義
王を含め、その場に居る者たち全てに対し一喝したミロスラフは、一度息を整えた後に言葉を続ける。
「彼の者を害すなど以ての外! 我々は寧ろ、あの竜殺しのシンを護らねばならぬのですぞ。よろしいか? 各々方……我が国はいま現在の所、ソシエテ王国とルーアルト王国の二国と対立しておる。もし、彼の者を害しようものならば、さらに帝国をも相手取らねばなりますまい。眼前にて強き力を見せられ気が動転するのもわかりましょうが、事を冷静に判断出来ねば亡国の憂き目に遭いましょうぞ」
ミロスラフの大喝一声は、王と重臣たちに我を取り戻させた。
王であるホダイン三世は、シンの魔法剣に動揺して己の視野が狭くなってしまっていたことを恥じ、素直に謝罪の言葉を口にする。
冷静になれば当たり前の事である。今ここで将来の禍根を取り除こうと無理をして、更なる災いを招いて国を失うわけにはいかない。
「確かに卿の言う通り……三国を相手取れば、滅びぬにしても繁栄は望めまい。それに既にルーアルトとソシエテが手を結んでいるかのような動きを見せている以上、こちらも帝国と結んで対抗をせざるを得まいな……」
わかればよろしいと、ミロスラフの目が語っている。
直言の士であるミロスラフの言葉はきついが、今はそれぐらいが丁度いい。
「だが、ではどうする? あれは危険だぞ……オルレンス卿が申す通り、小戦闘区の戦局を引っくり返すだけの力はあろうぞ」
あれとは魔法剣の事だろうか? それともシン本人の事か……おそらくはその両方を示しているのだろう。
「そういえば、彼の竜殺しはまだ妻帯しておらぬと聞いたことがあります……サーフィナ王女と彼の者を婚約させるというのは如何でしょう?」
王女を宛がって取り込んでしまえばいいとの考えに、重臣たちも賛同の意を示す。
その中で、姫の父親であるホダイン三世だけが渋面を作っている。
如何にシンが強大な力を有していようとも、所詮は異邦人であり、さらにはその出生や経歴も一切不明という、何処の馬の骨かもわからぬ男に愛娘をくれてやる気にはとうていなれない。
そしてもう一つの問題は、サーフィナ姫がまだ御年八つの子供であるということだった。
そんな王の意を汲んだ宰相のミロスラフは、すかさず助け舟を出してやる。
「お待ち下され、サーフィナ姫はまだ八つ。如何に彼の者が女子好きであろうとも、八つの子供と婚約を喜ぶはずもありませぬぞ」
これだからホダイン三世は、ミロスラフを重用するのだ。自分の意を、口に出さずとも理解してくれる数少ない人間の一人であるミロスラフに、ホダイン三世は絶大なる信を置いていた。
「だが、この世で最も尊い王家の血ぞ!」
「さよう。なればこそ、なればこそ軽々しく姫を嫁に出すなどと口にしてはなりますまい」
今度は正論で封じ込まれた重臣たちが渋面を作る番であった。
「ではどうする? 王族で年頃の娘が誰ぞ……」
「王族である必要は御座いますまい。重臣である各々方の家も由緒ある家柄ゆえ、格式的にも何ら問題は御座いますまいて」
自分たちの娘を差し出せと言われた重臣たちは、互いに顔を見合わせた。
ここで初めて王の気持ちを理解し、自身の配慮の無さを詫びた。
「う~む、彼の者は幾つであったか?」
「二十歳に御座います」
「その年になって妻帯しておらぬのは、どういうことか? 確か彼の者が帝国に来たのは二、三年前であろう? それまでは流浪の身ゆえ仕方が無いとしても、帝国に来てから武名を上げたにも関わらず妻帯せぬのはどういうことか?」
この世界での成人は十五歳。遅くともまともな環境にあるのならば、二十歳までには妻帯して所帯を持つのが普通である。流れ者であるという点を考慮しても、武功を上げ生活に困らぬシンが未だ妻帯せぬことについては、周囲から奇異の目で見られても仕方が無いのである。
「それにつきましては皇帝、ヴィルヘルム七世は最初は妹……つまりはヘンリエッテ皇女殿下ですな……シンに嫁がせようとしたという噂話が御座いまして……まぁ、おそらくは与太話の類でありましょうが……」
そのような話は与太話に決まっていると重臣たちも否定する。
だが、実際はどれだけ本気であったかは定かではないが、ヴィルヘルム七世はシンにヘンリエッテ皇女をを宛がっても良いと考えていたのである。
