シン、亜人地区へ
「……と、いうわけなのだが……どう致すべきか……」
年明けるまで、あと幾日という年の瀬。帝都を席巻している紙芝居や演劇のブームや、年越しの熱気に包まれる中、シンは皇帝に呼び出されいつも通り第二応接室にいた。
「どうって、どうもこうもねぇ……俺が現地に赴いて、その……何だ? 獅子族の長だっけか? をぶっ倒せば済む話じゃないか」
帝国に靡いた亜人諸部族の各族長が、亜人諸部族の象徴的存在でもある獅子族を説き伏せようと、入れ代わり立ち代わり何度も説得に赴いたが、獅子族の族長ガンフーは帝国に与することに関してだけは、頑として首を縦には振らなかった。
自らの提示した条件を満たせば、帝国に与するのもやぶさかではないと言うのだが、その条件が国主としての皇帝の理解の範疇を越えるものであり、皇帝は頭を抱える他に手立てが無かった。
獅子族の族長であり、部族一の戦士でもあるガンフーの提示した条件とは、それすなわち帝国の英雄であるシンとの腕試しであった。
あり得ぬ話ではあるが、もし自分が負けたのならば帝国に対し、惜しみの無い協力を誓っても良いと豪語している。
「はぁ……仮にも部族を束ねる為政者であろうに、どうしてこのような発想になるのやら……」
同じ為政者であっても、こればかりは皇帝には到底理解出来なかった。
「……価値観……かな?」
「なぬ?」
価値観だと? と皇帝は顎に手を添えて今一度考えてみるが、どうもピンと来るものがない。
「ウチのパーティにも、亜人……あー、狼牙族出身のマーヤがいるだろう? 彼女も最初はそんな感じだったな……簡単に言えば自分より強い者には従うって感じかな」
「それが理解出来ぬのだ! 帝国に対し亜人諸部族は例え結束していようが、国力の差は歴然ではないか。ならばお主がいう、自分よりも強き者には従うという、そのことからは外れておるではないか?」
「う~ん、帝国に与する事を全否定していないことを見るに、馬鹿じゃないんだよなぁ……後は何だろうな? 自尊心……いや、誇りや矜持といったものか?」
理屈では無く、戦士としてのプライドの問題だろうか? とシンは首を捻る。
「ふん、くだらぬ。誇りや矜持で国が保てるものか。族長個人のくだらぬ誇りのために、部族全体が滅びへと向かうのを良しとするとはな……もし、従えてもそのような肥大化した矜持を持つ者など、厄介なだけなのではないか?」
本当にそうなのだろうか? 一個人の矜持を満たすためだけに、この条件を提示したのだろうか?
獅子族は亜人諸部族の象徴的存在である。自分が赴いたとして、果たしてそのような者を打ち倒してしまって良いのだろうか? この条件提示には、何かもっと別の意味が隠されているのかも知れない。
そう思うと、シンは俄然相手に興味が湧いてきた。剣を交える前に、一度話して見たいと。
「やっぱ、俺が行くわ。亜人地区がどういうところかも見てみたいし……」
「そうか? あまり気乗りはせぬな……お主を軽々しく送るのは、帝国の鼎の軽重を問われる気がしてならぬ」
あくまでも皇帝は、シンを送ることに対して反対の様子であった。
「だがな実際問題として、いくらラ・ロシュエルが南に梃子摺って、本気で亜人地区を攻めていないにしろ、ラ・ロシュエルの攻勢を数で劣る亜人たちが、何度も押し返しているのは事実だ。いずれ挑まれる聖戦に勝つ確立を僅かでも上げる為に、是非にもこちら側に引き入れたい。彼ら次第だが、このまま戦線を支えてもいいし、押し返せなければ遅延後退戦術を以って下がり、敵を引き摺りこみ兵力の分散を狙ってもいい。どちらにせよ、いざ決戦というときにラ・ロシュエルは、全軍を投じることが出来なくなるからな」
それは皇帝も重々承知している。だが、彼は為政者であり聖戦を勝った後のことを考えた場合、価値観を共有出来ない者たちとの間に、軋轢が生じてしまうのを恐れていた。
