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帝国の剣  作者: 0343
344/461

ソシエテ王国動く

本日は十八時と十九時の二話更新。一時間後に本日の二話目が更新されるよう自動更新予約しました。




 波乱に満ちた皇帝のサッカー見学の翌日、シンの邸宅に皇帝の近侍の者が大慌てで駆けつけて来た。

 その近侍の慌てように只事では無いと、すぐに執事オイゲンがシンへ伝えるべく庭へと駈け出す。

 朝の訓練を終え井戸で汗を流していたシンは、それを聞くと何事かと半裸のまま刀を手に応接室へと走り出す。

 応接室に入ると、皇帝の近侍の中でも一番若く経験の浅いザームエルがいた。

 たしかどこぞの子爵家の出だったなと、シンは濡れた頭を手渡されたタオルで拭きながら思い出す。

 

 そうそう、エルはザームと呼んでいたっけ……


「朝早くからお伺いしてまことに申し訳ありません」


 シンに気付いたザームは椅子から立ち上がり深々と頭を下げる。


「いや、構わん。何ぞ変事でも起こったか?」


「あ、いや、いえ……それが、その……少々困ったことになりまして……」


 ザーム少年の言葉は歯切れが悪い。

 シンが促して話を聞くと、今日は皇帝とエックハルト王国の使者とが、ヘンリエッテ皇女の輿入れの際の打ち合わせをする予定であるという。シンは、知っているがそれがどうしたと先を促す。


「それが……北のソシエテ王国が、帝国とエックハルトの両国の国境沿いに兵を集めている兆し有りとの報が入りまして……」


「なるほど……まぁソシエテとしても、このまま何もせずにこの状況を座視するわけがないものな……わかった、直ちに陛下の元へ参上致そう」


 シンは急ぎ着替え、出かける用意をする。


「帰りは遅くなりますか?」


 レオナが着替えを手伝いながらシンに聞く。全く予想が付かないので、素直にわからんとだけ答える。

 するとレオナは、自室に戻り自分の外套を持って来て手渡してきた。


「丈が少し短いかも知れませんが……夜は冷えますから……」


 そういえば、マラクのブレスによって長い間愛用していたヴァルチャーベアの毛皮の外套を失っていたのを思い出した。

 冒険者が着る外套は、鎧の上からも着る事を想定して少し大きく作ってあるものである。

 ゆえに女性のレオナの外套でも、鎧を着こまなければ大男のシンでも被る事が出来た。


「すまんな、ありがとう。では行って来る」


 レオナとオイゲンに見送られながら、シンは門外に止めてある皇室所有の馬車にザームと共に乗る。

 ザームが小窓を開いて御者に出発を告げると、馬車はゆっくりと動き出した。


「で、敵の規模は?」


「いえ、そこまでの詳しい情報は……実は、この報をもたらしてきたのはエックハルト王国なのです」


 それを聞いたシンは、ボリボリと頭を掻いた。


「規模がわからなければ作戦の立てようもないな……まぁどうせ単なる陽動だろうが……」


「な、なぜ陽動だとわかるのですか?」


 不思議そうな顔をしてザームが聞き返す。まだ幾分かあどけなさが残る少年の顔を見て、シンは出会った頃のカイルとクラウスを思い浮かべた。


「これから真冬になる。この地方の冬はそれほど厳しいものではないが、それでも冬季装備は欠かせない。つまり、冬に兵を動かすのは金が掛かるのさ。冬対策をしないまま戦をすれば、碌に戦えずに凍死者続出だぞ? そんな金、飢饉で苦しんでたソシエテにおいそれとは用意出来るとは思えん。第一、栄えているエックハルト王国に攻め入るなら未だしも、荒れ果てている帝国の新北東領なんぞ今取っても自分の首を絞めるだけだぞ」


