?
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相変わらずのフットワークの軽さである。
須坂くんは、ネット小説の連載を2本抱えているが、部誌へ寄稿する原稿は2本とも完成させて提出済みだし、映画研究部のために書いた脚本もとっくに完成させて渡してある。
あとは映画研究部の問題だ、という飯山部長の言葉を守ってもう映画製作には関わっていない。
文化祭のクラスの演劇でも、「小道具係その3」という職にちゃっかり収まっているので忙しくない。
クラスメイトにはおそらく彼がサカスコータ先生だとバレていないのだろう。
そんなわけで、須坂くんはきっと退屈していたのだろう。
私はメールを送り、学校のチャットを利用して、須坂くんも含めて3人で話し合おうよ?と稜子ちゃんに提案した。
稜子ちゃんは、その提案を喜んでくれた。
チャットをすることも、その時間も了解、とのことなので須坂くんにその旨を伝えた。
稜子ちゃんは過去にクラスの用事でチャットルームを使用したことがあるから使い方は大丈夫、とのことだった。
私もクラスの文化祭の準備のために使ったことがあるから問題ない。
ということで、その日の20時にチャットルーム14に集合となった。
私は、その日はダラダラ過ごしたり気が向いたら原稿を書いたりしながら夜を迎え、家族と一緒に夕食をとって、約束の時間の前に自室でMacBook Proに向かった。
その夜の20時の少し前にチャットスペースに入る。
ルーム14の「日常会話」へ入るように、とのことだった。
承認制で予約してくれているとのこと。
学校のホームページのチャットスペースにログインする。
このチャットスペースは当然、在校生専用である。
ルーム14を探しながら、現在行われているチャットを確認する。
ルーム1:2年C組演劇準備会議
時刻 :19時から
メンバー:自由 (20人)
備考 :2年C組の生徒のみです。
ルーム2:3年A組の文化祭準備
時刻 :20時から
メンバー:自由 (2人)
備考 :3年A組の文化祭・シナリオ班のみでお願いします
ルーム3:この際だから学内でどの子が一番可愛いか決めようぜ!
時刻 :16時から
メンバー:自由 (93人)
備考 :男子有志一同。もちろん、女の子の参加もお待ちしております!
ルーム4:文化祭を盛り上げよう全体会議(第26回)
時刻 :18時から
メンバー:自由 (21人)
備考 :文化祭を盛り上げたいと思う生徒は誰でもご参加ください!
やはり学祭の話題で盛り上がっているみたい。
ルーム4はおそらくクラスと関係なく文化祭を成功させることに関心を持っている生徒が集まっているのね。
それにしても、第26回って、、、「会議は踊る、されど進まず」なのだろう。
そこまでざっと流し見して、ルーム3のところを二度見してしまう。
「何これ?」
意識高い系の女子生徒なら怒るところかもしれないけれど、私は笑っちゃう。
川上くんや上田くんみたいな男子って校内では他にもたくさんいるんだなあ。それにしても100人近くもいるとなると笑いが止まらない。
16時から始めているっていうのも、なんだか可愛く思えちゃう?
他のチャットルームも軒並み文化祭関係ばかり。
そういえば、1年D組の準備のためのチャットルームはなかったなあ。
おそらく、うちのクラスの演劇の主力メンバーはルーム3にいるからだろう。
ルーム14を探して私はブラウザをスクロールする。
ルーム12:アニメ好き集まれ!
時刻 :19時から
メンバー:自由 (18人)
備考 :どなたでもお気軽にどうぞ!
