老臣の最後
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今週は台風に地震と、日本中が大きな災害に見舞われました。
直接被害に遭われた方々、また直接では無いにしろ、災害によって何らかの被害を受けた方々に、この場を借りてお見舞い申し上げます。
時は少し遡る。
シンが左目と左脇の下に矢を受け、瀕死の深手を負っていた頃、タイロンの丘で殿を買って出た老ハーゼこと、ヴァルター・フォン・ハーゼ元伯爵は、怒涛の勢いを以って攻め来るラ・ロシュエル王国軍を懸命に防ぎとめていた。
ラ・ロシュエル王国としては、離脱した帝国軍の中に、皇帝がいるであろうことはわかりきってはいたが、それでも丘の上になびく皇帝旗を無視する事は出来なかった。
ゆえにラ・ロシュエル王国は離脱する帝国軍を追撃する部隊と、丘を攻略する部隊との、軍を二つに割って対応することにした。
丘を攻めて来る敵が半分になったとはいえ、ハーゼ率いる決死の殿部隊がラ・ロシュエル軍に対して寡兵であることには違いない。
そのため、ラ・ロシュエル側も、丘の上に布陣し続ける帝国軍を然したる時間も掛からずに掃討出来ると考えていた。
だがそれは大きな間違いであったといえる。
老ハーゼは、まず敗走する帝国軍が置いて行った軍事物資の中にあった、シンがこの世界において作らせた撒菱を丘の斜面に撒いた。
この撒菱は、鉄の産出量が豊富な帝国らしく総鉄製で、重量があり嵩張る代物であったが、その反面踏んだ時の威力は高く、この時代の一般的な履物である革のサンダルや、ブーツの底を容易く貫通し、足に大きなダメージを与えることが出来た。
案の定、撒菱など見たことも無いラ・ロシュエル軍は、この罠に見事に引っかかった。
丘の緩やかな斜面を一気に駆け上がろうとした敵兵たちの口々から、悲痛な叫び声が発せられると、老ハーゼは斜面に蹲る敵兵目掛けて矢を一斉に放つよう命じた。
足をやられ、動きの鈍い敵兵が矢を受けてバタバタと倒れると、丘の上から歓声が上がった。
この丘の上に籠る帝国軍の全ての者が、最初から生還を望んではいない。
そのため、丘の全周にわたりこの撒菱の罠を張り巡らせていた。
「万が一の時のためにとシンが用意した物じゃが、出来れば使いたくはなかったのぅ……」
老ハーゼがしみじみと呟く。
「総司令官殿、上手くは行きましたがこれは少しやり過ぎなのでは? この罠を警戒して敵軍が退却中の陛下の方へと流れて行ってしまうのではありませんか?」
「かも知れん。だが、この兵力差で時間を稼ぐとなると、他の手はないわい。それに陛下の護衛にはあのザンドロック卿がおる。シンの異才に隠れがちじゃが、彼の者もまた優れた軍才を有しておる。ここは、彼らを信じて任せる他ないわい」
いきなり大きな損害を受けたラ・ロシュエル軍は、兵力を再編しつつ丘を遠巻きに囲んだ。
その後、幾度か丘を攻めたてるが、その都度無視できぬ損害を出し続けるはめとなった。
この損害を危惧したラ・ロシュエルの国王のロベール二世は、第一戦の生き残りである占領国から徴兵した部隊を当てることにした。
が、ここで思わぬ誤算が生じる。
その第一戦の生き残りの兵たちが、命令を受けても動こうとはしなかったのである。
マッケンゼン率いる督戦隊が壊滅し、その監視下から解き放たれた彼らは、何も好き好んで帝国と戦う必要性はないとし、それどころかラ・ロシュエルと帝国とを天秤にかける素振りを見せ始めていた。
その不穏な兆候を察したロベール二世は焦りに焦った。
ここで皇帝を取り逃がし、さらに皇帝旗を奪い損ねるようなことがあれば、それこそラ・ロシュエル弱しと見て、彼らが反旗を翻してもおかしくはないのである。
だがここで、素早く丘を攻略して見せれば、彼らもラ・ロシュエルの実力を認めて従うだろうと考えた。
「ある程度の損害は止むを得ぬ。丘を、あの丘を一刻も早く攻め落とし、我が前にあの目障りな旗を持って来い!」
