熱気球
ついに例のアレが完成したとの報告を受け、シンはパーティメンバーを率いて帝都の片隅に作られた極秘の研究所へと向かう。
ここではドワーフやエルフなどを高禄で雇い、日夜シンが考案した秘密兵器の類を研究、製造している。
今までの研究成果は、まず有刺鉄線、そしてそれを切るラジオペンチ、そして撒菱、トンプ湿地帯で使った板樏、軍手と足袋などである。
見て分かる通り簡単に作れるものばかりではあるが、どれもこの世界では無かったものである。
どうせ蒸気機関など複雑な物を今作らせても、時間と資源と金の無駄であるとシンははなっから諦めていたのだが、二つほどシンの知識と魔法を融合させた兵器を作らざるを得ない状況になってしまった。
一つは魔法版パンツァーファウストともいうべき、使い捨ての炎弾を放つ杖。
これは杖に取り付けたスイッチ部分に、ごく微量で良いので魔力を流し込めば杖の先端から炎弾の魔法が発射されるというものである。
普通に魔法を撃つよりも当然少ない魔力で炎弾を放つことが出来る優れものであるが、現在の技術では極微量の魔力をトリガーとして威力の高い魔法を放つというのは難しく、杖の中に収めてある魔法回路に多大な負担を強いる設計のため、一発放つと魔法回路自体が焼き切れてしまい使い捨てになってしまう。
魔法回路自体が高価なためまた量産が難しく、一本当たり金貨数十枚から数百枚にもなってしまうため、今回の作戦に使うために用意された五十本以外の生産は見送られている。
そしてもう一方の秘密兵器というのは、ずばり熱気球であった。
これも魔力を流すと炎が噴き出すという魔法回路を使用している。
なぜ熱気球が必要なのか? 大空の旅へ向かうためか? それともただの好奇心によるものか? 否、戦争に勝つ為である。
もしこの熱気球が実用化されたとすれば、この世界の戦争は大きく変わるかもしれないのだ。
上空から索敵、偵察すればより効率よい結果が生まれるだろう。
だがシンはこの熱気球を、単なる観測気球として用いるつもりは無かった。
この熱気球はある目的のために作られたものであり、その目的を果たすまでは観測気球として用いることを禁じるつもりである。
「とうとう出来たのか! どれどれ……おおっ! 炎が出た! よしよしこいつはいけそうだ」
シンが用意された装置に魔力を流し込むと、装置の上の先端部分から勢いよく炎が噴き出した。
そのまま魔力の流量を調節していき、炎の量を調節していく。
「なるほど……こりゃいいな、少ない魔力でこれだけの炎を出すことが出来れば上出来だ」
「苦労したぞい。お前さんの無茶な要求に応えるのに、優に城が一つ建つくらいの金と時間を使ったわい」
「まったく……このような大掛かりな装置の小型軽量化など、無茶ぶりにも程があります」
この秘密工場を取り仕切る二人の長は亜人であるドワーフとエルフである。
この装置を作り上げるのに相当な苦労をしたのだろう。噴き上がる炎を見る目には、どこかほっとしたような色が浮かんでいる。
「師匠、これはいったい何なのですか?」
これが何なのかを知るのは碧き焔のメンバーの中では、シンとゾルターンの二人だけであった。
シンは発案者であり、ゾルターンはその豊富な魔法知識を使って研究に協力していたのだ。
「これはな、空を飛ぶ機械だ」
は? と言う顔をシンとゾルターン以外の者たちがする。
それにゾルターンや二人の工場長もシンの言葉には眉唾であるような顔をしている。
「さて、暗くなって来たな……まだこいつを他人には見られたくないんで、テスト飛行は夜にやるぞ。もっとも、こいつを作戦で使う時も夜だから丁度いいっちゃあ丁度いいかもな」
秘密工場の中にある空地で熱気球を実際に飛ばして見る事にする。
ゴンドラの中に装置を入れて固定し、球皮を広げている所でお忍びで皇帝自ら熱気球の初飛行を見学に訪れた。
「おお、シン! これがお主の言っておった熱気球というやつか……作らせておいて何だが、本当にこのような物が空に舞い上がるのか?」
「ああ、絶対に飛ぶ。陛下も御一緒にどうぞ」
「なに? 危険はないのか?」
「高くまであげるつもりはないし、今日の所は飛ぶというより浮くって感じかな?」
皇帝は腕を組んでしばし考えた後、意を決したように頷く。
「……なるほど……良かろう……時には我が身を危険に晒す必要もあろう……シン、信じておるぞ……」
「陛下! およし下さいませ! 危のうございます、玉体にもしものことがあれば、どうなさる御積りであらせられますか!」
近侍たちが血相を変えて止めようとするが、皇帝は笑って頭を振る。
「そちたちも見よ、あの絶対に成功すること間違いないという自信に溢れたシンの顔を……余は確信しておる。此度もシンが奇跡を起こすであろうことをな……」
近侍たちはなおも食い下がるが、皇帝の決意は揺るがない。
業を煮やした近侍たちは、ついにシンへと詰め寄った。
