怒り
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お待たせして申し訳ありませんでした。体調が良くなったので、再開します。
シンが帰還したことにより城内の士気は、外から見てもわかるほどに高まった。
この様子だとこの城は、今しばらくは持ち堪えることが出来そうである。
シンは皇帝の後に続き、現在作戦会議室となっている食堂の扉をくぐった。
「おお、おお、シン! よくぞ無事に戻った! お、お主、その目はどうした?」
旧知のシュトルベルム伯爵が、シンの姿を見て立ち上がり駆け寄って来るが、シンの左目を見てギョッとして立ち止まる。
「伯爵こそ、御無事で何よりです。レーベンハルト伯爵も御無事でしたか」
「う、うむ、卿が撤退の支援をしてくれたおかげで、何とかこうして城に戻ることが出来た。礼を言うぞ」
レーベンハルトもまた、シンの左目を見て驚いている。
シュトルベルム、レーベンハルト両伯爵と互いの無事を喜び合っていると、廊下を掛けて来る複数の足音が聞こえて来た。
「シン! 無事だったか! お、お前、その目はいったい…………」
「ザンド! そっちも元気そうで何よりだ。ああ、この目のことは後で話すよ」
ザンドロックの後ろには、これまた旧知の仲であるヴァイツゼッカーとラングカイトの姿もあった。
シンは彼らの姿を見て、安心する。
(案外と、帝国軍の損害は軽微なのかもしれない。これならば、立て直しを図って直ぐに反撃に転じれる)
この時のシンはまだ知らなかった。総司令官であるヴァルター・フォン・ハーゼをはじめ、殿軍に参加したシュライッヒャー男爵、皇帝の信任厚いフェンブレン男爵らを始めとする多数の将が、戦場に散ったことを。
「全員席に着くがよい」
先に着席している皇帝の命により、食堂に集まった諸将が地図が広がり、その他にも多数の羊皮紙などが散乱する長テーブルに着席する。
シンは着席した諸将の顔ぶれを見て、老ハーゼの姿が無いことに気付いた。
「陛下、総司令官殿の御姿が見えませぬが? まさか、手傷を負われたので?」
シンの問いに答えたのは、皇帝では無く、朋友のザンドロックであった。
「現在、私が総司令官を務めている」
「どういうことだ? 詳しく説明してくれ」
ザンドロックは頷くと、戦場で起きたことと、帝国軍の現状を語った。
それを黙って聞いているシンの顔に段々と赤黒く染まっていく。
ルードシュタット侯爵の撤退と老ハーゼを始めとする諸将の死、そして帝国軍の損害が想像以上のものであることを知ったシンは、ついに感情を爆発させた。
「クソがぁ!」
ドン、とテーブルに拳を叩きつける。
このテーブルは樫の巨木から削り出したものであり、人ひとりがどうこう出来る重さでは無いのだが、シンが拳を叩きつけた際に、ずず、と音を立てながら動いた。
これには諸将ならず、皇帝も目を見張る。
シンが物に八つ当たりをするのは、これが初めてのことであり、その怒りのほどが窺い知れたからだ。
「エル…………エル…………」
シンは無礼にも、公式の場で皇帝の名を呼んだ。
皇帝はそれを咎めなかった。諸将もまた、顔を怒りで赤く染め、黒い髪を逆立たせながら肩を震わせるシンに、声を掛ける事が出来ない。
「なんだ?」
「エル…………俺は…………俺は…………お前の義父を殺すぜ…………」
居並ぶ諸将は、その言葉に目を見開き驚く。
が、皇帝は一度目を瞑った後に、よかろう、と頷いた。
「へ、陛下! 畏れながら申し上げます。ルードシュタット侯爵は、陛下の義父君にあらせられまするぞ!」
「左様、ここは一先ず、侯爵閣下に理由を問いただしてから…………」
諸将が慌てて止めに入るが、皇帝はそんな諸将を一喝した。
「馬鹿者! 如何に義父であろうと、敵前逃亡したからには軍法を以って裁かねばならぬ。でなければ、帝国軍の秩序を保つことなど出来ぬではないか! ザンドロックよ、軍法では命令なき撤退、及び敵前逃亡は死罪であったな?」
「はっ、しかしながら…………」
