竜眼のシン
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「何だあれは? なぜ黒竜がラ・ロシュエルを襲っているのか?」
ケンブデン城の城壁の上から敵が黒竜に襲われ、甚大なる被害を被る様を見ていた帝国軍は、再び大地を蹴り、大空へと飛び上がった黒竜が、城の方へと向かって来るのを見て怖れ慄いた。
「こ、攻撃用意!」
弓兵たちは命令通り矢を番え、弦を引き絞るが、炎に呑まれ一瞬にして消し炭となった敵兵の姿が頭にこびりつき、身体の震えは止まらず、狙いを定める事すら出来ずにいた。
それは何も、弓兵だけではない。
命を下した指揮官たちも、否、このケンブデン城におり、目前で起きた惨劇を目にした全員が同じであった。
誰かが一人背を見せて逃げ出しでもしようものならば、おそらくは全員が同じように逃げ出すだろうことは明白であった。
だが、黒竜は城へと近付きはするものの、城壁の外を大きくゆっくりと旋回するのみで、一向に攻撃を仕掛ける素振りを見せない。
「あれは何だ?」
そう言って兵たちが指差すのは、黒竜の背で振られる大きな旗。
ただ、その旗は傷付き、ボロボロであり、容易に判別がつかない。
それでもゆっくりと旋回しつつ、段々と黒竜が近付いて来ると、その旗が敵の晒しものとされていた、シンの旗、八咫烏の旗であることがわかった。
「おーい!」
黒竜が近付いて来てやっと、その背に人が乗っていることに多くの者が気付き始める。
何せ、シンの髪の色は黒竜と同じく黒。その上、着ている鎧も黒いのだから、気付かれ難いのも仕方が無いだろう。
「おい、まさかあれは…………」
「あの旗といい、まさか、まさか」
将兵たちにどよめきが巻き起こる。
その後、黒竜はやはり攻撃をする素振りを微塵も見せないまま、ゆっくりと旋回した後、城壁の内側へと飛んで来た。
「こ、攻撃用意! ただし、命令あるまで攻撃するな!」
相手は地上最強の生物の一角を成す黒竜である。
警戒と攻撃の準備はしつつも、その怒りを買えば、城ごと灰燼に帰す可能性がある以上、迂闊に手出しは出来ない。
シンは帝国軍が攻撃をしてこないのを見て、サクラに城の中庭に降り立つように命じた。
降り立った黒竜サクラを取り囲むようにして、槍や剣を構えた騎士や兵たちが集まって来る。
シンはそれを横目に見ながら颯爽と、サクラの背から飛び降りた。
「攻撃無用! 俺だ、シンだ! この黒竜は味方だ。繰り返す、攻撃無用!」
八咫烏の旗を右手に持ち、左手でアロイスの首を抱え持つシンがサクラの前に出て叫ぶ。
「シン将軍? おお、その御姿は紛れも無く将軍閣下!」
「おお、生きておられたのですね…………しかしながら、その後ろにいる黒竜はいったいどういうことなのでしょう?」
騎士たちはシンの姿を確認すると、剣を納めた。
シンは騎士や兵たちをこれ以上怖がらせないようにと、竜の目を移植された左目をピッタリと閉ざしていた。
「ああ、心配を掛けて済まない。この通り、俺は無事だ。あと、後ろの竜は味方だ。決して攻撃しないように頼むぞ。陛下に会って、色々と報告せねばならない。陛下は何処におわすか?」
「へ、陛下は城内におりまする。ご、ご案内致します…………」
シンがいくら味方だとは言っても、やはり竜が恐ろしいのだろう。
案内を買って出た騎士の目は、シンと後ろにいるサクラの間を行ったり来たりを繰り返している。
「将軍!」
その間に、息を切らせて駆けつけて来たのは、シンの率いた先鋒軍の副将の一人であるヨハンであった。
ほどなくして、跛行のため、兵の肩を借りたフェリスが現れた。
「二人とも無事だったか!」
「将軍こそよくぞ御無事で…………」
「ああ、だが…………アロイスが…………アロイスは俺の身代わりとなって死んだ…………」
シンは右手に持った旗を地面に突き刺すと、左手で抱えていたアロイスの首に視線を落とした。
すでに死後数日経っているその首は、血が抜け落ちて乾いて萎び、腐敗臭が漂い始めている。