ルーム13:おしゃべり
時刻 :21時から
メンバー:承認制 (0人)
備考 :未記入
ルーム14:日常会話
時刻 :20時から
メンバー:承認制 (0人)
備考 :未記入
ルーム15:吹奏楽部、来週の合同合宿に向けてのミーティング
時刻 :20時から
メンバー:自由 (16人)
備考 :吹奏楽部の部員は全員参加
そういえば、一緒にクラスの演劇「Round Bound Wound」で作品を作っていく中心となった衣装担当の羽村浩美さんと音楽担当の遠見有希さんはアニメが好きだ。
もしかしたらルーム12でチャットしているかも知れない。
のぞいてみても良かったけれど、きっと私には話についくだけの知識がないから、やっぱりやめておいた。
ルーム13は「おしゃべり」かあ。
気の合う者同士で集まって、和気藹々とチャットする。
きっと仲良しの女子グループなんだろう。
私も一度やってみよう。
須坂くんが準備をした時にはここはまだ空いていたみたいだから、きっと直前に集まったんだろうな、とか勝手な予想をしてみる。
いかにも「おしゃべり」って気軽な集まりっぽい。
ルーム14にたどり着いた。
1つ下のルーム15では吹奏楽部がミーティングを開いている。
全員参加って書いてあるけど、吹奏楽部は当たり前だけど規律が厳しそうだから流石だなあ。
で、ルーム14に入る。
承認制で登録してあるから、入室時のID認証に少し時間がかかる。
これだけの生徒がチャットスペースを利用していれば仕方ないことだ。
しばらく待っていると、私は認証されて入室できた。
「ほむらきつねさんが入室しました」
との表示が出る。
すると、
【グロック17】:
ほむらきつねさん、いらっしゃい。
【カモミール♪】:
こんばんは、ほむらきつねさん!
私が最後だったみたいだ。
よそ見している場合じゃなかった。
【ほむらきつね】:
どうも遅くなりました。
【グロック17】:
遅れてないよ。みんな来たばっかり。
【カモミール♪】:
そうですよ。
こちらこそ、突然にお願いして申し訳ありません。
【ほむらきつね】:
いえいえ、大丈夫です。
【グロック17】:
ところで「ほむらきつね」って何?
そういうきつねがいるの?
【カモミール♪】:
私も気になります。
【ほむらきつね】:
本当は他のハンドルネームをつけたかったの。
でも、5回くらい「その名前はすでに登録されてます」で。
その時に使っていたブラウザが、
Firefoxだったから火と狐で「ほむらきつね」。
【カモミール♪】:
なるほど!
焔と狐なんですね。
【グロック17】:
なんか妖怪の名前みたいだね。
【ほむらきつね】:
妖怪とか言わないで!
【カモミール♪】:
早速、本題に入らせていただいていいですか?
【ほむらきつね】:
ええ、どうぞ。
【グロック17】:
どうぞ。
【カモミール♪】:
はい、では。
先日、「季刊・暁天」のための原稿を入稿しました。
私の中にある全ての思いを作品に込めました。
ですので、私の中にはもう書くテーマがないんです。
【グロック17】:
そういう状況なんだね。
初めて書いた原稿を仕上げた後の空虚感、だね。
僕にもあったなあ。
そんなに慌てなくていいよ。
【カモミール♪】:
はい。
でも、「文芸・東雲」に私は書かないといけません。
本当に何を書いたらいいのか分からなくなってて。
私はしばらく須坂くんに任せる。
私ごとき初心者では有意義なアドバイスできないと思う。
【グロック17】:
カモミール♪さんが書きたいことを書くこと。
それが大前提だよ。
1作目はどんな作品だったっけ?
【カモミール♪】:
はい、女子高校生が主人公の青春小説です。
主人公の一人称語りです。
【グロック17】:
純文学だよね。
【カモミール♪】:
はい。一応。ジャンル分けをすれば。
【グロック17】:
だったら尚更だ。
まず書こうよ。
主人公が考え、行動し、その結果として起こったことを。
【カモミール♪】:
でも、どんな主人公にすればいいかで迷っていて。
それに文体とか、今度は三人称の方がいいかな?
色々考えることが多くて。
第1作を書いた時の私の悩みに近いのかも知れない。
【グロック17】:
急に文体を変えるのは難しいよ。
そのまま女性一人称でいいんじゃないかな?
自分より年上は描くの難しいよね?
当たり前だけど大学生とか社会人とか経験ないし。
じゃあ、前の主人公より若くして、、、前回は何歳?
【カモミール♪】:
高校1年生です
【グロック17】:
じゃあ中学生にしたら?
【カモミール♪】:
そうですね。
それなら書けそうな気がします。
分かりました。
いや、分かって来た気がします。
では、テーマについてもアドバイスをください。
私も傍観をやめて議論に復帰する。
【ほむらきつね】:
好きな小説とか、漫画とか、映画とか、ヒントにならない?
