要塞、ケンブデン城
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バルガスタン城を進発したシン率いる前衛部隊は、予定通り三日で要塞化したケンブデン城へと到着する。
この要塞化したケンブデン城は、ラ・ロシュエル王国がガラント帝国の属国であったころには、防衛上見向きもされなかった城であったが、ラ・ロシュエル王国が帝国に反旗を翻したとなると、帝国南部中央への入口に位置する、この城の戦略上の重要度は必然的に高まる事となった。
シンと皇帝は、ラ・ロシュエル王国の不逞な企みに気付いてから日夜協議を重ね、何処に防衛ラインを敷くか検討を重ねた結果、選ばれたのがこのケンブデン城であった。
このケンブデン城、元々はこの地を治めていたグリムベック伯爵の物であったが、グリムベック家は今より百年ほど前に嗣子が居らず断絶。以降、歴代皇帝の直轄地として維持されて来た。
城としての規模は中規模といったところだが、まがりなりにも歴代の皇帝の所有する城であるがために、整備だけはされていた。
よって、城や城壁といったところに綻びはなく、城内の各部屋なども清掃が行き届いており、皇帝が総司令部をおいても機能的には問題は無い。
だが、帝都などとは違い、所詮は地方領主の居城である。
城壁の高さも帝都には及ばず、このままでは防御力的にも不安が残る。
そのため、シンと皇帝はこのケンブデン城に総司令部を置くことに決めた時から、防衛力を高めるために大々的なテコ入れを行った。
まず第一に、城壁の高さを上げた。
上げた高さは、凡そ一メートル半ほど。元の高さが六メートル、増築の結果高さは七メートル半となった。
第二に、城壁の嵩上げと共に張り出し櫓を増やした。
そして第三に、城壁前の空堀を広げ、さらに深く掘り下げた。
ここまでは、常識的な範囲の改修と言えるだろう。
だが、シンはこれで満足はしなかった。
シンは、梯子を掛けて登ってくる敵兵を妨害するために、城壁の頂上付近の外壁に大量に生産させておいた有刺鉄線を張り巡らせた。
次に、城外に幾重にも空堀を掘らせた。上空から見れば、その空堀は塹壕のようにも見えたかも知れない。
これは攻城兵器、特に梯子車や衝車などが、城に接近し難いように車輪が嵌るくらいの大きさの空堀を、城を取り囲むように何重にも掘らせた。
この空堀のせいで、こちら側も敵に仕掛ける時は難儀するが、そのような場合には城内に予め作って置いた板の橋を掛けて対処することとした。
勿論、敵も同じように空堀に橋を掛けて来る事が想定されるが、橋を掛けようとする敵兵に矢の雨を降らせることで、損害を与え、時間も稼げると見ていた。
また、空堀と空堀の間には有刺鉄線を何重にも張り巡らせ、空堀の底には撒菱を撒いておき、殺傷力を高めておく。
ただ、出入り口である城の正面門前には、兵の出入りも考えた結果、空堀は最初からあったものしか掘らず、後は有刺鉄線を張り巡らせた木製のゲートをこさえるのみとした。
シンはその要塞化したケンブデン城を、横目で見ながら通り過ぎつつ、その出来栄えに満足していた。
(まぁ、ラ・ロシュエル王国にとっては有刺鉄線は初めて見る物だろうし、少なくとも対策を講じるまでの時間稼ぎにはなるだろう。それに、正面門前が薄いのも考え方によっては、もしかしたら有利に働くかもしれない。敵が正面門に固執してくれるならば、それはそれで対処はし易いからな…………もっとも、野戦で勝敗を決めちまうのが一番なんだが、さて……どうなることか……)
「堅城ですな……敵も一度攻めれば肝を冷やすに違いありますまい」
ヨハンはシンに馬を寄せると、シンと同じように横目でケンブデン城の鉄壁の防御を眺めやる。
中央軍の指揮官たちは、演習で有刺鉄線の効果を試しており、この有刺鉄線というものが、かなりの厄介者であることを知っている。
「うむ。だが、投石は防げない。勿論、城内にも投石機を配備しているが、投石の投げ合いになると城の規模が小さい分、不利だな」
