聖戦 其の四 思惑
台風です。
特に西日本の方々は、その動きにご注意ください。
さくせんは、いのちをだいじに でお願いします。
ほぼ最小限の損害で大勝した帝国軍の意気は、まさに天を突かんばかりであった。
本陣に集まった将たちに、皇帝は機嫌よく声を掛けていく。
そして前衛を率いて此度の戦いを見事、勝利へと導いた将軍のシンが姿を現すと、皇帝の機嫌は最高潮に達した。
「シン、勝ったぞ! それも大勝だ! お主のおかげでな」
勝利に酔い、興奮する皇帝や他の者たちとは対照的に、シンは落ち着いていた。
「お言葉ながら陛下、これはあくまでも予定通りの勝利で御座います。先方も此度の戦いの勝利など望んではおらず、いわば勝つのが当たり前の戦でありますれば、次に行われる戦のためにも、今一度気を引き締めなおされるがよろしいかと」
「シン、余も戦を上から見ていたが、想定よりもかなり脆いように見えた。もしかすると、敵はそれほど強くはないのではないか?」
あまりにも鮮やかに勝ちすぎたゆえの慢心だろうか?
皇帝以外にも、敵を軽視するような言葉が交わされているのを聞いたシンは、このままでは帝国危うしと感じ、ここは一時、勘気を被ってでも注意せねばと口を開きかけたその時、
「こほん、陛下、敵を侮ってはなりませぬ。シン将軍の言う通り、敵は初戦に勝利を望んではおりませんでした。寧ろ、負けるのを承知で敢えて正面からぶつけ、我々の力を試したのです。シン将軍は此度の戦いで、巧みに兵を操り、敵の中央を突破して敵軍を瓦解させましたが、次の戦いではもうこの手は使えませぬ。そういった点から見ても、初戦の勝利に酔うことなく、気を取り直し、厳しい次の決戦に備えるべきでしょう」
全軍の総指揮官たる老ハーゼの言葉に、皇帝も諸将も口を噤み、静まり返る。
「…………すまなかった。そうであった、まだ戦が終わったわけではないのだったな。そう、次こそが本番であった。戦の風にあてられて、余は自分を見失っておった。許せ」
冷静さを取り戻した皇帝は、諸将に傷付いた部隊の再編制を命じ、決戦へと備えさせた。
ーーー
皇帝の御前を辞したルードシュタット侯爵は、帰りながら腹心であるシェイルン、ノルトハイム両子爵に、首尾のほどを聞いた。
「こちらの準備は万全で御座います」
「ですが、仕掛ける頃合いが難しいですな。万が一にも失敗は許されませぬし…………」
ルードシュタットは、ふむと鼻を鳴らしながら、両子爵に囁きかけるように呟いた。
「御二方とも、よくよく肝に銘じられよ。もし万が一にもしくじれば身の破滅、だが成功すれば失われし爵位も取り戻すどころか、その上を望むことが出来ようぞ」
「はっ、万事、我々にお任せ下され」
「必ずや閣下のお望みに適う働きを御見せいたしましょう」
ルードシュタットは二人の答えに満足気な笑みを浮かべた。
「では、戻るとしようか我が兵の元に。その時が訪れるまでは、要らぬ波風を起こす出ないぞ」
承知致しましたと、両子爵は返事をしながらルードシュタットの後に続いて自分の部隊へと帰って行った。
ーーー
一方その頃、ラ・ロシュエル王国の本陣では、初戦の帝国軍の取った戦法についての分析が行われていた。
「敵の損害は、多く見積もっても一割程度。いくら寄せ集めとはいえ、話にならんな。して、マッケンゼンは如何したか?」
ラ・ロシュエル王国の国王であるロベール二世は、初戦の結果についての不満を隠そうともしなかった。
負けるのは想定内だが、敵味方とも損害が著しく少ないのが、不満のまず一つ目。
二つ目は、今考えてみれば、マッケンゼン如き無能者に貴重なラ・ロシュエル人の兵を一万も貸し与えてしまったことであった。
「それが……マッケンゼンは行方不明とのことで…………」
「ふん、もし生きていたら余の前に連れて来い。敗戦の責を取って貰わねばならんでな」
「はっ、承知致しました」
本陣に参集したラ・ロシュエル王国の将たちの背筋に冷たい汗が吹き出す。
