聖戦 其の一 開戦
シン率いる前衛部隊二万は、予定通りにカナルディア平原に到着。
すぐにタイロンの丘へと登り、丘に陣を敷き確保する。
シンたちに遅れること半日、レーベンハルト伯爵率いる帝国軍左翼部隊二万五千が到着。
さらに半日後、シュトルベルム伯爵率いる右翼部隊二万五千が到着した。
それから二日後、中軍の三万が到着が予定より遅れ、やきもきするシンたちの前に、やっとルードシュタット侯爵率いる中軍が姿を現した。
その中軍を後ろから急かすように、殆ど中軍と一体となって皇帝率いる後軍二万八千が到着する。
帝国軍の総兵数が、当初の予定である十万よりも多いのは、帝都やその近辺の守備兵を大幅に引き抜いたからである。皇帝は、この決戦に全てを賭け、限界まで兵を集めたのだ。
シンたちは急いで陣を払って丘を下り、全軍の前面へと展開、布陣する。
その後ろを中軍が続くがその中軍の、のろのろとした緩慢な動きを見たシンは、副将のヨハンらの前で露骨に眉を顰め、舌打ちした。
「ヨハン、あの中軍の動きを見ろ……使い物になると思うか?」
「正直、微妙でしょうな…………突撃する我々の後ろを任せるには、些か不安が残ります」
味方の軍、それも皇帝の義父であるルードシュタット侯爵をあからさまに非難する事は出来ないが、それでもボヤキの一つも呟きたくなる、そんな動きであった。
「当てには出来んか…………敵の第一陣は俺たちだけ蹴散らせるかもしれないが、敵の本隊相手となるとそうはいかない。勝つには、絶対に中軍の戦力が必要不可欠だ。初戦で勝てば、彼らの動きも変わるだろうか?」
「さぁ、それはどうでしょう? しかしながら、初戦で我らが多大な戦果を挙げれば、彼らも功績を欲して奮起するかも知れません」
「それに賭けるしかないな。しばらくの間、指揮を頼む。俺は陛下に着陣のご挨拶に行って来る」
「承知致しました。一時、指揮権を御預かり致します」
シンは陣地を後にすると、まず後ろに展開する中軍のルードシュタット侯爵に会って挨拶を交わし、共に連れ立って再び丘へと駆け上がり、皇帝の元へと向かった。
丘の上に素早く張られた大きな天幕の横には、豪奢な装飾に太陽の光を浴びて、燦然と輝きながら風に揺られる、大きな皇帝旗が立っている。
シンは、乗って来た龍馬のサクラから飛び降りると、近付いて来た近衛騎士に手綱を預け、名乗りながら天幕の中へと進み、皇帝の前で跪いて挨拶を述べる。
「シン、御苦労」
そのシンに遅れ現れ、シンよりもさらに前に出てから跪いたルードシュタット侯爵にも、皇帝は愛想よく声を掛ける。
「義父上、御苦労さまです。義父上の御助力を得れば、勝利は疑いありませぬな」
「わたくしめは陛下の忠実なる僕に御座います。帝国の危機となれば、じっとしては居れませぬ。必ずや我らが、不敬な蛮族たちを駆逐し、帝国と陛下の御威光を、蛮族どもに知らしめることをお約束いたしまする次第…………」
ルードシュタット侯爵が言う蛮族とは、勿論ラ・ロシュエル王国のことである。
帝国の中央貴族たちにとっては、帝国の中央以外の地に住む者は田舎者。そして帝国以外の地に住む者は皆、蛮族であった。
だが実際の所、帝国とラ・ロシュエル王国との文化的水準は左程変わりがない。
これは何もラ・ロシュエルだけでなく、隣国であるルーアルト王国、エックハルト王国、ソシエテ王国などもほぼ同じである。
「うむ、戦果を期待しておるぞ」
続いて太后の弟で、国家の重鎮の一人であるレーベンハルト伯爵、シンとも親交があり、数々の堅実な献策などにより、皇帝の信頼を勝ち取ったシュトルベルム伯爵が天幕に入って来て、跪いて挨拶をする。
「では、これより戦前の最後の検討を致す」
皇帝の元で、総指揮を任されている老ハーゼことヴァルター・フォン・ハーゼ元伯爵が、近衛騎士にテーブルを用意させ、そのテーブルの上にカナルディア平原近辺の地図と布陣図を広げ、地図の上に敵味方の駒を配した。
「作戦は以前の検討と同じ。シン将軍が率いる前衛が突撃し、その後ろを侯爵率いる中軍が続いて、敵中央を食い破る。左翼、右翼は、敵が浮足立つその瞬間を見逃さず、全面攻勢に転じる。陛下の後軍はそのまま待機。何か質問は?」
ここに来るまでにも何度も会議を開き、検討された作戦である。
今更質問が出るはずも無い。
