気さくな皇女と気さくな英雄
シン率いる帝国軍はエックハルト王国に入国すると同時に、実質的には皇女護衛の任を外れている。
一応、帝国の面目を保つために皇女の乗る馬車の直近に配置はされているが、索敵を始め馬車に同乗する護衛もエックハルト王国の軍が担当している。
油断というわけではないが、シンたちは肩の荷を降ろして少しだけの解放感に表情を緩ませる。
ここはもうエックハルト王国、万が一にでも皇女の身に危害が加えられたのならば、それはもうエックハルト王国の責任であり、面目は丸潰れとなる。
なのでエックハルト王国は本気で皇女を護衛しなければならない。
分厚い槍の壁に囲まれながら進む皇女一行は、入国してから最初の街に差しかかった。
街に近付くにつれ、街道の脇で行列を見物する人々の数が増えていく。
無理も無い、大した娯楽も無い世界である。異国からやってきた王太子に嫁ぐ美姫に加え、自国の仇敵を討ち取った英雄が同時に来るのだ。
人によっては、生涯の語り草にもなるほどの一大イベントである。
精悍な龍馬に跨る巨躯。身に纏うは漆黒の鎧兜。背に背負うは国民たちの憎き仇敵が討ち取られた証しである大剣。
シンを見た人々は、憎き悪鬼を討ち果たしたのは別の悪鬼かと怯えて竦む。
恐れられているのかと困惑するシンの耳に、街道の脇から人々の囁き声が聞こえてくる。
「あれが、あのザギル・ゴジンを討ち取ったとかいう英雄だべかぁ……ひゃあ、えらい大きいのう」
「んだな、あのしょってる剣なんざ本当に振り回せるんかいな?」
この辺りに住む農民たちだろうか? 訛りがきつい言葉を聞いたシンは吹き出しそうになるのを懸命に堪えた。そしてちょっとした悪戯を思いついた。
シンは背から身の丈ほどもある大剣、死の旋風を抜くと片手でブンブンと音を鳴らして頭上で何度か振って見せる。
それを見た農民たちの口から、おおと驚きの声が上がる。そしてシンがその農民たちに向かって白い歯を見せながら笑顔を浮かべると、驚きの声はたちまち歓声へと変わる。
行列がもたらす歓声の元は一つでは無い。皇女であるヘンリエッテも、窓から顔を出して街道脇の人々に笑顔でで手を振っている。
もっともこれは危険であると、同乗する護衛の女騎士によってすぐに止めさせられていたのだが、この様子は人の口から人へと風の速さで伝わっていった。
もとより商機と睨んだ商人たちの口から、皇女の冒険譚や帝都でのパレードの噂はエックハルト王国の人々に伝わっている。
皇女でありながらお高く留まった姿など微塵も見せぬヘンリエッテは、街へ立ち寄るごとにエックハルトの人々の心を掴んでいく。
またシンも宿での護衛などもエックハルト王国が担当するためお役御免となり、比較的自由に過ごせるようになっていた。
新たなる国に入国し、始めて見る料理食らい、初めて飲む酒を嗜む。これも一つの冒険であろう。
冒険者パーティである碧き焔の面々の、冒険者魂に火を点けるには十分すぎる材料である。
シンは皇女の護衛はやる気満々のエックハルトに任せ、街へと繰り出し料理や酒を楽しむことにした。
後で皇女や味方の兵に非難されるのを防ぐために、自由に出歩けない皇女にはお土産を約束し、街の外で天幕を張って待機している兵たちには、ご当地の酒と料理を買って運ばせ自由に飲み食いをさせておく。
「さて行くか! 一応武器は携帯しろよ? スリにも気をつけろ。あとは飲み過ぎるなよ、ここには一泊しかしないからな。酔い潰れて動けなくなったら容赦なく置き去りにするからな」
「わかってるって、そう心配すんなよ。もし置いて行かれてもすぐに追いついて見せるさ!」
いやそうじゃないんだがと、シンは頭を抱えたくなる。ハーベイとゾルターンがこのまま酒場に直行するのは、まず間違いないと見ても良いだろう。
ハンクはシンとハーベイのどちらに着いて行くか悩んでいたが、結局は酒よりも恋を選んだらしい。
こうして酒場直行組の二人の他は、シンと共にお祭り騒ぎになっている街へと繰り出して行った。
ーーー
「おばちゃんこれ一つくれ」
街の大通りには様々な屋台が立ち並んでいる。そのうちの一つに、帝国では見ないようなパンを売っている店を見つけ、さっそくそれを賞味しようとしたのだが……
「あ、あのぅ……もしかしたらあなた様は、竜殺しの……」
