シンと絵画と紙芝居 其の一
シンの多忙を極める日々は、段々とではあるが落ち着きを見せ始めていた。
とはいっても、学校の臨時講師や皇帝の相談役、魔法騎士団との訓練、さらにはプライベートな事ではあるが、レオナとマーヤとのデートなど、一人になる時間というものが殆ど取れていなかった。
なので、たまには一人で出歩いてみるかと、シンは誰にも行き先を告げずに家を飛び出して帝都をうろついていた。
「どうだい、あんちゃん……ウチの壺買わんかね?」
「そこのデカい旦那! 帝都に来た記念に、この置物なんてどうです?」
露天商が並ぶ市場を、シンは買った洋ナシを齧りながら練り歩く。周囲の者より頭一つ飛び出し目立っているシンは、客引きたちの目に留まり数歩ごとに声を掛けられていた。
そんな客引きたちをあしらいつつ、露天商が床に並べる品々にさっと目を通しながら歩いて行く。
露店には武器、骨董品、美術品や土産物など、雑多な品々が所狭しと並んでいる。
どれもこれもガラクタ同然、中に掘り出し物はないだろうかと目を光らせてみるも、これといった物は見つからない。
そんな中、シンの目に一人の露天商が目に入った。その露店は他の店と違い、木彫りの質素な額縁に入った絵を売り物としていた。
「へぇ~、絵かぁ……この市場じゃ珍しいな……ほぅ、上手いもんだな」
店先に並んでいる絵の殆どは肖像画であった。煌びやかな男女の肖像画のモデルは、この世界では有名人なのかもしれないが、シンにはさっぱりわからない。
ただシンは、宮殿に飾られている肖像画を見る機会が多く、しかもその肖像画は宮廷画家が精魂込めて書いた物であるため、絵については目が肥えていた。
そのシンを以ってして、上手だと思わせたのは肖像画ではなく隅の方に追いやられている風景画や、動物画であった。
特に動物画は、龍馬の躍動感のあるダイナミックな絵で、龍馬の特徴も事細かに描かれていた。
シンはその龍馬の絵を手に取って、しげしげと眺める。
「あ、ありがとうございます。で、ですがお客様、その絵は……」
気の優しそうな細身の若者が、自分の絵を手に取るシンに声を掛けて来るが、龍馬の絵を手にし他のを見ると、眉をハの字に曲げて困ったような顔をした。
「なんだ? この絵に何かあるのか? まさか、呪いの絵ではないだろうな?」
「と、ととと、とんでもない! その絵は、私が描いたもので、決して呪いなど……」
「ははは、冗談だ。俺はこの絵が気に入ったぞ。リビングにでも飾るとしよう。幾らだ?」
「え、ええーっ! そんな、その絵はお客様のリビングルームに飾るような絵では……」
どういう意味かとシンが聞くと、帝国ではどうやら絵といえば肖像画を指し、それ以外の絵は見向きもされない風潮があるのだという。
それにはある理由があった。今の世で絵描きとして栄達する道は、宮廷画家になるしかない。
さらに絵画を買う客は、王侯貴族や富豪たちであり、どうしても肖像画が主体となってくる。
そういった理由からか絵画といえば肖像画、それ以外の絵は価値が著しく低く見られるようになっていたのである。
この気弱な若者が、動物画をリビングに飾るのを止めたのは、そういった理由からであった。
絵画を買うということは、それなりに裕福な者。来客を通す可能性が高いリビングに飾るには、その絵は帝国基準で言えば不適格であり、買ったシンに恥を掻かせてしまうかも知れないと思ってのことであった。
「構わん。俺は貴族でも何でもないしな。肖像画の方は、宮廷画家の絵に比べると素人目に見ても、多少落ちるがこの龍馬の絵は、見事という他は無い」
画家にも色々な者がいる。人物を描くのが上手い者。風景画を得意とする者。この若者のように動物を描くのが得意な者。
シンは思った。せっかくこれ程の才能があるのに、このまま埋もれてしまうのは実に勿体無い事であると。
シンに自分の絵を褒められた若者は、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
そしてその腹から、きゅうと空腹を告げる鐘を鳴らした。恥ずかしさに、益々顔を赤らめて俯いた。
シンはその腹の虫が鳴く音と、若者の痩せ細った身体を見て察した。
