無粋な輩に鉄槌を!
皇帝がテーブルに広げた地図は、いつぞやに見た皇室伝来の精巧な地図では無かった。
その地図はだいたいの所は合ってはいるが、所々縮尺などが怪しい代物である。
いくらエックハルト王国が友好国となるとしても、国家の機密中の機密である地図はそう簡単に見せるわけにはいかない。
横に置いてある箱の中には、チェスの駒のような木彫りの駒が多数納められている。
色は白と黒に塗り分けられており、白が味方で黒が敵である。
会議の直前に全てを任されたシンは、両国とソシエテ王国の国境沿いに黒い駒を並べていく。
「では、シン説明せよ」
「はっ、え~このように現在ソシエテ王国が帝国とエックハルト王国の両国の国境付近に兵を集めている兆し有りとの報が入っております」
「忌々しき事態であるな。ソシエテ王国としては、我が国とエックハルト王国とが手を結ぶのを良しとはせぬであろうな」
「はっ、ですがこれはおそらくは陽動ないし示威行為ではないかと思われまする」
「ほぅ、それは何故かな? 単なる示威行為だとする確証はあるのか?」
エックハルト王国の使者である両伯爵は未だ口を開かず黙っているが、その視線は鋭くシンを捉えて離さない。
「まず、今が冬であること。これからさらに寒さは深まって行きましょう。兵を動かすには厳しい季節であります」
「本格的な冬が来る前に短期決戦を挑んで来るのでは?」
ここでようやくトゥスクラム伯爵が口を開く。
トゥスクラム伯爵は四十半ばほどであろうか? 髪にはちらほらと白いものが混ざり始めている。
身長は大きく、シンに勝るとも劣らぬ巨漢である。武人然とした風格を備えており、頬から顎にかけて深い刀傷がはしっている。
「だとするならば、このように兵を両国に対するように分散するはずが御座いませぬ」
そしてまことに失礼ながらと前置きしつつシンは皇帝に頭を下げた。
「我が帝国の新北東領は、先年のソシエテ王国からの流民によって荒らされ、未だ残念ながら復興ならず。取ったとしてソシエテ王国にとって利がございませぬ。ソシエテがもし、本気で兵を動かすならば栄えており取って利のあるエックハルト王国の方でしょう。ですが両閣下と閣下が率いて来た兵たちを見ればわかる通り、エックハルト王国は強国であります。このように兵を悪戯に分散させて勝てるとは、相手も思ってはおりますまい」
「ふむふむ……流石はシン殿。某もその考えにほぼ同意致しますぞ……ですが、単なる示威行為としてはいささか大げさでは?」
今度は今一人の伯爵、オルレンスが口を挟む。
このオルレンス伯爵は、齢六十を過ぎているだろう。真っ白な頭髪に深い皺にが刻まれた顔は終始にこやかである。
だが、この手の老人にありがちである眼光だけは鋭いものがある。
その鋭い眼光は会議室に入って来てからこの方、常にシンを捉え続けていた。
「……なにかから我々の目を逸らせるため……だとすれば、この不可解な動きも納得が行くな……南……ルーアルト……いや、ルーアルトが動いたとの報は無い。そうか! 兵を伏せたな!」
刹那の閃き。シンはその自分の閃きを信じた。
「どういうことか? 我らにもわかるように説明せよ」
皇帝が一人ぶつくさと呟くシンを見る。
「申し訳ない。敵の意図が分かり申した。ソシエテ王国の動きは示威行為に見せかけた陽動。その目的は国境沿いに新北東領に展開する帝国軍を張り付かせて、中央街道沿いに軍事的空白を作りだすこと。エックハルト王国の国境沿いにも兵を集めているのは、言うなれば陽動だと知られにくくするためでしょう。そうして出来上がった空白地帯に、兵を伏せておいて奇襲をかける算段。その兵力の提供先はルーアルト王国でしょう」
「つまりは北に目を向けさせておいて、南からというわけか」
皇帝の言葉にシンは、そうではないと首を横に振った。
「直接ルーアルト王国軍が動くことは無いでしょう」
「何故そう言える? ルーアルトも帝国とエックハルト王国が通婚するのを良しとはせぬはずだが?」
「ルーアルトとて軍を動かしたいのはやまやまではありますが、それは出来ないでしょう。通婚を表だって邪魔をしてならば、当然ですが両国の怒りを買います。もし仮に皇女殿下に危害が及ぶような事があれば、帝国は体面を保つためになりふり構わず襲い掛かって来ることは、ルーアルト側もわかっておりましょう。それにルーアルト王国とて先の手痛い敗戦のこともあり、その傷が癒えぬ今は単独で帝国との全面戦争を望んでおりませぬ。だから皇女殿下を攫うなり害すなりする下手人は、賊でなければならないのです。要するに賊の振りした兵を多数、北に目を向けている内に送り込む作戦だろうと思われます」
