二匹の大魚を釣る
ブックマークありがとうございます!
ちょっと遅刻更新
シェイルン伯爵の発した威勢の良い言葉を皮切りに、居並ぶ貴族たちもここぞとばかりに征服論を唱え始める。
自発的な発言権の無い後ろに座っている子爵位の貴族たちの中にも、その言葉に頷く者が多く居る。
だいたい三分の二ってところか……予想より多いな。中央の貴族の大多数が反皇帝とはな……
シンは貴族たちに気付かれぬよう細心の注意を払いながら、征服論を唱えている貴族たちの顔を見て覚えていく。
その間にも、征服論を唱える貴族たちは勝手にヒートアップしていくのを見て、こちらが火をくべずとも勝手に燃え上るとはと、手応えの無さに失望した。
「かの地を征すれば、銅など取り放題。こちらがわざわざ鉄をくれてやる必要も無いのですぞ!」
「左様、それに彼奴等を奴隷とすれば、嘘か真かはわからぬがその帝国よりも優れているという薬学も手に入るではないか!」
「すぐにでも兵を送り、森に火を放つべし!」
もうそろそろよいかと、シンはテーブルの上で遊ばせていた指で二度、コツコツと叩いて音を立てる。
これは始まりの合図。皇帝も同じようにテーブルの上を指で叩きゴーサインを出した。
「ですが森には複数の巨竜がおりまして、森を縄張りとしています。森を焼けば、我らに対して敵対行動を取るのは必定かと……」
巨竜という言葉を聞いた瞬間、シンへと視線が集中する。
竜殺しならばという期待に満ちた目で……
「シン殿、卿が殺ればよいではないか」
征服論を唱えている貴族の大半が、その言葉に頷く。征服論を唱える者たちの首魁であるルードシュタット侯爵も他の貴族同様に頷いている。
ただルードシュタット侯爵だけは適当に頷くだけで、会議の最初から一言も口を開いていないのが気になった。
これは単に軍事的な事に対する知識が無いために発言を控えているのか、それとも自分の策とも言えぬ策に気付いているのかの判断に苦しむ。
だがもうここまで来たらやるしかない。最悪の場合でもここにいる貴族の大半を道連れにしてやると、シンは覚悟を決めた。
「太古の森で現在確認されている竜は二種。うち一種は自分と戦った地竜で、もう一種は雷竜とのこと。雷竜とはどのような竜なのか、御存じの御方は居りませぬでしょうか? 某は竜といえば地竜としか戦った事が無いもので……」
「ふん、竜殺しが聞いてあきれるな。そのようなザマで、竜殺しなどという大層な二つ名を名乗る資格があるのか?」
哄笑が会議室内に響き渡る。シンは別に自分から名乗った訳ではないのだがと、口元に微笑を浮かべるのみであったが、皇帝はもうブチギレ寸前である。
ここで皇帝がキレてしまっては計画が水の泡である。ここは何としても堪えて欲しいとシンは祈るばかりである。
「はい、ですから不勉強な某にその雷竜とやらがどのようなものであるかを、お教え頂きたいのです」
シェイルン伯爵は勢いよく立ち上がると、胸を反らして誇らしげにシンへと向き直った。
ルードシュタット侯爵派の貴族が見事に釣れたと、シンは心中でほくそ笑む。
「フン、良かろう。不勉強な卿に代わって説明してやろう。雷竜とは、空を飛び雷のブレスを吐く竜のことである」
自分の博識さを周囲に知らしめたつもりなのか、シェイルン伯爵は席に座らぬ立ったままフフンと鼻を鳴らす。
シンは唖然とした。たったそれだけかと。第一、雷竜の名前から雷の攻撃を仕掛けて来る事は容易に想像できるではないか。もっとその生態とか習性とか、他に何かあるだろうと。
唖然としているシンを見たシェイルン伯爵は、ますます図に乗った。
それに同調する貴族がもう一人いる。ノルトハイム伯爵である。
このノルトハイム伯爵は、小太りの腹を揺すりながら今までもシェイルン伯爵の言に頷き、相槌を打っている。
そしてここで自分の存在を知らしめるためか、声を上げて竜の討伐を叫んだ。
「帝国貴族たるもの竜など何を恐れるものか! 精強無比なる帝国軍の前には、如何なる魔物とて無残に屍を晒すのみである!」
そのノルトハイム伯爵の言葉に今度はシェイルン伯爵が、然りと相槌を打つ。
シンはもう一人釣れたことに内心で喝采を上げつつ、ここで梯子を一気に外した。
「おお、両伯爵閣下の勇ましきこと……帝国中に鳴り響かんばかりでありましょう。では、竜の討伐は御ふた方にお任せするとして……」
シェイルン伯爵、ノルトハイム伯爵共にキョトンとした表情を浮かべる。
話の流れが急激に変わった事が両伯爵には未だ理解出来ていない。彼らはシンが自分で討伐するために、雷竜に関する知識を求めたものだと思い込んでいた。
無論、シンは自分が雷竜を退治するなどとは一言も言ってはいない。