「よろしい。物見の報告では、敵軍はもうすぐそこまで来ている。距離から見積もって開戦は、おそらく明日の日の出の後。しかし各々方油断召されるな。敵軍の夜襲には、十分に注意されたし」
その後は戦闘の推移をシミュレーションし、各指揮官たちは皇帝の御前を辞して持ち場へと戻った。
シンは再び馬上の人となると、丘の上から展開する帝国軍を見下ろした。
槍先が陽光に煌めく光の海。その煌めきを見た瞬間、シンが内々に巣食っていた怯えは何処かへと消し飛んで行った。
「これを見て奮い立たぬ男はいねぇよなぁ……いよいよ決戦か、気が高ぶって来たぜ!」
うぉおおお、と一声吠え、シンはサクラの腹を踵で軽く蹴って丘を駆け下りて行った。
ーーー
敵の夜襲に備え、一晩中篝火を絶やさぬ帝国軍。
そこに付け入る隙が見当たらなかったのか、それとも最初からその積りが無かったのかはわからないが、敵の襲撃も無く夜を明かすことが出来た。
薄い朝靄の立ち込める早朝、遂に帝国軍は侵略者であるラ・ロシュエル王国軍の姿を視認した。
「ちゃんとした朝飯は、奴等を片付けてからだ。干し肉の欠片でも軽く腹に詰めておけ、一杯だけなら飲酒も許可する」
全軍の先頭に立ち、敵の姿をその目で確認したシンは、後ろを振り返り命令を下す。
「まだ距離はある。慌てなくても大丈夫だ」
五分後、シンは新たな命令を下す。
「よし、弓騎兵前へ、その後ろに魔導騎兵、いいな? 訓練通りにやれ。朝靄が晴れる直前に仕掛けるぞ!」
シンが先頭に出る事を命じた弓騎兵とは、かつてユーラシア大陸を席巻したモンゴル騎兵のように、騎乗したまま弓を放つことが出来るように訓練された、シンの部隊にのみ編制された騎兵である。
その後ろに続く魔導騎兵とは、馬に騎手とその後ろに魔導士を乗せた、二人乗りの騎兵である。
騎手は馬の操縦に専念し、後ろに乗った魔導士たちは魔法に専念させる。
この世界の戦は、まず両軍が一定の距離に近付くと弓兵を前に出して矢合わせを行い、さらに距離が詰まると魔導士が前に出て魔法の打ち合いが始まる。
だが今回は敵の中央を食い破り、後ろに控えるマッケンゼン率いる督戦隊を蹴散らすのが目的。
そんな定石通りにチンタラと戦を行っていては、勢いが削がれてしまう。
そこでシンは、前衛全軍の速度をなるべく落とさず、勢いを保ったまま接敵する方法を考えた結果、生み出されたのが弓騎兵と魔導騎兵であった。
全軍の先頭に立ったシンが、背に背負った大剣、死の旋風を片手で高々と上げる。
東の空を見て、陽の光が昇り始めた瞬間、シンは剣を振りおろして大声で叫んだ。
「全軍突撃、我に続けーーーーっ! サクラ、行くぞ!」
サクラはシンの声に応え、グルルと唸ると駆け足に移る。
まだ敵との距離はあるので全力疾走はしない。シンの後ろに続く騎兵たちも同様に駆け足である。
万余の騎兵の足音が地を轟かせる。それはまるで、局地的に地震が起きたかと錯覚させるほどに、緊張した身体に直接響いて来る。
「弓騎兵、前へーーーーっ! 狙いは着けなくて良い! 曲射、三連! その後に左右に別れ離脱!」
敵との距離がある程度近付いた所で、シンは新たに命令を下す。
朝靄が完全に晴れてから動くと思っていたのか、敵軍の反応は鈍い。
慌てて弓兵を前に出すも、一気に距離を縮められ、さらに上から降り注ぐ矢のために満足に弓を撃つことが出来ずに、疎らな反撃をするのみである。
両軍の距離がさらに詰まったので、敵軍は慌てて弓兵を下げつつ、魔導士たちを前面へと押し立てるが遅かった。
役目を果たした弓騎兵が、パッと左右に別れ大きく弧を描くようにして後ろに下がって行く。その後ろから現れたのは、既に魔法の詠唱が終わりかけている魔道騎兵たちであった。
「炎弾発射! 撃てぃ!」
シンは素早く手綱を口に加えると、空いた左手を敵軍の先頭に向け、無詠唱で炎弾を放つ。
そのシンの炎弾の発射と共に、魔導騎兵たちの唱えた炎弾が、次々と敵の先頭へと発射された。
轟音、爆炎、そして立ち上る煙の中、無数の悲鳴が轟く。
シンは更に無詠唱で炎弾を放ち続け、敵軍の傷口を広げようと試みる中、役目を終えた魔導騎兵たちは、弓騎兵同様、後ろの味方の突撃を邪魔しないように横に転進してから後ろへと下がって行った。
遂に始まった聖戦。
突撃するシンの大立ち回りをご期待下さい。