「するとシン殿は、ルーアルト王国とソシエテ王国が手を組んだと申すのか?」
「当然の流れと思われまする。ルーアルト、ソシエテと共に東西から攻められる立場になりましたので、彼らも手を組んで南北から共に攻められるよう手を組んだと見るべきでしょう」
これは帝国、エックハルト王国ともに忌々しき事態である。
向こうが純然たる軍事同盟を結んでいるとするならば、こちらも相互不可侵条約だけでは心許ない。
「兵を伏せるとして、どの程度の数か?」
「わかりませぬ……ですが、多くても一千に満たないと思われます」
何故か? 確証があるのか? とシン以外の三人が口々に問う。
「数百、数千、数万の人間が国境を突破してくれば警戒の兵が気付きますし……それに数が多いと、伏せることが出来ません。国境を突破するのは人目に付き難い数人から数十人単位で、作戦決行の日に集合場所に集まる感じでしょうか? 皇女殿下が通過する前に街道沿いの掃除はするでしょうから、その時に見つからないようにしようとすると、必然的に兵数は絞られていきます」
なるほど、一々理にかなっていると三人も頷く。
「ならば、今すぐにその潜伏している賊どもを殲滅するために軍を……」
「いえ、陛下……この際敵の思惑に乗せられたふりをして、敵を釣り出して粉砕しましょう。襲って来る場所も、帝国内地とエックハルト王国の国境から一番遠くなる地点のここでしょうし。少し北上すれば城塞都市ハスルミアがありますから、敵の数が予想より多かった場合はここに逃げ込むことも出来ますし。武を尊ぶエックハルト王国へと嫁ぐのです。この武功を手土産代わりにするのも一興でありましょう。なによりソシエテ、ルーアルトの両国に思い知らせてやらねばなりません。我らがこのようなチンケな策で、踊らされはしないと」
皇帝はそれはあまりにも危険ではないかとシンを見る。
シンは口許を綻ばせてはいるが、目は笑っていなかった。皇帝はシンのその目にかつてない怒りを感じ、開きかけた口を閉ざした。
シンは怒っていた。せっかくの弟子の晴れ舞台に、無粋な横槍を入れようとするソシエテ、ルーアルトの両国に……
「いや、しかしそれは……あまりに危険では? ここはやはり婚儀を延期してでも、万全を期すべきではないかと……」
皇帝の代わりにオルレンス伯爵が、慎重論を唱える。
「シン、何か策はあるのか?」
「策と言うほどのものはありませぬが……敵が襲って来る場所も、また狙って来る人物もわかっておりますので……皇女殿下には畏れ多いことながら、その地点を通過する際には荷馬車にでも伏せていてもらいまして、皇女殿下の馬車には某が乗って賊どもを待ち伏せすれば良いかと……おそらくこう左右から挟み込むように奇襲してくると思われるので、右に某が……左に某の弟子であるカイルがそれぞれ一撃かませば良いかと。後は某とゾルターンの魔法で追い討ちを掛けて、兵はこう……賊を逃さないように包み込むようにして殲滅すれば良いかと……」
シンは地図の上で駒を動かしながら説明する。
「シン殿、一撃かますとは一体?」
「ああ、申し訳ありませぬ。説明不足でありました。敵を引き付けて、魔法剣を放ちます。敵が密集していれば、それだけで四、五十人ほどは減らせるかと……」
それを聞いた両伯爵は互いに顔を見合わせている。俄かには信じがたいといった顔である。
皇帝はここに来て魔法剣を使うと言った、シンの意図を即座に読み取り心中でほくそ笑む。
これを機に魔法剣の威力を、まざまざと見せつけてやろうというのである。
その威力を見れば、エックハルト王国は今まで以上に魔法剣の知識を得ようとするだろう。
そうなれば当然、魔法剣を教えるシンを決して粗略には扱わないであろうし、その弟子でもあるヘンリエッテ皇女もシンとの繋がりを考えて大切に扱われるだろう。
その後も細かい打ち合わせが続けられるが、エックハルト王国の二人はその策にはあまり乗り気ではないように見えた。というよりも、魔法剣なるものを実際に目にしていないので、作戦の判断材料に出来ずに消極的な態度を取る他ないのだろう。
「よろしい。シンの案を採用する。婚儀は予定通り、敵の策に乗せられた振りをする。念のためにハスルミアに軽騎兵を先行させて待機させる。それで良いな? シンよ……言っておくが失敗は許されぬぞ……」
「承知……皇女殿下の晴れの舞台を穢す輩ども、一人も余さず討ち取って御覧に入れましょう」
こうして、ソシエテ、ルーアルト両国の妨害工作を文字通り力でねじ伏せる方針で行くことが決定した。
今日は二話更新。




