帝国の贄
「もう大丈夫だ、ありがとう」
シンは治療を受けた左手を軽く動かしながら、その具合を見る。
エリーの高度な治癒魔法によって、折れた骨は元通りくっつき、その他細々とした擦過傷なども完全に癒えていた。
「治療が終わったか? それでは、儂の後に着いて来るがよい。エルザ、後で呼んでやるから、それまでに身形を整えておくがよい」
「はい、お父様。それでは旦那様、後ほどに……失礼いたしますわ」
去り際にエルザはチラリと冒険者パーティ、碧き焔の女たちを一瞥する。
エルフが二人、亜人……耳と尻尾の形から見て狼牙族らしき者が一人、そしてこの腕の良い普人族の女と騎士風の者が一人……
冒険者はパーティ内での恋愛も多いと聞く。この中でワタクシの旦那様の寵を受けている者はいるのかしら、とエルザはそれぞれに挑発的な笑みを向けた。
それに反応したのはレオナとマーヤである。レオナは、耳をヒクヒクと動かし、マーヤは耳を立てて犬歯を剥いた。
はは~ん、なるほどこの二人か……と、エルザは敵を見定めた。
エルフの方は革鎧でわからないけど、まぁエルフは胸が薄い者が多いと聞くわ。問題はあの犬っころね……でも、容姿も実力もきっとワタクシのが上ですわね。何せワタクシは亜人族を束ねる大族長である、お父様の娘なのですから。
心の中で高笑いをしつつ、エルザは悠然と余裕の足取りでその場を後にする。
その自信たっぷりな後ろ姿を、射殺すような鋭い視線で見つめるレオナとマーヤ。
そんな二人の姿を、シンは出来るだけ視界に収めないようにしながら、ガンフーの後を追った。
ーーー
ガンフーは天幕に入る前に、自分の側近たちに周囲を見張り、人払いをするようにと命じた。
集落の中で一際大きな天幕の中へと誘われたシンは、入って早々にガンフーから蜂蜜酒の入った小壺を手渡される。
「グーっといけ、グーっと、疲れた身体にはこれが一番効く」
激戦の後でたっぷりと汗を掻き、喉が渇いていたシンは、手渡された小壺に直接口を付けて貪るように飲み干した。
シンに蜂蜜酒を薦めたガンフーもまた、喉が渇いていたのだろう。シンと同じように、ゴクリゴクリと喉を鳴らしつつ蜂蜜酒を胃の中へと納めていく。
「ぷふぁ、ひとごこち着いたぜ」
あっという間に蜂蜜所を飲み干した二人は、豪華な敷物の上にどかりと向かい合って腰を下ろした。
シンはガンフーに対して聞きたいことは山ほどあるのだが、先ず何から尋ねればよいか迷っていた。
「どうした婿殿? あれっぽっちの酒で酔いがまわったのか?」
「それ、その婿殿って何だ? 一体どういうことなのか説明してくれよ!」
「なんでぇ、お前さん皇帝から何も聞いていないのか? 戦いの時も本気っぽかったからな、もしかしたらとは思ってはいたんだが……」
シンが皇帝から聞いた話は、獅子族の族長が自分と力比べを所望しているとのことだけであった。
エルが俺に隠し事を? まさか、あり得ない……いや、だがよくよく考えてみれば腑に落ちない点は幾つかあるな…………あいつはこの話に乗り気では無かった。というよりも、今考えてみれば暗に行くなと言っていたのか? だとしても何故、それを俺に直接言わなかった? どういうことなんだよ、エル…………
「俺が聞いたのは獅子族の族長であるアンタが、俺と力試しを所望しているということだけだ」
シンはここに来た目的を正直に話した。というよりも、本当にそれだけしか聞かされていなかったのだ。
「なるほど、力試しか……それで、お前さん馬鹿正直に真正面から儂に挑んできたわけだな? こりゃ愉快痛快極まりない話だな。まったく、義息子たちにも見習わせてやりたいわ。婿殿、お前さんだけだよ……儂に真っ向正面から挑んで来たのはな。おかげでこっちも久々に血が滾って、要らぬ力が入ってしまったわい」
そう言ってガンフーは眼を細めて嬉しそうに笑う。
「義息子たちときたら、姑息にも最初からちょこまかと動き回りおってからに…………試しの儀を何と心得ておるのか……嘆かわしいったらありゃしない」
「その試しの儀ってのは一体何なんだ?」
「試しの儀というのはな、我ら獅子族に伝わる嫁取りの儀式よ。娘を娶らんとするならば、その父親に力を見せねばならぬのだ。まぁ、手っ取り早く言えば、娘が欲しけりゃ儂を倒せってことよ」
やはりそうだったかと、シンは疲れ切った表情を浮かべながら、がっくりと肩を落とした。
「と、いうわけで、お前さんは見事儂を倒し、わが娘エルザを娶ったということだ婿殿。お前さんになら、娘をくれてやっても問題あるまい」
騙し討ち同然のこの仕打ち、だがどこかしら引っかかる物言いに、シンは怒りよりも先に疑問が湧いて来る。
「他にも幾つか聞きたいことがある。先ず最初に、さっきの戦いの最後……ガンフー……あんたワザと負けたな?」
ああ、と何事もないような顔でガンフーはあっさりとその事実を認めた。
これにはシンの戦士としてのプライドは甚く傷付いた。だがそれと同時に、また別の疑問が浮かび上がる。
この目の前に居る男、ガンフーは紛れもない戦士の中の戦士。それはただ一度とはいえ、直接手合せしたシンだからこそわかっている真実である。
その戦士であるガンフーが、なぜあのように自分から負けるような真似をしたのか? 戦士としての誇りはないのだろうか?
