夜陰に紛れての出発
蛍光灯のように明るい魔道具の下で元冒険者であり、冒険者を退いてからも荷物持ちとして、迷宮に挑み続けたグラントの言葉は続く。
「人によってまちまちだが、冒険者には節目ってものがある。まず最初は体力の衰え……スタミナなどの限界を感じ始めるのは三十になった時。そしてその次は、四十になると目や耳が衰える。培った経験で補えば良いとする意見もあるが、冒険ってのは同じ場所に行っても毎回新鮮な発見や驚き、そして危険が潜んでるもんさ……」
人生の半分を迷宮に捧げた男の言葉は重い。
「ハンク、ハーベイ……お前たちはもうそろそろだろ? 俺のように何としてもと、喰らい付いて行く人生もそれはそれで良いものだが、別の生き方に関しても少し考えた方がいい。もし、何も思い浮かばなかったのなら、俺の店に来ればいい。その時は、荷物持ちとしてこき使われた分のお返しで、お前たちをこき使ってやるから覚悟しろよ」
グラントにとってハンクとハーベイは、荷物持ちとしてもロートルだった自分を拾ってくれた恩人であり、ともに迷宮に戦った戦友であり、喜怒哀楽を共有した家族なのであった。
ハンクとハーベイにかけた言葉の節々から、二人に対する思いが溢れており、それは元冒険者のアドバイスではなく、兄から弟へ、父から子に対するそれと言われても納得する響きがあった。
「……グラントさん……俺たちは二人とも、わかってはいる積りだ。残された時間が少ないのも承知している。グラントさんが感じたその節目ってやつを感じた時には、すっぱりと冒険者を引退するさ。だけどあともう少し、もう少しだけ…………俺は冒険者でいたいんだ」
そう呟くハンクには冒険者というものに対しての未練があった。
で、あればこそシンが村を訪れた際に、碧き焔に加わったのだ。
今度こそは、生死はどうであれ冒険者としての自分の生き方にけじめをつける。
その時までは、その時まではどうか自分を冒険者のままでいさせてほしいと、ハンクは一人胸の内で呟く。
「美女ならまだしも、グラントのおっさんにこき使われるなんてまっぴら御免だぜ。だが、忠告はありがとよ……大丈夫だよ。俺たちだってあんたとまでは行かねぇが、それなりに色々と見て来たつもりだ。それに俺はもう、その第二の人生ってもんをちゃんと考えているからな。だからよぅ、そう……心配すんなや」
このハーベイの言葉にはグラントのみならず、シンも驚いた。
この人の好い荒くれ者が夢見る第二の人生とは一体何であるのか、二人には想像もつかない。
だが最近は酒場や娼館に通うこともなく、少しずつ金を貯めているのをシンは知っていた。
「ならいい……ならいいんだ。抜け目のないお前たち二人ならば、大丈夫だろうと思うんだが、どうもな……俺も歳だな……歳は取りたくないもんだ。歳を取ると、要らないおせっかいばかり焼きたくなる」
二人が引き際を弁えていることを知って安心したのか、グラントの目は元冒険者の目から、酒場の主の目へと変わる。
それにしてもと、グラントの言葉にはシンも色々と考えさせられるものがある。
考えてみれば、冒険者の多くは若者である。年配の冒険者もいないことはないが、女性の冒険者と同じくらいその数は少ない。
その理由についてはグラントの言葉から、容易に察せられる。引退か死か、そのどちらかを選ぶからだろう。
冒険者ってのはそうだな、地球におけるアスリートみたいなものと考えればしっくりくるな。
例えばボクシングを見ればわかるが、一番脂がのっているのが二十代半ばから後半で、三十を越えればロートル扱い。四十を越えてもまだボクシングを続ける選手は、一部の例外を除いてほぼ居ない。
いや、ボクシングだけじゃない。野球だろうが、サッカーだろうが、バスケットボール、バレーボール、マラソン、卓球、スケートとスポーツなら何でも、多くの人が第一線に立ち続けるられるのは三十代まで……だけども剣道は、剣道だけはどんな爺さんでも強かったんだよなぁ……
「それにしても爺さんよ、長命のエルフとはいえあんた相当な歳だろう? よくコイツらについていけるな、全く尊敬に値するぜ」