【カモミール♪】:
私は漫画を読まみません。すみません。
小説は純文学系なら大抵のものは読みます。
映画も文学作品が原作のものと好きな脚本家さんの作品は見ます。
【グロック17】:
筋金入りの文学少女だね。
映画はどんなのが好きなの?
【カモミール♪】:
カズオ・イシグロ原作の「日の名残り」とか、
三浦しをん原作の「舟を編む」とか。
【ほむらきつね】:
トコトン文学路線だね。
【カモミール♪】:
すみません。融通効かなくて。
【グロック17】:
そんなことないよ。
【ほむらきつね】:
私みたいに芯が通ってない方がダメな気がします。
【カモミール♪】:
そんなことありません。
多趣味なのはいいことです。
【グロック17】:
話を元に戻すね。
「日の名残り」も「舟を編む」も壮大な物語だ。
今度は指定枚数の厳しい中編だからちょっと無理かな?
せっかく1作品を書き上げたスタイルがあるのだから、
それを活用したら?
【カモミール♪】:
なるほど!
【グロック17】:
書き慣れたスタイルなら筆も乗るでしょ?
純文学なら「トリック」とか「オチ」にとらわれず、
自由に書けるんじゃないかな?
あっ、これはあくまで個人の意見だけどね。
【カモミール♪】:
じゃあ、中学生の女の子を主人公の語り手にして、
せっかくだから季節を今度は春から夏に移して、
舞台も中府(なかくら)市内ではなく、避暑地の別荘地にします。
【ほむらきつね】:
えっ、カモミール♪さんの家って、別荘持ってるの?
【カモミール♪】:
はい。
【グロック17】:
へ~凄いね。
別荘を持ってる家の人に生まれて初めて逢った!
【カモミール♪】:
すみません。
別にそういう、自慢をしたいわけじゃないですんです。
【ほむらきつね】:
私もグロック17さんもそんな風に考えていないよ。
【グロック17】:
ごめん。
僕の言い方が悪かったね。
【カモミール♪】:
こちらこそ。お気遣いさせてしまってすみません。
でも、私、なんだか書けそうな気がして来ました。
【ほむらきつね】:
良かったね。
【グロック17】:
お役に立てて何よりです。
そんな感じで、私たちのチャットは終わった。
稜子ちゃんがこれでヒントを得てくれたのならよかったよかった。
21時過ぎにチャットが終わった時に、他のチャットルームの状況も見てみた。
それからルーム14のご近所を見てみる。
ルーム12:アニメ好き集まれ!
時刻 :19時から
メンバー:自由 (30人)
備考 :どなたでもお気軽にどうぞ!
ルーム13:おしゃべり
時刻 :21時から
メンバー:承認制 (2人)
備考 :未記入
ルーム14:空室
時刻 :ーー
メンバー:ーーー (0人)
備考 :ーーー
ルーム15:吹奏楽部、来週の合同合宿に向けてのミーティング
時刻 :20時から
メンバー:自由 (45人)
備考 :吹奏楽部の部員は全員参加
アニメのチャットは人数が増えてるみたい。
「おしゃべり」は、ふたりでやってるのかな?
でもきっと今から三々五々集まってくるのだろう、と勝手に想像する。
吹奏楽部員は45人もいるのね。
ちゃんと全員参加してるのかしら?
最後に、画面をスクロールして一番面白そうなチャットルーム3を見てみる。
ルーム3:この際だから学内でどの子が一番可愛いか決めようぜ!
時刻 :16時から
メンバー:自由 (102人)
備考 :男子有志一同。もちろん、女の子の参加もお待ちしております!
少し増えたみたい。
のぞいてみてもいいけど、せっかく男子だけで楽しんでいるなところに水を差してはいけないのでやめておいた。
そして、私はログアウトした。
それからほどなくして、夏休み最後の全校出校日がやって来た。
私は午後から文芸部室に集合した部員のみんなに新作のミステリーの第1稿を読んでもらい、意外な評価を得つつも、なんとか原稿を完成させた。
もちろん先輩方による厳しい手直し指導と校閲を賜った
一方の稜子ちゃんは、「女子中学生が避暑地でひと夏を過ごした思い出」を描いた中編小説を書き上げて来た。
おそらく、稜子ちゃんの家の別荘があるであろう有名な避暑地の風景の描写も主人公の心理描写も丁寧に書かれていて素晴らしかった。
指定枚数の3倍という大作となった前作と異なり、今回は指定文字数にきっちりと合わせてあった。
凄い、何この変貌!