「だそうだ、シン。余は命じる。軍法に照らし、ルードシュタット侯爵を処刑せよ!」
「陛下!」
諸将、なおもその命令を止めようと試みるも、皇帝は手を前に突き出してその動きを制した。
「承りました。必ずや彼の者に死を与えてみせましょう」
シンは皇帝に向き直り、深々と頭を下げる。
「しかしながらだ。このような状況では、それも叶わぬ」
諸将、ホッと胸を撫で下ろす。
如何にルードシュタット侯爵に非があろうと、皇帝に義父を殺させるのは外聞的によろしくはない。
精々禁錮などで済ませるべきであると諸将は考えていた。
「いや、出来るさ」
皇帝の、諸将の視線がシンへと集まる。
「俺とサクラならば可能だ」
自然、皆の視線は中庭の方へと向けられる。
「どういうことか? それよりもまだ、その目とお前が乗って来たというあの黒竜のことを聞いていないぞ」
ザンドロックがそう言うと、シンはそういえばそうだったと、自身の身に起きたことを話した。
当然ながら、あの白衣を纏ったハルのことは、AIではなく神ということにして話した。
「なんと! またしてもお前は神に…………お前はいったい何者なのか? それほどまでに何故、神はお前の元に御光臨なされるのか?」
そんな大層な者じゃないさ。皆が神と崇めているのは人が作り出した単なるAI、そして自分は、不幸な事故によってこの世界に招かれたゲームのプレイヤーに過ぎない、とシンは心の内で苦笑する。
「信じられぬ、といいたいところだが…………今までの事もある。それにその目…………人の身体に竜の目を授けるなど、まさに神にしか出来ぬ御業。あの黒竜も、お前の愛馬の転生した姿だというのも、信じるしかないのだろうな…………」
諸将のみならず、皇帝までもがシンの話を聞き終えた後、神に対し祈りの言葉を唱え始めた。
シンはそれを多少冷ややかな目で見つつも、黙って彼らの祈りが終わるのを待った。
「話を戻そう。ルードシュタットの奴は現在、麾下の兵を率いておそらくは帝都へと向かっているはず」
祈りを終えた皇帝が、現実へと諸将を引き戻す。
「戦闘せずに撤退したことから、兵は損なわれてはいないはず。そうなると、侯爵は無傷の三万の兵を率いていることになりますな」
ザンドロックの言葉に、皇帝は頷く。
「余が生きていると知れば、奴は急ぎ帝都へと戻り国璽を手に入れ、余に退位を迫り、孫である皇太子を即位させる腹積もりであろう。が、こちらはこの通り、敵に包囲され身動きが取れぬ。軍事的にも、政治的にも万事休すだ」
「暗殺…………いや、言い方が悪いな。それにこれは刑罰なのだし。そうだな…………局地的攻撃とでも言いなおそうか。俺とサクラならば、この今の状況を打開出来るかも知れない」
「ほぅ? この最悪に近い状況を覆せると? お主一人だけでか?」
「だから、俺一人じゃない。俺とサクラの二人ならばだ。作戦はこうだ」
シンは思いついた作戦を語った。
それは作戦と言ってもよいものなのか、シン自身も首を傾げたくなるようなものではあったが、現状を覆す手が他には思いつかなかった。
「…………危険だ。あまりにも危険すぎる。如何にお前が強く、黒竜が強力でもだ」
この城に撤退してから、皇帝より正式に総司令官に任命されたザンドロックは、シンの思いついた作戦の荒さに渋い表情を浮かべる。
「だが、他に手はねぇ。後はこちらに向かっているであろう、ムベーベ、エックハルト両国の援軍と合流し、この城を救いに戻って来る。ザンド、後どのくらいこの城は持ち堪える事が出来る?」
「正確にはわからんが、今はまだ塹壕と有刺鉄線のおかげで、敵が城に肉薄できず、散漫的な投石の応酬が主となってはいるが…………敵が本格的に攻城を開始すれば、もって二ヶ月というところか」
「それだけ時間があれば十分だ。ここは一つ、俺に全てを賭けてくれ! 頼む!」
そう言ってシンは、両掌を合わせて拝んだ。
この日本人らしい行動は、シンの余裕の無さを表していた。
「よかろう。余が許可する。お主の思うがままに動くがよい」
皇帝はシンに全てを託すことに決めた。




