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帝国の剣  作者: 0343
411/461

婿殿


 レオナの声援を受けたシンの力に屈するように、徐々にガンフーの膝が折れ曲がっていく。

 だが、あと一押しというところで、ガンフーに愛娘であるエルザが檄を飛ばす。


「お父様、しっかり!」


 娘の前で父親が無様な様を見せる訳にはいかない。

 ガンフーは額に珠のような汗を浮かべ、こめかみに青筋を幾つもこさえながら最後の力を振り絞る。

 シンも負けじと、より一層の力を込めるが、それでもなおガンフーの父親としての尊厳を保つための火事場の糞力が勝ったのか、沈みかけていた膝は徐々に徐々にと伸び、抑え込もうとするシンの力を跳ね除けた。


「だぁりゃぁああああ!」


「うぅおおおお!」


 押し合いで、噛みあうように密着していたガンフーの持つ天の棒と、シンの持つ地の棒は弾けるようにして二人の頭上を越え、それぞれの背後に飛んでいった。

 これで勝負は引き分け、と誰もが思ったが、当の本人たちはそうは思ってはいなかった。

 二人はほぼ同時に拳を握り締め、ファイティングポーズをとる。

 開始のゴングは、飛んで行った天と地の棒が地面に落ちる音。

 先に拳を繰り出したのはガンフー、風を斬り裂くような音と共に抉るような巻き込み型のフック、それをシンは上体を逸らせて交わしながら脇を絞めて鋭いジャブを繰り出す。

 シンのジャブはガンフーの鼻面を捉えたが、体勢不十分であったがために浅く、致命打にはならなかった。

 それでも、鼻を打たれたことで極々僅かではあるが、ガンフーは視界が白み動きが止まる。

 俗にいうフラッシュの状態、この隙に乗じてシンは一気に畳み掛けようとする。

 だがこれは、シンの失態であった。ガンフーが五感優れる亜人種であることを、勝利への焦りなのか、この時ばかりは失念していたのである。

 それにこれはボクシングではない。当然、蹴りや組技、投げ技などなんでもありのルール無き戦いである。

 ガンフーは、白む視界に頼らず耳を立て、鋭い聴覚でシンの踏み出す音を聞き取ると、その音目掛けて渾身の蹴りを放った。

 やばい、とシンが思った時にはもう遅い。ガンフーが放った蹴りに対して出来たのは、手を十字にして防ぐクロスアームブロックのみ。

 だが蹴りの直撃を受けた左手は、その勢いを弾くどころか殺すことも出来ずに、ボキッと鈍い音を立てて折れてしまった。


「ぐわぁああああ! 畜生めが!」


 シンはこれまで骨折程度何度も経験しており、その痛みも十分に味わいつくしている。

 腕の骨の一本が折れた程度では、シンは止まらない。

 それに冒険者たるもの、骨折程度で動きを止めたりすれば、待っているのは死である。

 どんなに痛かろうと、動ける限りは戦い続ける。それが生き残るための秘訣であり、その執念こそが生還への道標となるのである。

 シンは折れた左手をダランと垂らしたまま、右手一本で強敵ガンフーへと再び挑みかかる。

 鋭い上段蹴りで、シンの左腕を骨折させたガンフーも限界に達していた。

 追い討ちを掛けるべく、足を踏み出そうとするも既に両脚は言う事を聞かず、立っているのが精一杯である。

 

 ここまでか……老いとは酷いものよ……


 あと十歳若ければ、とガンフーは悔しさに臍を噛む。

 だが同時に、この若者に道を譲るのも悪くは無いと感じてもいた。

 何と言っても、老いたりとはいえ自分とここまで正面からぶつかる事の出来る者など、今までの人生に於いて、ただの一人たりとも居なかったのだ。

 それにガンフーは、シンの実力を認めた時からある理由により、この勝負には負けるつもりであった。

 後はどれだけ自然な感じで負けを装う事が出来るかである。

 

 ふーっ、ふーっ、と荒い息を吐きながらシンが右拳だけを構えて近付いて来る。

 お互いの拳と拳が触れ合う距離に達した瞬間、ガンフーはシンの顔目掛けて右のストレートを放った。

 だがその渾身の右ストレートは予備動作が大きく、シンでなくとも見破られるような、そんな隙の大きなものであった。

 当然、シンはその大振りの右ストレートを軽々と掻い潜ることに成功する。

 そしてシンもまた、右のストレートをガンフーの顎を目掛けて放つ。

 シンが右ストレートを放った瞬間、ガンフーは顎を引かずにワザと顎をチョンと前に突き出した。

 拳は顎先を見事に捉え、脳を揺すられたガンフーは堪えきれずにその場に膝を着いて倒れ込む。

 見事ガンフーを倒したシンは、荒い息をつきながらも微塵も己の勝利に喜びを見出せなかった。

 それもそのはず、シンの並外れた動体視力は、ガンフーが顎先を前に突き出した瞬間を見逃さなかったのだ。

 なぜだ? どうして? シンは混乱した。傍目には、シンはその場に立ち竦み呆けているようにも見える。

 シンは己の右拳と、倒れるガンフーとを何度も見比べる。

 困惑するシンをよそに、広場は歓声に包まれる。


「やったな、シン!」


「師匠! やりましたね!」


 仲間たちが駆け寄り、シンの勝利を喜びあう。


「シンさん、治療を」


 エリーが怪我を見せてと言うと、シンは先にガンフーを見てやって欲しいと頼む。

 どう見ても、骨折して左手があらぬ方向に向いているシンの方が、倒れているガンフーよりも重傷ではないかとは思ったが、エリーは言われた通りガンフーの治療を優先することにした。

