懐かしき迷宮都市
亜人地区へと向かうため帝都を発ったシンたちは、一路南下し途中にあるシュトルベルム伯爵が治める迷宮都市カールスハウゼンへと立ち寄った。
この寄り道は、各国が送り込んでいる間者への目くらましという理由がある。
シンがこの迷宮都市に立ち寄れば、間者たちはシンがまた迷宮へと潜るのではないかと思うだろう。
一度迷宮に潜れば、十日やそこら戻ってこなくても、決して珍しい事では無い。
シンたちは迷宮に潜ったと見せかけて、夜陰に紛れカールスハウゼンを後にし、細作や間者を捲くつもりであった。
もっとも、それらの理由とは別にシン個人としては、碧き焔にとっての始まりの地であるカールスハウゼンを、もう一度訪れてみたいと思っていたのだった。
カールスハウゼンに着いたシンは、何はさておき先ずはシュトルベルム伯爵家へ、挨拶に行く。
当主であるシュトルベルム伯爵は、今は帝都で財務関係の仕事を皇帝より任されており留守にしており、息子のジョアンが応対する。
「先触れから聞いてはおりますが、本当に当家に宿泊しなくても良いのですか?」
予てよりシンが訪ねて来た場合には、丁重にもてなすようにと言われていたジョアンは、当家の対応に不備があったのだろうかと不安げな顔をする。
シンはそっと近付いて、辺りをキョロキョロと見回した後、ジョアンに耳打ちをしてその理由を説明した。
「なるほど、得心致しました。お帰りの際には、是非当家にお立ち寄り下さい。シン殿、ご武運を」
シンは謝辞を述べてシュトルベルム伯爵家を後にする。
そして向かった先は、カールスハウゼンでの拠点として宿泊していた宿屋、黄金の楓亭であった。
「女将さん久しぶり、部屋空いてる?」
颯爽と入って来て声を掛けて来たシンの姿を見て、女将はまぁまぁと、驚き手を叩いた。
「あらまぁ、随分と立派になって……やっぱり成功した人ってのは違うもんねぇ」
空きがあるかと聞くと、先触れが部屋を確保してくれていたらしく、無事に男女で二部屋ずつ借りることが出来た。
「じゃあ、懐かしのカールスハウゼンを散歩してみますか」
レオナ、カイル、エリーの三人は、懐かしさに頬を緩ませているが、この場所に苦い思い出があるハンクとハーベイは、その表情に影があった。
「まぁ、いつまでも昔のことを引き摺るのもなんだ……そうだ、シン……この街にはグラントのおっさんが店を出してるんだ。後で冷やかしに行こうぜ」
そう言うハーベイの声にも、幾分か昔を懐かしむものが含まれていた。
「そうだな、グラントさんには俺たち散々世話になったからな。確か酒場の娘と結婚して、その店を継いだんだっけか?」
シンは以前にハンクとハーベイから聞いた話を思い出した。
「グラントさん、シンを見たら驚くぞ。でもまだ陽が高いな……酒場に行くにはまだ早いだろう」
マーヤ、ロラ、グイードたちは迷宮都市は初めてで、武装した冒険者が我が物顔で闊歩する光景を、物珍しそうに眺めている。
「そうだな、一か所行きたい場所があるんだが……」
そう言いながらシンが向かったのは、かつて自分たちが迷宮に挑まんとして、日夜汗を流して猛訓練に明け暮れた空き地であった。
街の外れへと向かって行く道すがら、シンはカールスハウゼンの街並みを懐かしむ。
仲間たちと当時の事を思い出しながら辿り着いた空き地。だが、そこに当時の面影は何一つ残って無かった。
そこには以前の広々とした空き地ではなく、運動場のように整備された訓練場に変わっていたのだ。
ハンクとハーベイも、ここがこのような訓練場になっていたのは知らなかったという。
訓練場には冒険者たちが溢れかえり、以前の空き地とは比べものにならない程の活気に満ち溢れている。
シンはいったいどうなっているのかと、訓練場から出て来た冒険者を捕まえて話を聞くことにした。
