義娘
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長らくお待たせしまして申し訳ありませんでした。
夕日が沈み、夜のとばりが降り始める頃に丁度夕食の準備が終わる。
燭台の蝋燭に火を灯すと、暗闇を照らす柔らかな光が長大なテーブルの上の料理を優しく包み込む。
「グラントさんの酒場の、あの天井から吊るされた明かりの魔道具、あれを見るとちょっとウチにも欲しくなるな」
グラントはあの魔道具を手に入れるのに、冒険で貯め込んだ金を全て吐き出したと言っていたことを思い出す。
詳しい値段を聞いておけば良かった。そうすれば、蝋燭代と比べる事が出来たのにと、シンは揺らぐ蝋燭の火を見ながら考えていた。
この世界では電気は勿論、ガス灯すら無い。明かりといえば、油、松明、蝋燭などで、それら全ては使い切りの消耗品。
特に日々の明かり代は、家計的に馬鹿にならない。
そのため、庶民は夜になると夜更かしもせずに、そのまま日が昇るまで寝るのが普通である。
明かりを用意できる夜更かしという行為自体が贅沢であり、富の象徴の一つとして数えられる世界なのだ。
「グラントのおっさん、あれを手に入れるのに全財産ブッ込んだって言ってたからな。多分、目ん玉飛び出るような値段だぜ」
「だろうな。まぁ、それはさて置き、先ずは無事の生還を祝って乾杯!」
シンがエールが満たされた木製のジョッキを掲げると、仲間たちも後に続いて杯を掲げる。
皆、わいわいと談笑しながら、美味い美味いと料理と酒を胃袋へ放り込む。
シンもスープに口を付け、その中の具に箸を伸ばすが、肉や野菜の大きさがまちまちであることに気が付いた。
野菜に関しても面取りが荒く、一部皮が残っていたりもする。
そんな野菜から目を離し、他の料理はどうだろうかと見回していると、自分の方をちらちらと覗うような視線を感じた。
自分へと突き刺さる視線を勘で辿ってみると、澄ました顔でスープをスプーンで掬い、口元へと運んでいるエルザへと辿り着く。
それだけでシンは全てを察した。
はは~ん、なるほど、このスープの具材を担当したのはエルザか。この分だとガンフーから武芸は仕込まれても、家事全般は駄目そうだな。まぁ、その辺はレオナに任せてしまえばいいだろう。奥を取り仕切るのは正妻の役目だしな。
そう思いながら、尚もチラチラとこちらを窺って来るエルザに向かって、シンはニッコリと微笑むとスープの中の大きさが不揃いの歪な具を次々と食べて見せる。
中には大きすぎて中までしっかりと火が通っておらず、芯の残っている野菜もあったが、食べられないと言うほどでは無い。
これは命がけで旅をした者にしかわからないことではあるが、外敵に襲われる心配をしながら取る豪勢な料理よりも、その心配なく食べられる質素な料理の方が、何倍も美味しいというものである。
もぐもぐと無心で次々と料理を平らげていくシンを見て、エルザは食事が始まってから初めてホッとした表情を浮かべていた。
食事も一段落といったところでシンがテーブルを見回すと、子供用の椅子の上でうつらうつらと舟をこぎ始めたローザの姿が目に入る。
日中はシンたちが帰って来て、大はしゃぎだったローザは既にエネルギー切れといったところだろう。
食事を止め、母親であるハイデマリーが駆け寄ろうとするのをシンは手で制し、ローザを抱き上げるとその足元で鶏がらに齧りついていたアトロポスも、自然にすっと立ち上がる。
そしてアトロポスは、散々齧りついていた鶏がらには目もくれずに、シンの後に付き従って行く。
ローザとハイデマリーの親子部屋へと着くと、シンはローザを子供用の一回り小さいベッドにそっと寝かせる。
するとアトロポスが、さも当然とばかりにベッドの上に飛び乗り、ローザの横でその身を抱えるように丸くなる。
「お前も一緒に寝るのかよ! まぁ、いいや。アトロポス、ローザを頼むぞ」
了解と、アトロポスは大きく立派な尻尾を一振り。
そんなアトロポスの頭を一撫でし、二人の身体にシーツを掛けてからシンは部屋を後にした。