空になったゾルターンの杯に、なみなみとエールのお代わりを注ぎながらグラントが笑うと、ゾルターンはアルコールの混じった気焔吐いた。
「馬鹿もん! 儂を年寄扱いするでないわ! お主たちとは、出来が違うのじゃ、出来がっ! というのは嘘じゃが、儂は魔法使いだからのぅ。儂の役割は戦うことと知識と知恵を貸すことだけじゃから、何とかというもんじゃ……じゃが、これが儂にとっても最後の冒険になるじゃろうて。全くお主の言葉ではないが、歳は取りたくないもんじゃて……せっかく面白い者を見つけたというのに……もしも、儂が……あと五十も若ければ……いや、言うても詮無きことよな……今の言葉は忘れてくれい……」
ゾルターンは老人とも思えないような勢いで、注がれたエールを一気に喉へと流し込む。
それはまるで、喉まで出かかった言葉の数々を、再び腹の中へと流し込む……そんな印象を受ける荒々しい飲みっぷりであった。
再び空になった杯に、グラントは何も言わずにただ、エールを注ぐ。
エールが注がれた杯をゾルターンはしばし見つめた後、今度は年相応の穏やかな飲みっぷりで、杯を再び空にした。
ーーー
色々と考えさせられた酒場の一夜の後、シンたちは一日だけ完全なる休暇をとった。
そしてその次の晩、シンたちは完全武装をして迷宮の入口へと向かう。
迷宮の入口にある番兵の詰所に立ち寄ると、そのままその裏手から街の郊外へと抜け、一気に迷宮都市カールスハウゼンを後にした。
これが普通の冒険者パーティなら、危険度が増す夜間の行動は慎んだであろうが、シンたち碧き焔には夜間でも昼間のように見えるものが幾人もいる。
それにシュトルベルム伯爵の統治は行き届いており、魔物の類は一掃されている。街周辺に潜む危険な存在といえば、せいぜいが冒険者崩れの野盗程度であり、そのような冒険者にもなれなかったような者たちなど、幾ら数が多かろうとシンたちの敵ではない。
「夜間行軍で済まんが、このまま街道を南下するぞ。これである程度、敵の細作を撒ければいいのだが……」
この一件に限らず、シンはこの後でも敵の細作の目を誤魔化す為に、様々な手を打つつもりであった。
敵国であるラ・ロシュエル王国には、何としてもシンが帝国内に居ると思わせねばならない。
もし帝国の若き英雄であるシンが、亜人地区に少人数の伴しか引き連れていない事を知れば、ラ・ロシュエル王国はそのシンを抹殺せんとして、今は膠着状態の亜人地区に大攻勢を仕掛けて来る恐れがあるのだ。
ましてやラ・ロシュエル王国は南の小国群の大半を打ち破り、兵力に余裕が出始めている。
「敵に気取られる前にさっさと行って、面倒事をさっさと片付けるとしよう」
「ですが相手の獅子族の族長は、無茶な要求をしていると聞きますが?」
魔法により夜目が利くシンと、母親から譲り受けたエルフの血が混じるハーフエルフのレオナは、一行の先頭に立ち龍馬を並走させている。
普段は先頭で斥候役を務めるハーベイは、エルフやハーフエルフほどまでには夜目が効かないので、馬車の中で控えている。
馬車もエルフであるロラが手綱を握り、その横に同じくエルフであるゾルターンが座っている。
その馬車の後ろを、グイードらの三騎が追い、最後尾の馬には夜目と耳が鋭いマーヤがジュリアとともに二人乗りをして後方を警戒する。
馬車の中でも、カイルが何かあった場合には即座に飛び出せるようにと、寝ずに刀を片手に待機していた。
「なんだ? 俺が負けるとでも思っているのか? 大丈夫だよ、心配ない。ちゃちゃっとやって、お終いさ」
なおも心配そうな顔をしているレオナに、シンは安心させようと軽口を叩く。
だがその軽口とは裏腹に、シンには只ならぬ予感めいたものがあったのだ。
そしてその表には出さぬシンの不安を、レオナは敏感に察してしまってもいたのであった。
ブックマークありがとうございます! 感謝です!
親知らずが虫歯になったので抜いてきました。超腫れて超痛いよ! 痛みが治まるまでちょっと投稿お休みしてました。御免なさい。




