山葵玉
晴れ晴れとした秋空の元で行われた宴は立食パーティー形式であり、用意されたテーブルの数々の上には色とりどりの様々な料理が並べられている。
真昼間から酒などと思うかも知れないが、これはこの世界では至って普通の事である。
明るい日中に行えば、光源を用意する必要が無いというのが一番大きいのだ。
現代の日本のように電力のインフラが整い、それこそスイッチ一つで真夜中でも昼を凌ぐような明るさが得られるわけではない。
この世界で得られる光源といえば、魔法、魔道具、松明、蝋燭、油を使ったランプなど……どれもこれも大きな欠点を持っている。
魔法、魔道具などはコストパフォーマンスが非常に悪い。魔道具は高価で、魔法に至っては使い手をまず探さねばならないうえに、魔法使いを雇うのには多大な費用が掛かるだろう。
レオナやロラのような精霊魔法の熟練の使い手は殆ど居ないというのもある。
松明は嵩張り、蝋燭はこれまた高価、油を燃やせば今度は煙と臭いが問題になる。
さらに火を使えば、それだけ火事のリスクは高まる。消防車も消防隊員も居ないこの世界では、ひとたび火事にでもなったとすれば、出来る事はバケツリレーが精々であり、あとは延焼を防ぐための打ちこわしぐらいしかないのである。
そういった諸々の理由も含めて、内々で行われるパーティなどは日中に行われる事が多い。
だが他国の者が来ているとなれば別である。そこは国力と威厳を示す為に、夜間に蝋燭などを多量に用いて演出せねばならない。
外交の成功と無事の帰還を祝う宴は規模こそ細やかなものではあったが、用意された料理や酒の類はどれもこれも絶品であった。肩っ苦しいしきたり等は無用であるという皇帝の宣言もあり、シンは遠慮なく酒を注ぎ、料理を皿に盛っていく。
宰相エドアルドや侍従長ヘンドルフ、侍従武官のウルリヒなどの顔なじみ以外の重臣の姿が無いのは、皇帝なりのシンへの気遣いであろう。
シンはそれらの重臣たちと旅の思い出を語りながら、次々に出される料理を胃に詰め込んでいく。
他の者はと言うと、やはり皇帝の存在によって緊張しているのだろう。皿に料理を盛るものの、食が進んでいるとは言い難い。
だが、二人ほど我が道を行く者が居る。それはクラウスとゾルターンだ。
変なクソ度胸があるクラウスは食い物が目の前にありさえすれば、そこがどこであれ物怖じなどはしない。ただひたすらに料理を頬張り、舌鼓を打ち続けるのみである。
その喰いっぷりは天晴れとしか言いようが無く、美味そうに料理を平らげていくクラウスの姿を見た料理人たちは、嬉しそうな表情を浮かべて腕を振るっていた。
もう一方のゾルターンは例の山葵の粉末が余程気にったらしく、小脇に抱えながら会場をうろつき、酒の肴になりそうな料理に片っ端から山葵の粉を振りかけている。
その姿に興味を持った皇帝がゾルターンに山葵の味見をさせよと近付くが、ゾルターンはこれは誰にもやらぬと頑として応じない。
シンはその姿を見て、山葵の粉末の中に麻薬でも混ざっているのではないかとすら思ったほどに、ゾルターンの山葵への執着は強いものがあった。
ゾルターンと皇帝の間で、寄越せ、やらぬの応酬が続く中、シンは仕方が無いので助け舟を出す。
「返礼の品の中にも、山葵の粉末があったはずだ」
「なに! よし、それを直ちにここへ持ってまいれ」
皇帝の声によって、近侍の者たちが弾かれたように駈け出して行く。
ゾルターンがこれほどまでに執着する山葵に、皇帝以外の者も強い興味を持ち始めている。
やがて運ばれてきた山葵の粉末の入った小樽の蓋を、シンが止める間もなく皇帝は勢いよく開け放った。
「あっ、馬鹿!」
シンがそう言った時には既に遅し、皇帝は蓋を勢いよく開けたせいで舞い上がった山葵の粉末を勢いよく浴びてしまう。
声にならない悲鳴を上げながら、皇帝は咳き込み目を両手で押さえながら地面を転がりまわる。
すわ毒か! と近侍の者が慌てて駆け寄るが、その姿をゾルターンとシンが口を開けて大笑いしているのを見て困惑した。
「ついこないだのハーベイみたいだな。そりゃ、香辛料だから目に入れば染みるし、鼻から吸い込めばくしゃみや咳が出るさ」
