シン、婚約する
「別に何も儂の娘を正室にしろとまでは言わぬわい。ただ、大事にしてやって欲しいとは思うがな」
聞けばガンフーの妻は六人いて、子供も男が五人、女が六人いるらしい。
エルザはその十一人兄妹の末っ子とのことであった。
末っ子といえば親も大層可愛がるもの。それをいくら亜人諸部族の命運が掛かっているとはいえ、どこの馬の骨ともわからない、シンのような者に嫁がせるのは親として忸怩たる思いがあるに違いない。
「もう一度だけ聞くぞ? わが娘を娶る気はあるか?」
シンにとって退路は全て塞がれている。この世界は日本と違い、一夫多妻が許されている。
勿論、それを成すには甲斐性が必要であるが、今のシンの帝国での待遇と貯金を考えると、妻の五、六人は楽に養えると思われる。
「失礼な言い方かも知れないが、そのための茶番だったのだろう? それに俺は帝国の碌を食んでいる以上、皇帝の決定には従わねばならぬ。帝国、亜人諸部族共に生き残るためには、どうあっても手を結ぶ必要がある。ならば、貰うしかない。俺は帝国に守るべきものを多く持ちすぎてしまった……今更、国を捨てることは出来ないし、国を失うのは二度と御免だ」
シンは直接日本や地球がどうなったのかを知りはしないが、帰る手段が無い以上、それは滅んだも同然と考えていた。
ガンフーが義理の息子となるシンの強さではなく、為人に強く惹かれたのはこの時が初めだったのかも知れない。
「先程チラリと見ただけだが、アンタに似ず美しい娘だ。器量の方も期待して良いのだろう?」
「引っかかる言い方をしおってからに……儂の娘だぞ、当然である。武芸も儂自ら仕込んでおいたし、妻たちが言うには、家事その他もどうにか及第点ではあると申しておった」
つまり、家事は苦手ということか……まぁ、家事ならば幼いころから母親に仕込まれていたレオナが居るので、多少苦手であっても問題は無いだろうとシンは頷く。
「わかった。御嬢さんを私に下され、親父殿。必ずしも幸せにして見せるとは断言出来ぬが、少なくとも不自由はさせないと約束します。ただし……」
「ただし、何じゃ?」
「婚儀は戦の後ということでお願いしたい」
ああ、なるほどとガンフーは頷いた。そして、この男ならば娘を大事にしてくれるだろうとも。
何故シンが婚儀を戦後と定めたのかには理由がある。
これから起こるであろう聖戦には、当然シンも出陣する。もし仮に戦前に婚儀を上げてしまうと、シンが戦死したときに、エルザは未亡人となってしまうのだ。
戦後まで婚約者という立場ならば、例えシンが戦死してもその身は清いまま。
次なる嫁ぎ先も見つけやすいだろうが、未亡人となるとそうはいかなくなる。
シンの言葉はその点を考慮したものであった。
「承知した、婿殿。いや、まだ婿殿では無いわけだな……シン殿、我が獅子族は族長の娘の婚約者である貴殿を守るために、帝国とラ・ロシュエル王国との戦に参戦致す」
亜人諸部族の象徴である獅子族が参戦するということは、他の諸部族も参戦を意味するものである。
彼らは聖戦の際に、ラ・ロシュエル王国の横っ腹を突いてくれるだろう。
よしんば亜人諸部族がラ・ロシュエル王国にこのまま押されて戦線を後退させたとしても、それはそれでラ・ロシュエル側にとっては戦線を拡大させ、広く兵を配置しなければならないので、帝国との決戦時投入兵力が減ることに変わりは無いのである。
こうしてシンは、獅子族の族長の末娘であるエルザと、正式に婚約に至ったのであった。
ーーー
族長の天幕を後にしたシンは、仲間たちのいる天幕へと戻り、事情を話す。
「なにそれ! 皇帝陛下も皇帝陛下よ! シンさんに大事な事を話さずに送り出すなんて!」
事情を知ったエリーは、顔を赤く染めながら皇帝にあらん限りの悪態をつく。
「まぁ、落ち着け。俺も陛下のやり方に腹が立ったので、帰ったら一発ぶん殴ってやろうとは思っている」
シンは時々物騒な事を言う。これがもし、シンでなく余人の言葉ならば、下手をすれば不敬罪で打ち首や絞首刑の可能性もある。
事実、パーティで唯一の常識人であるハンクは、その言葉に顔を青くしていた。
「で、どうするのじゃ? 受けるのか?」
興味深そうに眼を細めながら聞いて来るゾルターンに、シンは受けざるを得ないと頷く。
