白い獣の襲撃
「ここが俺の家だ。部屋も余っているから、好きに使ってくれて構わない。庭は結構広めで、ちょっとした訓練が出来るようになっている。まぁ、今は素寒貧なんだから、しばらくは家に泊まっていけ」
長いこと空けることが多い我が家であるが、それでも門扉をくぐると帰って来たという実感が湧いてくる。
シンの新たなる弟子でもある、ジュリアら三人はシンの好意を素直に受けて、しばらく逗留することにした。
爵位を貰った後は、流石に面子もあり居候というわけにはいかないが、叙任式までまだまだ日がある。
それまではと、シンは快く三人を迎え入れた。
門扉をくぐってしばらく三人と話しながら玄関へと歩いて行くと、突然横合いから犬の吠え声と共に、シンの胸元目掛けて大きな白い塊が飛び込んで来た。
自宅の敷地内で襲われることを想定していなかったシンは、その白い塊による体当たりによって体制を崩し、あっさりと尻もちをついてしまう。
しまった、敵の奇襲かと、刀を引き抜くべく腰をまさぐる間に、その白い塊はさらにシンへと圧し掛かり、その顔にピンク色の舌を這わせた。
「うわっぷ、ぷは、ちょっ、ええい、やめんか!」
ベロベロと舐めまわされたシンの顔は唾液に包まれて、てかてかとテカリを放っている。
なおも執拗に舐めて来るその白い塊の頭を、シンはむんずと掴んだ。
鼻を鳴らしながらピンク色の舌をチロチロとさせているそれは、それでも嬉しそうに尻尾を振り続けている。
なんだ、アトロポスかと、襲撃者の正体を知りホッとしたのも束の間、シンは今一度目を見開いてその白い襲撃者の体を見る。
「は?」
嬉しそうに鼻先を押し付けて来る子狼のアトロポス。だが、それはシンの知るアトロポスではない。
エックハルト王国へ行く前は、せいぜいが中型犬程度の大きさだったのが、今自分に圧し掛かっているそれは、セント・バーナード 顔負けの超々大型犬であった。
わずか十ヵ月、いくら犬の成長速度が人より早いとはいえ、異常過ぎる成長速度にシンの頭は着いて行くことが出来ない。
シンは驚愕の表情のまま、わしゃわしゃとアトロポスの頭を撫で続けていた。
そこでアトロポスがシンの後ろに続く三人に気が付いたのか、それまでの喜びの表情とはうって変わり、牙を剥いて唸り声を上げる。
子供と言ってもそこは狼。牙を剥き威嚇するその迫力に押され、三人はずざざと後退りする。
シンはアトロポスの首根っこを強く掴んで引き寄せると、この三人は敵では無いと教える。
アトロポスは了解したのか唸るのを止め、シンに服従するように尻尾を垂れた。
「もう大丈夫だ。こいつは賢いからな、鼻先に手を丸めて出して自分の匂いを覚えさせるといい」
シンに言われた通り、三人は交代で手をアトロポスに鼻先へと持って行く。
アトロポスは、その差し出された手の匂いをスンスンと嗅いだ後、挨拶代わりにペロリと舐めた。
予期せぬ手荒い歓迎を受けたシンは、顔中涎塗れのまま家の玄関の扉を開ける。
その間にも、アトロポスはシンと三人の足元をグルグルと回りながらじゃれついていた。
「ただいま戻った」
「おかえりなさ、ぷっ、ぷぷ」
「お帰りなさいませ、お館様。これを……」
出迎えに出て来たのはエリーとカイル、そして執事であるオイゲン。
エリーとカイルは、シンの涎塗れの顔を見て堪えきれず吹き出し、オイゲンは全てを悟ったように濡れたタオルを差し出した。
シンは礼を言いながらタオルを受け取り、ゴシゴシと力を込めて厚く塗り重ねられたアトロポスの涎を拭う。
その間中、エリーとカイルは腹を押さえて笑い転げている。
流石にシンも腹が立ち、カイルの頭を軽く小突いてエリーの尻を平手で叩いた。
「し~ん、し~~~~ん!」
家の奥からよたよたと、小さな女の子が両手を目いっぱい広げて駆けて来るのが見えると、途端にシンの目尻がだらしなく垂れる。
「おお、ローザ、シンでちゅよ~元気でちたか~?」
シンはローザを抱き上げると高い高いをし、その柔らかな頬に頬擦りをする。
