鉛色の会議
ああ、嫌だ嫌だと思っていればいるほど、時が経つのは早く感じるものである。
本日の午前より、皇帝と中央貴族たちの会議が行われる。主な議題はムベーベ国に関するものであり、以前に行われた同様の議題の会議では送り出した使節団が帰還し、その話を聞いてから決断を下すと言う事で、問題の先延ばしをしていた。
宮殿へと向かう途中で、シンがふと空を見上げると、そこには鉛色をした厚い雲が帝都全体を覆い隠さんばかりに広がっていた。
そのせいで朝だと言うのに爽快感は無く、分厚い雲からは光明が差し込む隙が全く無いのを見て、まるで今の帝国を見ているようだと、うんざりした顔をしながら短い舌打ちをする。
宮殿に着いたシンは、しばらくの間別室にて待機させられていた。
シンの現在就いている官は三つ。一つは公式の場に於いて皇帝の相談役とも言える侍中。もう一つは皇帝のプライベートな相談役兼茶飲み仲間である相談役。最後は特別剣術指南役だが、シンの使う刀という武器が帝国には無い特殊な武器の為、特別の字が付かない正規の剣術指南役はザンドロック子爵がその官に就いている。詰まりは、侍中以外は名誉職や閑職のようなものであり、何ら実権を握ってはいないのである。
故に大多数の貴族たちはシンを左程、危険視はしていない。宰相がシンが異国人でなく、この国の祭事について詳しければ次の宰相に指名したいといったニュアンスを示したことがあるが、その時もそれはただの賛辞の類として受け止められており、大きな問題には至っていない。
あくまでもシンは異国人であり、またシンが爵位や地位を自ら望んでいないがために、何れは帝国を去るのではないかと考えている者もいる。
今回の会議に出席出来る者は、皇帝は勿論の事、宰相と各大臣たち、そして子爵以上の爵位を持つ貴族のみである。
シンは爵位を持ってはいないが、使節団の正使であることからこの会議に出席することが許されている。
また副使の一人であるヴァイツゼッカーも中央貴族かつ子爵位を持つことから会議には出席をする。
もう一人の副使であるラングカイトは準男爵であるために、この会議には参加の資格がない。
大会議室には、先ず宰相と大臣が入り、次に公爵、侯爵、伯爵、子爵の順で入室する。
中央に置かれた大きな楕円形のテーブル席に着席出来るのは宰相、大臣、公爵、侯爵、伯爵のみで、子爵は会議に出席は許されているものの、テーブル席に着席は許されておらず、そこから少し離れた場所に置かれている椅子へと腰を掛ける。
その扱いからわかるように、子爵は会議に出席は出来るものの自ら進んでの発言は暗黙の了解によって出来ないものとされている。ただし、皇帝やテーブル席に着く者たちの下問があれば直答が許されてはいる。
シンはそれらの最後の最後に呼ばれて大会議室へと入室する。
無位である故にこの扱いは致し方が無い。だがシンは使節団の正使であり、その話を聞かせねばならないのと、皇帝の公式の場の相談役である侍中という立場から、テーブル席のそれも宰相の隣という席を与えられている。
皇帝がこの大会議室へと姿を現すまで、時間にして十五分ほどは待たされただろうか?