 おそらくは軽い脳震盪、それならば治療にさほどの時間は掛からないと、エリーがガンフーに触れようとしたその時、


「娘、儂の治療は要らぬぞ。婿殿の左腕を治してやるがよい」


「お父様、御無事で!」


 むくりと起き上がったガンフーに、娘のエルザが抱きついた。


「当然だ。だが、勝負は儂の負け……エルザもそれで良いな?」


「はい、お父様を倒すような戦士の元へ嫁ぐことが出来て、エルザは幸せ者に御座います」


 耳を伏せ、ほほを赤らめながら、伏し目がちな上目づかいでシンを見るエルザ。

 シンとその周囲に集まった仲間たちの時が止まった。


「「「「む、婿殿?」」」」


 仲間たちは一斉にシンを見る。

 だがその視線を受けたシンも、驚きの余り大口を開けて茫然と佇むのみ。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ! 一体全体、どういうことだ?」


 シンは突然のことに焦りに焦る。そして先程の勝負の、最後の瞬間の違和感の正体を悟ってしまう。


「あっ、まさか、最後のあの時!」


 そのシンの声をかき消すかのように、ガンフーは大口を開けて、がっはっはと大笑する。

 そして広場中に響き渡る声で、シンの勝利を告げる。


「試しの義は終わった。勝者は皆も見ての通り、竜殺しのシンである! 儂を見事倒したこの者こそ、わが娘を娶るに相応しいと思うが、如何に?」


 そのガンフーの言葉に応えるように、周囲から祝福の言葉が投げかけられる。

 

「何を呆けておる婿殿、拳の一つでも突き上げて皆の声に応えてやらぬか?」


「ちょっと待ってくれよ、婿って一体どうゆうことだよ?」


「ああん? 何だ、婿殿は皇帝から話を聞いて来たのではないのか? 先の試しの義により、見事儂を倒した婿殿は、我が娘を娶り、我が一族に迎え入れられたのだ」


「はぁ?」


 つまりは先の戦いは力試しなどではなく詰まる話、お義父さん、御嬢さんを僕に下さい。何だと? 良かろう。それほどまでに我が娘が欲しければ、儂を見事倒してみよ。という茶番だったのだ。


「何だおめぇ、儂の娘じゃ不満だとでも言うつもりか? 文句があるっていうのなら、もう一度やり合うか?」


 先程までとは比べものにならない、ドスの効いた声でガンフーが凄む。

 その声に合わせて、娘のエルザが伏した目に薄っすらと涙を浮かべて、よよよとシンに縋るように倒れ込んで来る。

 躱すことも出来ずについ受け止めてしまったが、背後からレオナとマーヤのものであろう殺気をひしひしと背中に感じてシンは体中から脂汗を垂れ流す。

 このままでは、結婚が既成事実と化してしまうとシンはパニックに陥るが、混乱した頭ではこの状況の打開策など浮かびよう筈も無く、ただただ途方に暮れるのみ。

 それにもう一勝負など、冗談では無い。もうこんな人間だか猛獣だかわからぬような者の相手は、二度と御免である。


「まっ、怪我を治してから今後の事をじっくりと話し合おうや、なっ、婿殿!」


 ガハハと笑いながらシンの背を叩くガンフー。

 背を叩かれたシンは、その勢いで前につんのめるが、未だ抱きついているエルザがそれをしっかりと支えたがために転ばずに済んだ。

 それを見たレオナとマーヤが目を吊り上げてシンに近付いて、一体どういうことかと問い質そうとするが、エリーに先ずは治療が先であると窘められ、抱きついているエルザにも治療の邪魔だから離れるように言う。

 

「まったく、どうすんのよシンさん。これ、どう収拾をつけるつもり?」


「俺にもどうしたら良いのかわからないんだ……」


 折れた左腕の治療を受けながらシンは酷い徒労感に襲われていた。

 最初から最後まで、全てはガンフーの手のひらの上で踊らされていたことについては、怒りよりも見抜けなかった己の未熟さに対する呆れの方が大きい。

 これから俺はどうなってしまうのだろう? 空を見上げたシンは流れ行く雲を見つめ、いっそのことあの雲の中に入って雲隠れしたいなどと、ただひたすらに現実逃避することしか出来ずにいた。



 


 

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