訓練見学
呆然と見守るオルレンスをよそに、訓練は続く。
将兵の吐く息は白く、体からも熱気が迸っている。
練兵場に叱咤の声が響く厳しい訓練であるにもかかわらず、途中で訓練を投げ出す者はおろか、不平の声を上げる者はいない。
それどころかシンたちを含む全員が、真剣になって訓練に取り組んでいる。
異様なまでの士気の高さだと、オルレンスも目を見張る。
それもそのはずである。ここにいる、いや皇帝直轄の中央軍の精鋭部隊の全員は皇帝に忠義を尽くし、その設立と練兵に力を注いだシンを敬愛していた。
皇帝からは中央大陸の何処の国を見渡しても無い、最新の技術を以って作られた装具を与えられ、シンからは今までにない理論的な訓練により、生存率を高められている。
ことに、従来のように負傷者を見殺しにはしないという方針は、将兵たちの圧倒的な支持を集める事となる。
また、シンが提唱し行っている訓練方法も、将兵の支持を集めている。
これも従来の剣術、槍術、弓術、陣形などの訓練だけではなく、現在行っている救護訓練やシンが提唱する新たな基礎訓練を取り入れた結果、以前とは見違えるほどに精強な軍へと生まれ変わっていた。
戦いでは僅かな差が命取りになる。敵よりも僅かでも優位に立つためにと、シンは将兵たちに厳しい訓練を課している。
その訓練法も、ただやれと命令するだけでは無く、どうしてこの訓練が必要なのか等を説明し理解させてからやらせていた。
例えば股割りなどのストレッチは関節の可動域を広げる為であり、持久走は心肺機能を高めて体力、持久力を高めるため、また体幹を鍛える体幹トレーニングなども、一つ一つ丁寧に将兵に説明している。
頭で理解をさせ、成果をイメージさせながら訓練をする……これは、正に地球のスポーツ科学そのものであった。
最初は半信半疑だった将兵も、最初は十キロ走ってバテていた者が、二か月後には二十キロ走れるようになれば、その効果を信じずにはいられない。
シンに従って訓練すれば、メキメキと力が増していく。己の能力が高まる喜びに、将兵たちは夢中になる。
そして最後は、新しい娯楽であるサッカーの存在があった。
それまで兵たちは戦地で暇を持て余すと、博打や酒に溺れるのが当たり前であった。
そのような頽廃的な娯楽の中に飛び込んで来た、全くの新しい娯楽であるサッカーはたちまちの内に将兵を虜にした。
サッカーはご存じの通り、運動量の激しいスポーツの一つである。娯楽として、遊戯として遊んでいるうちに、知らず知らずの間に身体が鍛えられていく。
「ようし、訓練終了! 午後は好きに過ごしていいが、くれぐれも問題は起こさないように!」
訓練の終了の声に、将兵は喝采を上げる。そして、訓練の疲れも何のそのと、若い兵たちは予め用意していたボールを取りに走り出す。
地面に棒で土を引っ掻いて線を引き、あっという間にサッカーコートが出来上がると、将兵は身分の上下関係なくサッカーに興じた。
現在、この部隊には四百十八名からなる三十八のチームがある。残りの八十八名は、救護兵やコック、馬の世話をする馬丁や鍛冶師などで、それらの者は救護や審判役に回って貰っている。
シンは新年早々に、サッカー大会を行う事を宣言していた。
見事優勝したチームには、豪華な賞品が用意されている。それを聞いた将兵たちは、喜び勇んでサッカーに明け暮れていた。
「あいつら元気だなぁ……」
ボールを追いかけて走り回る将兵の姿を見て、シンは笑顔を浮かべる。
「シン殿、あれも練兵法なのでしょうか? 帝都に居た時も郊外で何度かお見かけしたが……」
「まぁ、練兵というよりは遊びです。でもご覧になられたように、激しく動き回るので知らずの内に足腰が鍛えられますね」
足腰だけでなく心肺機能も、体幹も鍛えられるのだが、遊戯だと教えられた後にそう言っても、俄かには信じられないだろうとシンは思っていた。
ーーー
オルレンスは早速王宮に戻り王に報告する。
「何? よくわからないだと?」
オルレンスの報告を受けたホダイン三世は、自身も首を捻った。
救護訓練とは何ぞ? 体幹トレーニング? 聞いた事の無い言葉が次々とオルレンスの口から発せられる。
「つまり、シンは負傷者の救助をするための訓練をしていたというのか? ふ~む……それにそのサッカーとやらも気になるな」