アロイスの首には、討ち取ったときそのままに、黒竜兜が被されている。
ヨハンはシンに近付き、アロイスの首から兜を外すと、己の纏っていたマントを引き千切って優しく首を包み込んだ。
「落ち込みなされますな将軍。某も、フェリスも、その場に居れば同じことをしたでしょう」
ヨハンの言葉にフェリスが続く。
「将軍、アロイスの想いを無駄にはしないで頂きたい。アロイスは将軍さえ無事ならば、必ずや最後には帝国が勝利すると信じていたはず」
「ああ、わかっている…………アロイスに…………皆に救って貰った命だ。決して無駄にはしないと誓おう」
シンは死臭こびりついた兜をそのまま被ろうとするが、ヨハンの手に止められた。
「これより陛下の御前に向かわれるで御座いましょう? それにアロイスは無口で無骨でありながらも、その実は几帳面な男で御座いまして。兜は香を焚き清めてからお返し致しますので、一先ずは預からせて頂きます」
ヨハンはそのまま、ひょいとシンの手から兜を取り上げた。
確かに、いくら戦場とはいえ、死臭を漂わせながら皇帝に会うのは不敬かも知れない。
それに、そのような真似をしては、死んだアロイスに対しても礼を欠いているとも言えなくはない。
シンは無言でヨハンに会釈しつつ、その配慮に感謝した。
「それでは、陛下の元へとご案内致します」
「その必要は無い!」
シンの耳に慣れ親しんだ親友の声が響き渡る。
シンの帰還の報は瞬く間に場内を駆け巡り、皇帝の耳へと届いた。
皇帝はシンが無事に帰って来たと知り、その場に居ても立っても居られずに、急ぎ中庭へと駆けつけたのだった。
「陛下、危のう御座います!」
「陛下! お下がりくださいませ! 陛下!」
盾を構え、剣を抜き、皇帝の盾となる近臣たちを押しのけ、ガラント帝国皇帝、ヴィルヘルム七世がシンの前へと進み出る。
「やはり生きておったか…………要らぬ心配をさせおってからに」
「すまない。今回は…………今回も危なかった。また、神とやらに救われたよ」
そう言ってシンはこれまで閉ざしていた左目を開けた。
「シン! その目はいったい…………」
皇帝を始め、その場に居る全て者がシンの左目に釘付けとなった。
シンが瞼を上げたその下には、いつものアイスブルーの瞳ではなく、金色に輝く竜の目があったのだ。
「左目を失った俺に、神様がこの目をくれたのさ」
シンは御茶目を装い、竜の目でウインクをして見せるが、周りの反応は薄い。
「信じられぬ。いや、信じる他ないであろうな…………人の目に竜の目を宿すなどという御業は、まさに神にしか出来ぬであろうからな」
シンは自分の予想とは違って、素直にこの竜の目を受け入れた皇帝に、戸惑いながらも第二の爆弾を放った。
「ちなみに、後ろにいる黒竜は、俺の愛馬だったサクラだ。サクラも俺のせいで肉体を失ってな…………神が新しい身体を用意してくれた」
「………………………………」
皇帝は黙って後ろにいるサクラを見た。
それに釣られるようにして、周囲の者たちも一斉にサクラに視線を注ぐ。
サクラは、それを受けて不思議そうにパチクリ、パチクリと瞳を瞬かせた。
「………………神の寵児か……………………」
神の寵児…………いつぞやの聖戦士騒動の際に、各宗派の神官たちがシンをそう呼んでいたことがあった。
「最早、お主に関して、一々驚くのも馬鹿馬鹿しくなってきたわ。取り敢えず、中に入れ。詳しい話はそれからだ」
背を向けて城の中へと歩き出す皇帝の後を、シンは追う。
「わかった。サクラ、そういうわけだから、大人しく昼寝でもしててくれ」
「わかった~」
サクラは頷くと、その場にそっと蹲り、羽根を畳み尻尾を丸めて目を閉じた。
「竜を従え、竜の目を持つ男か…………シン、お主はこれより竜眼のシンと名乗るが良いぞ」
「竜眼のシンねぇ…………二つ名ってのはさ、いざ名乗るとなると、それはそれで結構こっぱずかしいもんなんだぜ」
皇帝より直々に、新たな二つ名を授かったシンは、照れくさそうに左目を閉じ、指で頬を掻いた。
跛行なら差別用語として引っかからないよね? 多分