 第二次世界大戦で冬季装備も無いままソビエトへ深く攻め入り、冬将軍の到来によってドイツが敗北したことをシンは知っている。

 顎に手を添えて考えを巡らせるが、攻める価値も無い帝国の国境にまで兵を集めているのは、やはり単なる陽動や示威行為であるとの結論を下す。

 ふと視線を上げてみれば対面に座るザームが、キラキラと純真そうな目を輝かせながらこちらを見ている。

 まだ幼さの残る少年に、偉そうに講釈を垂れてしまった事をシンは恥じて口を噤む。

 だがザームは、密かに憧れている英雄の自分とは比べものにならない洞察力に感動を禁じ得ないでいた。

 馬車は程なくして宮殿へ到着した。御者の到着を告げる声を聴いたザームは、残念そうに肩を落としながら馬車を降りた。



ーーー



「朝早くからすまぬな」


 いつもの応接室では無く、会議室へと案内されたシンを迎えた皇帝の一言である。

 会議室には、皇帝の他はお茶の準備をしている給仕が数名いるだけである。


「お呼びと聞き、急ぎ参上致しました」


 シンは皇帝の目の前に跪く。

 楽にせよと皇帝は自ら椅子を引いて座るよう促す。

 シンは立ち上がり、一礼してから椅子に腰を掛けた。


「すぐにエックハルト王国の使者たちが来るだろう。ザームから聞いておるか? ソシエテに動きが見られるそうだ」


「はっ、聞き及んでおります」


 とシンが言った所で、会議室を守る守衛がエックハルト王国の使者の到着を告げる。

 皇帝とシンは立ち上がり、出迎える用意をする。

 皇帝は許可を出しつつ、シンに小声で後は任せたと耳打ちした。

 皇帝は自分の軍事的才能を高くは見積もってはいない。どうにか及第点ではあるとは思っているが、その評価も何ら自信のあるものでは無かった。

 ならばいっそのこと、シンに丸投げした方が良いだろうと思い事実シンに丸投げしたのである。

 丸投げした皇帝は肩の荷が下りて気が楽になったが、丸投げされたシンはたまらない。

 両肩にずっしりと責任という重みを感じ、げんなりとした表情を浮かべる。


 オルレンス伯爵とトゥスクラム伯爵、この二名がエックハルト王国より遣わされた使者であり、それぞれ兵五百を率いて来ており、合わせて一千の兵を以って皇女の護衛の任に就くことになっている。

 当然だが護衛はそれだけではない。帝国も四千の兵力を以って皇女の道中を護衛する。

 帝国とエックハルト合わせて五千の兵、それとシンたちが若干名……これだけの兵があれば、賊や魔物の襲来に怯える事も無い。

 

 両伯爵は皇帝の前へと進み跪いた。

 皇帝の右斜め後ろにシンは控えている。この場に居る護衛はシンのみ。何時でも刀を抜けるようにと、左手で鯉口を切っておく。

 挨拶と長々とした社交辞令のやりとりが終わると、皇帝は両伯爵を立ち上がらせて席に着くようと促す。

 両伯爵が席に着くと、皇帝はシンを紹介する。両伯爵の目が、シンの頭の天辺からつま先までを舐めるように見る。

 

「おお、貴公があの名高き竜殺しであるか……貴公の武名は我が国にも鳴り響いておる。此度は我らと共に護衛の任に就かれるとのこと……よしなに頼みますぞ」


 シンは深々と一礼する。他国の使者、それも高位の貴族に対して皇帝の許しも無く発言することは出来ない。

 皇帝は両伯爵にシンもこの会議に参加させたいと申し出る。両伯爵は一も二も無く承諾した。

 シンが皇帝に促されて席に着くと、給仕の女官たちがお茶と軽食の用意をする。

 沸き立つ湯気を吸いこむと、普段飲んでいるお茶よりも数段高級な物であることがわかる。

 運ばれてきた軽食は、焼きたての白パンに蜂蜜が塗られているものであった。

 急ぎ駆けつけて来たシンは朝食を食べていない。香り立つパンとそれに塗られた蜂蜜の甘い匂いが食欲を刺激する。

 

 ぐぅとシンの腹の虫が鳴く。腹の虫は堪えようとして堪えられるものではない。だがシンは、あまりの気まずさに顔を朱に染めながら俯いた。

 一瞬の沈黙。その後、皇帝が吹き出すと両伯爵も耐えられずに笑い出す。

 

「あっはっは、すまぬ。余が急ぎ呼び寄せたせいだな。シン、構わぬから食べるが良いぞ。腹が減っていては良い知恵も浮かばぬであろうからな」


 シンは皇帝と両伯爵に不作法を詫びた。

 オルレンス伯爵とトゥスクラム伯爵は、それを笑って許す。


「なんのなんの。我らの事はお気遣いなく。では、我々も頂きくとしましょうぞ……うん、これは美味い」


 皇帝も口を付ける。この蜂蜜はムベーベ国の物で、いつもの蜂蜜よりも甘くて濃い味わいである。

 

「美味いな……」


 そのあまりの芳醇な味わいに四人は無言で食事を続けてしまう。

 食べ終え、口をナプキンで拭ったオルレンス伯爵が礼を述べつつ、この蜂蜜の産地を聞いてきた。


「これは西方から取り寄せたもので、余もこの深い味わいにすっかりとはまってしまっての……」


 ムベーベ国の物だとは言わない。エックハルト王国はそれほど亜人軽視の傾向は無いが、念のためである。

 給仕たちが皿を下げ、お茶をついで部屋を出ると皇帝はテーブルの上に一枚の地図を広げた。


「では腹も落ち着いた事だし、会議を始めるとしよう」


 

 

 






 

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