シンと絵画と紙芝居 其の二
マルセルに紙芝居がどういったものか説明している途中で、お待ちかねの料理が運ばれて来た。
急な来客により大した料理が出せない事を、オイゲンの妻であり給仕長を務めるイルザが詫びる。
だがマルセルは、目の前に出された大麦のチーズリゾットに目が釘付けとなっており、その声は届いていないようであった。
シンが遠慮なく食べるようにと促すと、マルセルは脇目も振らず、一心不乱にリゾットを口の中へとかきこんだ。
行儀作法もへったくれもないが、シンはそれを咎めない。むしろ良い食べっぷりに惚れ惚れとし、満足するまでおかわりをさせてやる。マルセルは一杯、二杯とおかわりをして最終的には四杯を平らげ、食後のデザートに出された林檎も、余すことなく食べきった。
「ふぅ~、こんな美味しいリゾットは初めてです。何せ、丸二日何も食べてなかったもので……ご馳走様でした」
「どういたしまして」
どうもマルセルが痩せているのは体質では無く、単に栄養不足によるものらしい。
久々に水以外で胃を満腹にしたマルセルは、幸せそうな笑顔を浮かべながら、ポッコリと膨らんだ腹を撫でる。
「それで、紙芝居なんだが……」
「ええと、つまりお話に合せた情景などを描けば良いのでしょうか? 持ち運びを考えると、キャンバスじゃなくて厚紙に水彩ですかねぇ……雨などが大敵となってしまいますが……」
厚紙に油彩では駄目なのかとシンが問うと
「駄目です。描けないことはないのですが、描いた後の紙の傷みが早く、すぐにボロボロになってしまうのですよ。屋内で使うのならば水彩でも問題無いですし、持ち運びの際には布で包んだ後に油紙で包めば良いかと……」
シンには絵の技法や彩具の選び方など、絵に関する知識に乏しい。
義務教育で、絵具やクレヨン、色鉛筆などで絵を描いたことはあるが、それだけでは絵画の世界の入口にさえ届いていないだろう。
この際シンは、一切合切をマルセルに任せてみることにした。餅は餅屋というわけである。
「俺は絵には疎い。描き方から全てをマルセル……君に任せる。後で物語を書いた羊皮紙を渡す。で、費用はどのくらい掛かるのか?」
マルセルはう~んと唸りながら、顎に手を添えて大凡の費用を弾きだす。
「そうですねぇ……シン様がご希望の厚紙が二十枚とすると……厚紙一枚が金貨一枚といったところでしょうか……」
「高いな!」
これにはシンも驚きを隠せない。日本では一枚二、三十円程度の厚紙が、この世界では何と金貨一枚というべらぼうな金額である。紙の貴重さは重々承知しているが、驚くなというのは無理であろう。
「ご存じと思いますが、紙は大変貴重ですので……それに厚紙はその貴重な紙を何重にも貼り付けて作る物……さらにはご希望の大きさですと、値段が上がってしまうのは致し方ないと……」
「わかった。もっともな理由だな……で、肝心の絵の方は一枚幾ら払えば良い?」
これにはマルセルは困った顔をするしかない。元々、定まった値段などは無いのだ。
仕方なしに、絵の仕上がりを見て判断して欲しいと言う他は無かった。
「わかった。では成果報酬ということで良いな? では今から商業ギルドへ行って、証文を発行して貰おう。その方が、互いの為にいいだろう?」
商取引の大口契約の際に、商業ギルドに仲立ちをして貰うのは珍しい事では無い。
無論それなりの手数料は取られるが、証文を発行してもらうことで仕事の完遂と支払いの義務が生じる。
これを破ることは信頼を著しく損なう事になり、場合によっては回状を出されて、その街では二度と商取引が出来ないといった事態に陥る可能性がある。
マルセルにとっては願ってもない事なので、一も二も無くシンの提案に頷いたのであった。
その後二人は帝都にあるこの国最大の商業ギルドへと赴いた。
「これはこれは、シン様! 本日はどういった御用件でしょうか?」
ギルドの者たちは、英雄の突然の来訪に驚いた。受付嬢が、会釈をした後で早足で奥へと引っ込んでいく。
