進む夢と揺らぐ夢
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更新遅くなってしまい申し訳ありません。まだ体の調子が今一つといったところでして……治り次第、更新頻度を上げて行きますのでご容赦くださいませ。
食事はたいていの人々にとって、最大の楽しみの一つである。
美味い食事にありつくには、それなりの稼ぎの他に入念な下準備と、熟練の腕を振るっての調理が必要である。
現在シンの館には、執事のオイゲンの妻である給仕長のイルザと、ローザの母親であるハイデマリーの他に、影の出である二人の少女が台所を預かっている。
普段ならばその人数で事が足りるのだが、今日はパーティ勢揃い。しかも、新たにエルザもいる。
それに加え冒険者たちは、老いも若きも男も女も大飯喰らい。要するに手が足りないのである。
なので、こういう日には誰に言われずとも全員で協力する。それがこの館の暗黙のしきたりであった。
「エルザ、あなたはどうしてそんなに不器用なの! ほら、こんなに肉が大きいままだと芯まで火が通らないでしょうが!」
ポコンとレオナに木のお玉で頭を叩かれたエルザは、しゅんと耳と尻尾を垂れる。
帝都に帰還する際にわかったことだが、族長の娘であるエルザは、武芸全般なら未だしも家事の類はてんで駄目であった。
聞けば、その類のことは全て侍女たちに任せていたという。
だがこの屋敷では、出来る事はなるべく自分でやるのが決まり。
しかもエルザはシンの第三夫人候補であり、今後もこの屋敷で暮らすことになるのだ。
そこでレオナは、着いた初日からエルザに厳しい花嫁教育を施すことに決めたのであった。
「はぁ、ちょっと前のマーヤを思い出すわ……」
そうレオナが溜息をつくと、そこまで酷くはないとマーヤが抗議を込めて口先を尖らせ、尻尾を逆立てた。
「ふふふ、正妻様は夫人たちの面倒も、ちゃんと見てあげないとね」
そう笑いながらエリーは、小器用にナイフを使い人参の皮を剥いている。
「二人に教われば、すぐに上手くなりますよ」
ポコポコとお玉で頭を何度も叩かれ、涙目のエルザを励ますのは元エルフの貴族令嬢であるロラ。
そのロラの傍らには現在、芋の皮むき修行の真っ最中であるジュリアが、眉を吊り上げながら無言で額に汗の玉を浮かべている。
シンのパーティの内、料理が得意なのは母親に仕込まれていたレオナとエリー、そして以外にも顔に似合わず手先が器用なハーベイの三人。
貴族のお嬢様だったロラとジュリア、拳闘奴隷だったマーヤも少し前までは今のエルザと大差ない状態。
貴族の坊ちゃまであったグイードとユリオも、シンと会うまでは包丁すら握ったことは無かった。
シンとカイル、クラウスとハンクの料理の腕は、どうにか及第点というところ。この四人の料理は、一言で言えば男料理そのものであり、見てくれよりは味と量と言った感じであった。
賢者として名高い老エルフのゾルターンはというと、料理のレパートリーが極端に偏っていて、その大部分が酒のつまみというありさまである。
もっとも、冒険者は自活がモットーでありその職業柄、刃物の取り扱いには長けているので、それなりに上達は早い。
きっとエルザも、ロラたちのように数ヶ月もすればとレオナは思ったが、肉を細かく切ろうとしてまな板に深く包丁の刃を食いこませている姿を見て、これは難しいかも知れないと肩をがっくりと落とした。
ーーー
女性陣が台所で料理している間、男たちは何をしているのかというと、シンは居間でローザと遊んでおり、グイードとユリオは師匠であるシンの命令で、アトロポスの散歩へと行かされていた。
ゾルターンは地下にあるワイン貯蔵庫で好みのワインを物色中。
ハンクとハーベイは馬車の荷物を降ろし、片付けている。
カイルとクラウスは、話ながら龍馬と馬の世話をしている。
「クラウス、残念だったね。学校の卒業が戦のせいで伸びてしまったのは」
水桶に水を汲みながらカイルが慰めると、クラウスは飼葉をフォークで掻き集めながら首を振った。
「仕方が無いさ、こればっかりは。それに俺たち一期生は、事の次第によっては戦場へと赴く可能性もある」
既に近衛騎士養成学校にはクラウスたち一期生の翌年に、二期生が入学している。
本来ならばもうそろそろ三期生が入学する予定であったが、これも戦争により延期となってしまっている。