戦えなくなった者は、置き去りにしても文句は言えない。それが戦場の掟である。
エックハルト王国でも負傷兵を見殺しにしない。だが、戦いの最中にわざわざ救助するほどのことではないと考えられている。
従来通り、戦い終わってから救出すればよいだけではないかとホダイン三世も考えている。
それをどうしてわざわざ……そしてサッカーとやらの存在である。
遊びながら兵が鍛えられるなど、聞いた事も無い話である。そのような意味不明な練兵法にもかかわらず、帝国兵の士気は高く練度は極めて高いという。
先に起きた帝国新北東領での戦いに於いても、帝国兵の強さは比類なきものであると、オルレンスの報告を受けている。
「ますますわからぬな……オルレンス卿……すまぬがしばらくの間、帝国軍の練兵を監視しては貰えぬか?」
「はっ、わたくしめも興味がありますので、喜んでお引き受けいたしまする」
オルレンスを下がらせた後、ホダイン三世は武官を数名呼びつける。
「お主たちはオルレンスの指揮下に入り、共に帝国軍の練兵法を観察せよ」
オルレンスと武官たちは翌日の朝、意気込んで練兵場に向かうがそこには誰もいない。
仕方なくシンを訪ねて聞くと、訓練は二日やったら間に一日ないし二日、疲労度の蓄積具合を考慮して休みを入れるのだという。
「明日は、訓練をします。少し厳しい訓練になるかもしれません」
それはどのようなものかとオルレンスが聞いても、シンは見てのお楽しみということでと、笑って取り合わなかった。
ーーー
翌日の早朝、またホイッスルの音に合わせてラジオ体操が行われる。
オルレンスと武官たちはそれを不思議そうに見詰め、互いに意見を交わしていた。
「オルレンス卿、あれが練兵法なのですか? 失礼ながら、わたくしめには遊んでおるようにしか見えませぬが……それに、彼等は武器を持たずに何を鍛えるというのでしょうか?」
「その謎を解くのが我らの役目ぞ……今は、彼らの行動の観察に集中せい」
次は柔軟運動、ストレッチ体操と続く。帝国兵たちの身体の柔らかさに驚きの声が上がるが、彼らにはそれを強さへと結び付けることが出来ずに困惑する。
「よーし、では十分以内に完全武装して集合!」
将兵たちは駆け足で官舎へと戻り、武装を身に纏って再び練兵場へ集合する。
「何を行うのでしょうか? ん? あれは? 卿、あれをご覧ください!」
そう言って武官が指差す方向には、人の身の丈よりも遥かに大きな弓を携える弓兵の姿があった。
それは日本人ならばわかったであろう。その巨大な弓はそう、ずばり和弓であった。
和弓は取り回しが悪く、この大陸で使われている長弓よりも僅かではあるが射程が劣る。
だが矢は長く重いため、直進性と貫通力に優れている。射程にもよるが、板金鎧ですら貫くだけの殺傷力を秘めているため、シンは和弓を再現して少数ではあるが試験的に配備していた。
「なんて長い矢だ……あんな矢を撃てるのか? それにあのような大きな弓、見たことも無い……ただのこけおどしかも知れん」
「む、動き出したぞ……」
整列を終えた将兵たちは、順番に完全武装のまま練兵場を走り出す。先頭を走るのは勿論シンである。
「いいか、戦うも逃げるも一に体力、二に体力だ! 戦場じゃ敵を追うにしろ、逃げるにしろ、鎧兜を脱いでる暇なんかねぇぞ! 手柄を立てるため、生き延びるためにそのまま走るしかねぇんだ!」
まったくの正論である。将兵たちはいち、に、いち、にと声を上げながらシンに続いてひた走る。
完全武装のまま、二キロ走って小休止、また二キロ走って小休止を繰り返し、時間を掛けて合計二十キロを走りぬく。
さすがにこれはシンも息が切れ、終わるとそのまま地面にへたり込む。
将兵たちも地面に大の字に倒れ、はぁはぁと苦しげに息を荒げている。
それを終始見ていたオルレンスたちは、ようやく帝国兵のタフさに気付いて驚嘆の声を上げた。
「我が国の兵に同じことをやらせたとして、あのように走れると思うか?」
「……無理でございましょうな……正に驚くべき頑健さと申すほかありませぬな……」
疲労困憊でへたり込んでいる帝国軍を見ながら、オルレンスたちは戦場で感じる戦慄に近いものを感じ、顔色を青ざめさせていた。
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