「ああ、その通りシンだが、何か?」
「いえ、いえいえ、ただ私どもの店にある物は、貴族様方のお口にはあわないかと……それでもよろしいのでしたらば」
恰幅が良くずんぐりとした中年の女性が、恐る恐るといった風にお伺いを立ててくる。
ああ、なるほどとシンは直ぐに察した。この女性は、シンを帝国の貴族か何かだと思っているらしい。
「ああ、何だそんなことか。心配しなくていいよ、おばちゃん。俺は貴族でも何でもないよ、帝国に仕えてはいるけれどもただそれだけ。爵位も何もないおばちゃんと同じ平民だよ」
それを聞いて屋台の女性だけでなく、周囲の人々も驚く。
シンは女性の手にパンの代金である銅貨三枚を握らせると、ひょいとパンを掴んで行儀悪くその場で立ち食いする。
パンは外は少し固めだが中はフワフワモチモチで、薄くではあるが塩味が効いていて美味しい。
シンが美味そうに食べるのを見て、カイルたちも次々にパンを買って食べ始める。
そしてパンを食べれば喉が渇く。シンたちは近くの蜂蜜水を売る屋台へと移り、人数分蜂蜜水を注文する。
やはりその場で行儀悪く、ぐびぐびと喉を鳴らして飲み干すと次の屋台へと移って行く。
数ある屋台の中から、どんぐりクッキーを売る店を見つけてこれをヘンリエッテたちへのお土産にした。
勿論、シンはレオナとマーヤに、カイルはエリーに、そしてハンクはロラにクッキーを買って渡す。
いつの時代、何処の世界でも女と子供は甘いものが大好きである。レオナたちもその例に漏れず、蜂蜜でほんのりと甘く味付けされているどんぐりクッキーを満面の笑みで頬張っている。
その後も焼き栗や串焼きの店などを梯子する。最初は異国の英雄であるシンとその仲間を恐れて遠巻きにしていた人々も、自然に屋台を楽しむ姿を見て親しみを覚えたのか、最後には気さくに声を掛けて自分の屋台へと呼びこんだりするようになる。
宿へ帰る時には、買ったお土産の他にもおまけしてもらったり、渡された数々の品々で一杯であった。
部屋で大人しく待っていたヘンリエッテと侍女たちに、お土産の品々を渡す。
侍女がさっそくお茶を煎れ、お土産のクッキーに舌鼓を打つ。
「なんだあの二人まだ帰っていないのか? 仕方のない奴らだな、ちょっと迎えに行って来る」
シンはまだ戻ってきていないハーベイとゾルターンを迎えに行くべく、再び宿を出る。
何軒か酒場を覗いて二人を発見するが、すでに二人はかなり杯を重ねており、すっかりと出来上がってしまっている。
「おっ、シン! 来たか! まぁ、飲め飲め」
酔って顔が真っ赤なハーベイの薦めるままに、シンは酒杯を満たす酒に口を付ける。
杯に満たされているのはシードルであった。林檎の甘酸っぱい香りと口当たりの良さに、シンも次々とお代わりをしてしまう。
こうしてすぐさま三人目の酔っ払いが出来上がってしまう。
酒場は英雄が来たと満員御礼状態、酔っ払いたちは飲めや歌えの大騒ぎ。シンたちは頼んでもいないのに周囲の者たちから次々に酒を注がれ、増々酔いが回っていく。
結局そのまま朝までどんちゃん騒ぎ、朝日を見てふと我にかえった時にはすでに遅し、割れるような二日酔いの頭痛に顔を顰めながら、三人は急ぎ宿へと戻って行く。
あわてて旅装を身に纏い出発となるが、頭から酒を被ったかのように、酒精の香りをぷんぷんとさせるシンに、さすがの龍馬サクラも乗せるの嫌がり鼻を鳴らす。
「すまんすまん、サクラ。それとあんまり揺らさないでくれ……気持ちが悪いんだ」
シンよりも早くから飲んでいたハーベイとゾルターンは完全に潰れてしまっている。取り敢えず二人は体調不良と装って馬車へと放り込むが、流石に総指揮官でもあるシンはそうもいかない。
兵の手前、二日酔いの醜態を見せるわけにはいかなのである。無理やりに背筋を伸ばして指揮をする。
街を出る時に見送りの人々が盛んに手を振っているのが見える。そしてその中には、昨日の屋台の店主たちや酒場でともに酒を酌み交わした者たちの姿もある。
シンも彼らに向かって大きく手を振りかえす。自分たちと同じものを食べ、同じ酒を飲む気さくな英雄は人々の心をたちまちの内に掴み取り、帝国だけでなく隣国であるエックハルト王国の人々にも愛されるようになっていくのであった。
評価、ブックマークありがとうございます! 感謝です!