須坂くんも驚いていた。
稜子ちゃんの第2作は部員の全員一致で掲載が決定!
先輩方による手直し指導や校閲がほとんど不要な完成度だった。
「文芸・東雲」に掲載される稜子ちゃんお第2作は、
信濃涼子:「残心」
とタイトルも決まった。
返す返すも、私の作品とは大違いである。
今日はまだやることが残っていた。
文芸部員全員の完成原稿が揃ったので、飯山先輩の「あとがき」と、松本先輩がその場で完成させた「目次」をまとめて、中野先輩がヘッダーとフッターを各ページにつけて編集し、一冊の本としてデータをまとめた。
それに表紙と裏表紙のデータを添えて、毎年部誌の印刷を依頼している印刷会社のホームページからデジタル入稿を行うのである。
表紙のデザインを見せてもらうと、かつての文芸部のOGで絵を描くのも得意だった方が、「山の端に朝日が登っている風景」を描いたイラストが真ん中にレイアウトされていて、その上方に「文芸・東雲」と書かれてあるものだ。
ちゃんとナンバリングされていて、表紙の「文芸・東雲」という文字のすぐ下に「第〇〇号」とある。
今年の号数から、この高校の第1回生から文芸部は存在し、文化祭で部誌を出し続けていたのがわかる。
裏表紙のデザインは、真ん中に校章が描かれており、下部に「暁月高校文芸部」と書かれている。
中のページを開くと「第〇〇号」とページの端の方にヘッダーが入っており。ページの下端の真ん中にページ数を表すフッターが入っている。
あとは、この今年度の「文芸・東雲」を何部印刷するか?を決めて注文をかけるだけである。
学祭まであまり時間がないので、今日中に部数を決めて発注をしなくてはいけない。
私は先輩たちへ
「私たちの原稿が遅くなったから、スケジュールが厳しくなってしまってすみません」
と謝って頭を下げた。
稜子ちゃんも同様に謝った。
すると、飯山先輩は、
「私たち3年生も今の2年生も1年生の時にはこの日程で入稿したんです。
ですから、あなたたちだけではありません。
それできちんと間に合ってますから大丈夫です」
と笑顔で答える。
それを聞いて私も稜子ちゃんもホッとした。
そして、最終的な議論、部誌の「文芸・東雲」を印刷部数についての最終的な話し合いが始まった。
「暁月祭」というのは暁月高校の体育祭と文化祭を合わせた学校祭の呼称で、期間は9月の第2週の木曜日から次の週の月曜日までの合計5日間である。
例年、数多ある中府市内の高校の文化祭の中でも、特に来客数が多いことで有名なのが暁月祭である。
暁月祭は全部で5日間。
体育祭とそれに続く4日間の文化祭からなる。
暁月祭1日目の木曜日は体育祭。
学内の行事なので父兄の観戦はできない。
暁月祭2日目の金曜日から文化祭が始まる。
文化祭の1日目は、学内の生徒のみで行われる。
1年生の教室での演劇、3年生のクラス展示、文化系部活の発表がおこなわれる。
大きなイベントとしてはクイズ研究部が主催するQUIZ ULTRA DAWNがある。
夕方から体育館で開催される。
暁月祭3日目の土曜日は文化祭の2日目であり、一般公開される。
1年生の教室での演劇、3年生のクラス展示、文化系部活の発表は1日目と同様に行われる。
それに加えて、2年生の演劇の上演が体育館で始まる。
この日は抽選によって決められたスケジュールで半分のクラスが上演する。
お昼に吹奏楽部の演奏発表がある。
暁月祭4日目の日曜日は文化祭の3日目で同じく一般公開される。
1年生の教室での演劇、3年生のクラス展示、文化系部活の発表は1日目・2日目と同様におこなわれる。
この日は2年生の残り半分のクラスの演劇が体育館で上演される。
また、体育館ではお昼に合唱部の発表があり、一般公開日の体育館での発表のトリは演劇部による舞台の上演となる。
一般公開日に上演された体育館の2年生のクラス演劇に対しては、学内生徒及び来場者による投票を行い、得票数の上位3クラスが演劇部の舞台終演後に発表され、ファイナル・ステージへ進出することになる。
暁月祭5日目の月曜日は文化祭の4日目であり最終日となる。
この日も、学内の生徒だけでの行事である。
2年生の上位3クラスが体育館で舞台を再演するファイナル・ステージがあり、全学年が3作品を鑑賞する。
その中から全校生徒による決選投票が行われて、グランプリが決まる。
そのまま体育館で文化祭の各部門の表彰式と閉会式が行われる。
その後で後夜祭が催される。
有志の生徒と教員によるボーンファイアーがグラウンドで焚かれ、最後のイベントである「バーニング・ナイト」でフォークダンスを踊る。
というのが大まかなスケジュールである。
文芸部が部誌「文芸・東雲」を販売するのは、暁月祭の2日目から4日目の3日間である。
初日は体育祭、最終日はファイナル・ステージの鑑賞、となっているので、部活動の発表としての部誌販売はできない。
さて、3日間でどれだけの部誌が売れるか?