「シン殿! 軽々しい発言は控えて頂きたい。陛下に万が一のことがあればどうなるかは、聡明なシン殿ならばお分かりのはず! それをこのような面妖な代物の実験に陛下を巻き込むなど……」
シンは、はぁと大きな溜息を吐く。皇帝は何も言わずとも自分の考えをわかってくれた。
だが余人はそうではない。しっかりとした説明が必要であることを最近は失念する事が多々あるのだ。
「今回の実験は、十分に安全を考慮して行うことをお約束致す。それに陛下には某と共に是非にも一番に空を飛んでもらいたいのだ。歴代皇帝の中で、初めて空を飛んだ皇帝として陛下の名は永遠不滅のものとなろう。それにだ、陛下が乗って安全だったという結果が欲しいというのもある。何れこの熱気球に乗ることになる将兵たちも、それを知れば不安も和らごうというものである。某もこのような事で命を捨てる気は毛頭無い。大丈夫、心配無い」
シンの話を聞いた近侍たちは渋面を浮かべながら渋々引き下がった。
この熱気球の球皮の口の部分は、熱に強い竜の皮が使われている。その他も気密処理を施したワイバーンの被膜が使われており、これ一機で金貨数千枚という代物である。
失敗は許されない。シンはまず間違いなく成功するだろうと思いつつも、緊張の汗を全身にびっしりと浮かべる。
「レオナ、出番だ! この口の中に風の魔法で空気を送り込んでくれ」
レオナは言われた通りに球皮に風を送り込んでいく。
その際に球皮が多少膨らみ皆の期待も高まりを見せるが、浮き上がる気配が微塵も無いのを知って抱いた期待は霧散する。
「本当に飛ぶんですかこれ?」
魔法で風を送り込んでいるレオナの眉も困惑にハの字となる。
「あ、お前まで俺を疑うなんて……ショックだ……大丈夫だって、ちゃんと飛ぶよ。小さい模型で飛ぶことは確認済みだ」
シンはそう言いながら自分で弱い火炎放射の魔法を唱え、球皮の中の空気を暖める。
やがて段々と球皮が膨らみ始め、周囲から驚きの声が上がり始める。
空気を暖め終えたシンはゴンドラに乗り込み、今度は装置に魔力を通してさらに空気を暖めていく。
「ロープの固定良し! さぁ、陛下、空へと参りましょうか!」
恐る恐る気球に近付いて来る皇帝のもどかしさに、シンはついいつもの口調に戻ってしまう。
「何やってんだ、早くしろ。もたもたすんなよ、男だろ! 覚悟を決めろよ!」
そう言ってシンが差し伸べた手を、皇帝が掴むと一気にゴンドラの中へと引きずり込む。
バラストを幾つか切り離すと、熱気球はゆっくりと宙へと舞い上がり始める。
それによって初めて体験する浮遊感に、皇帝は思わず大声を上げた。
「おお、おおおお、シン! シン! おお、浮いている、浮いているぞ!」
「ああ、成功だな。もう少し高度を上げるぞ」
地上三メートル程の高さで止まっていた気球は、シンがバラストをさらに切り離したことによって一気に十メートルほどまでに上昇する。
「おお、シン、シン! これは……なんということだ! 空を飛んでいる! 余は空を飛んでいるぞ!」
ゴンドラの中の皇帝のはしゃぎっぷりは驚くほどのものである。
まぁ無理もないか……今まで空を飛んだ人間なんて多分いないだろうしな。
「シン、もっと高くは飛べぬのか? 余はもっと高く飛ぶことを所望する!」
「おいおい、ちょっと待て……そりゃ理論上はどこまでも登れるが、危ないからな。まぁもう少しだけならいいか」
万が一の事態に備えて、シンは空いているもう片方の手から風の魔法を使い、工場の方へと気球を寄せる。
これで、気球が墜落することになっても皇帝を抱いて工場の屋根へと飛び降りる事が出来る。
普通の人間ならばそれでも死ぬだろうが、シンがブーストの魔法を使って体を強化すればおそらくは骨折程度で済むと思われる。
気球は皇帝の希望通り、高度をぐんぐんと上げていく。そして高度がだいたい二十メートル付近になったところでシンは上昇を止めて、高度の維持に努める。
気球から見下ろす夜の帝都は真っ暗である。その闇の中に、薄らとした明かりが無数に溢れている。
「見よ、シン! 星が、星があんなにも近いぞ! 手を伸ばせば取れるほどにだ! それに下を見よ、あの無数の弱々しい明り一つ一つが帝国の臣民によるものなのだろう? これが空から見た帝国であるか……あの小さな明かりたちを、何としても余は守らねばならぬ」
「あんまりはしゃいで落ちるなよ。俺とお前なら必ず出来るさ……必ずな……」
皇帝は興奮と感動、そして新たに抱いた決意を胸に秘めつつ名残惜しげに夜空から地上へと降り立つのであった。
地上に降りた二人を待っていたのは、割れんばかりの歓声と拍手であった。
「本当に空を飛ぶなんて! 師匠、僕も、僕も空を飛びたいです!」
「ずるい! 私も、私も飛んでみたい!」
興奮して駆け寄って来るカイルを皮切りに、自分も空を飛びたいと言う者たちがシンと皇帝の元へと詰め寄る。
この後シンは、魔力が底を尽くまで地上と夜空を往復することになるのであった。
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