ロベール二世は、失敗を許さない冷酷な王である。
いつ自分たちが、マッケンゼンのように切り捨てられるのではないかと、気が気では無い。
「逃げ帰った者たちの話では、帝国軍は正面から中央突破をし、指揮系統を粉砕したようで……」
想定されていた負けとはいえ、敗北の原因を告げる将の顔色は苦み走っている。
「中央突破とは、随分と舐められたものよな。帝国は次も同じ戦法を取ると思うか?」
ロベール二世の問いに、別の将が答えた。
「十分に考えられます」
「その理由は?」
「まず、此度の勝利に味を占めたということと、次こそが決戦であり、恐れながら陛下も御出陣なされるのであれば、狙って来る可能性が高いかと……陛下、今一度御考え直しくださいませ。陛下はこのまま後方より、我らを督戦致すのがよろしいかと存じ上げまする」
「左様、わざわざ玉体を危険に晒すのはおやめ下され」
自分を気遣っての言葉ではあるが、ロベール二世が今、望んでいた言葉では無かった。
「愚か者めが。帝国は寡兵でありながらも、皇帝自ら出て来ておるのだぞ。ここで余が出ねば、大陸中から臆病者との誹りを受け、今後に差し障りが出ようぞ。それよりも、どう対処すべきかを述べよ」
ロベール二世が、再び卓上に広げられた地図に目を落とすと、これ以上は何を言っても無駄と諸将は悟り、具体的な戦術論を語り出した。
「まず当然ながら中央突破を防ぐために、中央を厚くする必要が御座います。幸いにして、我が軍の総数は帝国よりも遥かに多いので、中央を厚くしても、両翼が薄くなるようなことはありません」
「現在、敗残兵たちを再編成しております。これも一応ながら予備兵力として活用すれば、我が軍は更なる優位を得られるかと存じ上げます」
「ふん、あの敗残兵どもが役に立つとは思えんがな……いいか、あれは火種だ。反乱のな……よって、大事な場面で迂闊に投入するのは、かえって危険だと余は考えておる。あくまでも予備兵力として再編、決戦には投入せず、邪魔にならぬよう戦場の大外にでも控えさせておくがよい」
諸将、思うところあれど、ここは黙って従う。
下手に反論などすれば、勘気を被り我が身が危ういのだ。
「陛下、創生教の聖騎士は如何いたしましょう?」
今回の戦いに於いて、創生教総本山は、麾下の聖騎士一万の中から半数の五千名を、ラ・ロシュエル王国軍に随行させていた。
「ふん、奴等が戦の矢面になど立つものか。いつも通り、奴等が勇を奮うは戦いの後の略奪時のみよ。しかも今回は思うように略奪が出来ず、苛立っておるようでな。毎日のように、進軍の催促をしてくるわ」
ラ・ロシュエル王国にとって、創生教はある意味では敵よりも厄介な、いわば獅子身中の虫のような存在である。
戦の名分として利用したはいいが、創生教総本山は図に乗り平民はおろか、貴族たちとも対立を深めはじめていた。
「どうせ役に立たぬ奴等ならば、これも戦場外に配しておいてもよろしいのでは? 彼らの不平不満も、いづれ何処かの街でも落とした際に発散させればよろしいかと」
うむ、とロベール二世はその案を受け入れた。
「それと一つ気になることが……敗残兵たちが、戦場で悪魔を見たと騒ぎ立てておりまして……」
「何を馬鹿な、見間違えか何かであろう? それかもしくは、逃げたことに対する後ろめたさによる、嘘といったところであろうよ。まさか、諸将、そのような戯言を信じてはおるまいな?」
「いえ、まさかそのようなことは…………ただ、このまま放言を許しますと、全軍の士気にも関わりますので、処罰の御許可を頂きたく」
「わかった、許そう。そのような戯言を吐く者は容赦なく首を刎ねよ」
「はっ」
ロベール二世は、再び地図を見つめる。
もう自分は若くは無い、これが大陸に覇を唱える最後の機会であろうことは間違いない。
あと少し、あと少しで、己の野望が叶うのだ。
絶対にこの機会を逃すものかと、地図上に記された帝国軍が本陣を敷く、タイロンの丘を睨み付けるのであった。