私にはわからない。
ただ、様々な内容の作品を載せているとはいえ文芸誌である。
高校生が書いた文集であり、文字ばかりの地味な本である。
飛ぶ様に売れるとは思えない。
「ちなみに、例年はどれだけ印刷しているのですか?」
と尋ねてみると、
「例年は、50部を印刷してもらってますよ。
売値は1部が300円です。」
と飯山部長が答える。
それに続けて
「その50部のうち、学校のホームページの公式通販に20部を納入してるんだ。
進学や就職で今は中府市を離れている熱心なOBやOGなんじゃないかな?と思われる人たちが購入してくれているみたい。
時々だけど、通販の方で売り切れてしまって、部室にある売れ残った『文芸・東雲』を引き取ってもらうこともあるよ。
中には過去のアーカイブもまとめて購入してくれる方もあるので、その年に売れ残った分も返本されずにそのまま商ってもらっているんだ」
と松本先輩が補足する。
「収益はどうするんですか?」
と須坂くんが尋ねる。
無料でネット小説を書いて読んでもらい、他の部の仕事まで手を貸している須坂くんにしては意外だ。
もしかしたら同人誌をすで刊行した経験があるのかも知れない。
「売り上げは、部誌の制作にかかった経費とともに正しく会計報告します。
利益が出た場合は決められた一定の割合を被災地への寄付に充て、残りは微々たるものだから部費として利用してもいいということになっています」
と飯山先輩が説明をしてくれた。
そこで、私は頭の中でカウントする。
7人の部員がそれぞれ1部ずつ購入し、文芸部の保存用と中川先生への謹呈用で9部。
公式通販の方に20部引き取ってもらって、残りは21部だけど、おそらく売れ残ると思う。
昨年の文化祭で文芸部の販売ブースを訪れた時にはまだかなりの冊数の「文芸・東雲」が積んであった。
運が良ければ公式通販への補充の依頼が入って、売れ残りなく終わる可能性もある。
OBやOGなど熱心な人もいるかも知れないけれど、所詮は高校生の文集である。
一般公開日には他校の生徒や保護者、近所の住人たちがたくさん来場されるのは例年の傾向からよくわかる。
でも、そのほとんどはクラスの発表や演劇を楽しみにして来訪されるわけであり、文芸部の売り場を目標にする人などなきに等しいだろう。
たくさん印刷しすぎて、それこそ「部室の中が売れ残った部誌だらけ」となってしまうのは避けたい。
「今年も50部で決定でしょう」
と私は内心思う。
「じゃあ、ちょっと部数をカウントしましょうか?」
と中野先輩が、状況を整理し始める。
実務に長けた中野先輩なら冒険しないはずだから安心だ。
「まず、部員それぞれが自分用に1冊ずつ買う。文芸部と顧問の中川先生の分で9冊。
公式通販に20冊。
映画研究部に委託したのが10冊。
ここまでで合計39冊。
50部の印刷で注文すると、残りは11冊」
という感じです。
私は内心、「11冊を3日で売る!それなら楽勝じゃないですか!」と思ったのだが、須坂くんと稜子ちゃんがなんだか難しい表情で黙っているので、私も黙る。
すると、須坂くんが案の定
「先輩、それじゃあ、かなり寂しいですよ。
この学校の文化祭ってどこかの同人イベントみたいにたくさんの来場者が来るじゃないですか?
