替え玉二人
皇女一行は、まるで帝国との別れを惜しむかのように、ゆっくりと街道を東へと進んで行く。
帝都を出た時点で、皇女は天蓋付きの馬車へと乗り移っている。だが、その馬車というのがある意味では問題であった。
皇女であるヘンリエッテが現在乗っている馬車は、行列の中央で厳重な警備に取り囲まれている皇女専用の馬車では無く、行列の最後尾を行くシンの所有しているいつもの馬車であった。
侍女たちも同じような旅装を身に纏っている。そのありふれた見た目の馬車と服装から、傍目から見れば軍に付随する旅芸人や娼婦にしか見えないであろう。
その馬車には御者としてマーヤが同乗しており、馬車の左右をレオナは愛馬シュヴァルツシャッテンに、ロラは軍から借りた軍馬に乗って護衛している。
では皇女専用の馬車には一体誰が乗っているのか? クッションの効いた椅子に深々と腰かけているのは、背格好が似ているエリーであった。エリーは、皇女の替え玉としてこの馬車に乗っており、遠目からならば誤魔化せるようにと、皇女が着ていたドレスと同じものを誂え身に纏っていた。
そしてその左右を、シンとカイルが同乗して守っていた。シンもカイルも、馬車の中に詰めっきりの護衛となるため、そのために特別に作った防具を身に着けている。
それは一見してただの服に見えるのだが、シルクスパイダーという蜘蛛の糸を編み込んであり防刃性が高い作りになっている。胸の急所の所には、防御力を高めるために鉄板が縫い付けてある。
いずれにしても、動きやすさを損なわない作りになっており、狭い馬車の中でも不自由なく動けるよう配慮されていた。
では、いつも見に纏ってい黒竜兜や黒竜の幻影、そして馬鹿でかい大剣である死の旋風はどうしたのか?
シンのいつも身に着けている装備の数々は、背格好が似ている騎士に貸し与えて、ワザと目立つように隊列の先頭を歩かせていた。
帝国中にその名を鳴り響かせる若き英雄の装備を貸し与えられた騎士は、感極まって涙を流して喜び勇み、囮の任を全うすべく隊列の先頭を堂々と歩んでいる。
従って今身に着けているのは愛刀である天国丸のみ、カイルも同じく岩切のみの軽装である。
「最高の旅だわ! 椅子はふかふかでお尻もいつものように痛くならないし、それに見てこのドレス! この護衛が完了したら貰えるんだって! もう本当に何から何まで最高よ、本当にお姫様になった気分だわ!」
エリーは上機嫌で、いつも以上に同乗する二人に喋りまくる。
「良かったな。危険な囮役なんだから、それくらいの役得はないとな……まぁ、危険と言っても心配するな。俺とカイルがきっちりと守り通して見せるさ」
そのシンの言葉に、カイルもコクコクと頷く。
「頼りにしてるわよ、二人とも……でも、本当にいいのかしら? ヘンリをあんなふうに扱って……怒ってない?」
「いや、あれはあれで喜んでいたぞ。だって考えてもみろ、向こうに行ったらもうこんな経験は二度と出来ないんだぞ? また冒険者として旅が出来るってはしゃいでいたくらいだよ」
そう、ならいいけどとエリーも納得した。
「ウチはメンバーに女性が多くて助かるぜ……女性なら本当の意味で四六時中護衛できるもんな」
これはまったくその通りであった。皇帝が此度の護衛にもシンのパーティを雇った理由の内の、一つでもあった。
「まぁ、エリーにだけ良い目をさせてやるわけにはいかないから、レオナとマーヤにも何かしらのご褒美をあげないとな……ロラの方は任せたぞ、ハンク!」
御者台に座るハンクに聞こえるようにシンは大声で言う。現在御者を務めているのはハンクで、その横にはゾルターンがいる。
ハンクは、参ったなと呟きながらもロラに何をプレゼントしたら良いだろうかと、考え始めるのであった。
馬車の横を騎乗して並走するハーベイが、最初の目的地である街が見えて来たことを告げる。
「さてさて、道中初日は何事も無かったが、油断はするなよ……闇夜に紛れて暗殺者を送り込んで来る可能性は十分に考えられるのだからな」
カイルとエリーは真剣な表情で頷いた。
ーーー
無事、最初の街に着いた皇女一行は、兵たちの大半は街の外で野営し、一部の者たちはそのまま皇女を護るために街の門をくぐった。
皇女がこの日泊まる宿は、街一番の高級宿であり要人の警護がしやすいように配慮された造りとなっていた。
皇女を演じているエリー、そしてその護衛のシンとカイルはそのままその高級宿へ泊る。
陽が完全に落ちてから闇夜に紛れるようにして、今度は本物の皇女一行とその護衛であるレオナたちが、その高級宿へと入って来る。
「じゃあ、事前の打ち合わせ通りの順番で寝ずの番を……エリーにはさっきも言ったが、暗殺者にくれぐれも注意しろ。それじゃ俺は、やることがあるので少し席を外させて貰う。何かあったら隣室にカイルたちが待機しているから直ぐに知らせろ」
皇女とその護衛をするレオナ、マーヤ、ロラ、そして皇女の替え玉を務めるエリーが泊まる大部屋にシンは顔を出し、暗殺者に注意するよう念を押す。
