悩ましい褒美
その後も皇帝とシンはとりとめのない会話を楽しむ。
約十ヵ月ぶりである。話は尽きる事を知らない。
シンも皇帝も、席に座りながらも緊張の面持ちで背筋をピンと張っているジュリアたちに、それとなく気を使って会話を振り、その緊張を解きほぐしていく。
「そうだ、この三人も魔法騎士の位を授かるってことは、直属の上司はザンドロックになるのか?」
シンの問いに皇帝は、形式的にはな、と頷く。
ザンドロック子爵は現在、剣術指南役兼初代魔法騎士団団長を務めている。
「形式的には?」
「うむ。何故ならお主、この者たちを例の作戦に加える気なのだろう? ならば、今しばらくはお主の手元に居った方が良かろう?」
ああ、違いないなとシンは頷いた。
二人の会話に度々出て来る例の作戦というものに、どうやら自分たちが加わることになりそうなジュリアら三人は、解れ掛けて来た緊張に再び包まれる。
まさか、亡命貴族である自分たちを、無謀な作戦に赴かせて葬るつもりなのか? であれば、高位の爵位を一時的に与えても何ら惜しむべきものはない。
湧き上がる猜疑心は三人の心を瞬く間に蝕み始めていく。
遂にそれに耐え切れなくなったのか、ユリオがシンに問いかけた。
「師よ、お聞かせ下さい。先程から度々仰られる例の作戦とは? 失礼とはわかっておりますが、我らも参加するのならば、是非お教え頂きたく……」
シンと皇帝は互いの顔を見て、頷く。
その問いに答えたのはシンでは無く、皇帝であった。三人の顔に、ある種の戦慄のようなものが走る。
「良かろう。シンが太鼓判を押す卿らならば、教えても差し支えあるまい。だが、他言は無用ぞ」
「はっ、騎士の誇りにかけて誓いまする」
「よろしい。実はな、南にある帝国の属国であるラ・ロシュエル王国と同国に本拠地を置く創生教とが、帝国に牙を剥かんとしておるのだ。最早話し合いや、外交的努力では埋められない溝があり、戦争は避け得ぬ状態でな……卿らには、これまでと同じくシンと共に行動して貰いたいと思っておるのだ。この戦争に於いて、シンには特殊な部隊を率いて貰う手筈となっており、そこで様々な作戦に従事して貰いたいのだが……」
元々亡命貴族であるジュリアら三人に選択肢は無い。だが、師であるシンと一緒に行動すると言う事ならば、切り捨てられる恐れは無いだろうと、心中で安堵する。
「是非に、師と共であれば恐れるものは御座いませぬ。存分に我らをお使いくださいませ」
その返答を受けた皇帝は、穏やかな笑みを浮かべ頷くも、内心では首を傾げていた。
今の返答では、余に忠誠を誓っているのではなく、まるでシンに忠誠を誓っているようではないか? まぁ、良い。それにしても短期間でよくもまぁ、これほどまでに……シンは人の心を掴むのが上手いな。それはやはり、欲が薄いからであろうか?
「卿らの忠誠と働きに期待させて貰おう」
三人は深々と頭を下げた。
「話は変わるがシン、此度の働きに対してお主に褒美を与えねばならない。何か望む物はあるか?」
「いや、別に……欲しい物なんて無いなぁ…………」
それでは困るのだが、と皇帝は笑う。
三人はシンの無欲さに、唖然としつつも半ば呆れていた。
「帝国としては、信賞必罰を是とする以上それでは困るのだ。無理にでも、欲しい物を挙げよ」
「そう言われてもなぁ……ああ、そうだ! ちょっと帰りがけに街道の掃除をして来たから、参加した将兵に褒美をやってくれよ」
「それは当然のこと、勿論褒美を与えるから心配致すな。卿に対する褒美と言うのは、エックハルト王国と無事、友好国として相互不可侵条約を結ぶことが出来た件においての物だ。国としてお主を送り出した以上、成功したからには褒美を与えなくてはならぬ」
弱ったなと、シンは頭を抱えた。シンはいま現在の所、取り立てて欲しい物など無い。
あるとすれば、それは自分の大切に思う人たちの生活の安定位のものであった。
「では、作戦の成功の暁には、この三人に爵位だけじゃなく領地をやってくれ。それと、同作戦に参加予定であるウチのパーティメンバーの中に、栄達を望む者がもし居たならば……」