11冊なんて秒殺ですよ」
と発注数の上方修正を提案した。
稜子ちゃんも
「おそらくその部数だと、初日に売り切れてしまうでしょう。
それでは、一般公開の日に来てくださったお客さんに対して文芸部は何もアピールすることができなくなります」
と前向きの発言で続く。
忘れてた。
稜子ちゃんは中学時代まで本格的な体育会系のテニス部員だったんだった。
しかもかなりメンタルの強い、前向きな選手だったとクラスのテニス部の子から聞いていた。
私は恐る恐る尋ねた。
「ちなみに、50部の上は何部での注文になるんですか?」
中野先輩が代表して答える。
「うちがいつも頼んでいるところは細かい部数調整が効かなくて、その代わり早くて安いんだけど、
50部単位での注文になるよ。
だから、50部の次は100部、その次が150部」
「じゃあ、200部で行きましょう」
と須坂くんは息巻くが、すかさず
「さすがにそれは無謀だよ」
と松本先輩にたしなめられた。
「だけど、今年は須坂くんが、ペンネーム・サカスコータで小説と戯曲を書いてくれているから売りにはなる。
『サカスコータ特別寄稿!』とうまく宣伝すれば部数は増えると思う」
と慎重派っぽい松本先輩も珍しく増刷に興味があるようだ。
ちなみに、サカスコータ先生の正体が須坂くんだというのは文芸部や映画研究部では公然の秘密だが、学校内やネット上では依然として秘密のままなのだ。
おそらくサカスコータ先生の読者にとっては、先生がこんなに若いとは思いもよらないことだろう。
「それに、この『文芸・東雲』にはもうひとり秘密兵器がいますしね」
と須坂くんは得意げである。
私にはなんのことやらさっぱりわからない。
あっ、素晴らしい新作を書いてくれた稜子ちゃんのことかな?と稜子ちゃんの方を見ると頬を赤らめて下を向いている。
どうしたの?
飯山部長が話をまとめる。
「昔はもう少し部員の数がいたのもあって、文化祭で『文芸・東雲』を100部刷るのが当たり前でした。
ですから、50部でなければならないというわけではありません。
それにせっかく知名度の高い部員がいるのだから、特別扱いはしませんが、巻頭に持って来るくらいの扱いをして、売りにしてもいいと思います。
部員なのだから『特別寄稿』などという扱いはいたしません。それは嘘になります」
思わず松本先輩はバツが悪そうに頭を掻きながら
「今年はせっかく1年生が3人も入部したんだから、もう少し『文芸・東雲』の部数を増やして、部の勢いを見せたいかな。
これは僕の個人的な希望というか見栄だけど」
と自分の意見を述べた。
松本先輩は「ちょっと増刷」派のようだ。
続けて
「飯山先輩の仰る通りで、須坂くんの作品はうちの売りになります。
最初から戯曲の方を巻頭にしてあります。
それから、昨年の文化祭で売り子をしていて感じたのは、50部だと少ないかな?という手応えです。
昨年は文化祭の3日目の午後以降は『文芸・東雲』を買えなかった生徒や一般客もいらっしゃいました。
もう少し印刷数を増やしましょう。
具体的には何部がいいかわかりませんが、
もし100部作るとすれば、さっきの計算と同じで、39部を引いて、61部です。
決して売れない部数ではないと思います」
と意外にも中野先輩も増刷賛成派だった。
それを受けて、
「昨年、私も苦い思いをしました。
他の高校の文芸部の方で部誌を持ってご挨拶に来てくれた方が結構いらっしゃったのですが、すでに在庫がなくてお返しをすることができなませんでした。
確かに部数は増やしてもいいかも知れません」
とさらに飯山先輩までが増刷賛成派となった。
「今年の『文芸・東雲』へ寄稿したミステリーは自信作だから、もっと多くの人に読んでもらいたいです。
でも100冊かな?」
と岡谷先輩は静かに意思表明をした。
私は印刷部数をどうするかよりも岡谷先輩の新作の内容の方が気になってきた。
「僕はサカスコータのペンネームで書いてますから、頑張って宣伝するので部数を増やしましょう。
200部で行きましょう!」
あくまで強気な須坂くん。増刷派の極みである。
「50部とか100部とか実感がわきませんから先輩たちのご判断にお任せします」
と稜子ちゃんは先輩たちの決定に従うようだ。
私も基本的には稜子ちゃんと同意見である。
だが、稜子ちゃんとは背負っているものが違うので、
「私の作品は、解釈次第では恥ずかしい内容みたいだから50部でも構いません」
と私だけが現状維持派となった。