おそらくはギルド長なり何なりの、重職に就く者を呼びに行ったに違いないだろう。
受付の男は流石に良く躾けられており、愛想良い笑顔を浮かべ揉み手をしながら出迎える。
「ああ、商取引に関する証文の発行をお願いしたくてな……」
「そうで御座いましたか……では、こちらに……」
受付の男が個室へと案内しようとするのを、奥から慌てて駆けつけて来たギルド長が待ったをかけ、シンたちはギルド長直々にVIPルームへと案内された。
席に着くと直ぐにお茶と、お茶請けが運ばれてくる。漂ってくる香りからして、最高級の茶葉であるのは間違いない。
シンは、フーフーと熱いお茶を口で冷ましてから一口飲む。口に含んだ瞬間にパッと風味が広がりを見せ、舌には芳醇な味わいが沁みていく。
お茶請けには、この世界では貴重も貴重な砂糖を塗したラスクが出され、マルセルは産れて初めて味わう砂糖の甘さに目を白黒させている。
「証文の発行をご希望だそうで……内容をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
シンはマルセルに対する依頼の内容をギルド長に話した。
「なるほど、絵画の取引で御座いましたか。それも何と二十枚も! いやはや、太っ腹で御座いますな!」
「まぁ、絵には違いないが紙芝居なんだけどな」
ギルド長も紙芝居を知らないらしく、紙芝居とは何ぞ? と首を傾げる。
シンは紙芝居について説明するが、この時のギルド長は芝居ならば帝都には劇場が沢山あるので、直接観に行けば良いではないのか? と大した興味を示さなかった。
とにかく、直ぐに証文をご用意致しますとギルド長が席を立つ。
そして持って来たのは二枚の紙。まず口頭で契約内容を確認し合う。
「絵を描いてもらう支度金として紙代金貨二十枚を支払う。他に彩具代などの諸経費として金貨二枚を支払う。また成果報酬として、二十枚の絵を描きあげた暁には、金貨五十枚を支払う事を約束する」
シンがそう述べると、マルセルとギルド長は口に含んでいたお茶をぶぅと吐き出し咽かえった。
特にマルセルは成果報酬の高さに、咽ながら顔を赤青と忙しく変色させている。
「シ、シン様! 申し上げにくいのですが、失礼ながら無名の絵描きに絵を描いてもらうには、あまりにも……その、報酬が行き過ぎておりますといいましょうか……」
ギルド長は、シンがこういった件についての相場を知らぬと見て、助け舟を出そうとするが、シンはそれをやんわりと拒絶した。
「いいのだ。だが制作にあたり期限を設けさせてもらうし、絵の内容にも注文を付けさせて貰う。まず制作期限だが、一月以内でお願いしたい。それと絵の内容だが、子供が喜ぶような絵……つまり事細やかに細部まで書き込む必要は無い。だが、一目見てそれとわかるような絵を描いて貰いたい。出来るか?」
マルセルは考え込む。出来るか出来ないのかといえば、出来るだろう。
だがそれがシンの望む物になるとは限らない。正直言えば、期限も短いしやり難い仕事である。
しかしながら、破格の報酬がこの仕事を拒否することを出来なくさせていた。
「難しいですね……ですが、やらせて頂きたく思います。子供にわかりやすいようにとの事ですが、配色に関してこちらで決めてもよろしいでしょうか?」
構わない。絵の技法などは、委細マルセルに任せるとシンは頷いた。
「……成立ということで宜しいでしょうか? では、今から私が書に認めますので契約内容のご確認と、サインをお願い致します」
二通の契約の証文が作成され、そこに作成者であるギルド長、シン、マルセルがサインを入れる。
シンは証文制作と立ち合いの費用を払い、マルセルと共に商業ギルドを後にした。
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ちょっと仕事が忙しく、連日の投稿が難しいくなっております。なるべく、投稿間隔を空けないように努めますが、空いた時は、ああこいつ仕事に追われてやがるなと笑い飛ばしてください。