この世界では紙は貴重である。キャンバスも同様。おそらくは食を削って、それらを調達し絵を描いているのだろう。
「で、この絵は幾らだ?」
「ぎ、銀貨に、二十枚で、です……」
結構高いもんだなと思いつつシンは言われた通りの金を払う。材料費が高いし、あまり売れるような品ではないために仕方が無いのかも知れない。
ありがとうございますと、若者は何度もお辞儀をし、買った絵を粗末な麻の布で包んで渡す。
その間にも腹の虫は鳴りっぱなしで、若者はバツの悪そうな表情を浮かべて謝罪する。
「なぁ、依頼したら俺の希望通りの絵を描いてくれるのか?」
シンは、愛するローザのために紙芝居でも作ってみようかと考えたのであった。
「えっ! ご、ごごご、ご依頼ですか? 描きます、描きますとも! ど、どどど、どのような絵でも、精魂込めて描かせて頂きます!」
絵が売れただけでなく、依頼まで受けることが出来ようとはと、若者は空腹も忘れて舞い上がる。
「そうか、では店仕舞いをしろ。あとの話は、飯を食いながらにしよう。勿論、俺の奢りだ」
シンが言い終わる前に、若者はバタバタと大急ぎで商品の絵を片付け始める。一枚一枚、麻の布に包みそれらを重ねて背負子に縛りつけて背負った。
シンはその若者を連れて家へと帰宅した。
若者はニコニコ顔でシンの後を着いて来る。が、シンの家の前に来て門を潜ろうとすると、足を止めて顔を青ざめさせた。
「お、おおお、お客様のお、お名前は……も、もしかして……」
「ああ、自己紹介が遅れたな。シンと言う。ここが俺の家だ、入ってくれ」
若者は、自分の観察眼の甘さを恥じた。大柄で黒髪、青い瞳に頬に大きな傷、目の前にいる男は噂話に聞くシンの容姿そのものだ。なぜ、気が付かなかったのだろうかと。
これはある程度は仕方のない事であった。パレードなどでシンの姿を見た者は多いが、普段劇場や講談などに出て来るシンは容姿端麗の色男である。
普段見かけるそちらの方の印象が強くなってしまうのは、仕方のない事だろう。
「お帰りなさいませ、お館様」
「ただいま。オイゲン、こちらは商取引の御客人だ。御客人は食事を所望している。出来るもので構わないから、何か頼む」
「かしこまりました。お客様、お荷物をお預かりしてもよろしいでしょうか?」
「は、はは、はい、お、お願いします」
若者はこういったやり取りに慣れていないのだろう。ぎこちない動作で、背負った荷物を床へと降ろす。
オイゲンはお辞儀をすると若者が降ろした背負子を受け取り、奥へと下がって行った。
リビングに案内された若者は、出されたお茶を上手そうに啜った。
「そういえば、名前をまだ聞いてなかったな」
「し、失礼しました! わ、私はマルセルと申します。この度は私めの絵をお買い上げ頂き、ありがとうございました」
料理が運ばれてくるまでの間、シンはマルセルに質問をする。
「絵を一枚描いて貰うのに、いくら位掛かるのか?」
マルセルは少し考えた後でこう答えた。
「絵の大きさや種類にもよります。また、紙に書く場合とキャンバスに描くのとでも、その値段は大きく変わってしまいます。それと画法ですね……水彩、油彩、これらによっても、その……値段が大きく変わってしまいます」
「なるほど納得した。取り敢えず、マルセル……君には絵を十枚から二十枚描いて貰いたいのだが……」
「じゅ、じゅじゅじゅ、十枚! に、二十枚!」
マルセルの顔色は今にも卒倒しそうな土気色に変わっていく。
「ああ、やっぱり多かったか? じゃあ……」
「いえ、いえ! とんでもない! 十枚でも百枚でも、何枚であっても描かせていただきますとも!」
マルセルにしてみれば、とんでもない大口契約である。この機会を逃してはならないと、テーブルに額を擦りつけるように頭を下げた。
「そうか、助かる。描いてもらいたいのはな、紙芝居の絵なんだが……」
紙芝居? 聞いたことが無い。それは一体どのような物だろうと、マルセルは首を傾げたのであった。
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たまには戦い以外の話を……シンの気まぐれによる思いつきが、この世界にどう影響を及ぼすのか? 乞うご期待!