その後も議論が続けられた。
どうやら増刷は避けられない模様。
あとは、何冊印刷するかという点が問題となっていた。
私たちは高校生だ。プロのマーケティング担当者じゃない。
いくらプロでも失敗することはあるだろうけど。
侃々諤々の議論はすれども、何の根拠もない希望的観測でしかみんな物を言っていない。
もうラチがあかないから、と最終的に飯山先輩が決断した。
「昔の勢いを取り戻すつもりで、思い切って100部を印刷しましょう。それでいいですね」
その場にいたみんなが
「意義なし」
と賛同した。
増刷は回避できなかったので、せめて売れ残り在庫が減るように
「私、頑張って売ります!」
と私がアピールすると
「いや、うちの部は販売ブースで黙ってお客さんが来るのを待っていたらいいよ。
売り声とかは出さないようにして下さい。
代々受け継がれて来た伝統だから」
と松本先輩にたしなめられた。
「はい」
と出鼻を挫かれた私はしょんぼりした。
一方、稜子ちゃんは
「それなら私にでもできそうです」
と安堵していた。
確かに、この子が売り声を張り上げている姿は想像できない。
「SNSとか僕の使っている小説サイトとかで文集の宣伝をしてもいいですか?」
と須坂くんが尋ねると、
「でも、そんなことしたらネット小説家サカスコータの正体がバレるでしょ?」
と中野先輩が危惧する。
「大丈夫です。
暁月高校の文芸部さんと知り合いで、部誌に寄稿しました!ってことにします」
と須坂くんは意に介さない。
「なるほど。それなら、ギリギリだけど、嘘はついていないね。
でも、須坂くんの場合は本名とペンネームが似てるから正体を明かすのとほとんど同義になるよね。
私たち部員が口を閉ざせば済む話なのかな?
でも、個人情報保護の観点からすると詭弁なんて紙セキュリティにもならないけど、いいの?」
とやはり岡谷先輩も心配して再度確認している。
普通は正体がバレるだろう?
まあ、ばれたところで問題ないのかな?
先輩方の心配をよそに須坂くんは
「大丈夫です」
と言い切る。
その自信の根拠を教えて欲しい。
「それでは、須坂くんにネットでの広報役をお願いします。
当然ですが、節度は守ってくださいね」
と飯山先輩から許可が下りた。
え?いいの?
「わかりました。
任せてください」
と須坂くんは胸を張る。
須坂くんがやる気に満ち溢れているのは頼もしいことなのだが、今回の「文芸・東雲」には私の小説も載っているのだから、個人的にはそんなに世に出回らないで欲しい、と思ったりもする。
その結果、中野先輩の手により、私たちの様々な思惑を乗せた、もとい、載せた「文芸・東雲」はデジタル入稿された。
注文部数は100冊である。
もう日が暮れてきた。
最後にちょっとだけ、文化祭当日の打ち合わせ。
よく考えたら、私には今までに物を売った経験がない。
「当日の売り子は全員でシフトを組むよ。
1年生だけにならないようにするから安心してね。
基本的に最低でもふたりはブースにいることにしてます。お金も扱うからトイレや予期せぬ用事でブースを空にしたくないので。
クラスの方のシフトが決まったら、相談しよう」
と松本先輩から簡単な説明があった。
「すみません。私と奈津美はふたりとも文化祭2日目、一般公開の初日にクラスの演劇の上演があるからその日は文芸部の店番するのが難しいかもしれません」
と中野先輩は申し訳なさそうに伝えた。
上演のある日は1日中忙しいのか。
つくづく2年生の演劇は大変なんだな、と先が思いやられる。
「承知しました。
大丈夫ですよ。
3年生は意外と自由時間がありますから中野さんと岡谷さんの分はカバーできると思います」
と飯山先輩はいつもの涼しげな笑顔で答えた。
「よろしくお願いします」
と岡谷先輩も頭を下げた。
その帰り道は須坂くんと稜子ちゃんと一緒だったが、ふたりが先に地下鉄を降りた後で、独りになると先ほどの高揚感が消えて逆に怖くなる。
文化祭は4日間あるけど、最終日はファイナル・ステージがメインだから全員が体育館に集まるので、文芸部の文集販売ブースは開かない。
文化祭の初日は学内のみでの開幕、その後、2日目と3日目の一般公開日となる。
この3日間での勝負になる。
クラスの友達が私の参加した「文芸・東雲」を買ってくれると言っているけど、61部を売り切らなければならなくなった今となっては、所詮は焼け石に水だ。
最終的には一体どれくらいの冊数が売れ残るのだろう?
