皇女の噂話
エックハルト王国の王太子であるパットル王子は御年十五歳。帝国の皇女であるヘンリエッテと同い年である。
パットル王子は国王であるホダイン三世が二十八の時に出来た子で上に二人の姉がいるが、姉たちはとうの昔に臣籍へと降嫁している。
幼いころは姉たちに甘えてばかりであったこの王子を、国王は厳しくも愛情を注ぎ育んで来た。
その王太子に異国から嫁が来ると、王宮内はそれはもう天地を引っくり返す程の大騒ぎで、王太子妃を迎え入れる準備に余念がない。
そんな慌ただしい王宮の一角で主役の一人であるパットル王子は、婚姻行列に途中まで帯同していた伝令の騎士を招いてヘンリエッテ皇女の為人について尋ねていた。
「ヘンリエッテ殿はどのようなお方でしたか? やはり噂通り、癇の強い御方でしたか?」
お転婆皇女の噂は伝言ゲームよろしく、人の口から口へと伝わるごとに変化していき、王子の元へ届いた頃には、それはもう本人が聞いたならば激怒すること間違いない話へと変貌していた。
その話の内容とは女だてらに剣技を好むばかりか、かの有名な竜殺しに弟子入りし、血気盛んで敵陣に自ら斬り込んでいくだとか、果てにはゴブリンたちの国を剣一本で征服しただのというものまであった。
流石にそのような与太話をそっくりそのまま信じてはいないが、火のない所に煙は立たぬともいう。
そういった噂話の何割かが本当なら、それはもう恐るべき鬼女であり、果たしてそのような気の強い女性を、妻として愛せるかどうか自信は無い。
如何に国家のためとはいえ、王子も人の子。結婚、それも初婚にはそれなりの期待感もある。
「とんでもございません! 某が見た限りでは大変お美しい御方で御座いました。帝都でのパレードの折には純白の衣装を身に纏い、青く輝く宝剣を天に掲げまして、まるで冬を支配する女王のようで御座いましたとも! 確かに、様々なお噂が巷では流れてはおりますが、近隣諸国一の美姫であることだけは間違いございませぬ」
そうヘンリエッテを褒めるのは、オルレンスに国王へ手紙を届けるようにと出された伝令の一人であった。
最初は自分を気遣っているのではないかと伝令を疑ったが、そういえば容姿が醜いという噂はただの一つも無い事に気が付いた。
「そうですか、それはお会いするのが楽しみですね。それで……剣を嗜むとのことですが……」
パットル王子も王太子としての英才教育の一環として、エックハルト王家に伝わる剣技を教わってはいるのだが、お世辞にも上手いとは言い難い程度の腕前でしかなかった。
「はっ、それが何と皇女殿下は、かの竜殺しのシンに弟子入りしてまだ一年と経っていないにも関わらず、並みの兵を凌ぐほどの鮮やかな剣技を御持ちで御座います。それだけの短い期間であれほどまでの剣技を体得するとは、元より筋が良いのとやはり師が良いのでしょうなぁ……某は一度だけ、皇女殿下の訓練を拝見したことがありましたが、いやはや……それは我が国の騎士たち顔負けの過酷な訓練をなされておりました」
「それほどまでにですか? 流石に皇族で女性ですよ? ははぁ、わかりました。大袈裟に言って、私を驚かそうというのですね? その手には引っかかりませんよ」
パットル王子はヘンリエッテが剣を嗜むといっても、精々が型を一通り覚える程度であると高を括っていた。
「とんでも御座いませぬ! 竜殺し本人と木剣ではありますが実際に剣を交え、何度も打ち据えられて地に伏すも、再び立ち上がる姿をこの目でしかと見ておりますれば……なぜそこまでするのかと、護衛の女騎士が尋ねたそうですが、そのお答えが意地らしいというか何というか……皇女殿下がおっしゃられるには、エックハルト王国は大陸中に鳴り響く武門の国であると。そこに嫁ぐのならば女とはいえ、それに恥じぬだけの力を身に付けねば、夫となるお方に恥を掻かせてしまうかもしれないのでと……我ら一同、その言葉に深く感動いたしまして御座いまする」