「聖戦に勝ったとしても、帝国の屋台骨は軋まざるを得ないであろう。新北東領は未だ安定には程遠く、戦場と化すであろう南部の復興を考えると、どんな小国であろうと続けて戦は出来ぬぞ」
「つまりは心服させなきゃ意味が無い。終わった後にすぐに背くのであれば、いっそのこと放置しておいて、ラ・ロシュエルに喰われてしまえば良いと?」
「そうは……いや、お主には誤魔化しは効かぬ。それも考えてはおるが、だがそれだとお主の考えておる、小なりとも側面に敵勢を引き付けて、敵兵力の分散を狙うという策が台無しになる」
「だからだ。俺が直接行って色々と確かめてくるしかない。だろ?」
それでも皇帝は首を縦には振らない。
「いや、しかしだな……お主も話は聞いておるだろう? その身に矢が通らぬだの、一人で敵陣に突っ込んで壊滅させただの、勿論戦場話など尾ひれはひれが付くものではあるが、それにしても常軌を逸するものが多い」
「俺を心配してるのか? 俺が負けるとでも?」
シンは皇帝が首を縦に振らない理由が、自分の身を案じての事だと知り、嬉しさに相好を崩した。
「そうは言ってはおらぬ! だがな、万が一ということもあろう?」
「悪いな……その万が一にもっていう、そういったことに対する覚悟ってのはよ……剣を握った時からとうに決しているんだわ。俺がもし負けて死んだら、所詮はそこまでの人間だったと諦めてくれ」
皇帝はシンの目を見て、ゴクリと生唾を飲み込む。これが、死を決している者の目なのかと……自分はシンを知った気でいたが、戦士では無い自分には理解出来ない部分が、確かに存在するのだと。
その目の奥に潜む戦士としての覚悟という、何か得体の知れぬ異形を見てしまい、それに恐れを感じて背筋に冷たい汗が流れる。
そう心配するな、今までだって上手くいったのだから今回も上手くいくさと、シンは笑いながら皇帝の型を叩いた。
こうしてシンは、年明け早々に亜人地区へと向かう事が決定した。
ーーー
シンは帰宅すると、仲間たちをリビングへと集めた。
「仕事を取ってきたぞ。今回も要人護衛だ。亜人地区へ向かう使者の護衛任務だが、お前らやるか?」
当然と言ったようにレオナが頷く。それを皮切りとして、全員が頷き参加を表明する。
「このまま何もなく春になるのを待ってたら、体が鈍っちまうんじゃねぇかと、心配していたところだぜ。亜人地区ってえと、南だよな? だとすりゃ、帝都よりは暖かくて過ごしやすそうだな」
ハーベイが拳を握り、肩を回しながら言う。
「いつも通りね。国の依頼なら報酬も段違いだし、大歓迎よ!」
エリーも腕を捲ってガッツポーズを決めている。エリーにも、カイルとの結婚以外に何か夢があるらしく、その夢のためにか日々、貯蓄に勤しんでいる。
「お前らはどうする? 帝都に残ってザンドロックの元で修行に励んでもいいんだぞ?」
そうシンに言われたグイード、ユリオ、ジュリアの三人は、帝都には残らずシンに着いて行くことを希望する。
彼らはもう、シンが巻き起こす普通では味わえない刺激に、すっかりと毒されてしまっていた。
亜人地区とはどういう所なのか? またそこで師であるシンが何をしでかすのか? 少なくとも帝都に残っているよりは、退屈はしなくて済みそうだと三人は思っていた。
「亜人地区か……行ったことは無いのぅ……美味い酒があれば良いのじゃが……」
ゾルターンのこの近所の飲み屋に一杯引っ掛けに行くような言葉に、一同は気を削がれてしまう。
「おい爺さん、呑みに行くんじゃないんだぞ」
ハーベイのツッコミにも、ゾルターンはどこ吹く風。
「美味い物を食べ、美味い酒を飲むのが旅の醍醐味じゃぞ。それらに比べたら、御役目など二の次じゃわい」
それもそうだと全員が笑う。
なんだか締まらないが、それもいつものこと。いつものメンバーで行き、戦い、そして勝つ。
ただそれだけのことだと、シンは待ち受ける強者との戦いに逸る心を鎮めるのであった。
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