シンは刀一本腰に差した軽装のまま、夜の街の中へと消えていく。
そして辿り着いたのは、街はずれにある一軒の安酒場であった。
シンは店に入ると、店内を見回してお目当ての人物を探す。それほど広い店内ではないので、すぐに探している人物の姿を発見する事が出来た。
「よう、久しいな……」
シンはその人物に気安く声を掛けながら同じテーブルへと着く。
「どうも、御無沙汰しておりますサータケさん」
サータケとはシンの偽名である。
シンことサータケは、年嵩のいった小太りのウェイトレスに声を掛けて、エールとつまみを注文する。
それらがテーブルに置かれるまで、シンは目の前の男……旅の行商に扮した影の頭領であるアンスガーと、とりとめのない雑談を楽しむ。
やがてウェイトレスがエールとつまみである陸蟹の塩ゆでを運んでくると、シンは代金の他に銅貨を数枚その手に握らせた。
チップを受け取ったウェイトレスは、笑みを浮かべてテーブルを後にする。
シンはエールを呷り、半分ほど飲み干してから本題へと入った。
「で、どうだい商売は? 上手くいってるのか?」
「ぼちぼちですな……商品の少ない細かい商いばかりが、ルーアルトの方から流れて来まして……こっちとしては小銭を稼ぐのが精一杯ですよ。機会を取りこぼしてしまい、大きく稼げませんで……」
細かい商いとは、ルーアルトからの侵入者を表している。商品が少ないというのは、少人数での越境を指している。
さらに小銭を稼ぐとは、その侵入者の小数を撃退したとの意味であり、機会を取りこぼしたというのは大多数の侵入者の越境を許してしまったということを表している。
「そうかい、それは難儀なこったい……で、これからお前さんはどうするんだい? このままここいらで商いを続けるのかい?」
「いやぁ、このままじゃ稼ぎが少なくて安心して年が越せないんで、いっそエックハルトにまで足を運んでみようかと思っているところですよ。まぁ、長旅なんで途中のコヴェントリ辺りで一休みしますがね……」
敵の集合場所はコヴェントリか……丁度、帝都とエックハルト王国の国境との中間地点だなとシンは頭の中に地図を広げる。
「ああ、それがいいな。長旅で疲れ果てちまったら商売どころの騒ぎじゃないからな。それとエックハルト王国に行くのはいい案だと思うぜ。今日、俺は皇女殿下が婚姻のために帝都を発ったのを見たが、それはもう素晴らしいものでな……皇女殿下の御美しさと、久方ぶりの慶事に帝都ではもうお祭り騒ぎさ。多分、エックハルト王国でも同じようにお祭り騒ぎになるんじゃないかと思ってる」
「へぇ、それほどまでにお美しかったのですかい?」
「そりゃもう、俺は皇女殿下が本当は天使か何かではないかと思ったほどさ。民衆の声援に応えて、こう、剣を天に掲げてさ……」
シンはわざと人目を引くように、大きな声で今日のパレードの事を話す。
するとその話に興味を持った者たちが周りに集まって来た。実はここの酒場は、規模の小さい行商人たちがよく利用する酒場で、集まって来たのはシンの話に金の匂いを嗅ぎ付けた行商人たちであった。
シンはその後も、その行商人たちに如何に皇女殿下が美しかったかを雄弁に語り、帝都が沸き立ったかを話し続けた。
その話を聞いた行商人たちは、こう思うだろう。今度はエックハルト王国の王都が、同じようにお祭り騒ぎになるだろうと。
稼ぎの種を見つけた彼らは、皇女がエックハルト王国に着く前に急いでエックハルトの王都へと赴いて商売の準備をするだろう。
それとともに皇女の噂も広く伝わっていくのは目に見えている。
最初シンは、影を使って皇女の良い噂を流させようと考えたのだが、エックハルト王国の国王であるホダイン三世の話を聞いて思いなおす。
聡明なことで知られるホダイン三世には、故意に流した情報など軽く見破られるに違いないだろうと。
ならば、皇女であるヘンリエッテの価値を今以上に高めてやるには、正攻法で行くしかないとシンは考えた。
勿論、正攻法であってもその背中を、力いっぱい押してやる必要があるだろう。
出来る限り作為的な物を相手に感じさせないようにと考えた策が、この民衆により近い立場である末端の行商人による噂の拡散であった。
大店の商人たちを動かすよりは、フットワークの軽い行商を動かした方が自然で無理が無い。
これをシンは、皇女が泊まる街の全てで行っていく積りであった。
翌日、街から一斉に行商人たちの姿が消えた。彼らは朝一で商品を仕入れると一路東へ、急ぎエックハルト王国へ向かって行った。
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すんません、休日出勤+少し残業で更新遅れました。けど嫌々ながら頑張った甲斐あって、月曜休み頂きました。やったぜ! 毎週鬱になる月曜に休めるなんて、気分はもう最高であります!