そうなったら部員で買い取りになるのかな?ちょっとおぞましい光景だ。
私は家に帰ると、自室にたくさんの部誌が置かれている光景を想像し、ゾッとした。
気分転換にネットでも見ようと、MacBook Proへ向かい、まずは私が唯一使っているSNSのサイトを見た。
私はどうもSNSというのが苦手なのだが、出版情報や災害時のニュースを見るためにそのSNSだけは利用している。
どうやら私宛てのコメントがあるみたいので確認する。
私に連絡をくれる人なんてひとりしか思い当たらないのだが、予想通りコメントはネット小説家のサカスコータ先生からだった。
「@K_bookhound**** 早速、宣伝しておいたよ。すでにかなり拡散されたようだ」
とのこと。
サカスコータ先生の発言を追っていくと、件の宣伝があった!
「【拡散希望】不肖・サカスコータはN県立暁月高校文芸部様の御厚意により、文化祭で発売される部誌『文芸・東雲』に新作小説1作、新作戯曲1作を寄稿いたしました。通販でも販売いたします。詳細については後日お知らせします。戯曲はクエン・タランのスピンオフです。」
とある。
あ~すごいな。4桁の人数の人たちが情報拡散していて、同じくらいたくさんの人たちがハートマークを押してくれている。
人気シリーズの作家さんは違うなあ。
サカスコータ先生の告知に対するコメントもいっぱいある。
「N県民が羨ましすぎる」
「サカス先生のサイン会とかあるんですか?」
「暁月高校なら近いから絶対買いに行きます!」
「クエン・タランって、『Run and Gun』のクエン・タランですか!」
「早く通販情報をください。言い値で買います」
「僕、志望校を暁月高校に変えます。野球をやめて文芸部に入ります」
ファンの方の人生まで変えちゃっているよ、サカスコータ先生!
そして、勝手に
「【拡散希望】サカスコータ先生、暁月高校文芸部の文化祭の文集に新作を寄稿!しかも1作は”あのクエン・タラン”のスピンオフ!」
と二次情報を発信している人もいて、これも1000を超える人が拡散していた。
他にも似たような書き込みがいっぱいあった。
まあ、こういうふうに盛り上がっても、実際に買いに来る人はほとんどいないんだろうけどね。
私はそれだけ確認してそのサイトから離れた。
そう言えば、今日部室で学校の公式通販の話が出ていたな、と思い出して、学校のホームページから公式通販サイトをのぞいてみた。
<暁月高校公式通販:商品一覧>
◯20XX年暁月祭記念グッズ
・Tシャツ
・ミニタオル
・うちわ
・パンフレット
◯部活動グッズ
吹奏楽部:演奏CD
合唱部:合唱CD
演劇部:演劇DVD
落語研究部:オリジナル手拭い
クイズ研究部:オリジナルクイズ集
文芸部:文集「文芸・東雲」
地味である。サイトのデザインも品揃えも。
わざわざ買いに来てくれる人がいるとはにわかには信じがたい。
おまけに昨年の学祭のグッズが売れ残っている。
今年の「文芸・東雲」も文化祭の会場で勢いに任せて売りさばかないと在庫の山に埋もれて暮らす羽目になるだろうな、と私は少し気分が沈むのを感じた。
そのせいで、私は、目の前にあるとても大切なものを見逃していることに気づかなかった。
(続く)