「俺の方は兎も角として、お前の方はどうなんだよ? その……夢は叶いそうか?」
「うん、何とかなりそうかな? 今までの貯金と次の仕事の報酬を足せば、なんとか……」
そうか、とクラウスの微笑みながら頷いた。
カイルは自分の夢を親友であり兄弟弟子である、クラウスにだけ明かしていた。
その夢とは、シンから教わった技術、その最たる剣技を世に広めることである。
そのためにシンが昔ちらりと話してくれた、剣術道場を開くつもりであった。
「クラウスは卒業してしまえば、皇帝陛下を護る近衛騎士だもんね。もう夢は叶ったも同然か」
「いや、実はなカイル…………俺は今になって迷っている…………」
それを聞いてカイルは、えっ、と驚き手を止めてクラウスの顔をまじまじと見つめた。
その顔を見て、クラウスが決して冗談を言っているわけではないとわかった。
「どうしてだ? クラウス、お前はあんなにも騎士になりたがっていたじゃないか!」
カイルの語尾が怒りに震えるのを聞き取ったクラウスは、俺は頭が悪くて上手く言えないんだが、と頭をボリボリと掻いて見せた。
「師匠に骨を折って貰ってやっと掴んだ機会だ。無駄にするわけにはいかねぇ……けどな……」
「なら、なぜそんな事を言う!」
沈みゆく真っ赤な夕陽を見ながら、クラウスはぽつりぽつりと語り始めた。
「俺が騎士に憧れたのは、前にも話したよな?」
「うん、村を救ってくれた騎士たちの姿を見て、それで自分も騎士になりたいと思ったんだろう?」
「そうなんだ。あの時の村を後にする騎士たちの立派な後ろ姿が、今も瞼の裏に焼きついている。魔物と戦い、死傷者を出しながらも任務を完遂した騎士たちの姿は、お伽話に出て来る英雄に勝るとも劣らないものだった。俺は去りゆく騎士の背に、必死になって大きく手を振りながら、その後ろ姿に誓ったんだ。俺もいつか立派な騎士になってみせるって……」
それならばもうすぐ叶うじゃないかと、カイルは眉間にしわを寄せながら小首を傾げる。
その仕草を見たクラウスは、フルフルと小さく首を横に振った。
「確かに卒業すれば、近衛騎士になれる。なれるんだが、違うんだ。えと、近衛騎士ってのはさ、皇帝陛下を御守りするための騎士だろ? 俺が、俺がなりたいのは、そうじゃなくて、そのなんだ……俺の村を救ったような、そんな、弱い誰かを守る……そんな騎士なんだ…………」
ああ、とカイルは嘆息した。自分にはクラウスの気持ちが良く分かってしまうと。
そして、その思いを自分には変えることが出来ないことを。
カイルが師であるシンに抱く畏敬や憧憬、それらをクラウスは在りし日の騎士たちに抱いているのだと。
「クラウス、気持ちはわかるが一人で結論を出しては駄目だと思う。わかっているとは思うが、下手をすると師匠の顔に泥を塗ることになるかも知れないからね。それと一つだけ言っておく。もしもだが、クラウス……君の決断が師匠の名を貶めるものだとしたら、俺は決して君を許さないだろう」
カイルにとってシンは命の恩人であり、生きる術を与えてくれた神にも等しい存在。
そのシンの名声に傷を付ける者は、たとえ身内であろうとも許しはしない。
そんなカイルの本気に、クラウスの全身が一気に冷え、体中に鳥肌が立つ。
「…………心配するなカイル。俺ももうガキじゃない。それに師匠は、これから起きる戦でも重要な任を陛下より与えられるはず。そんな忙しい師匠の手を、煩わせるような真似だけはしないと、今ここに誓うよ」
それを聞いて、ようやくカイルの顔が緩み、ふたたび笑顔が戻る。
それに釣られてクラウスもこわばった身体をほぐしながら、口元に笑みを宿す。
二人は互いを見て笑いながら、あの沈みゆく夕日のように、今の満ち足りていて楽しい日々に終わりが近づいていることを悟っていた。
昨日、尊敬する小説家である津本陽先生が、誠に残念なことにお亡くなりになられました。
下天は夢か、夢のまた夢、乾坤の夢、の夢シリーズを始め、塚原卜伝十二番勝負、草笛の剣、胡蝶の剣、信長の傭兵、信長影絵、則天武后、草原の覇王チンギスハンやその他色々、全てが面白くて私は引き込まれて狂ったように読み漁り、その結果として多大な影響を受け育ってきました。本当にどれもこれも面白いので、興味がある方は見かけたら是非手に取ってみて下さい。
最後に僭越ではありますが、津本陽先生の一ファンとして、この場をお借りいたしまして御冥福をお祈り申し上げます。