両伯爵の顔色が見る見るうちに青ざめていく。それを見た皇帝は、愉快痛快と笑いを堪えるのに必死であり、顔中がヒクヒクと痙攣している。
貴族社会は見栄と面子の世界でもあるのだ。ここまで大見得を張ってしまった両伯爵は、もう容易には引き下がることは出来ない。
両伯爵が口をパクパクとさせながらも必死に声を出そうとしたその時、皇帝がトドメの追い討ちを掛けた。
「よろしい。シェイルン伯爵、ノルトハイム伯爵の両名に命ずる。両名の手勢のみで、まずはその邪魔な竜たちを掃討せよ」
雷竜だけでも無理難題であるのに、いつの間にか他の竜まで討伐するという話に変わってしまっている。
今度はこちらの番とばかりに、宰相も無慈悲な追い討ちを仕掛けた。
「勅命であるぞ! 両名謹んで拝命せよ!」
血の気が失せて死者同然の顔色をした両伯爵は救いを求めるように、派閥の長であるルードシュタット侯爵へその目で訴えるが、侯爵は巻沿いを恐れたのか両伯爵と視線を合わせようとはしない。
「お、おおお、お待ち下され陛下! 我らだけとは、流石に如何なものかと! シ、シン殿も当然同行されるのでしょうな?」
切羽詰まったシェイルン伯爵は、先程までこき下ろしていたシンの助力を恥も外聞もなく乞うた。
「某、空を自由に飛び回る雷竜なるものと戦う術を持っては御座らぬゆえ……」
「シ、シン殿は、非常に優れた魔導士でもあると聞き及んでいる。ま、魔法ならば、空を飛ぶ雷竜と戦えるではないか!」
シンは必死なシェイルン伯爵の言葉に、皮肉のスパイスをこれでもかと振りかけて答える。
「おや、雷竜にはお詳しい伯爵閣下でも魔法の知識は御持ちでは無いようで……竜には生半可な魔法など効きはしませぬ。もし魔法で雷竜を撃ち落とすとなれば、十分な時を掛けて地面に魔法陣を描き長々とした儀式を経るような魔法を使わねばなりますまいが、それを黙って雷竜が見ているとは思えませぬ。また縦しんばそれに成功しても、空を自由に飛び回るような相手であれば躱されてしまう恐れが十分に御座います。魔法と言えども決して万能というわけでは無いのです」
真っ赤な嘘である。確かに生半可な魔法は通用しないだろうが、シンが放つ魔法はマナの消費量を考えたりせずに全力で撃てば竜にだって通用するだろう。
「シン殿の言う事はもっともである」
千里眼や魔眼と称される魔法の使い手としても名を馳せている老ハーゼ伯の息子である現ハーゼ伯爵ことウルリヒが、ここですかさずシンに加勢する。
帝国でも高名な魔法の使い手である老ハーゼ伯の息子であるウルリヒの言葉に、魔法の知識が薄い者たちには納得の空気が漂い始めていた。
「な、ならば雷竜を魔法が必中する場所までおびき寄せてから放てば……」
シェイルン伯爵の言葉が言い終わらぬ内に、皇帝が言葉を被せた。
「シン、お主には皇女であるヘンリエッテのエックハルト王国への輿入れに同行して貰わねばならぬ。竜退治はこの両名に任せて、同行の準備を近日中に済ませておくがよい」
「はっ、承知致しました。と言う事で……両伯爵閣下のお手伝いが出来ぬのは真に残念ではありますが……」
両伯爵は泡を吹いて今にも気絶せんばかりの様子である。だが、シェイルン伯爵は猶も食い下がってきた。
「な、ならば、シン殿と肩を並べると言われているザンドロック卿の助力を!」
シンに対して訓練や模擬戦で幾度も土をつけ、シンと並び帝国の二剣と称されているザンドロック子爵は、陞爵してまだ日が浅い事が理由で子爵たちの並ぶ席の一番端に座っている。
「ザンドロック卿、卿に命じた魔法騎士の育成のほどはどうなっておる?」
皇帝は、喚くシェイルン伯爵には一瞥もくれずに、ザンドロックに直接問いかけた。
ザンドロックは立ち上がり礼をした後、会場の隅々まで響き渡るような良く通る声で返答する。
「はっ、魔法騎士の育成は難航していると言わざるを得ませぬ。そもそも、剣と魔法のどちらかを極めるだけでも困難でありますのに、その両方を求めるというのであれば、必然的に従来の騎士や魔導士の育成よりも時間が掛かるものかと……」
「さもあらん。時間が掛かるのは承知の上である。諸国を見回しても初の試みであるしな。良かろう、卿はそのまま魔法騎士の育成に力を注ぎ続けよ」
「はっ」
一礼したザンドロックが着席したのを見届けた後、皇帝はシェイルン伯爵へ顔を向ける。
「と、いうわけで、ザンドロック卿にも魔法騎士の育成という極めて重要な仕事を与えておるゆえ、おいそれと竜退治に向かわせることは出来ぬ。先ずは卿ら両名でやるがよい。ムベーベ国への侵攻の話は両名が見事、竜どもを退治した後に考えることと致す」