「受けるしかないな……ラ・ロシュエル王国と帝国との戦力の差は、もう殆ど無いと言ってもいい位なんだ。戦に勝って領地を増やし意気上がっている国と、片や相次ぐ内乱やそれによる粛清で屋台骨が軋んでいる国。どちらに勢いがあるのかは言うまでもないだろう。それに……」
「それに?」
「俺は帝国の臣だ。皇帝の意には従わねばならん。それともう一つある。この計画を立てたのは他でもないこの俺だ。発案者としては、その言葉と行動に責任があるだろうよ」
「横からで申し訳ありませんが、そういった責任感や義務感だけで結婚をするというのは、如何なものでしょう? それではあまりにあの娘が可哀そうではありませんか?」
「ロラ、君は貴族だからわかっているだろう?」
「わかってはいます。ですが、そうしたことがお嫌いであればこそ、シン……あなたは貴族位を受け取らなかったのでは?」
ロラの指摘は正しい。やったことのない統治などもそうだが、そういった貴族特有のしきたりやしがらみが嫌で断ったのは事実である。
「それについては、全くを以ってそうなんだが……帝国には守りたいモノが沢山出来ちまってな……そうも言ってられなくなっちまったんだ……」
「そうですか……そうですね。言い過ぎました、御免なさい」
シンの言う守りたい者の中に、自分たちの未来が含まれていることを知り、ロラは頭を下げて詫びた。
私は納得いかないわよと、エリーは鼻息荒く立ち上がる。
エリーとしては、親友であるレオナを応援するのは当たり前。それを幾ら国の為だとか理由を付けても、ぽっと出の娘に正妻の座を奪われてしまうのは、どうあっても許すことが出来ない。
また口が利けずに黙って聞くだけのマーヤも、出会った順番ならいざ知らず、貴種であるからと後からしゃしゃり出て来て正妻の座に収まるというのを、到底容認出来るはずも無かった。
そんな中、レオナだけはシンの複雑な心中を察してか、これまで一言も声を上げてはいなかった。
「今は婚約だけだよ。それに正妻にはしないとガンフーにも言ったし、彼もそれを承知した」
それを聞いて、エリーとマーヤは一応納得。レオナもホッと胸を撫で下ろした。
「一応めでたしめでたし? ということだが、それでこれから俺たちはどうするんだ?」
めでたしめでたしと行ったところで、女性陣に睨まれたハーベイは軽く肩を竦めて見せる。
「ああ、そうだったな。ガンフーと今後の動きについてもう少し話し合っておきたいから、このまましばらくは逗留する事になると思う。そこでだ……みんなには一つやってもらいたいことがある」
「ただ待っているというのも何ですから、何でもやりますよ」
「ありがとう、カイル。それじゃ、お言葉に甘えて……ちょっとラ・ロシュエル王国の支配地域を威力偵察してきてくれ。兵装、士気、その他諸々をな……勿論、無理に戦う必要は無い。この地に配された敵兵の質をちょっと知りたくてな」
「威力偵察ですか?」
「ああ、なにせ亜人は個としては普人よりは遥かに優れているだろう? それを征服するにあたって、精鋭を派遣しているのか、それとも単に数で圧倒しているだけなのか。ガンフー、というより獅子族全員が相当の戦士なもんで、彼らの意見があまり参考にはならんのだ。誰に聞いても、敵はたいしたことはない、弱いって言うもんだから、こっちとしてもどう判断してよいのやら……さっきも言ったように、無理はしなくていいからな」
「おう、任せとけシン! 一人、二人攫って情報を聞き出してくればいいんだな? お安い御用だぜ!」
このまま居留地で退屈しているよりは、命の危険があっても刺激があった方がいいと、ハーベイが意気込む。
「調べて来てほしい場所はここだ。ここから半日も行かない所に、ラ・ロシュエル王国の偵察小屋があるらしいので、そこを頼む。賊に扮してというより、この地には帝国の人間なんぞ居るわけが無いので、勝手に賊だと思ってくれるだろうが、言動だけはそれっぽく頼む」
シンはガンフーより預かって来た地図を広げて、件の偵察小屋の場所を指でトントンと叩いた。
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