「申し訳ございませんお館様。お手を煩わせてしまって……」
食堂に戻ると、ハイデマリーが申し訳なさそうにシンに頭を下げる。
「かまわんよ。ローザは俺の義娘でもあるのだから、少しぐらいは俺にも親らしいことをさせてくれ」
「お館様…………ありがとうございます」
目にうるうると涙を溜め始めるハイデマリーの頬を、シンは優しく手で撫でる。
シンは奇妙な縁から自分が預かる事になったローザを、自分の養女とすることに決め、今回の旅の出発の前に皇帝へと密かに願い出て、許可を貰っていた。
これはまだ世間一般には公となってはいないが、既に戸籍上はローザはシンの義娘として登記されている。
この件に関して、正妻候補であるレオナは反対はしなかった。
なぜなら、シンの跡を継ぐのはこれから産れて来るであろう男児であり、養女のローザはやがてどこぞへと嫁いでいくので、後継者問題に発展する恐れは無い。
それに、レオナとローザの関係は複雑であるが同じ血が流れている。年は親と子ほども違うが、レオナとローザは異母姉妹なのだ。そんなローザの母親であるハイデマリーは、レオナにとって年下の義母となる。
もっとも、これは事情を知る一部の者のみが知る真実であり、既に名を変えたハイデマリーは表面的にはレオナとは赤の他人である。
愚かな父親の乱行の結果とはいえ、ローザには自分と同じ血が半分流れており、さらに被害者であるハイデマリーにも、レオナは同情的であり、その仲も悪くは無い。
ゆえにレオナは、シンがローザを養女にしてくれたことに関しては、感謝していたのである。
「さてと、すまないが、碧き焔のメンバーとクラウス以外はこれにてお開きにして貰おうか。ハイデマリー、エルザを部屋に案内してやってくれ」
ハイデマリーはシンに向かって頭を下げた後、エルザの元へ歩み寄り、食堂からの退出を促す。
エルザは今一つ釈然としない面持ちだが、仕方なしにハイデマリーの後に続いて食堂を後にする。
「では、お館様。御用がおありでしたら鈴を御鳴らしくださませ」
そうシンに告げ、ハンドベルを手渡した後、オイゲンも食堂を後にする。
食堂の扉が完全に閉まったのを確認してから、シンは口を開いた。
「みんなまだ完全に出来上がってはいないな? 今日より一か月の間、自由行動とする。一か月後に再びここに集合、勿論このまま一か月の間、この家に留まっていても一向に構わない。一か月後に出発、俺は本隊で一軍を預かり指揮を執るため、作戦の日近くまで別行動となる。お前たちは、ロルフェン城へ向かいそのまま作戦開始まで待機となる。既にロルフェン城には熱気球を始め、必要な資材は集められている。後は、行って、最終的な訓練を行い作戦決行日を待つだけだ。何か質問は?」
「その話を聞く限りだと、俺たちはラ・ロシュエルと帝国が行うであろう帝国南部の会戦には、一切参加しないということになるのか?」
ハンクの質問にシンは頷く。
「その通りだ。この作戦を成功させることで、ラ・ロシュエルとの戦争に事実上の終止符を打つことが出来るという、極めて重要な作戦であるため、その時まで戦力は温存しておきたい」
「了解だ。作戦に参加する他の者たちは既に向こうに居るのか?」
「いや、ロルフェン城にはまだ資材が搬入されただけだ。人員は後から……多分同時期に集まるはずだ。なので、合流次第彼らと合同で訓練を行っておいてくれ。それと、クラウス……」
「なんだい? 師匠」
「今回の戦は総力戦だ。戦況が厳しくなれば、いの一番にお前たちは召集されるだろう。覚悟はしておいてくれ」
「国に仕えた時点で覚悟は出来ているよ、師匠。寧ろ望むところさ!」
パンと勢いよく胸の前で手のひらに拳を打ち付けるクラウスを見て、シンは何も言わずに頷いた。
「それと、そのことをそれとなく学生たちにも話しておいてくれ。いいか、くれぐれもパニックにならないように慎重にだぞ」
「うっ、俺そういうの苦手なんだよなぁ…………」
そう言いながら渋い表情で頭を掻くクラウスを、皆は笑い飛ばした。