「それはお主への褒美ではあるまいに……まぁ、実にお主らしいがな。その件は、言われずともそうするつもりである。先も言ったであろう? 他は知らぬが、余がこの帝国を統治する限り、信賞必罰を是とするものであると。爵位、領地、金子、何でも良いぞ」
爵位、領地、金子……金は兎も角として、爵位や領地などシンは全く興味が無かった。
また金にするかと一瞬考えたが、それもちょっと考え物であった。
前回、大功を立てたシンは皇帝より、爵位や領地を断って金貨十万枚を下賜された。
その話は世間に瞬く間に広まり、シンは爵位や領地よりも金を欲する人物であると、一部の者たちが誤解したのである。
その結果、シンに取り入ろうとして賄賂攻勢を掛けて来る者が多数出たのである。
無論、シンはそのような類の者たちを烈しく嫌い、にべもなく追い返した。
だが今回また金子を貰うと、前回のように鬱陶しい輩に付き纏われる可能性が無きにしも非ず、シンは頭を悩ませていた。
「名誉ではあるが、他人から見たら無価値な物って無いかなぁ?」
「そんな物あるわけ無かろう。それにその様な物を与えたとあっては、余の面目は丸つぶれでは無いか! もっと真剣に考えよ」
無欲も時として悪であるなと、皇帝はシン同様頭を悩ませざるを得ない。
「ああ、いいこと思いついたぞ! じゃあさ、旗を作ってくれよ。どうせ戦になれば、前回みたいに部隊を率いる可能性があるのだろう? その時用の俺の旗を頼むわ」
「ふむ、旗か……なるほど、お主の旗ならばお主以外が持っていても無価値ではあるな……本当にそれで良いのか?」
それでいいとシンは頷く。皇帝から旗を下賜されるというのは、前代未聞であるという。
これならば、名誉だけで実質的な価値は限りなく低く、貴族たちを始めとする様々な人々の疑念や野心を疑われずに済むだろう。
「意匠はどうする? 前回同様、三本足の鴉にするのか?」
「ああ、八咫烏って言うんだがそれで頼む」
「わかった。近いうちに人を遣わすゆえ、その者に意匠などの打ち合わせをせい」
「感謝する」
「良いさ、ああ……話は変わるが、あの子狼はどの程度まで大きくなるのか?」
「ん? 人が乗れるくらいには大きくなるぞ。現にゴブリン族は馬の代わりと用いている位だしな」
「そ、そうか……それほどまで大きくなるか……そうか……」
「子狼がどうかしたのか?」
そのシンの反応を見た皇帝はシンがいま現在、子狼がどれほどまでに成長しているのかを、全く把握していない事に気付いた。
そのシンの素直すぎる反応が、皇帝の悪戯心に火を点ける。
「いや、別に何でもないさ。気にするな、ただ聞いて見ただけだ」
その後すぐに、そそくさと話題を変えた皇帝に引っ掛かりを覚えなくもないが、シンはどうせ大したことでは無かろうと、直ぐにそのこと自体を忘却の彼方へと追いやった。
「では、そろそろ帰るとするか。正式な報告はまた明日にでも……ではな……」
「む、夕食を食べては行かぬのか?」
多分家で用意して待っているだろうからと、シンはその誘いを断った。
皇帝もそれ以上は無理強いすることも無く、退出を許す。
「ああ、待て待て、卿ら三人は何処に宿泊するのか? 決まっていないのであれば、直ぐに用意させるが?」
「この三人は一先ず俺の家に泊まって貰おうかと思っているんだが……拙いか?」
皇帝は顎に手を添えてう~むと唸った後、卿らがそれを望むのであれば問題無かろうと了承する。
三人も、一先ずは師の御好意に甘えさせて頂きますと、シンと皇帝に頭を下げる。
そして三人は席を立つと、忠誠を誓おうと皇帝の前に跪こうとするが、それを皇帝は押しとどめた。
「それは後日、男爵号と魔法騎士位の授与の時に……今はまだ卿らには忠誠を求めぬ。長旅御苦労であった。それと、賊の討伐に尽力してくれたことを帝国臣民に代わり、厚くお礼申す。先ずは体を休めた後、帝都でも巡り帝国に慣れ親しんで欲しい。忠節を誓うのはその後で良い」
三人は皇帝の温かい言葉に、感謝して跪いて深々と首を垂れた。
この寒波と雪などで交通機関に影響が出る事を考えて、早起きしなくちゃならないのですが、これがまたキツイですね。
朝の寒さが身に沁みます。