皇帝は宮殿に連なる後宮に住んでいるのだから誰よりも早くこの場に来ることが出来るのだが、そこは皇帝の威厳を示すとのことで集まった臣下たちをある程度待たさねばならないのだ。
皇帝自身はこのような風習をくだらないとは思うのだが、臣下の中にはこういった行動で威厳を示さねば調子づく者がおり、これはこれで必要な事なのだと諦めている。
皇帝が入室するために扉が開くと臣下一同起立し直立不動の姿勢をとる。
シンも当然それに倣う。
皇帝が上座にある一際豪奢な椅子に座ると、臣下一同は皇帝に向き直り腰を折って深々と頭を下げる。
この時、勝手に頭を上げてはならない。皇帝から一言声が掛かるまで、その姿勢でいなければならない。
「うむ、御苦労」
皇帝の声が掛かると、臣下一同は頭を上げて再び直立不動の姿勢を取る。
そして着席せよとの手の合図を受けた後で席に腰を掛ける事が許される。
臣下一同の着席を見届けた皇帝は、時間が惜しいので前置きは無しで会議を進めよと司会を務める宰相に命令する。
「では……今日の議題は、先日国交を結んだムベーベ国に関するものであります。前回の会議では、ムベーベ国と細々と交易するよりは、一気に彼の国を滅ぼしてその地を奪うべしとの声が上がりましたが、ここはひとつ使節団の正使であったシンの報告と見解を聞いてからまた改めて議論すると言う事で進めて行きます」
ここでルードシュタット侯爵に与する貴族の一人であるシェイルン伯爵が手を上げて発言の許可を求める。
宰相が頷いて許可を出すと、シェイルン伯爵は開口一番に皇帝の言葉の揚げ足を取ってくる。
「貴重な陛下の御時間をこれ以上減らすには及ばないのでは? 議論などせずともただ一言我らに、かの地を攻めるべしと御命じになればよろしいかと……」
それを聞いたシンは嫌な爺だなと思いながら、宰相から細身で鷲鼻のシェイルン伯爵に視線を移す。
そこへ今一つの手が上がる。発言の許可を求めたのは、シンも良く知るシュトルベルム伯爵その人であった。
「まぁまぁ、そう話を急がずに、ここは取り敢えず報告だけでも聞いて見るべきかと……」
皇帝派のシュトルベルム伯爵のこの場での精一杯の援護である。
シェイルン伯爵はその発言を面白くなさそうに、シュトルベルム伯爵を睨み付ける。
「では、シンの報告をまず最初に……」
宰相に促されたシンは立ち上がり、ムベーベ国に於いて自身が見て来たことの全てを事細かに報告する。
報告の最中に度々ルードシュタット派の貴族たちの野次や揚げ足取りの嫌がらせを受けるが、シンは顔色を変える事無く淡々とだが丁寧に説明していく。
この場に居並ぶ貴族たちの多くは、そのシンの堂々たる姿に驚いた。
皇帝は元より、大貴族たちが居並ぶこの場ではさしものシンも多少は委縮するものだと思っていたのだ。
シン自身は、この程度の事で何を臆することがあるのかと内心、鼻で笑っている。
さもあらん、これまでに幾度命の危機を乗り越えて来たことか……己の命のやりとりの際の緊張に比べれば、まるでぬるま湯。気を抜けば欠伸がこぼれてしまうほどである。
しかしこいつらを見ていると、日本の国会を思い出すな……野次や揚げ足取りは当たり前、自身の不正にはすっとぼけ、挙句の果てにはプラカードを掲げだしたりクイズまでやりだしたりと、税金の無駄遣いも甚だしい姿を晒して共感や支持を得られると思っているのか……
それにしても人の事は言えないが、ここに居並ぶ顔ぶれのどれを見ても善人面の奴は一人もいねぇ。
どいつもこいつも政治家とヤクザを足して二で割ったような面してやがる。顔だけなら山賊の集まりだと言っても通用しそうだぜ。
この席に着いている者の中にはハーゼ伯爵ことウルリヒや先述のシュトルベルム伯爵もいる。
だが乱世のさだめか、武人でもある二人の眼光は鋭く尋常のものではない。そういった点では、この二人も十分に悪人面と言えるかもしれない。
その後も揚げ足取りを一々丁寧に相手しながら、シンは一通りの説明を終えた。
「なるほど、良く分かった。取り敢えずの問題としては、ムベーベ国に行き着く前にあるその太古の森というのが難関であると……」
皇帝は事前にその事をシンより聞いて知ってはいるが、さもこの場で初めて聞いたような素振りを見せる。
この演技は事前に打ち合わせた通りであった。
「ふん、森ごとき何するものか! たかが異形が住み着くだけの森に臆したとなれば、帝国貴族の名折れぞ!」
「然り! 森など焼き払ってしまえばよいだけではないか」
ルードシュタット侯爵派の貴族たちが、ここぞとばかりに征服論を叫び始める。
シンはそれを聞いて一人ほくそ笑む。
いいぞいいぞ、揚げ足取りにもキレずに我慢しただけの事はある。このままもっと調子に乗ってくれ……調子に乗り過ぎて引っ込みがつかなくなるぐらいにまでな……
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今日から十一月です。段々と寒くなっていきますが、風邪など引かないように頑張って行きましょう。