このロベール二世の命令により、ラ・ロシュエル軍は、そこらじゅうに撒菱が撒き散らされている丘の斜面を、文字通り血を流して駆け上がるはめとなった。
丘を包囲したラ・ロシュエル軍が、呼吸を合わせて一斉に包囲を狭め、丘を登り始める。
タイロンの丘は、丘というよりは小山といった方が正しいかもしれない。
その小山のあちこちから悲鳴が上がり、その悲鳴目掛けて矢が打ちかけられる。
が、元々の兵力が違い過ぎた。
兵力に勝るラ・ロシュエル軍は、味方の死体の上を歩き、斜面を駆けあがって来る。
老ハーゼらも駆け上がって来る敵を必死に防ぐが、兵を入れ替えつつ波状攻撃を仕掛けて来る敵を前にして、確実に味方の兵が削がれていった。
陽は西に傾きつつあり、あと数刻もせぬうちに夕闇が訪れるであろう。
この頃になると、最早丘の上の帝国軍の生き残りは、百を僅かに超える程までとなってしまっていた。
「最早これまでじゃの。各々方、いよいよじゃ。覚悟をお決め為され。ただし、自害は許さぬ。一兵でも死出の旅路の道連れとされよ」
次に行われるであろう攻撃を、この兵力では防ぎ、抑えることは出来ない。
丘の斜面を取り巻くように撒いた撒菱も、すでに踏みつくされてしまっている。
「さてさて、では儂も用意をせねばの」
そう言って老ハーゼは指揮棒を捨て、腰に履いている長剣を抜き放った。
「カールよ、今まで御苦労じゃった」
ここまで付き従ってくれた忠実な臣下であり、自身の副官であるカールを労う。
「勿体無きお言葉! このカール・デルプ、死後もお館様の御伴を致しましょうぞ!」
カール・デルプは老ハーゼの前に跪き、面を上げてにこりと微笑んだ。
その顔を見て老ハーゼも破顔する。
「最後にお主に頼みがある。この世の最後に、一世一代の大技を放ってから儂は旅立とうと思う。じゃが、この技には些か準備に時間が掛かっての……」
「お任せ下され。お館様がご準備を終えるまで、敵を一人たりとも近づけはさせませぬゆえ」
カール・デルプはドンと自分の胸を叩いて見せた。
頼む、と呟いた老ハーゼの顔からは死を決した者が放つ、ある種の気迫に満ち溢れていた。
この日、何度目か知れぬラ・ロシュエル軍の攻撃が開始された。
既に罠は踏み荒らされており、敵兵は疎らな矢を凌ぎながら易々と丘を登って来る。
段々と近付いて来る敵の声と足音、そして時折聞こえる敵味方の断末魔。
その騒音の中、老ハーゼは静かに目を閉じ精神を集中させる。
もし、シンや老ハーゼの師であるゾルターンが見れば、老ハーゼが何をしようとしたのか一目でわかっただろう。
そして、間違いなく驚いたはずだ。
「魔法剣の使い手は、なにもシンやザンドロックだけではないわい。このヴァルター・フォン・ハーゼ、一世一代の大技を受けて、冥途の旅路の供をせい」
長剣に己の全ての魔力を集める。
そのため、老ハーゼは酷い魔力欠乏症に陥るが、それを何とか気力で押しとどめる。
やがて自分の前で敵兵と剣を交えていたカールが、数名の敵兵の槍に突かれ、絶命したのを見た老ハーゼは、両足を肩幅ほどに開き、剣を自分の足元に突き立てられるようにと構えなおした。
この時の老ハーゼの恰好は総大将らしく、華々しいもの。
その姿を見て、確実に名のある将であるとみた敵兵が、その身目掛けて我先にと殺到する。
その先頭を走る兵の槍先が、長剣の間合いの外から突き出されたその瞬間。
老ハーゼは、気合いの声と共に足元に剣を勢いよく突き刺した。
次の瞬間、剣を突き刺した大地はひび割れ、やがて大きな地鳴りと共に大爆発を起こした。
その範囲たるや、優に五十メートルはくだらない。
その爆発は、丘の上にたなびく皇帝旗をも巻き込んだ盛大なものであったという。
爆発に巻き込まれた敵兵の多くはそのまま体を四散させ、空高く舞い上がった石つぶてによって、さらに多くの者が死傷した。
無論、このような大技を放った老ハーゼも無事であろうはずもなく、爆発が収まり、土煙が消えた後にラ・ロシュエル軍が見た物は、丘の上を削るように出来た大きなクレーターのような痕だけであったという。