「何だ? 今頃来てもいい場所なんか取れんぞ。ここはな、かつて前人未到の迷宮制覇を成し遂げて、富と栄光を欲しい侭にした英雄シンが修行に明け暮れたという、言うなれば冒険者の聖地だ。お前さんたちも、御利益にあやかろうと思って来たんだろう? まぁ、隅っこの方ならまだ空いてると思うぜ。なに? いつこの訓練場が出来たかって? さぁな、だが確かここを治める領主様がお造りになったのは間違いないぜ」
どうやら話を聞く限りでは、この訓練場はシュトルベルム伯爵がこさえたものらしく、迷宮の成功者のシンの名を取って、シンの広場などと呼ばれているらしい。
「勝手に人の名前使いやがって、使用料取るぞ」
「ははは、でもちょっと残念だなぁ……これをクラウスが見たら、がっかりするかも……」
自分たちの知る場所が、すっかり変わり果ててしまったことで、シンを始め、碧き焔の最初のメンバーであるレオナ、カイル、エリーらは、胸の奥に一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
取り敢えず入って見るかと、シンたちは訓練場に足を踏み入れる。
「おお、走っている奴らがいるぞ!」
「本当だ! このトレーニング法も広まったんだなぁ……」
そうシンとカイルが感慨深く呟いていると、奥から一人の中年の冒険者が近付いてきた。
「おい、そこの……お前、シンか? シンじゃないか? あっ、ハンク、それにハーベイも! 俺だよ、俺、新緑の風のデールだよ。いやぁ、久しぶりだなぁ!」
「デール? あのデールか? いやぁ、久しぶりだな! 元気そうで何よりだ。デールもここで訓練か?」
シンを始め、ハンクとハーベイも懐かしそうに互いの肩を叩き合う。
「いや、俺はもう冒険者を引退したよ。今は伯爵様に雇われて、ここの管理人をやっているんだ。それにしても、ここに来たってことはまた潜るのか?」
本当の事を言う訳にもいかずシンは、まぁな、と誤魔化す。
「そうか、そうか! おい、みんな聞け! 英雄シンのお出ましだぞ、竜殺しのシンが再び迷宮に潜るそうだ!」
その声を聞いた冒険者たちが、一斉にこちらを見たかと思うと、訓練を止めて駆け寄ってきた。
「おい、デール、本当かよ? フカシじゃねぇだろうな?」
「馬鹿野郎! 俺はこいつ……シンと何度も酒を酌み交わして情報交換をした仲だぞ、見間違うわけがねぇだろ!」
「ほ、本物か……竜殺しのシン本人なのか?」
あっという間に人垣に取り囲まれ、最早逃げることも叶わないシンは、仕方なくそうだと頷いた。
次の瞬間、その場には空が割れんばかりの大歓声が響き渡る。
迷宮に潜り一攫千金を成し得た本物の英雄、冒険者たちが夢見る到達点へと辿り着いた男。
シンの名はここ、カールスハウゼンでは絶対なのだ。その生ける伝説が、今自分たちの目の前に居ると知った冒険者たちは、その興奮を抑えることが出来ない。
「ここに来たってことは、また迷宮に挑むのか?」
「お、俺たちに戦い方を教えてくれ!」
「最下層への行き方は? そこではどんな魔物が出るんだ? 教えてくれ!」
「一度でいい、一度でいいから俺たちと一緒に潜ってくれないか? 迷宮で得た戦利品を全て渡すから」
皆必死である。ここにいる冒険者たちにとって、迷宮は糧を得る場であり、人によっては青春や人生そのものなのだ。彼らが放つ熱気は、かつての自分たちを彷彿とさせる。
シンはそんな彼らの意気を買い、次々と浴びせられる質問の中で、答えられるものについては丁寧に答えていく。
そんなシンの言葉を一言も逃すまいと、皆真剣な表情で耳を傾ける。
訓練場は先程までの喧騒が嘘のように静まり返り、いつの間にかシンの迷宮講座へと変わっていったのであった。




