時間の猶予
王に打ち据えられたパットルは、王宮の一室で治癒士によって治療を受けた。
パットルを半ば担ぐようにして連れて来た近臣は、王子であるパットルを諭す。
「平素、穏やかな陛下があのようにしてお怒りになられたのは、殿下に対する期待するところが大きいからでしょう。殿下は何れ王となりあそばせるのです。王は約束を違えてはなりませぬ。それがどのような、小さき約束であれ……。いたずらに虚言を弄する王に、誰が付いて行きたいと思うでしょうか?」
パットルは確かに王太子として擁立されるだけあって、王としての資質はあるのだが、如何せん軽いのである。腰を落ち着けて事に臨むということがない。
だが、悪い点ばかりではない。軽いということは、後々まで事を引きずらないということでもある。
それにパットルの自己評価は高くない。それゆえに人の話は良く聞くのである。
この近臣の忠言は、癒えたはずの傷に沁み込んでいく。
シンから魔法剣を教われと王にに言われて、喜び興奮してその理由も問わずに承諾したのは、他でもない自分である。
パットルは今冷静になって考えると、その軽率さも密かに怒っていたのではないかと思った。
「卿の忠言、身に染みた……ただちに陛下に、謝罪をしなくては……それと、シン殿にも……」
まだ顔色は青く、苦杯を舐めるような表情であったが、パットルが王を恨んでいるようではない事に近臣は安堵した。
些細な事で、親子相反して血みどろの争いを起こすことも珍しくはない。
だが、この弱肉強食の乱世でそのような事態を招けば、待っているのは国の滅亡である。
パットルは王の執務室へと向かい、その扉を叩く。
扉を叩く手は微かに震え、入室の許可を受けても中々に足を踏み出すことが出来ない。
「どうした? 入るが良い」
再び王が入室を促す声を掛ける。パットルは意を決して、震えを押さえつけてその一歩を踏み出した。
そして王の前まで行くと片膝を着いて跪き、先の失態を詫びた。
「陛下、先程はあのような醜態を晒し、面目の次第も御座いませぬ。陛下の深慮を慮ることなく軽々に与えられた任を手放すとあれば、打ち据えられて当然であります」
パットルの言葉を聞いた王は、やっと気が付いたのか、遅い! と怒鳴りたいのを堪えた。
「ここに来たのは、そち一人か?」
「はっ? 私めだけで御座いますが……」
「近う寄れ……」
手招きする王に従い、パットルは王に近付く。
「良いか? これから申すことは他言無用ぞ」
王の声は睦言のように小さい。
「良いか? 良く聞け……余が何故、魔法剣をお前に体得させようとしたのか、それは魔法剣を貴族どもに渡したくは無いと思ったからよ……最初はあの貴族どもが選んだあの三人が教わる予定であったが、お前も知る通り事情が変わった。ここからが重要だ。貴族たちがあの魔法剣を体得したら、どうなると思う?」
パットルは馬鹿では無い。それに父である王が貴族たちを従わせるのに、かなり骨を折っているのを知っている。
「貴族たちがあの技を手に入れれば、我らに背くと? まさか!」
「声が大きい……背くかはわからぬが、これだけは言える。今以上に貴族どもが調子に乗るのは間違いなかろう。で、あればこそだ……お前が魔法剣を体得すれば、貴族どもを抑える力の一助となろうが」
あっ、とパットルの両目が見開く。そしてその両目から見る見るうちに涙が溢れ出す。
王は……父は、自分の将来を見据えて、あのような命を下したのだと。
「陛下、申し訳ございませぬ……そのようにお考えくださっておられたのに、私が全てを台無しにしてしまいました……」
「いや、まだ終わってはおらぬ。あの後、余がシン殿に謝罪をしておいた。そうしたら、シン殿はやる気があるならば、また明日来いと……そう申してくれたわ。どうだ? パットルよ……もう一度、やってみる気はあるか?」
パットルは襟を正した後、再び跪いた。誇り高い王が、自分のために頭を下げてくれたのだ。
昨日までの好奇心とは違い、胸の奥から沸々と湧く熱意が胸中を満たしていく。
「はっ、不肖ながら全身全霊を以って事に当たりとう御座います。そして必ずや、魔法剣を体得して御覧に入れましょう!」
「善は急げという。お前は、直ぐにシン殿の元へと赴いて詫びよ。そしてその教えを乞うが良い」
「はっ、直ちに!」
すくと立ったパットルを見て王は、ほぅ、と内心で呟いた。
人が変わる瞬間というものに立ち会ったのかも知れぬと、先程までとはまるで違うように感じる我が息子を、眩しい光を見るかのように眼を細めた。