それを見ていた執事のオイゲンは、微笑ましく眼を細め、カイルとエリーはやれやれといった表情を浮かべた。
だが、後ろの三人は違う。まるで信じられないものを見たかのように、目を見開き口を開けて固まっている。
しばらくワイワイキャッキャと二人は戯れた後、シンはローザを床に降ろす。
床に降りたローザは直ぐにアトロポスに駆け寄り、アトロポスは駆け寄って来たローザをひとしきり舐めまわした後、その場に伏せてその背にローザを乗せた。
「オイゲン、留守中何か変わった事は?」
「いえ、特には……収支報告を纏めておきましたので、後でご覧になられて下さいませ」
「ご苦労様。ああ、紹介しよう、この三人は俺の弟子で、ジュリア、ユリオ、グイードと言う。三人は、近々男爵位を授かる貴族であるので、粗相のないようにな。三人とも、この者が我が家の執事であるオイゲンだ。生活その他で何かあれば、遠慮なく申し付けていい。オイゲン、頼むぞ」
「承知致しました、お館様。私が当家の執事を務めさせていただく、オイゲンで御座います。以後お見知りおきくださいませ。お客様がたのお部屋をご用意しておりますので、ご案内致します」
オイゲンは三人の手荷物を、ひょいと受け取ると新たに二階に用意した部屋へと案内するべく、三人を率いて階段を上って行った。
シンはそれを見届けると、食事の準備が整いつつある食堂へと顔を出す。
そこには男連中が席に着いていて、女性陣は忙しそうに台所と食堂を行き来していた。
「よう、シン。帰ったのか? ほら」
ハーベイがジョッキにワインをなみなみと注いでシンへと手渡す。
おっとっととシンは受け取りながら、こぼれないようにをジョッキに口を付けてワインを飲む。
「シン、アトロポスに襲われなかったか?」
「ああ、襲われたよ。おかげで顔中ベトベトさ。みんなは大丈夫だったのか?」
その場にいたハンクとハーベイ、ゾルターンの三人は顔を見合わせてから、間をおいて大爆笑する。
聞けば、最初に入ったレオナが襲われたらしい。圧し掛かられ、顔中を舐められ続けるレオナを、薄情にも誰も助けようとしなかったらしく、レオナはアトロポスが舐め飽きるまで放置されたらしい。
「それにしても、狼ってのはあんなに早く大きくなるものなのか? 最初見た時は俺たちも思わず剣の柄に手をやっちまったぜ」
「わからん。その辺の事をもっと詳しくギギから聞いておくべきだったな。まぁ、何にせよローザとは仲良くやってくれているらしいから、ありがたいことだ」
ちげぇねぇと、ハーベイが笑う。
「お帰りなさい、師匠!」
シンの帰宅を知ったのか、それとも食事の匂いに釣られたか……はたまたあるいは両方か、クラウスが食堂へと姿を現した。
「おう、クラウス……お前、凄い日に焼けてるな……」
真黒に日焼けしたクラウスの顔を見てシンが笑うと、クラウスもまた嬉しそうに笑いかえす。
「夏の間ずっと、屋外で実戦形式の訓練だったから……」
そうか、頑張っているんだなとシンはクラウスの肩を叩く。
「おお、そうだ! お前に弟弟子が三人出来たぞ。いや、正確には四人か……まぁ一人は王太子だから国元を離れられないんだがな……後で紹介しよう。色々と面倒を見てやってくれ」
わかったと、クラウスは胸を張って頷いた。
「それにしても、美味そうだな……腹が鳴って仕方がねぇ。よしクラウス、一刻も早く飯を食べるために、俺たちも台所を手伝いに行くぞ!」
クラウスも訓練から戻って来て腹を空かせているのだろう。さっきから師弟共々グゥグゥと腹の虫が情けない声を上げ続けている。
シンとクラウスは多少のつまみ食いを期待しつつ、食堂を出て仲良く台所へと向かうのであった。
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投稿間隔が空いてしまい申し訳ありません。仕事が溜まってしまっているのプラス、人が一人辞めてしまいにっちもさっちも行かない状態でして、全然時間が取れなくてストレス溜まりまくりです。