「ほぅ、殊勝な心掛けではある」
いつの間にか王子の背後に国王であるホダイン三世が立っている。
伝令の騎士は慌てて跪き拝礼する。
「よい、楽にせよ。余も聞きたいのだ、何せ年が明ければ我が娘となるのだからな。そのまま続けよ」
「はっ、ははーっ、殿下に申し上げました通り、癇が強いというよりは、芯が強い御方だと感じた次第で御座います。某が朋輩とともに遠目よりその訓練を見ておりましたが、それがかの竜殺しは手加減を知らぬのか、何度も何度も打ち据えまして……それでもなお、立ち上がり剣を構えられましてからに……それも腕の骨を折られるほどの激しい訓練を、ほぼ毎日続けておりました」
その話を聞いたパットルは、自身も経験したことのある痛みを思い出して顔を顰める。
もっとも治癒士が傍に控えており直ぐに治して貰えるのだが、痛い事には変わりがない。
「ほぅ毎日とな? これはこれは……パットルよ、負けてはおれぬのぅ……王家の跡取りが、いくら名うての剣士の手ほどきを受けたとはいえ、女子ごときに後れを取ることはあるまいの?」
父に凄まれたパットルは、はははと引き攣った笑いを浮かべる。
「何だか話を聞いている内に、体を動かしたくなって参りました。良い機会なので、爺に剣の手ほどきを受けると致します。では、失礼いたします」
これ以上ここに居るのは危険であるとパットルは判断する。父にこれ以上の無茶ぶりを振られては敵わないと、一礼して足早に部屋を去る。
パットルが部屋を出るのを見届けると、ホダイン三世は騎士に皇女について知る限りの情報を話すよう命じた。
その命を受けた騎士は、先程までの王子と話していた顔とは違い、職業軍人特有の引き締まった表情で王の下問に答える。
「はっ、容姿は人並み外れるどころか、紛うことなき近隣一の美姫に御座いまする。その性格に関しましては噂通り、良く言えば快活、悪く言えばそのままお転婆と申しましょうか……下々にも優しく、何かと気を配るお方とお見受けいたしました」
「あのヴィルヘルムの妹ぞ、何ぞ企んでいてもおかしくも無い。他には?」
「はっ、他と申されましても……ああ、そういえばその皇帝である兄のヴィルヘルム七世より、選別の品として渡された宝剣で御座いますが、その銘を雪の女王と申しまして、何代か前の皇帝の愛剣であったらしく皇家に伝わる名剣であるとか……嫁入りといえば、鏡などの化粧道具を送るのが普通でしょうが……」
王は答えずそのまま顎に手を添えて考え込む。
皇女の兄であるヴィルヘルム七世は、権謀術数に於いては若年とは思えぬような老獪さを持ち合わせている。
何か意味があるのではないかと、一度勘繰ってしまうと皇女の行動や言動までの全てが怪しく感じられてしまう。
「わかった。その剣の事は、余の方で探ってみよう。ご苦労であった」
騎士を下がらせた後も、しばらくの間その場を動かずに思案に暮れる。
それにしてもわからぬのは皇女の行動と言動であった。果たしてそれが素なのか、それとも作られたものなのか判断に苦しむ。
兄である皇帝を見れば、こちらにすんなりと入り込むための演技であるかもしれない。
だが間者たちが集めた情報では、幼いころからお転婆であったと聞く。
聡明な王で知られるホダイン三世も、まさかヘンリエッテ自身は素であり、それをシンが演出しているという二人三脚状態であるとは気付くことが出来ない。
結局、その後も情報を集めて精査したが、よく分からずに取り敢えず迎え入れて様子を見る他は無かった。
ブックマークありがとうございます!
エックハルト王国の王都の名前、間違ってた。正しくはロンフォードで御座います。
申し訳ございませんでした。
言い訳すると適当に地図見たりして、ああこの名前もじって使おうとか思っている内に、脳に刷り込まれちゃうんですよね。で、いつの間にか刷り込まれたそれを、何の抵抗も無く書いてしまうと……ごめんちゃい