「ふふ、俺らの大将は心配性だ。元々、野戦でケリを付けるって算段でしょう?」
その通りだが、とシンは声の主、後ろにいるフェリスの方へ振り向いて薄く笑う。
「ご心配御座らん。我ら帝国軍、皇帝直下の精鋭である中央軍が、必ずや将軍の指揮の元、敵軍を打ち破って見せまする」
「珍しいな、普段無口なアロイスが大見得切るなんて」
そう言ってシンが笑うと、当のアロイスがまず笑い、それに続く形でヨハンとフェリスも笑い出す。
この会話が漏れ聞こえた周囲の将兵らも、笑みを浮かべている。
だがこの笑いは、決して余裕からくるものではないことを、この場に居る全員が知っていた。
ヨハン、フェリス、アロイスは若いながらも経験豊富な指揮官であり、シンと皇帝の信頼は厚い。
しかし、このような帝国の存亡を賭けた一大決戦を前にしては、緊張するなと言う方が無理である。
シンもまた、今だかつてない程に、緊張していた。
想定される戦場である、カナルディア平原に近付くにつれ、時折武者震いが止まらなくなる。
そんなシンの不安が伝染したのか、愛馬であるサクラの様子も、どことなく落ち着きが無い。
(大丈夫、大丈夫だ…………敵の第一陣の戦意は高くない。初戦はただ俺たちが突っ込み暴れれば、必ず勝てるはずだ。だが、次は? 次は必ず勝てるか? 止めよう…………やるだけのことはやったんだ。今更どうこう言っても始まらない。賽は既に投げられたのだから……)
もう後戻りは出来ないのだと何度も自分に言い聞かせても、背中を伝う冷たい汗は、止めども無く次々に湧き出してくる。
それもそのはず、シンは今、麾下の二万の兵の命を直接的に預かり、さらにその後ろには帝国の数百万の民の命を握っているに等しいのだ。
(重い…………重すぎるよ俺には…………でもアイツは、エルは平素からこれを背負っている。生まれの違いか? いや、覚悟の違いだな。やっぱりアイツは凄い奴だよ)
シンたちより二日遅れでこちらに向かっている皇帝の、いつか見た後ろ姿を思い出す。
この世に二つとない煌びやかな冠を被り、豪奢な刺繍入りのマントを翻しつつ悠然と歩く姿は、どんな名優を以ってしても演じる事など出来ないだろう。
(そう、何故ならばエルは、生まれながらにして覚悟を背負い続けて来た。アイツの背中の大きさはそう、まさに帝国全土に匹敵する。今だけでいい……その広い背中を、俺にも少しだけでいいから貸して欲しい)
「……軍、将軍?」
その声にハッとして振り向くと、ヨハンの顔が間近にあった。
「何かご不安でも?」
「いや、何でも無い。それより、どうした?」
シンは自分の頭に残り続ける不安感を、振り払うように首を振ると、何があったのかと問うた。
「いえ、このままカナルディア平原まで一気に進軍致しますか?」
「ああ、そうだな……時間的にはどうだ?」
「このままですと、平原にあるタイロンの丘に着く頃には夜となってしまいますが……申し訳ありません、少しだけ予定より遅れてしまいました」
ヨハンは申し訳なさそうに頭を下げるが、シンは首を振った。
「いや、時間的余裕は十分だ。途中で野営しよう。敵も斥候を飛ばしているかもしれないから、警戒だけは怠るなよ」
「はっ、承知いたしました。では、全軍に伝えて参ります」
ヨハンが後ろに下がると、自分の不安が顔に出てしまっていたのではないかと思い、シンは日差しが眩しい振りをしながら兜のバイザーを下ろした。
(明日にはカナルディア平原に到着する。そして三日、四日の内には戦端が開かれるだろう。果たして俺は一体全体この戦いに勝てるのだろうか? そして生き残る事が出来るのだろうか?)
帝国臣民の期待、そして自身が抱く不安に押しつぶされないようにと、シンが今できる事はただ一つ。
それは馬上にて背筋を伸ばして前を見る。ただそれだけであった。
次話からいよいよ帝国の存亡を賭けた大戦、聖戦の始まりです。
ご期待下さい。