ーーー
「なに? もう一度、魔法剣を教わりたいだと?」
シンは宿舎のソファにふんぞり返って座り、眼前で跪くパットルを見下ろしている。
シンは騎士の位を授与されてはいるが、騎士位はあくまでも名誉称号であり、シンは突き詰めて言えば平民である。
その平民であるシンが、一国の王子……それも王太子として擁立されているパットルを跪かせて見下ろしているという、異常な光景がそこにはあった。
パットルは跪きながらも、チラリと視線を上げて見る。
右頬に大きな刀傷、そして人睨みで人を殺せるのではないかと思うほどに鋭い眼光。
その場に居るだけで汗が流れ、呼吸は荒くなる。今すぐこの場から逃げ出したいと叫び、震える手足を励ましつつ、パットルは再び嘆願する。
「いいだろう。明日からなんて言わなくていい。今からやるぞ、お前は今日二十キロ走っていないな? よし、今から二十キロきっちり走ってこい。訓練場の一周は約五百メートルだから、四十周だ。自分のペースで走りきればいい。では、行け!」
「はっ、はい!」
許されたと、パットルは笑顔を浮かべながら、弾かれたように訓練場へと向かった。
「すまんがエリー、万が一に備えてくれ。カイルはエリーと共にパットルの面倒を見てくれ。レオナとマーヤは俺とちょっとしたデートだ。他の皆は、あの三人を頼む。まだあの三人の身が安全とは言い難いからな……」
承知、とそれぞれが動き出す。レオナとマーヤはシンの言うそれが、世間一般のいうところのデートでない事を承知しているが、それでも好いた男と出歩けるのは嬉しいもので、二人は全身からその喜びを溢れさせていた。
ーーー
レオナとマーヤを伴ってシンは外出する。付き添いの騎士には、外で一杯引っ掛けるのだと言ってある。
酒なら上等の物が宿舎に用意しているのに何故? という顔をするので、シンは王都に帝国産のワインを扱っている酒場があり、久しく口にしていない帝国産のワインを飲みたいからだと言う。
そのような単純な理由だが、シンは帝国の人間なのでその様なものかも知れないと、騎士は納得した。
こうして、シンはレオナとマーヤ、そして目付け役の騎士数名を伴って第二城壁内にある一軒の酒場へと向かった。
途中、二人に気を使って小物店に入り、刺しゅう入りのハンカチを買い与える。
そして件の酒場へと着くと、おかしな奴が入って来たら知らせてくれと言って、騎士達には出入り口近くのテーブル席へと座らせ、自分たち三人はカウンター席に着いた。
「おう、あっちのテーブルに酒と食事を……ここは帝国産のワインがあるんだよな? 俺たち三人にはそれを頼む」
へい、とカウンターに着いている若いバーテンが応じ、そのバーテンは裏の厨房へと姿を消した。
それから僅かの時が流れ、再びカウンターに現れたのは先程の若いバーテンではなく、貫録のある片目の男であった。
「へい、お客さんお待ち! 帝国は南部のワインですぜ……」
シンたちは出されたワインをぐびぐびと喉を鳴らして飲み干し、お代わりを所望する。
「いやぁ、久しぶりの帝国ワインだ。これは去年収穫したので作ったものかい?」
「へい、そうでございます! いやぁ、去年の収穫は中々に遅れて、仕入れる方としては冷や冷やしておりましたよ」
「へぇ、作柄が悪かったのかな?」
「さぁどうでしょうか? 聞くところによると、収穫に手間取ったとか……」
ここまでのシンと片目のバーテンの会話を他人が聞いても、何らおかしく思う事は無いだろう。
だがこの会話にはある重大な秘密が隠されている。
「それじゃ、来年も収穫は遅れるのかね?」
「まぁ先のことなんで、はっきりとはわかりませんが、遅れる可能性は大いにあるかも知れませんねぇ」
実はここは影が運営する酒場である。戦傷を負ったり、同じ影でも戦闘が苦手な者などは、こうして各地に潜伏させて情報を集めさせているのであった。
先程の会話で出た言葉のうち、南部の収穫というのはラ・ロシュエルの動向であり、この男が言うにはまだまだ南部の小国家群を降すのには時間が掛かりそうだということだった。
それを聞いてシンは、まだまだ時間はありそうだとホッと胸を撫で下ろす。
あと一年、せめて半年以上はもって欲しい。その間に魔法剣をパットル王子に教えて、帝国へと帰還しないと……
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空気清浄機すげぇ……部屋にこもっていた匂いが消えちまったぜ!