目は口ほどにものをいうというが、この時のシンが正にそれだったのかもしれない。
シンの目を見たガンフーは、今まで浮かべていた笑顔が嘘のように真顔になると、重々しい声で口を開いた。
「何故自ら負けたのか不思議か? それはな……儂が戦士である前に、部族を束ねる族長だからよ。お前さんは、賢いって聞いてるぜ? ちっと考えりゃわかるんじゃねぇのか?」
「つまり……部族を守るために、誇りを捨てたと?」
「誇り? 誇りか……そうだな、俺は捨てた。皆を生かすために、その誇りとやらを捨て、娘を贄に差し出した。軽蔑するかい? だがこれは、お前さんの仕える皇帝もやっていることだぜ?」
「どういうことだ? いや、何となくわかって来たぞ……これは全て茶番。あんたとエルが仕組んだ茶番だったんだな? 畜生、あの野郎! 俺に一言の相談もしやがらねぇとは……」
やっとわかったかと、ガンフーが口の端に僅かな笑みを浮かべた。
「今から全てを話してやろう。これはお前さんが気付いた通り、儂と皇帝とが練り上げた茶番よ。お互いに手を結びたいのは山々成れど、素直にはいそうですか手を結べない理由があってな……」
「理由?」
「ああ、お前さんも知っているだろうが、ガラント帝国の前皇帝が発した亜人追放令……これが、実に厄介でな……撤回された今でも、ジワジワとまるで呪いのように祟りやがる」
「なるほど、つまりは幾ら窮地に陥ったとしても、ガラント帝国を信用して手を結ぶべきでは無いという輩がいるというわけだな?」
「そういうことだ。まぁ両国の間を取り持つのに一番手っ取り早いのは通婚だが、これもまた問題でな……若い皇帝には赤子の王子が二人いるだけ、こちとら結婚適齢期の者はエルザのみ。年齢が釣り合わねぇ。それじゃ、皇帝が側室に迎えればいいと思うだろうが、それでは拙いのだ。何故だかわかるか?」
「皇帝に娘を差し出したとなれば、実情はどうあれ、獅子族は帝国に臣従したと思われてしまうから……なるほどな、それで俺かよ……つまりあんたは娘を贄として差出し、皇帝は俺を贄として差し出した……そういうことだろ?」
ご名答、とガンフーはパチンとゆびを鳴らして笑う。
ふざけた親父だとシンは、ムッとした顔をするが、すぐにガンフーの目が笑っていない事に気が付いた。
「お前さんは自分で考えているより、遥かに異質の存在だ。そいつは自覚した方がいい。それとな、皇帝を責めてやるな。あれはあれで、自分の責務を全うしたに過ぎないのだからな」
「あんたもそうなのか? 娘さんのこと、本当にそれでいいのか?」
ガンフーは少し目を瞑り沈黙したのちに、そのまま口を開いた。
「まぁ、お前さんならば、少なくとも大事にはしてくれるだろう。そう思えばこそ、この茶番を引き受けたのだ。これは獅子族の族長ではなく、エルザの父として頼む。どうか、娘を幸せにしてやってくれ」
ガンフーは一人の父親として、黙ってシンに頭を下げた。
「わかったよ、頭を上げてくれ。だけど正妻には出来ねえからな……」
「あん? おめぇ、今なんつった? 儂の娘に不満があるとでも言うつもりか?」
一瞬にして、険悪な雰囲気が天幕内を隈なく覆う。
正に一色触発、次の瞬間に殴り合いが始まっても誰もおかしくも何とも思わないだろう。
そんな空気を破ったのは、顔を真っ赤に赤らめながら放ったシンの一言であった。
「ち、違う! お、俺には、す、好きな女が既にいる。そ、そいつと何れは添い遂げるつもりだからだ」
ガンフーは血走った目で、真っ赤になったシンをしげしげと睨み付けた後、急にぷっと吹き出すと、そのまま腹を捩って笑い転げるのであった。
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