女は抱く癖に色恋に鈍いシンと、色恋話など吹き飛ぶようなお転婆ぶりのヘンリエッテを見て、早々に断念していた。
「誰ぞ思い人でもいるのでしょうか?」
「そういえば、彼の者のパーティには幾人か女性の冒険者がおりましたな……もしやその内の誰かと……」
「だとすると、婚姻は武器にはならぬぞ。何ぞ、他の手を考えねば……いっそのこと、帝国から我が国に引き抜ければ良いのですが……」
「彼の者は先の戦いで武勲を上げ、皇帝が爵位を授けようとしたのにも拘らず、それを断ったと聞くぞ。だが、あまりにも巨大な武勲に対して褒美を与えぬわけにはいかず、仕方なしに金子と国宝級の武具を送ったとか……」
「拝謁の時に着ていた鎧と、小脇に抱えていた兜がそうでありましたな……遠目から見てもなるほど、確かに国宝級と言うだけの事はありましたな……やはり武芸者ということでしょうか? だとすれば帝国が防具を送ったとするならば、こちらは武器を彼の者に送るというのは如何でしょう?」
その案にすかさず異を唱える者が出た。
「いや、それも如何なものかと……彼の者が振るうのは、あのザギル・ゴジンの愛剣であった死の旋風ですぞ。飾り気の無い無骨な作りなれど、一級品の魔剣で御座いますれば……」
「おお、そうであった! それに腰に佩いておるあの変わった剣は、嘘か真か神より授かりし剣だとか……」
やはり武門のお国柄か、武具に対しての関心は高い。
「だとすれば、この手も通じぬか……爵位も望まず、武具に恵まれ、結婚もせず……一体、あ奴は何を望む? 現時点で満たされているのだとすれば、なぜ帝国にあそこまで肩入れするのか?」
欲望を素直に示さぬ相手ほど、やりにくい相手はいない。
その点でシンは、良くも悪くも日本人のままであった。日本人は、素直に欲求を口にすることは少ない。
そのため世界では、日本人ほどコミニュケーションのとりにくい相手はいないとまで言われることもある。
シンもその例に漏れずに素直に欲求を口にすることは少なく、皇帝であるヴィルヘルム七世も最初の頃はどう向き合って良いのかわからずに苦労をしていた。
「……義……」
王と重臣たちが目を瞑り唸りながら考えている中、ミロスラフは確信に近い言葉を口にした。
「なに?」
王と重臣たちの視線がミロスラフの顔に集まる。
「彼の者は地位を望まず、かといって名誉も望んでおりませぬ。もし名誉を望むのであれば、自分が負けたなどとは口にはしますまい。だとすれば彼の者を駆り立てるは、義でありましょうな……」
王も重臣も、義などと言う言葉は久しく耳にしていない。今は戦乱の世、謀略、裏切りが当たり前の世の中である。
もっとも、シンは義侠心で動いていると自分で思った事は無い。シンが感じていたのはもっと、別のもの……それは友情であった。
シンも皇帝も、一度たちとも友情を口に出して確認したことは無いが、それは両者の間に確かに存在するものであった。
「ますますわからぬわ! ミロスラフよ、余はどうすればよい? 余は欲を持たぬ者など、これまで目にしたことがない。ミロスラフだけではない、卿らも知恵を貸せ」
しばしの沈黙が訪れる。王も宰相も重臣たちも思案に暮れるが、直接の解決策を見出すには至らない。
「いずれにしても、今しばらくの間は様子をご覧になられては如何か? その間に、誰ぞ目ぼしい女性を探しておきましょう」
「婚姻は無駄ではないか? いや、そうだな……打てる手は全て打つべきだな……話を振ってみた時の反応を見れば、人柄の一端も覗けよう」
こうしてシンの暗殺は、宰相のミロスラフの冷静な判断により防がれた。
人は強大な力や異質な物を初めて目にした時、それを受け入れようとするものは極僅かで、多くの者はそれらを排除せんと試みる。
帝国に於いても、今ではシンと親しい老ハーゼ伯も最初はシンの存在を危険視していた。
ここエックハルト王国ではどうだろうか? 皇帝のように友誼を交わすような存在はいるのだろうか?
そこまででなくとも、老ハーゼ伯のように互いを信頼するような関係を築けるもの、築こうとする者はいるのだろうか? それらが不明である限り、まだまだシンの身が安全であるとは言えなかった。
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二日休んで充電完了。師走は何かと忙しいですが、頑張っていきましょう!