目を真っ赤に充血させ、鼻の頭を真っ赤にした皇帝は、実に三枚ものハンカチを涙と鼻水でぐっしょりと濡らした後で、シンに対して猛烈な勢いで喰って掛かる。
「シン! 何故お主は前もってこの事を教えなかったのだ! さてはお主、ワザと余に教えなかったな!」
「碌に説明を聞きもせずに、止める間もなく不用意に蓋を思いっきり開けるのが悪い。……まさに身を以って山葵の素晴らしさを味わったわけだが、こいつをどう思う? こいつは使えそうじゃないか?」
何を言っているのかと訝しむように、ニヤニヤと笑うシンの顔を皇帝は見つめる。
ぐっしょりと涙と鼻水に濡れたハンカチを見て、ハッとこの山葵の香辛料以外の使い道を思いつく。
「この山葵の粉末は香辛料としてだけではなく、水に溶いてペースト状にして塗れば、打ち身などに効く薬にもなる。だがこいつをもし、冒険者が使う煙玉に混ぜたとしたらどうだ? 下手すりゃ戦わずに敵を無力化出来る武器になる。威力はその身でわかったと思うが、中々に使えそうな代物だと思うぜ」
皇帝は新しいハンカチを取り出して鼻をかみながら頷く。
「風向きとか考えないと自分が被害を被る使い方が難しい代物ではあるのだが……というわけで、この山葵粉末と研究費をくれ。うちのハンクとハーベイが新しい山葵入り煙玉を開発する」
ハンクとハーベイは驚いて互いの顔を見合わせる。
ゾルターンが山葵をそのように使うとは何と勿体無いなどと、ぶつくさと文句を言っているがシンは敢えてそれを無視する事にした。
「よかろう。もう幾つかこの山葵とかいう物の樽はあるようだし、許可しよう。よし、ハンク、ハーベイの両名に命ずる。シンの提案どおり、新しい兵器の開発に尽力せよ」
ハンクとハーベイは、慌てて手近なテーブルに酒杯と皿を置いて、その場に跪いて拝命する。
そうこうしているうちに、旅装を解いてお色直しを済ませたヘンリエッテと侍女たちが会場に姿を現した。
その足元にはムベーベ国から送られた子狼の一頭であるラケシスがいる。
ラケシスは、料理の匂いよりもこの場に居ないが匂いの残っている他の姉妹の事が気になっているらしく、そわそわと落ち着きが無い。
「ラケシス、遊んでらっしゃいな。後でちゃんとここへ戻ってくるのよ」
ヘンリエッテがそう言うとラケシスは嬉しそうにキャンキャンと鳴いて、姉妹の匂いのする方へと一目散に駈け出して行く。
「へぇ、もう手懐けたのか……大したもんだな」
シンが感心していると、後ろに控える侍女たちからブーイングの声が上がった。
「ヘンリエッテ様はそれこそ一日中、肌身離さず傍に置いていますし……それに寝る時だって、ほぼ独り占めしてズルいです。私たちにも少しは、あのふわふわもこもこを触らせてくれても……」
そう言われたヘンリエッテは焦ったように言い訳を始めるが、侍女たちの視線は冷たいままである。
女性の比率が増えたため、宴は一気に華ぎ盛り上がりをみせる。
段々と緊張もほぐれたのか皆の食もすすみ、次々と料理の皿が空になっていく。
見れば皇帝を始め宰相も侍従武官長も、そしてお堅い侍従長までもがゾルターンのように山葵を料理にふりかけて、あーだこーだと味について議論している。
酒飲みたちは、今まで味わったことの無い新しい香辛料にすっかり夢中の様子である。
シンがほろ酔い気分で辺りを見回していると、恐ろしい光景を目にしてしまった。
なんとカイルとエリーが、互いに食べさせあいっこをしているのである。
こんなところでもいちゃつきやがって、けしからん奴らめと舌打ちするシンは背後にある種の期待の籠った視線を感じていた。
ちょ、冗談じゃない。あれを俺にやれっていうのか! それも皆の居る前で! あんな真似が出来るのは頭の中までお花畑なあの二人だけだ! 絶対に御免こうむる! 後でならいくらでも埋め合わせはするから、勘弁してくれよ……
シンはヒシヒシとレオナとマーヤの視線を感じながらも、それを無視し続けながら心の内に僅かに芽生える罪悪感をかき消すように、さらに酒杯を重ねるのであった。
ブックマークありがとうございます! 感謝です!
更新遅れがちになり申し訳ありません。
次回か、もしくはその次はシン&皇帝VS貴族たちの机の上での戦いです。




